篠平、急を告げる(3)

「ごめんな、伊万里。ちょっと見るだけだから」

 無言の伊万里に謝りながら、ゆっくりとボタンを外していく。下腹の辺りまで外したところで、服を左右に大きく開く。キャミソール姿の彼女の白い肌が露わになった。

「どうなっとる、これは」

 拓真が伊万里の体を見て青ざめた。服の上からは腰の辺りだけに這っていた蔓だったが、それ以外の箇所でも下着の隙間から蔓が見えている。

 壬がキャミソールをばっとまくり上げる。すると、腹部にがっつりと根を張った赤黒い蔓が、どくんどくんと波打ち、全身にその茎を伸ばし始めていた。

 根は伊万里の血肉を吸い上げているかの如く一体化し、引き抜けるような状態には見えない。

「もうええ、分かっただろうが」

 見るに耐えないと拓真が目を閉じて呟いた。焦点の定まらない様子の壬がゆっくりとキャミソールを元に戻す。その手がかすかに震えていた。

 これはだめだ。

 壬は直感的にそう思った。

「誰か──、百日紅さるすべり先生……!」

 震える声で壬は猿師を呼んだ。

 蠱毒こどくなんて、何も分からない。篠平に分かる者がいるとも思えない。いや、伏見谷でも誰でもが分かる代物ではないはずだ。

 猿師えんしなら何か知恵がある。

「拓真、式神を百日紅さるすべり先生に飛ばす」

百日紅さるすべり先生?」

「猿の先生だ、谷で一番古い」

「……猿師と呼ばれとる、あの有名な猿の御方か」

 拓真が言った。壬が小さく頷いた。

「先生なら伊万里を助けてくれる。蠱毒についても分かると思う」

「よしっ。猿師は今どこに?」

「……分からない。こっちの世界にいるかどうかも」

「そうか……。式神が届くかどうかがまず問題だの」

 拓真が絶望的な様子で呟く。しかし、彼はすぐさま気を取り直し、壬に言った。

「儂も亜子に飛ばす。亜子は今、谷におる。谷に届けば必ず猿師に届くはずじゃ」

「分かった」

 それから二人は、すぐさま式神を用意した。壬はいつものてんとう虫で、拓真はフクロウだ。

「なんじゃ、九尾と名乗るわりには小さいのう」

 壬の式神を見て、拓真が拍子抜けした顔をする。

「小さいって言うな」

 壬はむっと睨み返しながらてんとう虫を空に放した。続けて拓真もフクロウを放す。一匹と一羽は、あっという間に闇色の空に飲み込まれ見えなくなった。二人はそれを見送ると、あらためて顔を見合わせた。

「さて、これからなんだが──、」

「帰るしかないだろ。出てくるとき、亜門さんにこのことを伝えるよう信乃さんに頼んできた」

「そうか。そもそも儂ら全員がおらんからの。大騒ぎになっておるわい。もしかしたら、こっちに向かっておるかもしれんの」

「ああ、急ごう」

 壬が再び伊万里を抱き上げた。山藤の実を握り続ける彼女の手を静かに胸の上に置く。どんな気持ちでこの実を握りしめたのか。

(伊万里、絶対に助けるから)

 心の中でそう呟いたその時、

 突然、里の方向からどおんっという大きな音が聞こえた。

「な──、んだ。今の」

 二人は岩場から出て、里が見える崖の淵へと走った。宵に包まれた里は、もうどこに何があるかも分からない。しかし、赤く燃え上がる炎の柱が、暗闇に一点浮かび上がっていた。

「何かが燃えている……」

「どういう、ことじゃ──!」

 拓真が呆然と眼下の炎を見つめる。そして彼は、わずかに唇を震わせながら呟いた。

「何が、どうなっとる?!」

「拓真、来るぞ!!」

 壬の声に拓真ははっと振り返った。無数の雑蟲ぞうこが狂ったように二人に襲いかかった。

「くそったれがっ!!」

 拓真が荒々しく雑蟲をぎ払う。その横で壬が火炎で応戦する。

「考える暇も与えんっちゅうことかい!」

「行くぞっ、拓真!! とにかく山を下りるんだ」

 壬が拓真に声をかける。拓真が目の前の一匹を斬ってから壬に頷き返す。と、壬を見る拓真の目が大きく見開いた。

「九尾、後ろっ!!」

「え?」

 壬が振り返ったのと、何かがひらめいたのが同時だった。

 次の瞬間、壬の背中を鈍い衝撃が貫いた。

「九尾ぃ!!」

 鋭い刀の切っ先が、彼の背中から胸に突き出ていた。

「くっ──そ!」

 とっさに何か分からない背後のものに火炎を吐く。それの上部が火だるまになり、「ぐわっ」という呻き声を上げた。壬が身をよじってそれを振り払うと、彼の胸から刀が抜けた。

 ぐっと喉に何かが詰まり、壬の口から溢れ出す。口と胸からボタボタと血が地面にこぼれ落ちた。

「しっかりしろ、九尾!」

 蒼白になった拓真が壬に駆け寄った。ぐらっとふらつく足をなんとか踏みとどめ、壬は視線を上げて拓真とともにそれの正体を見定める。そこに、上半身を黒く焦がした、しかしどこか見覚えのある顔が立っていた。

「祥真にい……?」

 壬がその人物だと認識する前に、拓真が呟いた。


「なんで……、何をやっとるんだ」

 拓真が信じられないと首を横に振る。

「太一郎はもう死んだぞ。兄貴、もうあいつに怯えんでもいい」

 黒くただれた顔に焦点の定まらない目。祥真はゆっくりと拓真に視線を向けるとぼそっと呟いた。

「カンロをくれ。足りない」

「は?」

「カンロだ。あれがないと、俺は……、俺は……、わあああっ!!」

 刹那、祥真は刀を振り上げると、壬と拓真に斬りかかった。拓真がとっさにそれを受け止める。

「祥真にい! 儂じゃ、分からんのか。やめてくれっ!!」

「ううぅー!」

 呻き声を上げながら祥真は尋常ではない力で押してくる。拓真は迫る刃を脇へと逃がし、祥真の腹を思い切り蹴り飛ばした。祥真が後ろにふっ飛んだ。

「兄貴!! 目を覚ませ!」

 地面に倒れた祥真の体から穢玉がぶわっと吹き出した。その穢玉に雑蟲がわらわらと群がり、彼の体に入り込んでいく。そして、全身から穢玉と雑蟲が溢れ出た。

「そんな。狐が、雑蟲に取り憑かれるなんぞ──…」

 祥真がもぞっと動いて起き上がる。その感情の欠片も感じられない祥真の動作に、拓真は背筋が凍った。

 これはもう祥真ではない。祥真の形をした何か──。

「頼む、殺しとうない」

 例えば、この場にいるのが自分だけで、自分一人が死ぬだけで済むのであれば、その方が楽だったかもしれない。

 しかし今、重症を負った壬と蠱毒こどくに侵された伊万里がいる状況で、その選択はあり得ない。

 なんで、こんなことに──…。

 これはただの兄弟喧嘩だったはずなのだ。

 呼吸が乱れる。手が震える。


 それでも、もうやるしかない。


 拓真が祥真に対し、重大な覚悟をしたその時、

「拓真、こいつを頼む」

 隣でふらふらになって立っていた壬が掠れた声で言うと、伊万里を拓真に押し付けた。拓真が驚く間もなく、壬は祥真に突っ込み、そのまま彼に体当たりをした。まるで、取っ組み合いの喧嘩のようになり、二人は地面をごろごろと転がった。

 拓真がはっと声を張り上げた。

「九尾っ、そっちは崖だ!!」

 直後、拓真の目にその様がまるでスローモーションのようにゆっくり映って見えた。壬と祥真が絡まり合いながら崖の淵から消えた。

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