篠平、急を告げる(2)

 太一郎が「おお」と興奮した声を上げた。もうまるで自分の物にでもなったかのように。

 そんな太一郎を冷めた目で一瞥し、壬は柄を持つ手をくるりと逆さに持ち直した。

「そんなに欲しけりゃくれてやるよ」

 言って彼は、太一郎に向かって焔を地面に突き立てる。再び焔が錆び付いた鉄の棒に変わる。壬は太一郎を睨みながら、焔から一歩、また一歩後ろに下がった。

「馬鹿な。小せがれ、何の真似だ」

 予想外の壬の行動に、太一郎がたじろいだ。彼は警戒心むき出しの顔で錆びた刀と壬を見比べる。

 壬は「何をびびってんだ?」とあごで焔を手にするよう太一郎に促した。

「俺は欲しいなんて思ったこと一度もないんだ、こんなもの」

 壬は言った。

 欲しかったのは、妖刀でもない、鞘でもない。伊万里だけ。

 こんなものがあるせいで、欲しいものに手が届かない。

「振るいたければ振るえばいい」

 言って壬は太一郎にくるりと背を向けた。そして、伊万里を抱き上げた。

「拓真、行こう。伊万里を助けないと。こんだけ山がざわついてりゃ、雑蟲ぞうこが襲ってきそうだ。道を作ってくれ」

「お、おう。でも九尾、焔は……」

「どうでもいい」

 伊万里を抱いた壬がさっさと歩き出す。

 拓真がちらりと太一郎と妖刀を一瞥した。しかし、かまわず先を行く壬を放っておくことも出来ず、彼を追って拓真も踵を返した。

 刹那、

「ふざけるなっ、馬鹿にしおって!!」

 太一郎が声を張り上げた。老体が怒りで震えていた。そして彼は、荒々しく焔の前に歩み寄った。

「どこまでも儂をコケにする小せがれよ。望みどおり、振るってやるわ! おまえのような小童こわっぱに振るえる物が、儂に振るえぬ訳がない!!」

 太一郎が焔の柄に手をかける。彼は一気に錆び付いた刀を地面から引き抜いた。

「ふはっ、ははっ、かの妖刀を手にしたぞ! 今からおまえたちをこの刀の錆びの一つに加えてくれる──」

 がしかし、そこまで言って太一郎の動きがぴたりと止まった。彼は大きく目を見開いて、その目をぎょろりと手元の刀に向けた。

「な……んだ、これは……」

 一気に恐怖で顔を引きつらせ、「うわっ」と錆びた刀を振り回す。その様子は、まるで手に張り付いた棒を振り落とすかのようだ。

 拓真が太一郎の異変に「なんだ?」と顔をしかめた。

 すると、焔の切っ先からわずかに炎が上がり始めた。

 太一郎が「ひっ」と恐怖の声を上げた。

「や、やめ──!」

 そこに壬の静かな声が響いた。

「焔、喰っていいぞ」

 次の瞬間、刀身から一気に炎が燃え上がり、それが刀を伝って太一郎に燃え移った。あっという間に太一郎が炎に包まれる。

 彼の断末魔の叫びが、山の静寂を引き裂いた。聞くに堪えないその声は、しかし、助けを求めすがるように二人の耳に届いた。

 壬がきゅっと目を閉じ、拓真も思わず顔をそむけた。

 炎は容赦なく老体を燃やし尽くす。そして紅蓮の炎が消えた後、最後に残ったのは、黒い塵の山だった。

「そんな──。どういうことだ?」

 いくら燃やしたとはいえ、この短時間で塵になるなんてあり得ない。

 拓真が事態を飲み込めず、目を見張る。壬は亡骸さえ残らず塵と化した太一郎の最期の様を見ながらため息を一つついた。

「言っただろう。焔は疲れるって。こいつを振るうには相応の対価がいる。それが無理なら喰われるまでだ」

 だから俺が持つしかない。こんなもの、他の誰にも持たせられない。

 本当に、いらなかったんだ。

「行こう、拓真」

「焔は?」

「放っておけ。どうせ誰も触れやしないし、気まぐれに消えていなくなる」

 吐き捨てるように言って壬が伊万里を抱きかかえて走り出す。その後に拓真が続く。

 誰もいなくなった山藤の実がなる場所で、黒い塵がさらさらと風に吹かれて空に舞い上がった。

 そして、あとは錆び付いた刀があるじに拾われることなく、ぽつんとその場に取り残されていた。


 山中に飛び出した二人は、襲いかかってくる雑蟲ぞうこの群れを薙ぎ払いながら、別邸に向かって山道を駆け下りていた。とは言え、壬は伊万里を両手でかかえおり、拓真も二人を庇いながら雑蟲と戦っている。

 百目のムカデや蜘蛛、牙をむき出した羽虫、毛むくじゃらの何だかもう分からないものまで、三人を襲う雑蟲の数が尋常ではない。おかげで、思い通りに前に進めない状況で、辺りはすっかり夜になっていた。

「おかしいの。ここまでの数が一斉に向かってくるなど、誰か統率している奴がおるぞ」

「太一郎が死んだのに誰が?」

「知るかっ」

 半ばやけっぱちに言いながら、拓真が刀を振り上げ、地面を蹴る。束になって襲ってくる雑蟲たちに突っ込むと、身を翻してまとめてそれらを斬り払った。最後に突っ込んでくる大物には狐火を投げつける。彼の周りにぼたぼたと雑蟲が落ちた。

 壬が尻上がりの口笛を吹く。

「何気に強いな、おまえ」

「これでも跡目に担ぎ出されとるんじゃ。そこ、ちゃんと評価せんかい」

 しかし、短い会話もそこそこ、次の集団が襲いかかる。刹那、壬の口から炎が飛び出し、それらを一気に焼き払った。

 今度は拓真が尻上がりの口笛を吹いた。

「両手が塞がっている時は便利だのう。ホントに、怪獣映画みたいなでたらめな事をするな」

「尻尾ビームもあるぞ」

 壬がふざけた様子で答えると、拓真がふっと笑った。しかし、すぐに真面目な顔に戻ると、暗闇のその先を睨んだ。

「全然、先に進まんな。時間がないと言うに」

「二手に別れるか」

「ダメじゃ」

 すかさず拓真が答える。

「今回、奴らの目的はおまえらじゃ。二手に別れるのは、奴らの思う壺になる」

「俺を殺したところで、焔をどうにか出来るとも思えないけどな」

「相手はそうは思っておらん。だとしたら、殺され損じゃ」

 その時、壬の腕の中で伊万里が小さく呻き声を上げた。壬と拓真がとっさに彼女の顔を覗き込む。

「蔓が少し伸びた気がするの」

「うん」

 壬は辺りを見回し、あごで少し先の岩場を差した。

「ちょっとあそこに隠れよう」

 拓真が頷いて、まず様子を確認しに行く。大丈夫なことを確かめると、拓真は小声で「こっちだ」と壬を呼び寄せた。

 岩場の陰に隠れ、平らな場所にひとまず伊万里を寝かしつける。彼女の手には山藤の実が握られたままだった。血の気のない顔は特に苦しそうではないが、体が冷たく息が浅い。

 壬が伊万里の頬をなでた。そして彼は、彼女の腹部から伸びる蔓を一瞥した後、意を決したように拓真を見た。

「どうにもならないけど、ちょっと体の様子を見てみよう」

「体の様子を見るって、本気か」

「状態を知りたい」

 戸惑う拓真に壬は頷き返す。そして壬は伊万里のワンピースのボタンに手をかけた。

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