谷の跡取り(4)
そういうこと。だから、壬。
(自分のことしか考えてなかった──!)
圭は思った。壬が
座敷わらしの「それが当主殿の返答か」という言葉を思い出す。
最初から護はそのつもりだったのだ。跡継ぎでもない壬を、ただ行かせる。
伏見谷は簡単には動かない。つまりはそういう意味だ。
(もともと跡目争いに介入するつもりだったくせに──!)
正式な
谷は簡単には動かないが、動く意思はある。
たったこれだけのことを皮肉を込めて言うために、壬は行かされたのだ。
結果、思い通りだ。篠平の使者は、今ここで護に向かって「お願いします」と畳に頭をこすり付けた。
護が亜子に対しゆっくりと口を開く。父親が何を言うのか、圭には分かった。
「圭を私の名代として行かせましょう。あと、
亜子がほっと息をつき、表情を和らげた。そして、彼女は深々と頭を下げた。
「ありがとうございます」
「さあ、今日はもう遅い。部屋を用意してあるので休むとよろしかろう」
護があさ美に目配せする。あさ美がにっこり笑って立ち上がった。
「さあ、亜子さん。ご案内するわ」
「おばさん、私も手伝います」
千尋も一緒に立ち上がった。
そして、亜子はあさ美や千尋と一緒に大座敷を後にした。
あさ美たち三人が出て行った後、護がふうっと息をついた。隣で勝二が「やれやれ」と首筋を左右に伸ばす。そして猿師が、やおら口を開いた。
「いったい何が釣れるかと思いきや、
「何を考えておるやら。もともと人間の世界になどさしたる興味もないはず」
隣で勝二も複雑な顔をした。
「篠平にしても、壬が谷の後継ではないと分かり焦ったか。いずれにせよ、我らにとっては動きやすい形となったな」
「ええ、確かに。それはそうと大叔父殿、亜子殿についてはどう思われました?」
「どうもこうも、男勝りもいいところだ。が、気概もあり機転もきく。篠平にはもったいない」
護がふふっと笑う。勝二が「なんだ?」と顔をしかめた。
「いや、亜子殿を斬り捨てていたら、それこそ次郎に殺されていたかと……」
「どういう意味だ」
「今回のことはあいつなりの策があったのも確かですが、あの次郎がわざわざ口添えしてきた女性ですぞ。ただの仲とは思えますまい」
護が言うと、猿師がふっと吹き出した。勝二が「え?」と目を白黒させた。
その時、
「父さん、壬は捨て駒なの?」
圭の震える声が大座敷に響いた。護たちがふと会話を止める。
大人たちは何を悠長に笑っているのだろう。
圭は動揺していた。これは怒りに近い動揺だ。
「それとも、大物を釣り上げるための餌? どちらにしろ酷い話だ」
彼は護を睨んだ。護が平然とした顔で答えた。
「圭、おまえが動けば谷が動く。おまえが動くとはそういうことだ。簡単に動くことなど許されん。それでも動きたいときは──、今回のようにまずは壬を使え」
「……そんなこと、出来るわけないだろ」
やっとのことで声を絞り出し、圭は頭をわずかに左右に振った。護が静かな眼差しを息子に返した。
「では、出来るようになれ」
父親の厳しい一言が圭の胸に突き刺さった。
猿師が静かな口調で圭を諭す。
「壬を捨て駒にするかしないかは、おまえ次第だ。おまえを含め、儂ら全員が盤上の駒。各々がそれぞれの役を果たすまでた。少なくとも、おまえのために壬は駒になることを選んだぞ。おまえはどうする?」
「俺は──」
圭が大きく息を飲む。
ずっと谷を継ぐのは自分だと思っていた。大人からもそういう扱いをされていた。なのに、一時でも半信半疑になって目をそらしたせいで、大切なことを見落とした。
もう二度と目はそらさない。
彼は、大人たちをまっすぐ見返した。
「どうもこうも、そういうことなんだろ。だったら、腹を
半ば吐き捨てるように、しかしきっぱりと圭は言った。
その言い様に大人たちは苦笑する。
そして圭は、護に宣言した。
「父さん、千尋も一緒に連れて行く」
「千尋ちゃんをか?」
護が少し難しい顔をした。しかし、圭はかまわず続けた。
「谷は継ぐよ。篠平にも父さんの名代として行く。その代わり、千尋が欲しい。人間とあやかしなんてどうすんだとか、まあ、ちょっと、いろいろ考えたけど……。もうどうでもいいことにした」
あれほど悩んでいたことも、「どうでもいい」と口にすると何か晴ればれとした気持ちになった。
護が呆れた顔で圭を見た。
「そんなすっきりした顔で──。千尋ちゃんを独り占めにするつもりか」
「悪い? っていうか、俺たちもう付き合ってるし」
「何?! ちょ、ちょっと待て。母さんは知っているのか??」
突然の息子の告白に、護がおろおろになった。圭が「何を今さら」と肩をすくめる。
「夏祭、人気のない所に千尋を連れ込んだって俺を殴ったの、父さんだろ」
「や、あれは、花火を見るためだって──、おまえら幼馴染みだし」
「いちゃつきたいからに決まってるでしょ。いつまでも子供じゃないんだから」
護が口をぱくぱくさせる。勝二と猿師が隣で必死に笑いを堪えている。
壬の言う通り、これぐらいのわがままは許してもらわないと。
圭は動揺しまくる父親に向かってふんっと鼻を鳴らした。
次の日の朝、玄関に大きなエイが浮かんでいた。猿師の式神だ。
「やっぱり牛は遅かったものね」
あさ美が大いに納得している様子で言った。千尋が目を輝かせてエイを見る。
「すごい。これで空を飛ぶの?」
昨日、護が直々に橘家に連絡をして千尋の同行について了承をもらっていた。電話で護は、「この度はうちの圭が、千尋ちゃんにとんでもないことをしたようで──」と平謝りしていた。
千尋は昨日、そのまま伏宮家に泊まり、亜子と一晩を共にした。さすが女同士、二人はすっかり仲良くなっていた。
見送りには千尋の母親の千里の姿が。篠平行きを昨晩聞いて、千尋の荷物を持ってきてくれたのだ。
「はい千尋、気を付けてね。圭くん、千尋をお願いね」
「はい」
千尋とのことを何か言われるかと思ったが、千里は普段と変わらない様子で笑ってくれた。
「さあ、では行こうか」
猿師がみんなに声をかける。千尋の側には狛犬の阿丸がぴったりくっついている。彼女の守役として連れて行くことにしたのだ。
阿丸と千尋がエイの背中に乗り、圭が続く。
そして、
「亜子殿、篠平が良い方向へ進むよう踏ん張られよ」
「はい」
「あと、次郎にたまには戻ってこいと伝えてくれ。できれば亜子殿も一緒に」
亜子が少し驚いた顔を見せ、目を泳がせる。そして彼女は戸惑いながら黙って勝二に頭を下げると、そのままエイに飛び乗った。
みんなが乗ったのを確認すると、最後に猿師がエイの頭部に座った。
「行ってくる」
エイが大きくたなびきながら、体をうねり一気に空へと舞い上がる。
護の姿はどこにもない。昨夜、別れ際に父親から一言だけ言われた。
「自分の目で見て感じた通りにやってこい。壬にもそう言った」
ちらりと隣に目をやると、朝の空気が少し寒いのか千尋が阿丸のお腹にすり寄っている。しかし、千尋はすぐに圭の視線に気づき、朝明けの光と同じ眩しい笑顔を圭に返した。
さあ、壬と伊万里のもとへ。
清々しい風が頬をなでる。ふとした拍子に指が触れ合う。圭と千尋はどちらからともなく手を繋いだ。
第3話 了
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