解ける境界(2)

 次の日、圭は静かな朝を過ごした。壬を起こす必要もなく、いつも台所に立っている伊万里もいない。

「今日も学校休むの?」

 部屋着のまま降りてきた圭を見て、あさ美が「しょうがないな」という顔をした。

「千尋ちゃんに言っておきなさいよ。バス停で待ってるかもしれないから」

「うん。もうメッセージを送ったよ」

 圭は答えた。

 千尋には朝起きてすぐメッセージを送った。

『全部終わったら、会いに行く』

 いろいろ書こうとも思ったが、うまく言葉にまとまらない。たどたどしくても、口でちゃんと伝えないといけないと思った。

(今日、すべてを終わらせる)

 それから彼は、学校へ式神のモズを飛ばした。




 夕方になって、圭はロンTとジーンズに着替えモモの家へ向かった。背中のショルダーバッグには右玄の日記と千尋からもらった清水せいすい入りの小瓶。そして、紅い下緒さげおがジーンズのベルトループに結ばれていた。

 途中、森カフェに立ち寄ると、出入口に部活帰りで制服姿の木戸が待っていた。

「圭先輩、」

 圭を見つけるなり、木戸は走り寄ってきた。

「突然びっくりしました。授業中にモズが飛んできてメモを俺の机に落とすもんだから……」

「はは、悪い。ほら、おまえのメルアドもケー番も何も聞いてなくて。式神を飛ばすのが手っ取り早いから。今日、モモちゃんは?」

「今日も休みです」

「そっか。好都合だな」

「それにしても、今日いきなり大橋の家に行くっていうのは?」

「ごめん、いきなりってわけでもなくて」

 言って圭は、木戸に今までの経緯をざっくりと説明した。そして、今日は自分以外は誰も来ることが出来なくなったことも話した。

「何が本当か分からないってのもあって、おまえにはみんな黙ってた。でも、この状況になって、モモちゃんがおかしいっていうのはほぼ間違いないだろうし、頼めるのはおまえしかいなくて」

「いえ……、そういう事情だったのなら仕方がない。だから、一昨日おとといに俺と橘先輩が話しているのを見て怒ったんですね」

「まあ、それもあるけど──」

 それは単に気に入らなかっただけ。しかし圭は、バツの悪さもあってあえて黙っていた。

「それで、俺は何をすればいいんですか?」

「モモちゃんの相手」

「それだけ? まあ、圭先輩のように刀を振り回すこともできませんから、実際それぐらいしかできませんけど……」

「それで十分。木戸の肝の据わりっぷりは、文化祭の時で十分わかっているし、おまえが相手ならモモちゃんも油断するだろうから」

 圭はにこっと笑った。


 秋の日はつるべ落とし。さっきまでまだ夕陽が見えていたと思ったが、圭たちがモモの家に着く頃には辺りはすっかり薄暗くなっていた。

 木戸が門前に立ちチャイムを鳴らそうとする。と、圭が止めた。

「ちょっと待った。鳴らすな」

「え? どうするんですか?」

 すると、圭は辺りをきょろきょろと見回して、二メートルはあるアイアンフェンスを指差した。

「あれを越えて入ろう」

「ええ? 不法侵入じゃないですか」

「うん。しょうがないね」

 圭がすたすたと歩き出す。木戸は目を丸くしていたが、すぐに覚悟を決めたのか大きなため息とともに顔を引き締め圭の後を追いかけた。

「ホールは確か、この庭を突っ切ったあたりだったよね」

 言いながら圭は大きくジャンプしてフェンスの上部に手をかける。そして彼は、フェンスの適当な場所を踏み場にして一気にフェンスを乗り越えた。慌てて木戸が後に続く。そして彼も、圭ほどスマートとはいかないが、フェンスをよじ登って乗り越えた。

 木戸がふうっと息をつきながら呆れた様子で言う。

「俺、圭先輩は四人の中で一番常識的だと思ってました」

「ああ、違うよ。一番常識を気にしているの、実は壬。昨日も小さいって姫ちゃんに言われてた」

 さらっと圭が答えると、木戸が周囲を気にしながら声を殺して笑った。それから二人は庭を抜けてホールが見えるところまでやって来た。中は真っ暗で、大きな一枚ガラスの窓は開いている感じもない。

「これからどうするんですか?」

「ちょっと待ってて」

 圭が腰に結んだ紅い下緒さげおに手を回す。刹那、黒い鞘に紅い下緒をまとった刀が現れた。彼はすらりと刀を抜いた。

「圭先輩、まさか押し入るつもりじゃ──」

「うん、そのつもり」

 言うが早いか、圭は刀を大きく振り上げそのまま一気に振り下ろした。次の瞬間、窓ガラスが派手な音を立てて粉々に割れた。

「よし、入ろうか」

「よしって──。こんな派手なことして、大橋にバレバレですよ」

「いいよ。どうせ、モモちゃんに会いに来たんだから。ただ、玄関で何かあったら、わらし様のところに案内してもらえないかもしれない。直接入れば早いだろ」

「なるほど、そういうこと」

 ここまでくると、木戸も最初より驚かない。やはり肝が据わっている。

 そして圭は派手に割れた窓をくぐって中に入りると、四方に狐火を灯した。そのあとに木戸が続く。部屋の中が赤い炎で照らされ、壁にかけられた黒髪の少女の絵が浮かび上がった。二人は絵の前に立った。

「わらし様、助けに来ました」

 圭は絵に向かって話しかけた。

「きっとそこから出してあげられると思います」

 その時、


「やだなあ、木戸くんには内緒って言ったのに」


 ふいに声がして圭と木戸が振り向くと、ホールの中央に大橋モモが立っていた。

「約束も守れないなんて、そんなだから欲しいものも手に入らないんですよ、圭先輩」

「……今日はいつになくトゲのある言い方だね、モモちゃん」

「だって、気に入らないんだもの」

 言ってモモは、ついっと二人との距離を詰めた。彼女が目を細めて皮肉たっぷりに笑った。

「私の大切なものを取ろうとするから、同じことをしただけ。二人の大喧嘩、見てて笑っちゃった。あの明るい橘先輩が怒ったり泣いたりしているのが、おかしくって──! ほんと、いい気味」

「大橋……、おまえがおかしい」

 木戸が眉根を寄せ、怒りに満ちた声で呟いた。

「っていうか、誰だ? おまえ」

 モモがほんの一瞬だけひるんだ顔を見せた。しかし、彼女はすぐに怒った顔で二人を睨み、一人でぶつぶつと呟いた。

「どうしよう、木戸くんが怒っちゃったよ」

「モモが悪いんじゃないよ。ここに彼を連れてきた伏宮圭が悪いんだよ」

「うんうん、そうね」

 まるで一人芝居でもしているかのようだ。木戸が、そんなモモの様子に目を見張った。

「大橋! しっかりしろ!」

「うるさいっ、おまえは心をかき乱す! 黙れ!!」

 モモが低い声で唸った。刹那、首からするりと細長いものが出てきた。圭がそれを鋭く睨んだ。

「蛇!」

 モモが感情の消えた目で圭と木戸を見返す。

「早くあいつに消えてもらおうよ」

「うん、そうね」

 呟いたかと思うと、次の瞬間、モモは人間とは思えない速さで圭の懐へと間を詰めた。

「消えちゃえ」

 モモが圭の肩をトンッと押した。刹那、彼の体がぐいっと絵に引っ張られた。

「圭先輩!!」

「じゃあね、先輩」

 黒い蛇を首に巻きつけた大橋モモが感情なくにっこり笑う。そして、圭は絵の中に吸い込まれた。

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