ないものねだり(4)

 少し気持ちが落ち着いたところで、千尋は伊万里に「薄黒い汚れ」について話して聞かせた。モモが触れた部分にその汚れが付いていたこと、自分以外誰も気づいていなかったこと。

 伊万里は黙って聞いていたが、すべて聞き終わると難しい顔であれこれと思案をし始めた。しばらくして、彼女はぽつりと呟いた。

「おそらく蛇の仕業しわざではないでしょうか」

「蛇?」

「わらし様の言っていた『番人』ではないかと。結界をくことばかりで、蛇のことを軽く考えていました。木戸さんと千尋の話まとめると──、モモさんに憑いていますね」

 伊万里が眉をひそめた。

「となると、木戸さんを遠ざけ、圭を引き込もうとしていることが気になります」

「ごめん。私、やっぱりもっと早くに言うべきだった」

「……蜘蛛の糸の時もそうでしたね。どうして黙るのです?」

「私だけが普通じゃないって思って……」

「普通、ですか」

 伊万里が繰り返すと、千尋が小さく頷いた。「狐」でないことを気にする自分、「人間」でないことを気にする圭。そして、千尋でさえ「普通」でないことを気にして悩んでいる。

各々おのおの、本当に難儀なことにございます」

 伊万里はため息混じりに言った。「そんなこと気にすることない」と人には言えても、自分自身にはなかなか言えない。

 千尋が伊万里に詰め寄った。

「ねえ、明日、私たちも行こう? もう、単に様子を見に行く状況じゃないよね。いざという時イマがいると心強いし、お兄ちゃんに頼んでもいいし」

「それが、私も壬も行けないのです」

 伊万里が困った顔をした。千尋が「え?」と戸惑い気味に眉をひそめる。

「何か、あったの?」

「はい。今日のもう一つの話です」


 伊万里は千尋に、壬と共に篠平へ行かなければならなくなったことを簡単に話した。千尋は伊万里の話を聞きながら、驚いた様子で顔をしかめた。

「篠平って、あの嫌なジジイのところでしょ?」

「はい。出発は今夜、日付の変わる頃に迎えが来るとか」

「そんなところに二人で大丈夫なの?」

 千尋が不安げに言った。伊万里が「大丈夫」と笑い返した。

「次郎さまと通じている者がいるそうです。その者を頼れと言われています」

「そっか。でも……」

 千尋がさらに伊万里に尋ねた。

「二代目を継ぐのは壬ちゃんだから、壬ちゃんが行くの? 伏宮の代表として」

 伊万里が戸惑い気味に小さく首を傾げた。

「正式なふみが届いたわけでもなく、これが名代みょうだいとなるのかどうか。しかし、義父とうさまには何かお考えがあるようでした」

 千尋はそのまま黙り込んだ。伊万里の手前、言葉には出来なかったが、圭の気持ちを考えると彼女は複雑な気持ちになった。

 壬が九尾の妖刀を手にした時から、ぼんやりと抱いていた疑問。まだ先のことだからと、あえて考えないようにしていた。

 谷は誰が継ぐのか。

 ずっと谷を継ぐのは圭だと思っていた。圭も壬もそのつもりだったろうし、大人もそういう扱いをしていたと思う。

(圭ちゃん、自分が否定されたと思っていなければいいんだけど……)

 こんな時に、どうしてあんなくだらない喧嘩をしてしまったのだろう。千尋は後悔した。


 それに、もう一つ──。


「イマは二代目のお嫁さんとして行くってこと?」

 千尋はもう一つの心配をそのまま口にした。伊万里がぐっと言葉に詰まり目をそらす。ややして、彼女は口ごもりながら答えた。

「そう、なります。義父とうさまも、そのつもりで一緒に行くようにとおっしゃったのだと思います」

「壬ちゃんはなんて?」

「別に何も……」

「イマが持ってるっていう鞘は……、壬ちゃんに渡すつもり?」

「渡しません」

 そこだけ伊万里がきっぱり即答する。

「じゃあ、こんな成り行き任せでいいの?」

 千尋がさらに質問すると、彼女は自嘲的な顔を返した。

「いいも何も、壬がほむらを引き継ぐ覚悟をした以上、従うしかありません。本来、私に選択肢などありませんし。まあ、相手を選べないという意味では、壬も同じですけど」

「壬ちゃんは、」

 千尋は強い口調で伊万里に言い聞かせた。

「文化祭の時、自分の足でお化け屋敷から出てきたよ。ふらふらだったけど、焔を使ってもちゃんと立ってた。誰のためでもない、全部イマのため──」

「それは、私が鞘を受け継ぐ者だから」

 千尋の言葉を伊万里が遮った。

「例えば、私以外の誰かが鞘を受け継いでいれば、壬はその方を大切にしていたでしょう。これは呪いと同じ、私も壬もすべては九尾さまのたなごころの上にございます」

 千尋が「違う」と首を左右に振った。

「イマ、勝手に決めずにちゃんと確かめよう?」

 言って彼女は、伊万里の両肩を掴んだ。

「壬ちゃんの気持ち、聞きたいでしょ? イマも自分の気持ちをちゃんと伝えなきゃ」

 伊万里が自信なさげに下を向く。千尋はそんな伊万里に笑って言い聞かせた。

「イマは世界で一番壬ちゃんにお似合いの女の子。自信を持っていいんだから。鞘なんてなくても、私を好きにすれば十分でしょって言ってやればいいのよ!」

 伊万里がふふっと吹き出す。

「それは……、なんと都合の良い言い分です」

「いいの。女の子は、多少わがままなくらいが可愛いんだから」

「今日は私が慰めに来たんですよ」

 伊万里が言った。そして二人はお互いに笑った。

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