ないものねだり(5)

 圭は薄暗くなった部屋の中、ベッドに仰向けになって独り物思いにふけっていた。手には伊東屋いとうや右玄うげんの日記。

 そろそろ壬と伊万里が帰ってくる頃かなと思っていたら、帰ってきた壬が山に入ろうと誘いに来た。

「今日ぐらい俺一人で行くよ」

「いい。家にいても落ち着かねえし」

 壬が首を左右に伸ばしながら、大きなあくびを一つした。篠平へ出発するのは今日の夜中だ。

 伊万里は千尋の家に寄って帰るということだった。千尋も学校を休んだと聞いた時は、ひどく胸が痛んだ。そんな落ち込む圭に壬は、

「また女子二人でくだらねえ話をしてんだぜ」

 と茶化し気味に言った。


 それから二人で山に入った。確かにこんな時、山の見回りは気晴らしにちょうどいい。

「で、こもって何やってたんだ?」

 歩き回ってしばらくたった頃、薄暗くなった山道を狐火で照らしながら壬が圭に尋ねた。圭が「ああ、」と答える。

伊東屋いとうや右玄うげんの日記を読んでたんだ。昨日、父さんに貸してもらった。うちに保管されていたものだって」

「へえ、」

 壬が驚いた声を上げた。

「そんなものがあったんだ。で、読んで何か分かった?」

 すると、圭が神妙な顔つきになった。

「まあ、ちょっといろいろと。結界術のことも書いてあったから、勉強にはなったけど」

「けどなんだ? 歯切れ悪いな」

「……ねえ、あやかしと人間の恋って成立すると思う?」

「なに、今さらその質問?」


 その時、真っ黒な森の奥からざわざわっと気配がした。二人が気配の感じた方に目を向けた刹那、歯をむき出し、ぎょろりと目を見開いた毛むくじゃらの物の怪がこちらに向かって飛び出してきた。

 壬が「おっ?!」と、刀を抜いてそのまま鋭く斬りつけた。飛び出した物の怪が、咄嗟とっさに切っ先をよけて方向転換をする。そして、それは木の枝や地面を蹴って四方八方に跳ね回った。

「なんだ、こいつ。すばしっこい!」

 壬が目をあちこちに走らせて獲物を追う。油断をすると、歯をいて懐にわっと飛び込んでくる。

「面倒臭せえ、この辺り全部燃やすぞ!」

 言って壬が片手を上げた時、圭が彼の肩を掴んだ。

「壬、ちょっと待って」

 圭が壬の前に出る。そして彼は、小さな正方形の箱を取り出した。

「ちょうどいいや。試したいことがあって」

「そんな箱で、何をするんだ?」

「まあ、見てて」

 圭が箱のふたを開ける。彼はあちこち飛び回っては襲いかかる物の怪を見定めると、物の怪めがけて箱を投げつけた。

 刹那、ギャッという叫び声とともに毛むくじゃらの物の怪が箱の中にすぽんっと入り、箱が地面に転がり落ちた。

「何がどうなった?」

 壬が目を見張る。圭が満足そうに箱を拾った。

「妖縛の絵と同じ原理。日記に書いてあった」

「これが?」

 壬が箱の中を覗き込むと、そこにむき出しの歯とぎょろりとした目玉の毛むくじゃらが小さくなって収まっていた。

「物理的にあり得ねえ…」

「妖縛の絵だってそうじゃんか」

 圭が笑う。

「箱とか枠って、すでに線引きされているものだから結界の媒体として使うにはもってこいの物なんだ。シンプルかつ理にかなった方法で、労せずに強力な結界が出来上がる」

「や、理屈はなんとなく分かったけど、その結界をこんな簡単に再現できるのか?」

 壬が半ば呆れ口調で笑った。圭はそれに軽く笑って答えると、手の平の上で箱を燃やした。そして、もう片方の人差し指で炎の周囲をすっと切り取る。燃え上がる箱がくるんと空間に巻き込まれて消えた。

 壬は尻上がりの口笛を吹いた。

「やっぱ、おまえ才能ある」

「ありがと。俺もちょっとそう思っていたとこ」

 圭が答えると、壬が「ああ、そうですか」と肩をすくめた。それから彼は、真面目な顔で圭を見た。

「明日、なんとかなりそうか? ちょっと悠長なことを言ってられない気もするし」

「学校で何かあった?」

「うん。今日、木戸に会って来たけど、大橋が作り笑いさえしなくなったって心配してた。ちなみに大橋も休み」

「作り笑い?」

「あの子、完熟の桃みたいに真ん丸な顔で笑うだろ。あれがそうなんだと。木戸には言わなかったけど、あいつを遠ざけて俺たちだけを誘っているのも気になる」

 圭が少し考え込み、思い出したように呟いた。

「千尋が俺の体に汚れが付いてるって、どんだけモモちゃんに触らせてるんだって怒ってた」

「汚れ?」

「うん。そのあと大喧嘩になったから意味が分からなかったけど……。あれ、ちょっと気になってたんだ」

 今度は壬が考え込み、それから軽く舌打ちした。

「あいつ、蜘蛛の時みたいに何か見えてたな。また黙って──!」

「……自分だけ見えてるって言いたくないんだよ。気づくべきだった」

 圭がため息混じりに言った。

「俺がいろいろ余裕なくて……」

 壬がもの言いたげな目を圭に向けた。

「おまえが千尋と大喧嘩なんて、らしくねえな。余裕がねえってのも、らしくねえ」

「あいにく、言うほど出来た狐じゃないもんで」

 圭が自嘲気味に答える。

 すると、壬が複雑な顔で口ごもってから、唐突にぽつりと言った。

「俺、やっぱり谷を継ぐのおまえだって思ってるよ」

 そして彼は、再び口ごもり「うーん」と唸りながら頭をわしゃわしゃと掻いた。それから、言葉を選ぶようにゆっくり口を開いた。

「俺さ、伊万里が谷に輿入れしてきた時、『ああ、こいつ可愛そうだな。いつまで待ち続けるのかな』って思ったんだ。だって、二代目九尾の嫁になるってことは、そのまま伏宮当主の嫁になることだって思ったから。でも、おまえには千尋がいるし、となると、必然的に俺らの代で二代目は出てこないんだろうなって」

「うん?」

 突然なんの話だ。

 圭は壬の話の真意が見えず、曖昧に頷き返した。

「そしたら俺が焔を持つ羽目になっちゃって。谷を継ぐのは圭のはずなのに、なんで俺なんだろうって戸惑いはしたけど……、この前、父さんに『篠平に行ってこい』って言われた時、初めて『そういうことか』って思ったんだよな」

「そういうこと?」

「うん。だから俺なのかって。でも、そしたら、おまえ一人に大きいもの背負わせてしまうから、だから……、時どき余裕がなくなるのも当然だと思うし、あやかしと人間が成立するかどうかなんて知ったこっちゃないけど、千尋のことも欲しいものは欲しいって言えばいいと思う」

 率直で口下手な壬らしいまとまりのない言葉。正直なところ、壬の言葉の真意を全て汲み取れたとは思わなかった。しかし、自分が余裕をなくしていることや千尋のことで悩んでいることを、彼なりに元気づけようとしていることは分かった。

「ありがと、心配させたみたいで」

「心配は、してない」

 圭がお礼を言うと、壬はにやっと茶化すように笑った。




 山の見回りを早めに切り上げ家に戻ると、伊万里がすでに帰って来ていた。

「お二人ともお疲れさまでした」

 玄関で二人を出迎えた伊万里は頭に角を生やし、瞳も深紫こきむらさきの鬼の姿になっていた。服は紺色に白いリボンのワンピース。すっかりお出かけモードだ。

「壬、義父とうさまが行く前に話があると。書斎に来るようにと仰せです」

「分かった」

 壬が刀を伊万里に預け、そのまま家の奥へと入っていく。伊万里はそれを見送ってから、今度は圭に向き直った。

「私も行く前に圭にお話が、」

「……千尋のこと?」

「はい。月でも見ながら話しましょうか」

 伊万里が微笑みながら頷いた。

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