長男の憂鬱(3)

 今日の森カフェは、平日だというのに意外と混雑していた。木のぬくもりを感じられる店内は、床も壁もすべて木で、一枚板のごつっとしたテーブルと丸太のような椅子が並ぶ。千尋と伊万里は隅っこに空いているテーブルを見つけ、そこに座った。

「千尋は何を食べますか?」

 伊万里が千尋に向かってメニューを広げながら言った。

 おしぼりをさっと差し出し、メニューや腕に当たらないよう水のグラスの配置にも気を配る。姫育ちなだけあって、伊万里はさりげなく女子力が高い。

 これで人間ではないのだから、あやかしと人間の境とはいったいなんだろうと思ってしまう。

 そして二人はケーキセットを注文し、それが来るのを待っていると、

「ねえねえ、君たち二人? ここ空いてる?」

 ふいに他校生の少年に声をかけられた。普通に高校生、何かスポーツでもやっていそうな爽やか系の二人組だ。

「二人ですけど、空いておりません」

 伊万里が容赦なく言い返す。もともと目鼻立ちがはっきりとした美人だから気が強そうに見られるのに、その外見どおりの容赦のなさだ。

 すごすごと少年たちが引き下がる。伊万里はふんと鼻を鳴らした。

 こんな時、圭たちがいてくれると助かるなと千尋は思った。そしたら、こんな風に声をかけられることもない。男子二人の存在は結構大きい。

 しかし、圭たちが山の見回りをするようになってから、そもそも千尋は彼と帰ることが少なくなっていた。

 伊万里といることに不満はない。こうやって彼女と二人、カフェでお喋りするのはとても楽しい。人間の世界のこと、あやかしのこと、なんでも気軽に話せる女の子は周りを見ても伊万里だけだ。

 でも──。

「圭が帰ってしまって、寂しいですか?」

 伊万里が笑った。千尋は慌てて首を振った。

「ごめん。私、つまらない顔してた??」

「いいえ、少し寂しそうな顔をしていました」

 そして彼女は、気遣うような眼差まなざしで千尋を見た。

「次郎さまには出しゃばるなとは言われましたが、お務めはかなりの負担です。なので、私もお手伝いしようかと思っています。慣れてくれば、山の見回り自体いろいろとやりようが出てくると思います。普段は式神を飛ばすとか、」

 伊万里が言った。

「圭は責任感も強いので、今は自分がしなければと思っているのだと思います。千尋をないがしろにしているわけではありません」

「うん、分かってる」

 分かっているが、ここ最近ぐっと一緒にいる時間が減った。なんだか妙に二人の間に距離ができたような、そんな気持ちに千尋はなっていた。

 そもそも、圭から告白されたはずなのに、どうしてこんな気持ちにならないといけないのだ。

(私たち、キスしたよね)

 千尋は自分の唇をそっとなでた。

 あの日以来、キスはおろか、手さえつないでいない。あれから、圭には何度も家に送ってもらった。いつものとおり、いつもの道を二人で歩いて。

 ただ、本当にいつものとおり二人で並んで歩いて、玄関前で手を振って別れる。

 最初は、気恥ずかしさと自分自身がいっぱいいっぱいだったこともあり、さして不思議にも思わなかった。が、これだけ何もないと、

(なんで???)

 と思ってしまう。

 本当なら、手だって「つなぎたい!」って理由だけでつなげるはずなのに、今はなぜか以前に増してつなぐ理由を考えないといけなくなっている。

 千尋は伊万里が目の前にいることも忘れ、大きなため息を吐いた。伊万里がぎょっとした顔でうろたえた。

「わっ、私、何か気に障ることでも言いましたか??」

「ご、ごめん! なんでもない!!」

 千尋は慌てて言った。そして、彼女はひと呼吸おいてから遠慮がちに言った。

「ねえ、イマ。私も手伝えないかな?」

「お務めを──ですか?」

 伊万里が少し困った顔をする。

「お気持ちは分かりますが、おそらく圭が許さないと思います」

「私も何か手伝いたいの。穢玉けだまはらうみたいに、雑蟲ぞうこはらったりできないものなの?」

「……破魔矢はまやを射ることができれば、それも可能かも」

破魔矢はまや? って、あの破魔矢はまや?」

「ええと、たぶん違います」

 伊万里が笑う。

破魔はま──、つまり浄化の力のことですが、破魔矢はまやはそれを矢という形に具現化したものです。和真さまや千尋のご両親の方が詳しいかと思います。が、」

「?」

「この話を私がしたことは圭には内緒でお願いします。怒られそうです」

「あはは。分かったよ。じゃあ、お兄ちゃんは週末でないといないから、お母さんに聞いてみる」

 その時、

「月野先輩、橘先輩!」

 ふいに元気で可愛い声がした。声のした方を見ると、大橋モモと木戸孝が立っていた。




 一方、圭と壬は家で軽くお腹を満たし、早いうちから山に入った。夏が終わり、秋も深まってくると、日が落ちるのもあっという間だ。

 そこかしこで、息を潜めていたものがザワザワと動き出す。

「二日も入ってないと少し騒がしいね。そろそろ始めようか」

 圭は近くの木に寄りかかっている壬に声をかけた。壬が緊張した面持ちで体を起こす。総次郎抜きで二人でやるのは今日が初めてだ。圭も少し緊張していた。

 しかし、突然壬が「そうだ!」と声を上げた。

「なあ、圭。どっちが雑蟲ぞうこを多く始末できるか競争しようぜ」

 唐突に壬が言った。圭は、その子供じみた発想にため息が出た。

「これ、仕事であって、遊びじゃないだろ」

「やることには変わりないじゃん?」

「……やだね、バカバカしい」

「チェッ、勝てると思ったんだけどなあー」

 壬が残念そうに呟いた。圭がピクリと肩眉を上げた。

「なに? 勝つつもり?」

「当然。勝算のない勝負は挑まない」

「へえ、面白いね。負けたら、どうするの」

「負けねえし」

 壬がしらっとした顔で答える。圭はカチンときた。

「あ、そう。じゃあ、負けたら俺の目の前で姫ちゃんに告白でもしてもらおうかな?」

「へ?!」

「行くよっ!!」

 言うが早いか、圭は一気に飛び出した。




 夜遅く、圭と壬が帰ってきた。

「おかえりなさいませ。お疲れさまでした」

 玄関で伊万里が二人を出迎え、それぞれの刀を受け取る。

「お風呂も沸いております。早くお入りなさいませ──って、どうされたのです?」

 得意げな圭と、神妙な顔つきの壬と。対照的な二人の様子に、伊万里が怪訝な顔をした。

「ほら、壬。約束だろ?」

 圭が皮肉げに笑って壬をつっつく。壬が情けない顔を圭に返した。

「本当にやるの?」

「もちろん。言い出しっぺ、おまえだし」

「なんの話ですか?」

 伊万里が意味が分からないと首をかしげた。壬が大きく深呼吸して伊万里の前に立つ。

「あの、伊万里」

「はい」

 しかし、彼はすぐに後ろを向いて圭にすがりついた。

「いや、だめだ。やっぱり無理!」

「あっそう。じゃあ、この前、俺に話してたやつ。あれでいいや。あの話をして」

「えっ、あれ??」

「だって、ちゃんと言ってやらないと分からないって壬が言ってたじゃん」

「いや、でも、」

「いいから、やって」

「おまえ、ほんと情け容赦ない──」

「さっきから、なんなのですか??」

 さすがに伊万里がイラッとした声で言った。圭がすぐさま壬を伊万里に向けさせ、にっこり笑った。

「俺も聞かされてることなんだけど、壬が姫ちゃんに話したいことがあるって」

「……なんでしょう?」

 伊万里が壬を真っすぐ見つめる。壬は、目をあちこちに泳がせていたが、やっとのこと口を開いた。

「先に言っておくけど、わざとじゃないからな」

「はい」

「たまたま伊万里に用事があって、たまたま伊万里の部屋に行って、たまたま伊万里がいなくて、これまた、たまたま目に付いただけなんだけど……」

「はあ、」

「あのデカいパンツは、母さんが買ってきたやつなんだろうけど、ババア用じゃないかなあって思う──」

「………………え?」

「いや、だから──」

「見たんですか? 私のパンツ……」

 伊万里が愕然がくぜんとした顔で言った。そして彼女はこの世の終わりを告げられたような様子で俯いた。体が小刻みに震えている。

 壬が慌てて言いつくろった。

「見たって言うより、干してあったから目に入ったって言うか──、」

「見たんですね」

 刹那、伊万里が二人から預かって手に持っていた刀をすらりと抜いた。

「いっ、伊万里??」

「挙げ句──、それを圭にまで話したんですか?!」

「いやだって、あんなババアパンツ──」

 ひゅんっと空を切る音が鳴り、刃の先が廊下に突き刺さる。

「ババア、ババアと、私はまだ十六の乙女おとめにございます!!」

 伊万里が涙声で叫んだ。壬がひぃっと縮み上がった。

「圭、助けて──!」

「知らないよ」

 圭はつんっとそっぽを向いてスタスタと家の中へと入っていく。

(ざまあみろ。少しは痛い目を見ればいい)

 そこまで思って、彼は自分がイラついていることに気がついた。

 そう、最近の自分は少し苛々している。

 なんとなく上手くいかない自分と、すべてが上手くいっている壬と、そんな風に物事を見ている。そして、そんな風にしか物事を見れない今の自分に一番苛々する。

「疲れた……」

 千尋は今ごろ何をしているだろう。

 圭はひとり大きなため息をついた。

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