長男の憂鬱(2)

 その日の学校は、一日をかけて文化祭の後片づけだった。時間の区切りもなく、終わったクラスから自由に解散してもいい。

 そして壬は、誰もいない校舎の屋上で、ひとり正座をさせられていた。目の前には腕を組んで彼を睨み下ろす圭。

 職員室に壬の代わりに呼び出された圭は、細かい事情が分からないまま担任の草野に説明を強いられる羽目になった。先日、文化祭で剣道場をめちゃくちゃにしたことも木戸に協力してもらいどうにか誤魔化ごまかしたばかりだ。

 草野は、

「困るんだよ、こんな立て続けに問題ばかり……」

 とぼやき口調から始まり、

「ガキのくせに、あんな美人と同居なんておかしいだろ」

 とねたみ口調に変わって、

「俺なんてなあ、彼女いない歴と年齢が同じなんだぞ。家では母親が孫はまだかと毎日のようにうるさいしっ、ううっ」

 と、最後はなんだかよく分からない嘆き口調になってしまった。

 そんな草野から聞き出したことが、

「どうやら、学校で姫ちゃんが伏宮家の嫁だって噂が流れているらしくて、出所でどころがあの五里らしいんだよね」

 だ。

 壬がぎくりとした顔をする。そんな彼を圭は鋭く見つめた。

「壬、本当のことを言っただけだって言っていたよね?」

「……はい」

「五里に姫ちゃんがうちのお嫁さんだって言ったんだ?」

「……あんまりうるさいもんだから……」

 壬がムスッとした、しかし聞き取れないほど小さい声で答えた。圭は「ふーん」と大きく頷き返し、さらに鋭く彼を見た。

「まだ──、何かしたよね?」

 壬が「え?」とたじろぐ。圭が冷めた目を彼に返した。

「転校初日もそうだった。手をつないでいただけかと思ったら、玄関で姫ちゃんを抱きしめていただろ。おまえが五里に『うちの嫁です宣言』だけですむわけがない。で、何したの?」

 壬が一瞬言いよどむ。しかし、圭の圧に押されて彼はぼそりと答えた。

「デコチュー……です」

「へえ、デコチュー。付き合ってもいない女の子にデコチュー?」

「それは──、なんとなく……?」

 壬が目をそらしつつ呟く。圭はありったけのため息を壬に吐きかけた。

 なんとなくでデコチューができるなんて、どんな神経をしているんだ。

 圭は思った。こっちは「なんとなくの関係」で手を繋ぐことさえ躊躇ちゅうちょして、気持ちを伝えた今でさえ、タイミングを外してしまって、何も進展しないままだというのに?

 圭は自分の状況と比べられずにはいられなかった。

 あの夜、千尋に気持ちを伝えたものの、一晩たつと急に冷静になった。やっぱり人間と狐って、本当にいいのかと。次の日、総次郎に夏祭りのことを茶化され時、千尋に「あるわけないし、あり得ないっ!」と全否定されたのも、実は地味に心に突き刺さった。やっぱりあり得ないんだと。

 気がつくと、彼女に対して今までどおりの態度を取っている自分がいて、結局は以前と何も変わらない二人の関係が続いていた。

 あのキスでさえ、夢だったんではないかと思ってしまう。

 それに比べて壬のこの節操のなさはなんなんだ?

 圭はしゃがみ込んで壬の顔を覗き込んだ。

「……しばらく姫ちゃんとは手つなぎ、ハグ、その他もろもろ禁止」

「えっ、なんで?」

「かばいきれない。いいだけ好き勝手して、フォローするのは俺なんで」

「そんな──」

「そんなもくそも、そもそも、姫ちゃんと手つなぎ、ハグ、その他もろもろが出来る立場にないだろ。ただの同居人のくせに」

 半分、八つ当たりのような気もしたが圭は言った。

 壬がばつの悪そうに肩をすくめて縮こまる。本当に反省しているのか、いないのか。

 圭は再びため息を吐いた。

「ねえ、壬。中途半端なことをしているから、こんなことになるんじゃないの」

 転入初日、やっぱり許嫁いいなずけあたりで手を打っておけば良かった、と圭は思った。そうすれば、冷やかしのネタにはなっても堂々としていればいい。下手に隠そうとするから、みんなの好奇の的になる。

「焔のこと、もう覚悟を決めたんだろ? だったら、姫ちゃんも本気で落とせばいいじゃんか。たぶん、すぐ落ちるよ」

「そうかもしれないけど……」

 壬があっさり認める。圭は意外な顔をした。

「なんだ。さすがに自覚あるの」

「なんて言うか……。腹くくったら、いろいろすとんと落ちて、よくよく考えたら伊万里は俺に一番懐いてるなって、」

「よくよく考えなくても、壬に一番懐いてるよ。じゃあ、なんの問題もないだろ」

 すると壬が複雑な顔を圭に返した。そして彼は、言葉を選ぶようにゆっくりと口を開いた。

「俺さ、土蜘蛛の親に伊万里が刺されて動かなくなった時、すごく怖かった。頭の中、真っ白になって、手は震えて、何も考えられないくらい。伊万里も、きっとあれぐらい──もっと怖かったんだろうなって、思う」

「……うん」

「あいつ意外に恋に恋してるみたいなところがあるから、二代目とのこともきっと夢見てたんだろうなって。それが、妖刀は化け物みたいな刀だわ、振るった俺が死にかけるわ、そりゃ、パニックにもなるよな。俺に焔を振るわせたくないって言うのも当然だし、だから多分、焔のことを納得させないと、伊万里は俺と同居人のままだと思う」

「強引にいけばいいのに……。姫ちゃんも鞘も欲しいって耳元でささやけば?」

「このことに関して言えば、伊万里は譲らない」

 壬が苦笑する。そして彼は、反省の時間は終わったとばかりに足を崩してあぐらをかいた。

「おまえこそ、どうなんだよ?」

 今度は壬が圭に尋ね返した。

「俺の心配より、おまえこそ千尋とどうなんだ?」

「どうって、別に──」

 圭は言葉を濁した。何もないわけではない。しかし、何か進展したわけでもない。

「俺と千尋は事情がまた違うだろ。こっちは狐と人間なの」

「だから? 今さらじゃん。圭はあれこれ難しく考えすぎなんだよ」

 壬がのほほんと言う。圭はムッとして言い返した。

「壬が何も考えなさすぎ。だいたい今回のことだって、野郎のいい妄想ネタになるとか思わなかったの?」

「妄想ネタ?」

「だって、嫁でしょ。つまり人妻じゃん。そそるでしょ」

「や、そそるって?? おまえ、人妻なんてエロい言い方すんな」

「だって姫ちゃん、ときどきつやっぽいところあるし」

 途端に壬が青ざめる。

 その時、屋上のドアがバンっと開いて伊万里と千尋が現れた。

「お二人とも、剣道場の片づけ終わりましたよ」

 伊万里を見て、壬がぽつっと呟く。

「あ……そそる人妻──」

 刹那、伊万里がつかつかと壬に歩み寄り、彼の頭をわし掴みした。

「いきなりうら若き女子高生に向かって……なんの下衆げす話ですか?」

 伊万里が凄みのある笑顔で壬を見る。壬がすぐさま「すいません」と謝り、顔をこわばらせた。

 千尋もあきれ顔で二人を見た。

「反省会じゃなかったの?」

「そ、反省会だよ。もう終わった。なあ壬」

「まあ、」

「じゃあ、帰ろう! ねえイマ、森カフェ寄って行こ? 今日は部活もないし」

 千尋が元気良く言った。伊万里が壬からぱっと手を離し嬉しそうに頷く。

「いいですね」

「二人はどうする?」

 千尋が男子二人に尋ねた。

「俺らは──」

「山に行くよ」

 圭がすかさず答えた。総次郎が去ってから、二日間ほど入っていない。さすがに今日は行かないと。

 壬が隣で不満そうな顔をする。

(やっぱり反省していない)

 そんな彼を圭は軽く睨んだ。ふと見ると千尋も不満そうな顔をしている。

 しかし圭は気づかないふりをした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る