お化け屋敷は大騒ぎ(6)

「ジロ兄! 二人が飲み込まれた!!」

 圭が取り乱した声でわめいた。

「落ち着け、圭」

 総次郎が落ち着いた口調で返した。そして彼は、モモを背負って呆然と立ち尽くす木戸に声をかけた。

「おい、人間。壬たちの知り合いか」

「はい」

 木戸が戸惑い気味に、しかし、しっかりとした目で頷いた。

「……いい目だ。悪くねえ」

 総次郎が言った。そして彼は、木戸に歩み寄ると、彼の背に負ぶわれているモモの頭に手を当てた。

「この子は……大丈夫そうだな。が、ややこしくなるから、しばらく起きないようにするぞ」

「かえって助かります。こいつ、怖がりだから。あの……、」

「ああ、俺はこいつらの保護者みたいなもんだ」

「それはなんとなく分かります。そうではなくて、二人を助けないと──」

「ジロ兄!」

 木戸の言葉に被せて圭が再び声を上げた。

「何をのんびりしてるんだよ!!」

「うろたえるな」

 言って総次郎はモモの頭を軽く叩いてから、ようやく壬たちが飲み込まれた暗闇に対峙した。一見、何もない闇に見えるが、よくよく目を凝らすとうっすらと何かがうごめいているのが分かる。

「はあ、やれやれ。結局、あれで喧嘩しなかったのか? あの二人」

 総次郎がぼやき口調で呟いた。

「伊万里に怪我をさせたとなると、俺が百日紅さるすべり先生にしぼられそうだ」

「何を悠長に──! 怪我どろこじゃすまないだろ!」

「まあ、待て。相手が何者かも見極めずに何をしようって言うんだ」

 言って総次郎は闇の中を指差した。

「見えるか? あの親蜘蛛の姿」

 総次郎に言われて圭が目を凝らす。闇の中、親蜘蛛の姿が見えてきた。大きさは、いつも山で出会う土蜘蛛より少し大きいくらい。不自然に長い足と膨らんだ腹の部分が妙な感じがし、無機質な灰色の目はぎょろりと光り、こちらをじっと睨んでいた。

「意外に小さい……。あれに飲み込まれたの?」

 もっと大きい蜘蛛を想像していた圭は少し拍子抜けした顔をした。総次郎が頷き返した。

「基本、土蜘蛛は不浄の気を好んで喰う。親蜘蛛の中には、こいつのように人間に憑いて不浄の気を集めるやつもいるが、人間を喰ったりはしない。だから、仮にあやかしを飲み込んだとしても簡単には消化できない。っていうか、そもそも飲み込まない」

「じゃあ、どうして姫ちゃんが襲われたんだ?」

「──月野先輩があの化け物の卵のまゆを燃やしたんです」

 木戸が言った。そして彼は、総次郎たちに会うまでの出来事を手短に話した。

まゆは月野先輩が火をつけたあと空間ごと切り離して、闇に飲み込まれて消えました」

「ああ、それジロ兄がさっきしたのと同じ?」

「そうだろう」

 こちらに向かう際、圭が燃やしたまゆも総次郎の手によって空間を切り離し始末してきたのだ。

「だから怒ったのかも。月野先輩自身が怒り狂うだろうと言っていましたから…」

「そうだな。それもあるだろう。が──、」

「なに?」

 圭が聞き返すと、総次郎がちらりと圭を見たあと、冷めた視線を親蜘蛛へ移した。

「やつは欲張りすぎた。人に憑き、穢玉けだまを喰らい、もう産卵のためじゃない。あの異様に膨れた腹がその証拠だ。欲は人も化け物も狂わせる。聞こえないか?やつの意地汚い声が──」


 モット…、モット…、モットホシイ──。

 言葉とさえ言えない、唸るような声。


「力欲しさに鬼を飲み込んだか。消化できるかどうかも分からないのに」

「だったら、なおさら早く助けないと」

「まだだ」

 総次郎が首を振る。圭が「なんで──っ」と絶句した。

 刹那、親蜘蛛が総次郎たちに向けて鋭い足を繰り出してきた。

「来るぞっ、圭!」

 圭が慌てて後ろへ退き、総次郎は木戸たちを抱えて横へ飛び退いた。足の爪が床にガツッと突き刺さった。

「おい、人間。俺たちから離れすぎす、少し引っ込んでろ」

「はい」

 総次郎が木戸とモモを床に下ろす。そして彼は、タンッと床を蹴って刀を構える圭のそばへと詰め寄った。

「まだ、手を出すんじゃねえぞ」

「この状況でっ、」

 圭が思わず刀をぶんっと振り回した。

「二人とも死んでしまう──!」

「まだだって言ってんだ!!」

 総次郎が圭を一喝した。

 そして彼は、鋭い目で親蜘蛛を睨んだ。

「……この程度で死んでたまるか」

 誰に言うともなく、総次郎が呟く。

「死ぬわけがない。おまえはこんなもんじゃないはずだ、壬。見せてみろ、大切なものを守るために」

「ジロ兄……」

「圭、壬を信じろ」

 総次郎が親蜘蛛を凝視する。

 圭はそんな総次郎の横顔を見ながら、何もできない歯がゆさにぐっと刀の柄を握りしめた。



 壬は意識のない伊万里と二人、不気味な空間に閉じ込められていた。片手で伊万里を抱きながら、もう片方の手で狐火を灯す。ブヨブヨした壁に何とも言えない臭い。二人を取り囲む壁はどくんどくんと脈打ち、床もぐにゃりと柔らかい。

 とっさのことではあったが、親蜘蛛の中に飲み込まれたであろうことは容易に想像がついた。

「伊万里、しっかりしろ。伊万里!」

 壬は何度も伊万里に呼びかけた。

 体を確認すると、脇腹の着物が破れ、そこから血が出ていた。思ったより出血は少ない。しかし、顔はまるで死人のように青白い。

「だめだ、死んだらだめだ──」

 自分なんかよりずっと治癒力は高いはずだが、今この状態がどれほどの状態なのか分からない。

(早く、ジロ兄に見てもらわないと)

 でも、ここからどうやって? 

 彼女を抱く手が震える。何もできない。何も分からない。

 どうにかしないといけないのに、気持ちばかりが焦って体も頭も動かない。

 考えるのは最悪のことばかり。息をするのも苦しくなる。

「ああ、伊万里。頼む、目を開けて──」

 目の前の人が何の前触れもなく動かなくなることがどういうことか。壬は初めて知った。

 夏に九洞方くどぼうの一件で、伊万里に心配をかけたことは十分に分かっているつもりだった。

 でも違った。分かってなんかいなかった。

 それよりも、彼女に「焔を持たせたくない」と言われたことが、情けなくて悔しくて、これ以上自分が惨めにならないよう強くなるのに必死だった。

 彼女がどういうつもりでそう言ったのかなんて、考えもしなかった。

 二度とあんなことは言わせない。強くなれば、そうすれば伊万里だって納得するはずだ。ずっとそう思っていた。

「ごめん、伊万里」

 壬は伊万里の頬に自分の頬を押しつけた。

「おまえ、怖かったよな。あの時、俺が動かなくなって、本当に怖かったんだよな」

 こんな大切なことさえ自分は分かっていなかった。

「俺は……」

 壬は、ふいに木戸の言葉を思い出した。


── 要は自分がどうしたいかってだけの話なので、覚悟っていうと大げさですけど。


 そうだ。足りなかったのは、自分がどうしたいかっていう覚悟──。

「……俺は、おまえのそばにいたい」

 壬はひとり呟いた。

「おまえを守りたい。伊万里、おまえを抱きしめたい」 

 白いリストバンドで隠された右手首のあざがドクンとうずく。

 伊万里に見せないよう、誰の目にも付かないよう隠していた。でも、このあざから一番目を背けていたのは、他でもない自分自身だ。

 壬は、伊万里を左手で抱きかかえつつ、右手のリストバンドを口で引っ張り外した。やけどのような赤黒いあざあらわになる。

 そして彼は、伊万里の顔をじっと見つめた。

「ごめん、また心配させちまう」

 呟きながら壬は伊万里の頬にキスをした。それから、少しためらったあと、今度は彼女の唇に自分の唇を重ね合わせた。初めてふれる彼女の唇は、思っていたよりずっと柔らかだった。

 そして壬は、彼女から唇を離すと大きく深呼吸して、ぐっと右のこぶしを握りしめた。

「いるんだろ、ほむら

 何もない空間に話しかける。刹那、壬の背後に黒布をまとった人影がゆらりと現れ彼の耳元でささやいた。

<いるもなにも、を呼んだのはおまえだろう?>

「ああ、呼んだな。確かに今、おまえを呼んだ」

 壬が言った。彼の目の前に黒く錆びた刀が現れる。刃はあちこちこぼれ、黒い錆がごつごつと刀身にまとわりついていた。

 壬は言葉を続けた。

「ここから出たい。こいつの体を喰い尽くせ。九洞方くどぼうに比べれば、物足りないかもしれないけどな」

 言って彼はその刀の柄を握った。次の瞬間、刀身が一気に燃え上がった。

「好きなだけ、俺の魂くれてやる」

 壬は焔を大きく振りかざした。そして彼は、燃え上がる刃を振り下ろした。




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