約束は災いのもと(6)

 お化け屋敷の入口では、コスプレを済ませた伊万里が大注目の中、受付に立っていた。

(こっ、これは本当に大丈夫なのでしょうか──??)

 コスプレと言っても変わったところは二点だけ。深い紫の瞳と頭の角──。

 そう、伊万里は総次郎の提案で変化へんげを解いて鬼の姿になって戻ってきたのだ。

 総次郎いわく、

「みんな仮装しているし、そもそも鬼の存在を誰も信じていないから絶対にバレない」

 とのこと。

 鬼の姿に戻った伊万里を見て、総次郎は「美人がさらに上がった」と褒めてくれ、「せっかくだから少しは羽目を外せ」と言ってくれた。

 そして彼は、

「しばらく誰も入れるなよ。ちょっと中を見てくるわ」

 と言い残し、お化け屋敷に入っていった。

(なんだろう? また、何かいいことを思いついたのでしょうか?)

 少し気になったが、鬼の姿で一人残さた伊万里はそれどころではなかった。

 もしバレてしまったら、大騒ぎになってしまう。

(今、私はコスプレ、コスプレ──)

 心の中で呪文のように繰り返し、伊万里は自分自身に言い聞かせた。

 しかし、やってくる客の相手をビクビクしながらすることしばし。最初はドキドキしていた伊万里だったが、次第にそれも慣れてきた。

(すごい、本当に誰も気づきません!)

 中には「可愛い~」と褒めてくれる人もいる。

 そのうち伊万里は、この状況に快感さえ覚え始めた。

(なんという解放感!! 文化祭、恐るべしです!)

 すると、そこへ剣道部のモモと木戸が二人でやってきた。

「月野先輩、可愛い! それ、鬼ですか?」

 開口一番、モモが言った。

「モモさん、いらっしゃい。どうですか? 鬼のコスプレ」

「すごく似合ってます!」

 当然だ。これが本来の姿なのだから。

 伊万里は木戸にも笑いかけた。

「木戸さん、おかげさまで大賑わいです。会場を貸してもらって、助かりました」

「あ、いえ、」

 返事もそこそこに、木戸が伊万里の角をじーっと見る。

「本物みたいでびっくりされました?」

「え、ええ」

 木戸が戸惑いがちに頷いた。伊万里が二人に言った。

「今、少し人が多くて入場を制限しているのですが……」

 総次郎には入れるなと言われたが──。

(二人ぐらい大丈夫だろう)

 伊万里はにっこり笑った。

「モモさんと木戸さんは特別です。せっかくなので、どうぞ入ってください」

 そして伊万里は、穢玉まみれの御守りを二人に差し出した。

「はい、御守りです。でも、必ず千尋に祓ってもらってくださいね」

「わあ、これが呪われた御守りってやつですか? 普通の可愛い御守りじゃないですか?」

 モモが嬉しそうに手を伸ばす。しかし、その時、木戸が横から御守りをさっと奪った。

「これ、俺が持つよ」

「ええ? 私が持ちたい」

「ダメ」

 珍しく強い口調で言いながら木戸は伊万里をじっと見返した。

「大橋は、こう見えてとても怖がりです。この中、本当に大丈夫ですよね?」

 その含みのある言い方に、伊万里はすっと真顔になった。

 木戸の手には穢玉まみれの御守り。しかし、彼は動じていない。

 何より、真っすぐで全てを射抜くような彼の瞳──。

 ひと呼吸おいてから、伊万里は木戸に笑い返した。

「ええ、もちろん大丈夫です。もしもの時は、私が責任をもってお助けいたします」

「分かりました。ありがとうございます」

 木戸が小さく頭を下げる。そして、片方の手で御守り、もう片方の手でモモの手を握ると、木戸は会場の暗闇を慎重深く見つめ、ゆっくりと入っていった。

「なんと……。木戸さん、気づいたかもしれませんね」

 二人の姿を見送りながら伊万里はひとり呟いた。


 と、その時、


「おいっ、どいてくれ!」

 人の群れをかき分け、息を切らせた壬が看板を片手に現れた。

 そして彼は、伊万里の姿を見るなり、唖然とした顔で立ち尽くした。

「い、伊万里……?!」

「あ、壬。看板できました? 今しがた木戸さんとモモさんが入ったところ──」

「できました? じゃねえ! いったん、中止だ!!」

 壬は「入場制限」と書いた看板を入口の真ん前に乱暴に置くと、そのまま伊万里の腕をひっぱって外へ連れ出し、武道館の裏へ連れて行った。

「壬、どうされました? そんなに慌てて」

「どうもこうも、変化へんげを解いて何やってんだ?!」

「何って、鬼のコスプレです──という設定です」

 伊万里はけろりとした顔で答えた。

「意外にバレません。誰も鬼なんて信じていないので」

「そういう問題じゃねえだろ!」

「大丈夫ですって。次郎さまも少しは羽目を外せばいいと言ってくれました。もうっ、すごい解放感です!」

 彼女は興奮気味に答えた。すると、壬がぴくりと片眉を上げた。

「──ジロ兄が?」

 伊万里がそんな彼に笑って頷き返した。

「はいっ、先ほど来てくれました。みんなも仮装しているので私が鬼の姿に戻ってもバレないだろうって。美人が上がったと褒めて──」

 

 刹那、


 バンッと、壬が荒々しく壁に両手を付いた。伊万里がその両腕に挟まれ、壁に追いつめられる。

 伊万里は驚いてびくっと体を震わせた。

「え──?」

 左右に壬の腕、背後は壁。身動きが全くできない──。

(こっ、こここれはっ??!!)

 まさかの壁ドン。

 伊万里は突然の出来事にたじろいだ。

「伊万里、」

「は、はははいっ!」

 思わず声が裏返る。

 しかし、そんな伊万里のドキドキをよそに、壬は不機嫌な目を彼女に向けた。

「なに、なんで鬼の姿をジロ兄に見せてんの?」

「え?」

「俺、他の奴に見せたくないって言ったよな」

 怒ってる──。

 いつにない怒りの表情を浮かべる壬に伊万里は浮かれた気持ちが一気に冷めた。彼女は動揺する気持ちを抑え、壬に言った。

「でも、私の鬼の姿なんて圭も千尋も見ていますし、先日子供たちにも見せました。今さら次郎さまに見せたところで何も変わらないではないですか。それに、せっかくお化け屋敷の受付をしているのだから、あやかし姿になった方がそれっぽいと次郎さまが……」

 また、次郎さま──。

 壬のイライラが更に増す。何かあるごとに「次郎さま」と口にする彼女の口を壬はいい加減に塞ぎたくなった。

 どうやって、黙らせようか。

 むすっと押し黙る壬を伊万里が窺うように覗き込んだ。

「あの、壬…?」

「なあ、転校初日、おまえが五里と手合わせしたときのこと覚えてるか?」

 伊万里が「突然何を言い出すの」とばかりに戸惑った顔を返した。壬は、そんな伊万里をじっと見つめた。

「おまえ、あのゴリラと約束してたよな。あいつが勝ったらキスするって」

「ああ、あの時のことですか? 覚えていますけど…」

「俺、あの時勝ったよな?」

「──え?」

「勝っただろ」

「いや、あの──、はい」

 壬の圧に押され、伊万里はこくりと頷いた。壬がすかさず言った。

「じゃあ、目つぶって」

「え?」

「早く。約束だろ、キス」

「ちょっ、まっ、待って──」

「待たない」

 壬の顔がゆっくりと迫ってくる。

(えぇっ??? ここここ、これはっ、なにっ??)

 伊万里は壁にべたりと張り付いて、目を四方八方に泳がせた。

 何がどうしてこうなるのか、全く意味が分からない。

 そうこうしている間にも壬の顔がだんだんと迫って来る。

 伊万里はとうとう耐えきれず、ギュッと目をつぶった。


 1秒、2秒、3秒……、何かが伊万里の唇にふれた。

 でも、それは唇じゃない。そう、これは手の平だ。

 

 思わず伊万里が目を開けると、壬が伊万里の口元を片手で覆い、そこに自分の唇を重ねていた。

 伊万里の息が一瞬止まる。

 ややして、壬が唇を離し、ゆっくりと目を開けた。

「信じらんねえ……」

 壬が言った。そして彼は、非難めいた目で伊万里を見た。

「約束だからって誰とでもキスできんの?」

 予想さえしていなかったその言葉に、伊万里は硬直した。ただ、ほんのわずか、彼女は強張こわばる顔を必死で左右に振った。

「ちっ、ちがっ──」

「好きでもない奴に許すんじゃねえよ」

 壬が伊万里からふいっと顔を背ける。そして彼は、そのまま黙って行ってしまった。

「ちがうの──」

 震える声で呟きながら、伊万里はその場にずるずると座り込んだ。

 軽蔑された。

 誰にでも唇を許すような軽い女だと思われた──!

「もう、やだ……」

 伊万里は両手で顔を覆い、そのままうずくまった。

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