お化け屋敷は大騒ぎ(2)

 伊万里はまつ毛女を冷めた目で睨んだ。

「ぎゃあぎゃあと下卑げびた物言いは好きではありません。このまま顔をひねり潰しましょうか」

「いっ、痛い! 痛い! 放して!!」

「うるさいと言っているでしょう。少し黙っていてください」

 ぎしっと伊万里の指が彼女の顔に食い込む。まつ毛女が「ひっ」と悲鳴を上げた。伊万里は、彼女の顔を掴んだまま、その場にいる全員の顔を見た。

「皆さま、私は今、非常に機嫌が悪うございます。この女のようになりたくなければ、ようく私の言うことを聞いてください」

 伊万里が穏やかではあるが凄みのある声で言った。全員が全力で首を縦に振る。伊万里が満足げに笑った。

「話が早くて助かります。では、こちらに注目してください」

 言われなくても、笑顔でアイアンクローをかます鬼姿の女子高生から目が離せる者など誰もいない。

 伊万里はもう片方の手を皆に突き出し、手の平を上に向けた。

「この手をようく見ていてください」

「?」

 なんだろうと皆が注目する。

 すると、伊万里の手の平に青白い炎がぽうっと灯った。全員がぎょっと目を見張った。

「さあ、この炎をようく、ようく見て──」

 その声にいざなわれるように、皆はじっと炎を見つめた。炎はゆらゆらと揺れながら無限にその形を変えていく。しばらくすると、全員がしんっと静まり返った。

「では、これで解散です。ここであったことはすべて夢、武道館から出た瞬間に忘れます。皆さま、今日はこの武道館に戻ってきてはなりませぬ。ここ以外の場所で文化祭をお楽しみください」

 ややして、一人、また一人と呆けた顔の人間が立ち去り始めた。そして最後は、伊万里と千尋、そして、うずくまる杏奈と伊万里に顔を掴まれたまつ毛女だけになった。

 四人だけになって、ようやく伊万里がまつ毛女から手を放す。彼女がぼとりと地面に落ちた。

「さて、あなたですが…」

 まつ毛女が慌てふためきながら四つん這いで伊万里に向き直る。そして彼女は、頭を床に押し付けた。

「ゆっ、許して。ごめんなさい、許してください」

 彼女はがたがたと体を震わせた。

 伊万里はしゃがみ込むと、彼女の顔を覗き込んだ。

「あなたにはあえて何もかけません。ここでのことは他言無用、誰にも言ってはなりませぬ」

「言わないっ、誰にも言わないから!!」

「あと二度と大川さんに近づかないでください。以上のことをきっちり守ること。守れなかったときは──、分かりますね?」

 伊万里の凍るような冷たい目にまつ毛女は蒼白になる。伊万里は彼女の様子を見て満足げに笑った。

「では、私の気が変わらないうちに行ってください。あなたの顔は忘れません。二度と会うことがないよう、お気をつけなさいませ」

 まつ毛女が床を這って伊万里から離れ、よろけながら立ち上がった。そして、彼女は足を何度ももつれさせながら走り去っていった。

「イマ、いいの?」

「かまいませんよ。一人ぐらい」

 伊万里が言った。

「誰もあやかしを信じていない。誰も信じていなければ、それはいないのと同じです。仮に彼女が誰かに言ったところで、ただの空言そらごとでしかありませんから」

 そして、残るは一人。大川杏奈だ。

 杏奈は、床にしたままぶつぶつと一人呟いていた。

「私は違う。私は特別なの……」

「杏奈、もう大丈夫よ。しっかりして」

 千尋が杏奈に寄り添い、背中をさすった。伊万里も杏奈の前にひざまずいた。

「……親蜘蛛に心をむしばまれています。夢と現実が混濁しているような状態でしょう」

 淡々とした口調で伊万里が言った。そして彼女は、杏奈の頭に手を当てる。次の瞬間、杏奈がカクンと気を失い、力なく床に倒れ伏した。

「おそらく、かなり前から憑かれていたのではないかと。心の闇は親蜘蛛にとって良い栄養となりますから」

「イマ、彼女のこと許してあげて」

 千尋が言った。伊万里が冷めた目で杏奈を見つめた。

「もう十分、罰を受けています。心配しなくても、彼女を責めるつもりはありません」

 とは言え、(やっぱり壬のことが好きだったんだ)と、伊万里は胸の内がもやもやした。また一方で、杏奈の思いが単なる片思いで、壬には届かなかったということにほっとしている自分もいる。

(親蜘蛛に憑かれるべきは私だ)

 人の失恋を密かにほくそ笑むなんて、自分の心の中こそ真っ黒い。

 するとその時、千尋が伊万里の背中をぽんっと叩いた。

「ちょっと調子にのって穢玉を集めすぎたね、イマ。気持ちと運気が下がるのは、人間だけじゃないんじゃない?」

 言いながら、彼女は続けて伊万里の両肩もぱっと払った。

「そんなもやもやした顔しないで。全部、穢玉のせいよ。巫女さまが祓ってあげたから、もう大丈夫」

「千尋……」

「ね?」

 千尋が笑った。そして彼女は、窺うように伊万里を見た。

「泣いていたの?」

「え?」

「目が腫れていたけど──」

 伊万里が戸惑いがちに目をそむける。ややして、彼女は口をへの字に曲げ、情けなく眉根を寄せた。みるみるうちに、目には大粒の涙が浮かんだ。

「私、壬に嫌われてしまいました。きっと、二度と口をきいてもらえません」

「は? なんで?? ってか、さっき話してたじゃん」

「あれは非常時だからです! 仕方なく、しぶしぶですよ!!」

「お、落ち着いて、イマ」

 千尋が慌てた様子で言った。

「何があったの?」

「それは──」

 伊万里が言いよどむ。しかし、次の瞬間、伊万里ははっと顔を上げた。

「モモさんと木戸さん!」

 言って彼女は目をごしごしとこすり、千尋を見た。

「千尋、モモさんと木戸さんが来ませんでしたか?」

 さっき、集団催眠をかけた中に二人はいなかった。

「剣道部の二人です。最後にお化け屋敷の中に案内したんです」

「ああ、マネージャーとあの小柄な男の子ね。ううん、来ていない」

「そんな……。まさか、まだ二人は中に??」

 伊万里が一気に青ざめる。彼女はすくっと立ち上がった。

「千尋はここで大川さんを頼みます」

 言って彼女は手の平を床に置いた。

阿丸あまる、おいで」

 すると、空間がぐにゃりと歪み、そこから大きな獅子の前脚が現れた。次に、灰色の巻き毛に身を包み、いかつい顔の阿丸がぬうっと出てきた。阿丸は、伊万里と千尋を見て「がうっ」と鳴いた。

「阿丸、千尋を守っていてください。あと、この武道館に誰も入らぬよう、そして誰も出て行かぬよう、出入り口を見ていてください」

 阿丸がのそりと動き出す。そして阿丸は、武道館の玄関付近に腰を下ろした。まるで、神社の参道脇に鎮座する狛犬そのものだ。会場全体の空気がぴしりと変わった。

「阿丸が結界を張ってくれました。千尋、少し待っていてくださいね」

「ちょっと──っ、ジロ兄が私とイマは外で待ってろって!」

「お二人を助けに行かないと。そう約束したんです!」

 言い終わるが早いか、伊万里はお化け屋敷の中に飛び込んだ。

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