よもやまばなし(番外編)

篠平の里・番外編 男の純情

 月夜の伯子と歌姫が去って、壬たちも明日には谷に帰ることになった。そして今は、壬と圭、拓真の三人で別邸母屋の大きな浴場に入っている。離れの風呂も立派だと思ったが、母屋のそれはさらにすごい。石張りの昔ながらの浴槽に、鏡の付いた洗い場が三つある。さらに、外へと続くガラス戸の向こうには露天風呂までついていた。昔から亜子や他の側近たちと共同生活をしている拓真にとっては、これが普通なのだという。 

 壬は浴槽に浸かり大きく伸びをしながら、半ば呆れ口調で言った。

「こっちは源泉かけ流しかよ。もう自宅の風呂じゃねえだろ、これ」

「本当だね。家自体の大きさは、そんなに変わらないけどね」

 カッポーンと、どこから何かが聞こえてきそうなまったりとした空間。壬と圭は、大きな浴槽にゆったりと浸かりながらのんびりと会話をしていた。

 いろいろあった篠平も今夜が最後、伊万里もようやく傷が癒えて、今日は千尋と一緒に離れの風呂に入ると言っていた。

「もう一泊ぐらいしていきたかったね。せめて明日の午前中だけでも観光していけないかな?」

「本当だな。なあ拓真、明日どこか案内してくれよ」

「ああ??」

 洗い場で忙しなく頭をがしがしと洗っている拓真が不機嫌な声を上げた。そして彼は、泡立った頭を一気に流し終えると、壬たちをキッと睨んだ。

「おまえら、何を悠長に浸かっとるんだ? 早う洗わんかい!」

「せっかちな奴だな。ゆっくり入らせろよ」

「俺たち、一応客だろ?」

 すると拓真は、落ち着きなく戸口の向こうを気にしながら、「いいから、早く上がれ!」と二人を急かした。壬たちは、しぶしぶ浴槽から上がった。

「じゃあ、体洗う前に露天風呂──」

「だめじゃ!」

 露天風呂に向かい始める二人を拓真が止める。

 壬と圭は興ざめした様子で顔を見合わせた。

「ケチだな。いいじゃん」

「今日は亜子がまだ入っとらん。そんな暇なんかあるかっ」

「なんで? 亜子さんがまだ入ってなかったら都合が悪いわけ?」

「そうだよ、ゆっくり入っておいでって言われたじゃんか」

「おまえらはあのゴリラの横暴さを知らんから、そんなことが言えるんじゃ」

「ゴリラって──」

「ねえ?」

 壬と圭は、お互いに肩をすくめた。

 確かに亜子はサバサバしていて男前な性格だ。伊万里や千尋も、何かにつけて「かっこいい!」ときゃあきゃあ騒がしい。しかし、彼女は決してゴリラではないし、ただの「かっこいい」とも実のところ微妙に違う。壬たち男子二人にとって、亜子は「エロかっこいい」だ。

 伊万里や千尋の手前、口に出しはしなかったが、豊満な胸とキュッと引き締まった腰の悩殺ボディに艶やかな口元、大人の色香とはこのことで、ぶっちゃけ高校生男子には目の保養──、もとい、目の毒だ。

 それをゴリラだなんて……。

 ずっと一緒に暮らしていたら、そういうことも感じなくなってしまうのだろうか。

「横暴って、ちょっと世話焼きなところがあるだけで、ゴリラってひどいな」

「そうだよ。男前だけど、色っぽいじゃん」

「何をとち狂ったことを──。おのれの貞操と誇りを守りたかったら、儂の言うことを聞け!」

 その時、

 浴場の戸が無遠慮にガラッと開いた。

 なんだ? と壬たちが視線をそちらに向けると、そこに亜子が腕を組んで立っていた。

「へ?!」

 全裸の三人が亜子の前でピシッと固まる。突然のことで、とっさに隠すこともできず、今さらやんわり隠すこともはばかられ、三人はみっともないほどに自分達の体を亜子にさらしていた。

 そんな少年たちを、亜子はまるで汚ないものでも見たかのように片眉を上げ、顔をしかめた。

「さっさと洗って、さっさと出てきな。ったく、いつまで待たせんだい!」

「え、だって、さっきゆっくり入れって──」

「あん? 限度ってもんがあんだろ?」

 亜子のドスのきいた声に圭と壬が真っ青になる。拓真がふるふると震えた。

「おまえは、男三人が入浴中っていうのにずかずかと入ってきよって。恥じらいっちゅうもんがないんか!」

「そんな粗末なもんに恥じらうほどこっちは暇じゃないんだよ」

 亜子がぴしゃりと言い返す。

 粗末なもん……。圭と壬は思わず「すいません」と頭を下げた。亜子がさらにイライラとした顔をした。

「いつまでもボーッと立ってないで、さっさと洗いな。それとも──、」

 言って彼女は両手を上げて彼らの前でボキボキと指を鳴らした。

「その体、私が隅から隅まで洗ってやってもいいんだよ?」

「だっ、大丈夫です! 洗います!!」

 二人が「ひぃっ」と悲鳴を上げながら洗い場に向かう。亜子が軽く鼻を鳴らしながら三人に向かって人差し指を立てた。

「あと十分しか待たないからね。それ以上は、この姉さんが御自おんみずから洗ってあげるよ。ああ、洗い場も床も綺麗にしてから出てくるんだよ。この後、私が入るんだから」

「はいぃ!!」

 ふと亜子に体を洗われたらどうなるだろうと妄想が頭をよぎった。が、すぐにいろいろ怖くなり、壬たちはそれ以上想像するのをやめた。

 今はただ、ひたすら洗うべし!!

 亜子が出ていきピシャッと戸を閉める。そして、がしがしと頭と体をまとめて洗う壬と圭の横で、拓真は全裸のまま涙目で床を磨き始めた。

「くそっ、最初から儂らに床磨きさせるつもりだったな!」

「なんだよ、あれ! 俺ら粗末とか言われたぞ?!」

「だから言っただろうが! あの女に欠片かけらでも男として見られとるとでも思っとったんかい!! 自分らの貞操守りたかったら、あと十分で洗いきれ! 容赦なく鷲掴みされるぞ!!」

 拓真の言葉に二人は震え上がった。

 それはもう、ゴリラじゃない。悪魔だ。


 それから壬たちは、ほぼ行水のように全身を洗い、拓真は床と洗い場を磨き上げた。そして、体を拭くのもそこそこに三人は飛び出すように風呂から上がった。

 そのまま亜子が待つ居間に直行する。ガラッと襖を開けて、肩で息を弾ませ、拓真が言った。

「亜子! 上がったぞ!!」

 すると、亜門が一人、ちゃぶ台に新聞を広げくつろいでいる。彼は、濡れ髪のまま息を弾ませ現れた少年たちを訝しげに見ながら「どうした?」と片眉を上げた。

 部屋の四方に目をやりながら、イライラした口調で拓真が尋ねる。

「おい、亜子は?」

 亜門が「ああ、」と、のんびりした口調で答えた。

「伊万里姫と千尋ちゃんにお風呂に誘われてな。離れの風呂に入りに行ったぞ」

「……なんだと?」

 拓真が「あのゴリラ──!」とぷるぷると体を震わせる。壬と圭は、ただ呆然と立ちすくんだ。

 なに、俺らって見られ損? いや、そもそも彼女にとっては見た内にも入っていない。

 なんで俺ら、こんなに踏みにじられた気持ちになってんの?

 なに、この敗北感。


 壬たちは二度と亜子より先に風呂には入らないと誓った。

 

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