平凡な妖孤のある一日(2)

 一ノ瀬いちのせ高校は山すその町にある田舎の普通高校だ。そして、じんが住む伏見谷ふしみだに地区は、高校からバスで四十五分、自転車で四十分かけた山間やまあいにあった。壬とその一族が古くから住む妖狐ようこの谷である。


 なんでも三百年以上も昔、九尾きゅうびと言われる大妖狐が住みを構えたのが始まりらしく、その九尾を慕い多くの狐が集まって谷に村ができた。そして、壬の家はその九尾の血を引く「本家」と言われる家だ。


 とまあ、大妖孤の血筋と言えば聞こえが良いが、何がどうってこともない。自分たちの両親をはじめ、谷に住む妖孤たちの力は大して強くはない。霊力の強いものも中にはいるが、ほとんどが人に化けて生活をするというだけで一生を終える。


 壬にしても特に大きな力を持っているわけでもなく、彼にとっては九尾の話もよくある昔話とそう変わらなかった。むしろ、人間とさほど変わらないのに、人間と同じように暮らせない自分の身の上を理不尽に感じることさえあった。




 バスが終点の御前みさきに着いた。千尋の家である御前神社のある地区だ。壬の家は、ここからさらに自転車で四十分はかかる。彼はバス停の脇に置いていった自転車にまたがると、うーんと大きく伸びをした。時計を見ると一時過ぎだ。


「そうだ、あそこに行こう」


 壬は、家とは反対方向にハンドルをきり、ペダルをこぎ始めた。


 御前のバス停から目と鼻の先に、尾振おぶ峡谷と呼ばれる峡谷があった。小さな橋のすぐ脇に下へと降りる小さな石階段があり、そこを降りて行くとゴツゴツとした大きな岩たちに囲まれた峡谷が現れる。

 川上にある滝からは水がどうどうと音を立てて落ちてきて、それがゆったりと流れていく。川の水は夏でも十度前後で、峡谷全体がひんやりと涼しい空気に包まれていた。


 壬はひときわ大きな岩の上によじ登って、適当な場所を見つけるとそこに座った。そして、バスに乗る前にコンビニで買ったおにぎりをリュックから取り出して、ばくんとほおばった。

 が、ほおばったところで、壬の口から大きなため息が出た。


「はあっ、何やってんだろ、俺」


 森カフェのピザ、かなりご無沙汰している。やっぱり変な気を回さずに一緒に行けば良かった。

 でも、


(行ってどうする?)


 所詮、自分はお邪魔ムシだ。 

 千尋の気持ちに気づいたとき、壬は「ああ、そうだよな」と妙に納得した。いつだって三人一緒、圭と千尋を誰よりも近くで見てきたのは自分だ。

 だからこそ、二人の邪魔をしちゃいけないと、そう思った。


 問題はここからだ。思ったのはいいが、どうしていいか分からない。

 ずっと一緒なのが普通だったから、自分がお邪魔ムシになるなんて想像もしていなかった。


 おかげで最近では、二人が仲良くしている姿を見ると、自分がどういう態度を取ればいいか分からなくなって、壬は明らかに三人で行動することを避けていた。結果的には「二人の邪魔をしない」というミッションを達成していることになるが、これはこれで、どうにも気持ちがすっきりしない。

 まるで自分ひとりだけが取り残されたような、そんな気持ちだ。


「はあ……」


 どうして自分ばかりがこんなに悩んでいるのだろう。

 壬の口から二つ目のため息がもれた。


 その時だった。


 上空から強い風が吹き降りた。


「う……わっ!」


 壬は思わず顔をそむけた。刹那、何かが水面の岩場に舞い降りた。


(なんだ?)


 大きな鷹か何かが降ってきたのかと思い、壬がゆっくりとその何かに目を向ける。

 

 ──と、それは一人の女の子だった。


「え? は? えぇぇっ──???」


 歳は自分とさほど変わらないぐらいだろうか。

 若草色のワンピースを身にまとい、腰近くまである長く艶やかな黒髪を風になびかせ、凛とした横顔は川が流れていくそのずっと先を見つめていた。

 壬は、彼女が降ってきた空と川面を何度も見返した。空は青く澄み渡り、雲ひとつさえない。


(なに、なんだ、誰?)


 すると、壬の存在に気付いた少女がくるりとこちらを向いた。


「あなたは、誰です?」

「お、俺?」


 いやいや、おまえこそ誰だよ!

 そう言いかけて、壬はぎょっとした。彼女の頭、ちょうど額の上のあたりに、白い尖ったものが一つ突き出ていたからだ。


「つ、角……」

「いかにも。角ですが、何か?」


 言って少女は、足場の岩を蹴って壬が座っている大岩へと飛び移り、彼のすぐそばに降り立った。


「あなたも、人にあらざる者では?」

「……」


 壬はごくりと生唾を飲んだ。

 深紫の大きな瞳と漆黒の長い髪、透き通るように白い肌、花びらのように薄赤く染まる唇や頬、ここまでは完璧な美少女だ。


 ただ一点、頭の角を除いては。


(頭に角なんて、まるで──)


 そう、こいつは鬼の子だ。壬の胸がバクバクと鳴った。

 鬼なんて、どこにでもいるあやかしではない。壬にしても、剣の師匠から話を聞いたことがあるくらいで、実際に見たことなど生まれてこの方一度だってなかった。滅多に人間の世界には姿を現さず、あやかしをべる上級妖魔。自分たち狐なんかとは格が違う。


「おまえ……、鬼か? 誰だ?」


 壬はやっとのことで声を絞りだした。少女がにこりと笑い返した。


「いかにも。月夜つくよの里の伊万里いまりと申します」

月夜つくよ……って、あの月夜つくよ?」

「はい。あの月夜つくよかどうかは分かりませんが、ご存知ですか?」

「知ってるも何も、」


 壬はさらに絶句した。「月夜つくよの鬼」と言えば、「四大鬼族よんだいきぞく」と呼ばれている一族だ。ここまでくると次元が違う。


月夜つくよの鬼が、どうしてこんなところに──」


 体中から汗が噴き出してきた。緊張でのどの奥がかすかに痛い。

 すると伊万里がじいっとこちらを見つめ、ぽつりと言った。


「ときに、その手に持っているものはおにぎりですか?」

「え?」


 壬はすっかりその存在を忘れていたコンビニおにぎりに目をやった。一口だけかじってあるその中からは、赤い鮭がひょっこり顔を出している。目の前には物珍しそうにおにぎりを見つめる月夜つくよの鬼。


「……良かったら、食う?」


 思わず壬は、食べかけのおにぎりを差し出した。

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