九尾の花嫁

すなさと

第1話 谷の狐と月夜の姫

1)平凡な妖孤のある一日

平凡な妖孤のある一日(1)

 放課後、伏宮壬ふしみやじんは、誰もいない教室に一人呼び出されていた。

 180cm近い長身に、サイドを短く刈り上げた茶褐色の髪、涼しげな顔立ちには、十七歳の少年のまだあどけなさが残っている。壬は適当な机に腰かけると、額ににじんだ汗をぬぐった。暑いので、白いポロシャツをグレーのズボンの上に出し、胸元は大きく開いていた。


 このパターンは、まあ、あれだ。


 放課後の女子からの呼び出しと言えば、だいたいの察しはつく。しかし、ここ一週間ほぼ毎日となると、さすがの壬も辟易へきえきしていた。この一ノ瀬いちのせ高校で伏宮兄弟といえば、校内女子の人気を二分する双子の兄弟だ。壬はその弟の方である。

 しばらくして、顔を赤らめ緊張した面持ちの女の子が一人教室に入ってきた。グレーのプリーツスカートをはき、ブラウスの首もとにはえんじ色のリボンをきっちり結んでいる。確か隣のクラスの女の子だ。名前は、知らない。

「呼びだしてごめんね。伏宮くん」

「うん、それで話って何?」

 壬は口早に聞いた。

 一学期最後の日、今日は学校が半日で終わる貴重な日だ。外では蝉がやかましいほど鳴いていて、夏の暑さを倍増させた。

 とにかく早く終わらせたい。それが壬の今の気持ちだった。


「一年の頃から好きでした!」

 意を決した女の子が壬に思いをぶつけてきた。胃が一番痛くなる瞬間だ。

 なぜなら迷惑の何物でもないからだ。

(何を言っても、断ったら泣くからなあ)

 勝手に告ってきたのは向こうだ。なのに、どうしてこっちがこんなにも気を遣わないといけないのだろう。そもそも、好きだとか言いながら、こっちの気持ちなんて全く考えてなくないか?

「あのさ、俺のどこがいいわけ?」

「どこって──、カッコイイところ?」

「ふーん……」

 ほぼ全員、似たようなことを言う。壬は一気にしらけた気分になった。

(本当に興ざめする、女のこういうところって)

 彼は、暑さと下校を邪魔されたイライラも合間って、だんだん腹が立ってきた。

「じゃあさ、俺がかっこよくなかったら?」

 女の子がきょとんとした顔で首をひねった。

「でも、かっこいいから伏宮くんなんじゃない?」

「……俺のアイデンティティ、そこ?」

 ダメだ。話にならない。こんな奴のために貴重な時間を暑い教室で費やしたのかと思うと、壬はため息しか出なかった。


 そうだ、ちょっとからかってやろうかな──。


 壬は意地の悪い視線を目の前の女の子に向けた。

「俺、あんたが思っているような奴じゃないんだけど」

「え?」

「たとえば、俺がバケモノでも付き合ってくれる?」

「は? アハッ、伏宮くんったら──」

 彼女は「唐突に何を言い出すの」と言わんばかりの様子で顔をしかめた。

 しかし次の瞬間、彼女の顔が凍りついた。

 みんな気づいていないだけ。

 実は、不可思議なものっていうのは案外どこにでも存在している。

 壬がまさにそうだ。

 彼には──、いや、彼ら伏宮兄弟には秘密があった。

 それは、自分たちが人間ではないということ。

 二人きりの教室に影が二つ。一つは女の子のもの、そしてもう一つの人影には耳と尻尾がはえていた。

「俺、狐なんだよね。知ってた?」

 壬は恐怖でひきつる女の子に笑いかけた。



  

 しばらくして、校舎から壬が何事もなかったかのように出てきた。そんな壬を校門前で待ち構えている二人がいた。壬の双子の兄・けいと幼なじみのたちばな千尋ちひろだ。

「あ、やっと来た。お疲れ、壬」

 壬と同じ顔の圭が笑った。彼は亜麻茶色の長い髪を無造作に後ろで結び、壬と同じくポロシャツをズボンの上に出し、胸元を大きく開けていた。

 壬と圭の一番の見分け方は、髪の色と髪の長さだ。千尋に言わせれば、他にも違うところはいっぱいある(むしろ、全然違う)らしいが、ほとんどの人が二人をこれで見分けている。

 圭の髪は、壬の茶褐色とは違い亜麻色かかった茶色だった。髪も長くて、後ろ髪はいつもひとつに結んでいる。以前、髪をくくらずに登校したら、そのアンニュイな姿にクラス中の女子が発狂し大騒ぎになった。以来、圭は必ず髪を結ぶようになった。


 そして千尋は、長い黒髪のツインテールが良く似合う女の子で、壬たちの正体も知っている数少ない人間のひとりだ。彼女の家は古くからの神社で、昔から家族ぐるみで壬たちの家と付き合いがある。

 さっきから、なにやら両手で頭を何度も払っていて、その様子が小動物の毛繕けづくろいのようだ。

「どうした? また頭痛か?」

 千尋が頭を払うときは頭が痛いときだ。彼女は「まあ、ちょっと…」と言いながら、もう一度パッパッと頭を払って苦笑した。

「お兄ちゃんがなでてくれたら楽になるんだけどなあ」

「…いや、頭痛薬飲めよ」

 壬が思わず突っ込む。千尋がムゥッと口を尖らせた。

「たいていの頭痛は頭を払うと治るって言ったもん」

「科学的根拠、ゼロな。絶対にからかわれてるぞ」

「そんなことない。今ちょっと楽になったし──、だいたい科学的なんて、そもそも壬ちゃんに言われたくない」

「ああ?」

「存在自体が非科学的なくせに」

「でも、理数科目、おまえより成績が上ですぅ」

「やめなって二人とも」

 すると圭がとやんわりと仲裁に入ってきた。

「いいじゃん、本人がそう言ってるなら。それより、どうだった? 相手の女の子は」


(嫌な話題をふってくるな)


 壬はあからさまに嫌な顔をした。

 案の定、千尋がすかさず興味津々な顔で圭に続く。

「私、直接話したことないけど、山川さんって男子の間でも人気あるよね?」

「知らねえ」

 壬がそっぽを向く。「山川」も今知った。

「まあ、二度と俺のこと思い出さないようにしてきたから」

 壬がボソッと答えると、圭と千尋が「え?」と声を合わせて驚いた。

「まさか壬、あれを使ったのか?」

 圭が顔をしかめ、壬はムスッと口を尖らせた。


 当然のことであるが、一ノ瀬高校で双子の兄弟の秘密は誰も知らない。狐の物の怪なんてばれてしまったら、それこそ大騒ぎになる。唯一の例外は幼馴染みの千尋だけだ。

 そんな大きな秘密を抱えた二人であるが、そんな壬と圭が身を守る手段として教えられているのが催眠術だ。万が一、正体がばれたときのために、相手の記憶を消すことのできる唯一の手段だ。圭が言った「あれを使った」とは、まさにこの催眠術のことだ。


「相手は告ってきただけだろ? 嫌なら断ればすむ話じゃんか」

「面倒くさかったんだよ」

 まさか、正体ばらして意地悪までしてみました、と本当のことは言えない。

 告ってきた女の子に対し目の前で耳と尻尾を出し、半妖の姿を見せ、ついでに言うなら、その姿で迫るという暴挙にも出た。今でも恐怖で引きつった女の子の顔がはっきりと思い出せる。

 当然、そのままって訳にはいかないので、最後はきれいさっぱり記憶を消してきたというわけだ。今頃、彼女は教室で目を覚ましていることだろう。告白したことも、壬が狐になってみせたことも、すっかり忘れているはずだ。ついでに、自分に対する恋心も。

百日紅さるすべり先生に、軽々しく使うなって言われてるだろ」

「分かってるけど、ここ一週間ほぼ毎日だぞ。勘弁してくれっての」

 壬がすかさず言い返した。「まあまあ」と千尋が壬をなだめた。

「夏休み前の駆け込み告白ってやつだよ。だって夏休みだからねえ。乙女は忙しいのよ」

「駆け込む意味が分かんねぇ」

 壬が怒り気味に言う。隣で圭もうんうんと頷いた。

「そこは俺もそう思う。確かに何だろうね、突然火が付いたように告ってくるあの異様さは」

「だろ? 圭は今年の春一週間がそんな感じだったよな」

 すると千尋がピクリと眉根を上げた。

「圭ちゃん、春にそんな一週間があったんだ……」

「え? いや、でも全部断ったからっ」

 圭が慌てて釈明する。

 その横で壬は「はあっ」とため息をついた。

「もう暑いし帰ろうぜ。疲れた」

「それなんだけど、壬」

 一人歩きだそうとする壬を圭が止めた。

「おまえを待っている間に森カフェに食べに行こうって話になってたんだ。千尋が食べに行きたいって言うからさ」

「そ、壬ちゃんも森カフェのピザ好きでしょ?」

 二人が期待に満ちた目で壬を見る。しかし、壬は小さく首を振った。

「いや、いいわ。やめとく」

「なんで? ランチしていこうよ」

「面倒くさい。行きたいのなら、二人で行ってこいよ」

 壬は言った。不満そうな二人を見るのは少し気まずかったが、彼は「じゃあな」と手を上げ背を向けた。


 いつの頃からだろう。

 圭を見る千尋のまなざしが、単なる幼なじみを見るそれとは違うことに壬が気づいたのは。

 二人が自分を誘ってくれているのは、掛け値なしの本心からだろう。今まで、いつでも三人一緒だったから。

(でも実際、俺がいたらお邪魔ムシだしなあ)

 そして、そういう訳で二人には悪いが、最近の壬はかなり付き合いの悪い奴になっていた。

 気づかって断っているのに、気まずいってなんだろう?

「あー、面倒くさ」

 壬はバス停に向かいながら、ひとり呟いた。

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