平凡な妖孤のある一日(3)

 伊万里はあっという間に鮭おにぎりを食べてしまった。

 あまりにも美味しそうに食べるので、壬はもう一つあったシーチキンマヨ味も彼女に献上した。


「このような味付けは初めて食べました。これは、あなたの母君さまがお作りに?」

「シーチキンマヨのことか。いや、コンビニで買ったもんなんだけど」

「コンビニ──。ああっ、あのなんでもそろうというよろず屋ですね!」

「よろず屋って、まあ、そんなもん?」

「あと百均なる便利屋があるとか、スマホという法具があるとか、」

「なんだよ、おまえ、おのぼりさんかよ」

「すみません。人の国は初めてなもので。あ、でも、里にもいろいろ人の国から入ってくるので安心してください」


 ほんの少し伊万里が胸を張る。壬は「はあ」と肩を落とした。

 この数分間のやり取りで、張り詰めていて緊張は一気にゆるんだ。と同時に、恐ろしいほど世間知らずな鬼の子に、めまいがする思いだった。


「なんでちょっと得意げなのかは置いといて、まあ、ほぼ分からないってことだよな。だから、角も平気で丸出しなのか」

「人間が怖がるのでダメだとは聞いていますが、いきなり取って喰うわけじゃあるまいし」

「喰わないんだ?」

「初対面だというのに、けっこう失礼な方ですね。食べませんよ」


 伊万里がムッと壬を睨んだ。壬は肩をすくめ返した。


「でも、人間はそう思わないぜ。ここにいたのが俺だったから良かったものの、人間だったら大騒ぎになっていたぞ。あいつら、自分たちと違うものは、なでもかんでも敵だからな」

「それはまた極端な」


 伊万里が苦笑した。しかし壬はふんっと鼻を鳴らした。


「気楽な奴だな。顔を恐怖で歪められたことがないだろう?」

「それなら、先ほど私を見たときのあなたの顔がかなり引きつっていましたけど?」

「えっ、それは──」


 痛いところを突かれ、壬は言葉に詰まった。しかし、伊万里はそんな壬に向かって笑顔を見せると、残りのおにぎりをぱくんっと口に入れた。


「覚えておきます。人間にとってあやかしは敵だと」


 壬は不思議な気持ちになった。

 なぜなら、鬼なんて人を頭からバリバリと喰ってしまうような奴だと想像していたからだ。

 ところが、目の前のバカ丁寧な少女はいたって普通だ。むしろ、世間知らずな部分や、きょろきょろと物珍しそうに周囲を見ている様子なんかは、愛嬌あいきょうさえ感じてしまう。


 そして、壬が再び伊万里にこの伏見谷ふしみだにに現れた理由を聞こうとしたとき、彼女がおもむろに口を開いた。


「ところで、どうしてこのようなところで一人で食事を? ここがあなたの住みですか?」

「んなわけないだろ。それより、おまえこそ──」

「では、ああっ、なるほど。これが『おしゃピク』というものですね?」

「ちがうっ! つーか、無駄にボキャブラリーは豊富だな。どうなってんだ、おまえのデータバンクはっ」

「違うのですか?」

「全然違うわっ。俺は、単に一人になりたかっただけ!」

「一人に?」

「あ──」


 壬は慌てて片手で口を押さえた。完全な墓穴だ。


(思わず素で答えちまった)


 そう思ったものの、もう遅い。

 しかし、ごまかすすべも思いつかず、壬は気まずそうに伊万里を見た。すると、彼女が悟ったような顔で小さく頷いた。


「分かります。私もよくありましたから、一人になりたいときが」

「え、いや、そこで同調されても困るっていうか……」


 しかし伊万里はかまわず言葉を続ける。


「嫌なことがあったときは一人になりたいものです。意に染まぬ殿方に寝込みを襲われたとか、ふみ呪詛じゅそが仕込まれていたとか、よくあります」

「いやっ、普通ねえからっ、それっ! なんだよ、その思い出。後半部分なんか、ほぼ命を狙われているじゃんか」


 思わず突っ込みを入れながら、壬は伊万里をまじまじと見返した。


鬼族きぞくってみんなそうなのか? おまえ、大丈夫かよ」

「大丈夫に見えませんか?」

「見えるけど……っていうか、今までどんな生活してきてんだよ」

「どんなって、里の端にある小さな屋敷に住んでいました。外に出ることもままならなかったので、ここに来て少し浮かれてしまいました」

「外に出ることもままならないって、なんで?」

「私はですから。その必要がないと」

「ニ、ニ、ニエ?」


 すぐには意味が理解できず、壬は子どものように伊万里の言葉を繰り返した。彼女は含みのある笑みを返すだけだった。


「さあ、私の話はつまらないので、」


 伊万里が気を取り直して壬に向き直った。 


「これも何かの縁です。嫌なことがあったのなら聞きますよ。少しは楽になると思います」

「いいよ、なんか俺の悩みなんてホコリ並みに小さい気がしてきた」

「で、なんですか? 悩みって」

「だから、いいって。思ったけど、さっきから意外に俺の話を聞かねえな」

「私、口は堅い方ですよ」


 言って伊万里は大きな瞳を細めてにっこり笑った。

 正直、今日あったばかりの奴とこんな話をしている自分がひどく不思議に思えた。ただ、彼女があまりにも普通に笑うから、壬はもう少し彼女と話をしてもいいかなという気持ちになった。それに、何も知らない彼女に無責任に話を聞いてもらう方が楽な気がする。


「まあ、その、なんだ。俺、双子の兄貴と幼なじみの女の子がいるんだけど、ずっと三人で何をするにも一緒でさ」

「仲がよろしいんですね」

「うん、でも、なんていうか、俺、最近になって幼なじみの気持ちに気づいちゃって……」

「気持ち?」

「ええと、だから、幼なじみが俺の兄貴のことを……」


 そこまで言うと、壬はいったん言葉を飲み込んだ。伊万里が「ああ──」と頷き、静かに視線を川面へと落とす。


「つまり、その方は、お兄さまがお好きなのですね」


 その飲み込んだ言葉を伊万里が口にした。壬は小さくうなずき返した。


「ほんと、俺って鈍いっていうか。もっと早く気づいてやれば良かったんだけど──。だから二人の邪魔しちゃ悪いだろ。でも、ただ、ずっと三人一緒だったから、どうしていいか分からないし、仲間はずれをくらったような気持ちにはなるし。つまり、俺が勝手に悩んで、勝手に一人になって、勝手にここで食べてたってわけ。以上、おしまい!」


 最後の方は一気に言い終え、壬はきまり悪くプイッと顔を背けた。そして、ぼそりと付け加えた。


「誰にも言うなよ。こんなガキみたいな悩み」


 伊万里が「まさか」と笑った。


「だって、それはそれで、大ごとですもの。拗ねてしまわれるのも当然です」

「拗ねっ──って、はっきり言うな、おまえ」


 壬が取り乱しながら言った。しかし、そうはっきり言われ、彼は自分が拗ねていたのかと理解した。

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