4)川遊び

川遊び(1)

 次に壬が目を覚ましたとき、彼は大広間の隣にある大座敷に寝かされていた。ぼんやりとした視界にまず入ってきたのは涙目の伊万里だった。

「壬! ああ、良かった」

 伊万里は若草色のワンピースを着て、両サイドの髪を後ろで一つに束ねていた。初めて会った時のあの伊万里だ。

「伊万里? 俺どうして……」

「婚儀の礼のあと、倒れたのを覚えてますか。一昼夜、眠り続けていたんですよ」

「そっか、格好悪りぃな……。手を握っただけで──」

呪詛じゅそにあてられたんです。倒れて当然です。むしろ──」

「?」

「これだけでよく済んだものだと思います」

 伊万里が信じられないというふうに答えた。雑蠱ぞうこさえまともに見ることもできない者が呪詛に触れるなど、伊万里にしてみれば自殺行為のようなものだったからだ。

 しかし壬は壬で、全くなんともなかったような伊万里の方が信じられなかった。

 まだ体もだるいし、頭は痛いし、ものすごく眠い。気を許すと、目が自然と閉じていきそうになる。

「やっぱ格好悪りぃ……」

 壬は片手で顔を覆った。すると、伊万里が壬の手をどけ彼の顔をのぞき込んだ。

「そんなことありませんよ」

 伊万里が優しく笑った。

「あの時、壬が私の手を引いてくれたおかげで私はあの中を進むことができました。……ありがとう」

「え、や──」

 伊万里の顔が近すぎるのと、急にお礼を言われたのとで気恥ずかしくなり、壬はふいっと目をそらした。

「そ、それより、おまえの手は大丈夫なのか?」

 壬は慌てて話題を変えた。伊万里が右手をそっと差し出す。彼女の手はすっかり元に戻っていた。

百日紅さるすべり先生に手伝ってもらいました」

「良かった」

 壬はほっとしながら伊万里の手を取った。

「ごめんな。うちに来てすごい嫌な思いをさせた」

「壬のせいでは……、誰のせいでもありません」

 伊万里の小さく柔らかい手が心地いい。壬は彼女の手をぎゅっと握った。


 その時、障子戸を開けて圭が部屋に入ってきた。

「姫ちゃん、壬の様子はどう──って、ごめん、邪魔だった」

 伊万里の手を握りしめている壬を見て、圭はすぐさま障子を閉めにかかった。壬が慌てて伊万里から手を離して身を起こし、圭を呼び止める。

「おい、待てっ! 行くな!」

「……いいよ。続けて」 

「違うっ。何も続かないし!」

「そう?」

「私の手を気にかけてくれていただけです」

 伊万里が「何でもない」と笑いながら言い添える。圭は「ふーん」と含みのある返事をしながら伊万里の隣に座った。

「それで壬、気分はどう?」

「最悪。頭がガンガンする……」

 言って壬は再び横になると気だるげに目を閉じた。圭が壬の頭をくしゃくしゃと撫でる。

「とにかく今は寝てろって。あ、それと、おまえも目が覚めたことだし、俺たち姫ちゃんと基町へ買い物に行ってくるよ」

「買い物?」

「はい」

 伊万里が少し申し訳なさそうに、でも嬉しそうに頷いた。

義母かあさまに言われ、千尋が服を買いに行こうと誘ってくれているのです。着る物がこのワンピースだけでは不便だろうと」

 そして彼女は伺うような目で壬を見た。

「行ってもよろしいですか?」

「別に、おまえが行きたいなら俺に許しを請わなくても。ついでにコンビニと百均にも行って、それとスマホを買ってもらってこいよ」

 伊万里がパッと目を輝やかせる。

「本当に? コンビニと百均は女子高生のたしなみ、スマホは女子高生の必需品だと聞いています!」

「何情報だ、それ。だいたい、おまえ、女子高生じゃないだろ」

「いいんです! 私、義母さまに壬が目を覚ましたこと言ってきますね」

 伊万里は元気よく立ち上がると部屋を出ていった。


 それを見送りながら、圭が「うーん」と首を傾げる。

「ほんとだね、二学期から学校に行かせるつもりなのかな? うちの親」

「さあ? このままってわけにはいかないだろうけど。でも、あのままじゃ危なっかしくてダメだろ」

「でも、この夏休みがあるわけだし?」

「そうだな。なんとか……なるか…な」

 言いながら壬は再びうとうとと寝始めた。すかさず圭が声をかける。

「おい、寝るなよ壬」

「なんで。さっきは寝てろって言っただろ。休ませてくれよ。病人だぜ、俺」

「そうだけど。なあ壬、どう思う?」

「んあ?」

 壬が面倒臭そうに顔をしかめた。圭が枕元へと間を詰める。

「この状況だよ。おまえ、『月夜つくよの鬼姫は俺のもんだ』宣言したの分かってる?」

「宣言って、あの胸くそ悪いジジイのおかげで夢中だったし」

「そう、あの老いぼれ狐のせいで、図らずも姫ちゃんの隣に壬が座ることになった。何もなければただのお披露目式だったのに、あれじゃあ正真正銘、結婚式だよ。……おめでとう、壬」

「嫌味か、それは」

「あはは、ごめん。でも、事実だぜ」

「いいよ、どうでも。それに、親父らにしてみたら願ったり叶ったりだろう? 伊万里をどうにも引き受けようとしてたんだから。そういや、あの篠平しのひらのクソじじいは?」

「ああ、」

 圭が肩をすくめた。

「あれから叔父さんに屋敷の外に放り出されてたよ。西国の大きな山に住む狐だってさ。頭領は別にいて、その名代で来たらしい。伏見谷のことを目の敵にしてるんだって」

「そんな奴、呼ぶなよ。まったく」

「だからそれは、大人の事情ってやつなんじゃないの。だって──、月夜つくよの鬼姫だぜ。ちょっと別格だろ? 伏見谷の力を内外に示すにはもってこいだ」

「そういう言い方、よせよ」

 圭をたしなめながらも確かに壬自身そう思った。

 あやかしの里は別にここだけじゃない。いがみ合っているわけではないが、この伏見谷が一目いちもく置かれる存在であることは、壬も嫌と言うほど大人から聞かされてきた。隙あらば、他のあやかし達がこぞって入ってこようとする土地であることも。

 そんな谷がここまで平和なのも、ひとえに九尾の力に守られているからだ。その九尾の力が弱まっている今、四大鬼族よんだいきぞくの姫の輿入れはそれなりのインパクトがあったに違いない。


「……呪詛仕込みの百目ムカデ、誰の仕業か分かったのか?」

「今、百日紅さるすべり先生や、稲山いなやまのおじさんが調べてる」

 答えながら圭は怒りに満ちた表情を浮かべた。

「もともと千尋に憑こうとしてたんだぞ。姫ちゃんが気づかなかったら、どうなってたことか。」

「でも、どうして呪詛なんて。嫌がらせレベルじゃないよな」

「そう、なんでそこまで? ──ひとまず婚儀の礼は無事にすんだけど、親父ら、まだ何か隠していると思わないか?」

「……うん」

 壬は頷き返した。そして、「三百年前の盟約」とは本当のところなんだろうと思った。

 伊万里は九尾の嫁として適当にあてがわれた姫じゃない。当の本人が「引き継いだ」と言っていた。つまり、何かを引き継いでいるから伊万里なのだ。

(それこそが三百年前の盟約なんじゃないのか?)

 自分たちの知らないところで何かが大きく動き出している気がした。

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