これは誰のせい(3)
壬たちが家に帰り着いたのはちょうど日が傾き始めた頃だった。
玄関先の庭では、あさ美が洗濯物を取り入れていて、狛犬の背中に乗って帰ってきた圭と千尋を見て目をぱちくりさせた。しかし、圭が怪我をしていることに気がつくと、真っ青になって取り入れた洗濯物をその場に放り投げて駆け寄ってきた。
「どうしたの?!」
「ちょっと、いろいろあって。こいつに噛まれた」
「まあっ。とりあえずこっちから中に入って」
あさ美が縁側を指さす。圭と千尋が狛犬から降り、壬と伊万里も縁側から家に上がった。
「とにかく水着のままってわけにはいかないでしょ。着がえを持ってきてあげるから、圭と壬はそこの部屋で着がえなさい。伊万里ちゃんたちは、朝着替えた部屋に服があるわよね。着替えてらっしゃい」
言いながら、あさ美が慌ただしく息子二人の服を取りに行った。
伊万里がノースリーブの白いワンピース、千尋がTシャツとデニムのショートパンツに着替えて再び縁側続きの部屋に行くと、あさ美が包帯と謎の壺を持ってきたところだった。圭は水着をハーフパンツに履き替えたものの、腕の怪我のせいで上半身は裸のままだった。一方、壬の姿はもうなかった。
あさ美は圭の前に壺をドンと置いた。
「さあ、これを塗っておけば噛み傷なんてすぐに良くなるわよ。傷口を見せて」
「え-、これ塗るの?」
圭があからさまに嫌な顔をする。
「相変わらず臭いがすごいんだけど。腐ってないよね?」
あさ美がムッと圭を睨んだ。
「この薬草は腐らないの。さらに言うなら、これが効くの!」
「うわっ……この臭い、きっつい」
「普段から自分も男くっさいくせに、何を言ってるの。ほらほら、さっさと腕を出す!」
すると、護がひょっこり顔を出した。
「お、すごいの連れて帰ってきたな、狛犬か。それにしても、また派手に噛まれたなー」
狛犬は圭の傍らに大人しく座っている。あさ美が圭の腕に包帯を巻きながら笑った。
「本当に。阿丸以来ね、うちに狛犬が来るのは」
圭が「えっ」と驚く。
「阿丸って、あれ犬じゃなかったの?」
あさ美が「やあねえ」と笑った。
「違うわよ。だいたい、たてがみがすごかったでしょ?」
「確かにすごかったけど、大きさ全然違うじゃん」
「ああ、犬のサイズになってくれるわよ。このサイズじゃ連れて歩けないからねえ。はい、できた。Tシャツ着て」
あさ美が包帯を巻き終え、圭の背中をぽんっと叩いた。
狛犬は頭をぶるんと振るいながら、Tシャツから首を出した圭に顔をすり寄せてくる。
「決めた。こいつの名前、阿丸だ」
「いいわね。この子も利口そうね」
あさ美が言うと、圭が嬉しそうに頷きながら狛犬をなでた。
「姫ちゃんが助けてくれた」
「いいえ、私は手助けしただけです」
「でも、最初に狐火を投げつけようとしたら襲いかかってきて、かなりびびったよ」
圭が苦笑しながら言った。
すると、あさ美と護、そして伊万里が「ああ」と呆れ顔になった。
「それは……、怒りますね。ただでさえ手負いなのに」
「ああ、いかんな。だから噛まれたのか」
「圭、そんな時は『おいでおいで』をしないと」
三人がてんでに圭を責める。
圭が目を白黒させながら口を尖らせた。
「そんなこと知るわけないだろ。こっちは千尋が喰われるかと思って必死だったっていうのに」
すると、
「ごめんなさい!」
ずっと黙っていた千尋が口を開いた。泣きそうな顔で俯いたまま、両手をぎゅっと膝の上で握っていた。
「圭ちゃんの怪我、私のせいなの。私が勝手に一人で帰ったから……。それに───」
言いながら、千尋は伊万里の方をチラリと見る。
「それに、伊万里ちゃんにひどいことを言った」
部屋が途端に静まり返った。
あさ美が護に目配せし、護が小さく頷き返す。
「ところで母さん、今日の夕飯は何かな?」
「はいはい。今から支度をしますよ。千尋ちゃん、今日は食べて行きなさいな。家には私から連絡しておくから」
言って二人が立ち上がる。すると、伊万里も慌てて立ち上がった。
「私も手伝います」
そして、伊万里は部屋を出る前に立ち止まり、千尋を振り返った。
「圭を看ててもらっていいですか?」
「あの伊万里ちゃん、」
「謝るのなら圭に」
伊万里が言った。
「あなたは普通の人間とは違う。もう少し自覚を持ってください。阿丸がどうしてこのような怪我をし、この谷に現れたのかは分かりませんが、阿丸はあなたに助けを求めて来たんだと思います」
「私に? なんで……」
「あなたが繭玉の気をお持ちだからです。狛犬は、水のたまり石をはじめ清浄な気を
「おい、姫ちゃん」
「千尋が私に言いたいことを言ったようなので、私も言わせてもらったまで。千尋、あなたは必ずすごい巫女になる。だからもう少しその自覚を持ってください」
伊万里がきっぱりとした口調で言った。そして彼女はあさ美の後を追って出て行ってしまった。
(ここで千尋に優しい言葉をかけてもだけど……)
今の厳しい言葉が、伊万里の精一杯の気遣いであることは圭には分かったが、千尋は圭の隣でさらに落ち込んでいた。
「……ごめんなさい。圭ちゃん」
千尋が消え入るような声で言った。圭が千尋の顔をのぞき込む。
「なんで帰っちゃった?」
「え?」
「ずっと姫ちゃんと練習をしていて、ほったらかしにしてたから?」
「……」
千尋が気まずそうに目をそらした。圭が口の端に笑みを浮かべた。
「やきもち?」
「ちっ、ち・が・う!」
違わないが、そこは全力で否定した。圭がクスクス笑い出す。
「ごめん。夢中になっちゃって」
「……伊万里ちゃんに?」
「いやいやいや、なんで。反立の練習に。今まで自分にそういう力があるなんて思っていなかったから。同調もなんとなく分かった。まあ、姫ちゃんの手を借りてだけどさ」
「伊万里ちゃんとは、ずいぶん仲良くなったんだね。まあ、一緒に住んでいたら仕方ないけど」
「やめろよ、そういう言い方。姫ちゃんとは、絶対そういうのないから。だいたい姫ちゃんは、壬の──」
と、そこまで言いかけて、圭は「あっ」と声を上げた。
「あー、そっか、そういうこと。壬も怒ってたのか……」
「何が?」
千尋が首をかしげる。
「うーん、いや、こっちの話」
圭は言葉を濁してごまかした。壬の微妙な変化に気づいているのは自分だけで、それも憶測の域を出ない。
(下手に話したら、恋バナ好きの女子は何をし始めるか分からないからな)
それに、壬には悪いが今の本題はそれじゃない。
「あのさ千尋、」
圭はあらたまった口調で言った。
「この怪我が治ったら、また川遊びに行かない? 石も探し直さないといけないし」
千尋が神妙な顔になる。
「いい。私、邪魔になるから留守番してる」
「あの、そうじゃなくて」
「?」
「二人で行こうって言ってんの」
いつもどおり、よくある誘い文句。でも違う。
いままで二人で出かけるには理由が必要だった。いつも三人一緒だったから。
それが普通だったし、圭自身、そこに不便さも不満も感じたことはない。
(でももう、いいんじゃないか)
今この時、ふと圭はそう思った。
自分が好きなものは壬も好きだと思っていた。ずっと三人一緒で、お互いにお互いのことを思い続けていくんだろうと。
しかし、どうやらそうではないらしい。
(俺の独りよがりな考えに壬を巻き込んじゃいけないよな)
そして、ここ最近の壬のつれない態度は、きっとそういうことなんだろうと思った。
「まあ、二人と言っても、番犬がわりに阿丸は連れていくけど」
圭が狛犬のたてがみをなでながら「どう?」という目で千尋を見る。
千尋はにわかに返事をすることが出来ず、顔を赤らめながらうつむいた。
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