第4話 彼の記憶 花の記憶

 彼は、まだ地上にかろうじて人間が残っていた頃、この植物園で働いていた男の人間だった。


「やあ、初めまして。僕は植物のお医者さんだよ」


 花であるわたしに、こんな丁寧なあいさつをした人間は、初めて見た。


 彼は、地下シェルターにも、スペースシャトルにも自分の居場所はないんだと言って、ずっとこの植物園にいた。


 私たち植物の世話を、たったひとりでしていた。


 人間の話相手がいないものだから、彼は私たち植物にたくさん話しかけた。


 電力供給がいつまで届くか解らないなか、小さな端末から音楽をかけて作業をしたり、夜に眠れないと言って、ろうそくの明かりで本を朗読したりした。


 わたしは人間じゃないから、よくは知らなかったけれど、彼は本を読むときによく「今時、紙媒体なんて珍しいんだぞ!」と偉そうに笑っていたりした。


 わたしは、いつの日か、彼がかける音楽と、彼の声が紡ぐ色とりどりの物語を聞くことに夢中になっていった。


 彼の歌声も、囁きも、物語を語る声も、一言一句もらすことなく、この花に、この葉に、この根に、染み込んでいった。


 そうしてもうすっかりなにもかも変わってしまった今、わたしは宇宙に見えるお星さまに、彼が教えてくれた言葉を語りかけている。

 届いているのかも解らないけれど……

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る