それでもあなたが嫌いなのです
フォークの先が鉄板をひっかく音で我に返る。
視線を上げると、薄っぺらい牛肉をフォークに刺したまま、居心地悪そうに佐伯さんが身じろいだ。ああ、急に動いてごめんなさいね。私が言うと、佐伯さんは何やらむにゃむにゃ言って、小さく切り分けた肉を持ち上げる。腕時計が、細い腕をずり落ちた。赤い舌に肉が乗って、白い歯がソースの付いた肉を食む。てらてらとオレンジの照明を跳ね返すフォークは、ピンク色の口紅をさらいもせずに口元を離れた。女の食べ方だと私は思って、プラスチックの箸でハンバーグを切り分ける。
「今日は、時間を取っていただいて、ありがとうございます」
消え入りそうな声で、佐伯さんが言う。もう五回以上は聞いた言葉だ。別に、と私は言って、肉汁のついたくちびるをなめる。別に、あなたがどうしても謝りたいと言うから来ただけで、許すつもりはないですよ。後半は、声に出さずに。
「私のしたことについてはもう、言い訳をするつもりはないんです。ただ、朋香さんにつらい思いをさせてしまったと思うと、申し訳なくて」
そうですか、と私は答えて、もう一切れハンバーグを口に運ぶ。今日は朝から忙しくて、昼食もろくに食べていないのだ。くだらない話をするよりも、食事を済ませてしまいたかった。
佐伯さんは私をじっと見て、コーンスープをスプーンですくう。粉っぽいですね。小さな、はっきりとした声で佐伯さんが言う。そうですね、と私は答えて、スープカップに口をつけた。ファミレスのスープなんてこんなもんじゃないだろうか。仲良くお食事する気も毛頭なかったから、言わないけれど。
ハンバーグを食べ終え、スープを片付け、パンを食べきるのを見計らって、佐伯さんがまた口を開く。今日はただ謝りたいと思って来たんです。佐伯さんの前には和風ステーキBセットが、半分以上残されている。
「その、朋香さんの将来を奪うような真似を、してしまって、本当にすみませんでした。謝って、許されるようなことではないというのは分かっています。それでも私、どうしてもお詫びさせていただきたいんです」
佐伯さんの声は、ほとんど涙混じりだった。細い指先が、テーブルの上でぎゅっと組み合わされる。ピンク色に、パールをあしらったジェルネイル。ほんの少し除く爪の根元は、力を入れすぎているせいか真っ白だった。緊張しているのだ、と思う。私なんかを相手に。
別に、謝っていただかなくて結構ですよ。私は言って、店員を呼ぶ。白玉ぜんざいを頼む私を、彼女がうかがうように見つめている。
「でも、私だって、悪かったんです。本当は、他に女がいるかもしれないって、気付いてたのに」
花柄のワンピースを着た、細い肩が震えている。やたら早く届いたデザートをすくいながら、私は目を細める。
「まさか、婚約者がいたなんて、思わなかった」
かわいそうな人だ、と私は思う。
お上品で、育ちが良くて、か弱い、誠実な女。あんな男を信じていたなんて。
空っぽのグラスにスプーンを放り込むと、カランと大きな音が鳴って、彼女がまた肩をふるわせる。
「お詫びなら、もう十分していただきました」
「でも、」
「きちんと謝っていただいたし、慰謝料も十分にもらいました。大体、あんな男だって、結婚する前に気づけて良かったですよ」
「でも、それでも、わたしは」
「それに、まあ、あなただって被害者みたいなもんでしょう。あの男から、他に女がいるとも聞かされていなかったんだから」
机の端から伝票を抜き取って広げる。彼女がうろたえるのを視界の端に収めながら鞄を手に取る。
かわいそうな女。お上品で育ちが良くてか弱い、馬鹿な女。あんな男を信じていたなんて。
伝票を持ったまま、私は立ち上がる。潤んだ目が私を見ている。微笑みかけると、茶色いカラコンを入れた目が不安げに泳いだ。
「ねえ、佐伯さん、私ね」
内緒話をするように、彼女の耳にくちびるを寄せる。
あなたが誠実でか弱くて、私と同じようにあの男にだまされただけって知って、十分反省していることだって分かっていて、それでも、それでもね。
「それでも、あなたが嫌いなんです」
目を細めて、私は笑う。
小さく、息をのむ音がした。
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