第2話
「昨日のVINTAGEのファイナル見たー!?」
「見た!」
「兼人かっこよすぎ…」
「歌うますぎだし!素敵だったぁ」
「ワイルド!セクシー!」
聞こえるように会話をしているんだと気付いても、織春は大して気にはしなかった。
今朝のニュースでも、兼人がボーカルを勤めるVintageのツアーファイナルの様子が流れていた。どうやら辛口でお馴染みのコメンテーターが来場していたようで「もう…言うことなしでした…兼人の流し目に…やられました…」としみじみと感想を述べていた
「新曲の”Hazard”良かったよねぇ!」
「兼人のあの、超俺様っぽい笑顔がめちゃくちゃ曲に合うよね!」
兼人のイメージといえば、世間的には「俺様、ミステリアス、クール」だという。織春から見る兼人とは正反対だけれど、あまりメディアが得意ではない父親は、画面越しに観れば良くも悪くも刺々しい雰囲気なのかもしれないと思った。
「何読んでるの?」
織春に何らかの反応をしてほしくて騒がしくしてみたけれど、何の反応もないことに痺れを切らしたらしいクラスメイトの女の子が席の前にやってくる。
「フィネガンズ・ウェイク」
聞かれた質問に答えただけなのに、彼女は少しだけつまらない顔をした。
「どんな本?」
「難しい本」
彼女はもっとつまらない顔をしたけれど仕方ない。フィネガンズ・ウェイクを知らないのだ。どんな本なのかと聞かれても答えようがない。織春にもさっぱりわからないからだ。興味本意で小遣いをためて、ネットで取り寄せた本である。
「あのさ、吉澤くん」
彼女は会話を切り替えると同時に、つまらない表情もぱっと笑顔に切り替えた。こういう器用さが織春は苦手だった。
「何?」
「昨日はやっぱり、会場にいたの?」
「いないよ」
そう言って再び、彼は本に視線を落とす。
これは本当のことなのに、彼女は再び先刻の、いやそれ以上に、もっともっとつまらないという顔で「えぇ…」と不満気に声を漏らした。
彼女は里美さん、という。織春は下の名前は認知していない。
名前の代わりに認知している事は、彼女の母親はタレントの「さとみきわ」で、「さとみきわ」さんの友人の多くが元アイドルやモデル、同じくタレントといった人が多いけれど、「VINTAGEのボーカルの兼人と友達で」とか「VINTAGEと仕事で付き合いがあって」といな人がいないので、度々織春を通して兼人と親しくなろうと企てているということだった。
というか、織春には父親に友達がいるのかもわからない。一緒にバンドをやっている人たちとはそりゃ仲がいいかもしれないけども。
父親にメンバー以外の友達を紹介されたこともないし、事務所スタッフ以外の人を家に連れて来たこともない。
「ミューシャン同士で仲良くご飯を食べに行って、その様子をブログとかで公開」とかいうこともなければ、SNSで呟くこともない。
だからなのか、彼女のように芸能人の子どもでも何かのきっかけで「VINTAGEのボーカルを見てみたい、会いたい」と思う人が少なくはないみたいだと言うことは、織春にもよくわかっている事だった。
「そうなんだ…」
結局、゛里見さん゛は残念そうに項垂れて、織春の席をようやく離れた。
彼女の周りにはいつも決まった女子が集まっている。
「さとみきわ」はママタレとしての中心的存在で、「さとみ会」とかいう集まりもあるらしい。そして、娘である彼女自身も母親のデザインする子ども服ブランドのモデルを担当している二世タレントだ。
織春や彼女が在籍している学校は、芸能人や政治家、資産家の子どもが通う私立の小学校で、この学校には親の知名度を引っ張った身分制度が存在している。
が、織春はあまりそういうものは好きじゃなかった。
馬鹿馬鹿しいな、とさえ思っている。けれどどうやら「VINTAGEのボーカル・兼人の息子」というこの立ち位置は身分制度ではかなり”上層部”のらしい。
昔ら同じように「そんなことくだらない、親は関係ない」と言ってきた生徒もいた。
6年生になり、卒業も見えてきたこの年齢の中で『未だに誰に何を言われることなくその姿勢で存在している人間』は、織春しかいなくなってしまった。結局は親の知名度カースト上位の人間に、上司と部下のように付き従っている。
有名な親を持つ子どもほど、この学校では偉い。
そして親の人間関係が織春たちの人間関係にも影響していた。窮屈な学校だと、織春は常々思っていた。
里美なんかはその典型で、彼女の母親の周りにくっつき、おこぼれを貰っているタレントの子どもは、同じく娘の周りにいつもいる、というわけだ。
「吉澤くんのお父さん、凄いよね!」
「日本で1番売れてるもん!」
「俺のお父さんもファンなんだ!」
「うちの叔父さん、コピーバンドやってたんだぜ!」
「うちのお姉ちゃんがモデル仲間とライブ行ったよ!」
そんな事、僕には関係ないんだけど。
そんな事を思っても、わざわざ口にする必要はなくー織春は相変わらず黙々と本に視線を落として、その聞えよがしなセリフを右耳から左耳に流した。
そう言えば少し前の週刊誌に「VINTAGEボーカル兼人の冷ややかな親子関係」なんていう事が書かれていた。
マネージャーの浅田はとても怒っていたけど、兼人は別に気にしている様子もなかった。
織春もその週刊誌を見た。その記事には「息子に父親の話題を振っても関心がない。あまり上手くいっていないようだ(二人を知る知人)」と書かれていた。
「吉澤親子を知ってる知人って誰だろう」
そう言ったのはVINTAGEのリーダーの直輝であった。勿論、答えはわからない。
「こんな記事書くなんて最低だわ!」
浅田が丸めてゴミ箱に乱暴に突っ込んだ週刊紙を「これは水曜の紙の日だろ」と取り出したのは誰でもない兼人本人だった。
「知人ねぇ…事務所の人間、メンバー、身内しか思い浮かばないけどな」
パラパラと週刊紙を捲りながら呟く兼人の様子を見ながら、織春も心当たりを探したけど見当たることはなかった。
「まーた”二人(の名前を)知る(同じ空間にいるだけの名前も知らない)知人”でしょ。」
直輝はそう言って兼人の手の中にある週刊誌を覗きこみ「これ、四コマが好きなんだよ。猫のやつ」とページを進めるように促す。織春はひっそり「お父さんに”関心がない”ように思われる理由は自分の態度にあるのかもしれない。」と思ってなんとなく兼人の顔が見れなかった。
「子どもの写真撮られてないならどーでもいい」
兼人は本当にどうでもいい様子で、週刊誌の後半についている4コマ漫画を直輝と一緒に見始めていた。その週刊誌は浅田がきちんと水曜の紙の日に処分した。
この出来事は頻繁ではないけれど、忘れた頃に週刊誌に書かれるものだ。
織春は父親に関心がないわけじゃない。
ただ、昔からあまり愛想が良くないのだ。直輝は「お前のそういう所、兼人そっくりだな」って笑っていた。本当は父親に関して黄色混じりの声がかけられたら「ありがとう」って皆に言うべきなのかもしれない。けれどそうすれば周りには父親の事ばかりを気にする人が集まってくる事は、小学生の織春にもわかりすぎるくらいわかっていた。
そんな事をもやもやと考えていたら、制服のポケットに入ったスマートフォンが小さく鳴った。
読んでいた本をカバンに入れて立ち上がると、さっきの女子とその他に数名がざわざわと慌て始める。
この小学校に通う生徒達は送り迎えが義務付けられている。織春にも勿論毎日送り迎えしてくれる人がいる。忙しい父の代わりに大抵は祖父母、そして叔母である父親の姉がその役目を手伝ってくれている。
だからこうして後ろをついてこられてもお目当ての人物をを見る事が出来る可能性は低いのに、毎日毎日隠れているのかいないのかよくわからないようにゾロゾロとついてくる。
織春はこれが1番嫌いだった。
今朝は叔母が織春を送った。「ありがとうございます」とお礼を言う織春の後ろで「兼人じゃなかった」「げー!損した!」と文句を言っていたのも彼女達だ。織春が珍しくムッとした顔をすると「織春、気にしないでいいのよ!ほら、今日も元気にいってらっしゃい!」と叔母は手を振って見送ってくれたわけだが、織春は胸の中にしばらくムカムカとしたものがあって、昼辺りまで消えてくれなかった。昇降口で靴を履いて、溜息をひとつ。その事を思い出せば足取りが重くなってくる。
昇降口を出て、グラウンドの隣にある送迎用の駐車場に行くと見慣れた灰色の車が停めてあった。
「あのアストンマーチン!」
「えっ!やばい!来てる!」
織春はその声を聞いて、急いで助手席に走った。運転席の兼人は息子に気付くと、車内から手招きをした。いつものオーバルサングラスにジーンズとTシャツ姿の兼人は、車内に入った織春に「おかえり」と告げてニッと笑う。
「ただいま…あの、雑誌の仕事は?」
「午後から休み。やっとツアー終わったしな。」
「ハル、今日何食べたい?」と、兼人はサングラスを外す。
兼人は息子をを「ハル」と呼ぶ。織春という名前をつけたのは、誰でもない兼人だ。
「僕は…オムライスが食べたいです」
母親に似た織春の顔は、父親とあまり似ていない。けれど父と息子の眼の色は良く似ていた。茶色と緑が上手く混ざりあう不思議な色。これは、母親譲りではなく、間違いなく父親譲りの色だった。
「じゃあ今日はオムライスにするか」
そう言って兼人がハンドルを握ったこの車から、ゾロゾロとついてきていた人間達は、小さくしか見えない距離で隠れたまま二人を見ていた。
「オムライスはやっぱケチャップライスだよなー。変に色々手が込んでると、なんか違うんだよ。」
「そうですね。カレーとかもそんな気がします」
「そうそう!」
「あの、1つ聞いてもいいですか?」
「ん?」と前を見たまま兼人が答える。
織春が通学用のカバンを膝の上に乗せたまま「後部座席の物は一体…」と、この車に乗った時から気になっていた後部座席の大量の荷物について尋ねると車が急に停まった。
「気付いたか?」
「びっくりした…急ブレーキは危ないで…」
「見てこれ、ハルへのお土産!」
やはり、そうだった。
織春は外れて欲しかった予測が当たってガッカリするような、なんとなく嬉しいような気持ちがバレないように項垂れたフリをして「こんなに買ったんですか…」と呟く。
「グリコのべっこう飴に、ロイズのチョコぽて、新潟チップスにあと博多あまびに…」
「あぁ!見ろ、これ!ハシビロコウの等身大ぬいぐるみみつけた!」と兼人は巨大で邪悪な顔のぬいぐるみを指差す。どこでみつけたのだろうか。
「あ、ありがとうございます…」
織春がハシビロコウのぬいぐるみを受け取り感謝の意を述べるや否や兼人は急にハンドルに前屈みに倒れ、胸に手を当てて突っ伏せた。
「えっ、具合でも悪いんですか?」
昨日まで約半年かけた全国ツアーだった。でも、時間を見つけてはこまめに帰って来てくれていたし、その負担が掛かったのかもしれない。そう思って慌てて救急車に電話しようとする息子を兼人はスッと顔を上げ、見つめる。
「あの、お父さん、救急車か浅田さんを…」
「はあー!可愛いー!息子可愛いー!」
あ、そっちか。
織春はそう思い、安堵した。
「ハル、ほらジンベイザメもあるぞ!あと、シャバーニ!シャバーニの写真集!」
「東山動物園に行ったんですね…お父さん、車を出しませんか…」
「これ持って!」
シャバーニの写真集を織春に渡すと、兼人はスマートフォンで写真集を持ったまま呆気にとられた息子をカシャシャシャシャ…と写真に収め始める。音からするに、連写であることは間違いない。
「はー!やっぱ息子可愛い…ハルが1番…好き…」
ぜひ週刊誌の記者にはあの記事を書きなおしてほしいと織春は度々思う。吉澤親子は互いに関心がないわけでもないし、見ての通り、冷ややかな親子関係でもないのだ。
「よし、気を取り直して買い物に行こう…今日の夕飯はオムライスだったな。俺が腕によりをかけて作るからな!」
そう言って、二人を乗せた車は再び走り出す。
「そういえば、あの、新曲の”Hazard”って…」
「そう…俺のHazard…危険因子=弱点=ハル…」
あぁ、やっぱり。
前に涙を溜めながら「俺がいなくなった時にハルに残しておきたいハルへの気持ちは全部曲にするんだ…」って書いてたやつだ。
織春はくすぐったいような気持ちで、こらえきれずに笑った。
今日も父親からの愛情を溢れるくらいもらっている。
パパはヴォーカリスト 夏目彦一 @natsume151
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