パパはヴォーカリスト

夏目彦一

第1話

第1話


ぼくのお父さん 1ねん2くみ よしざわおりはる


ぼくのお父さんは、おとこのひとです。

だけど、かみのけがながくて、お母さんみたいです。ぼくのいえには、お母さんはいません。お父さんのおともだちに「どうしてぼくにはお母さんがいないの?」ときいたら「のっぴきならないじじょう」と言われました。

「のっぴきならないじじょう」でお母さんはいないけれど、ぼくのお父さんがつくるごはんはせかいでいちばんおいしいし、お父さんがねるまえにうたってくれる「そうるらぶ」もいちばんうまいとおもいます。お母さんがいたら、お父さんのごはんもたべれなかったのかなとおもったら、ぼくはお母さんがいないことがぜんぜんさびしいとおもわなくなりました。これからもお父さんとなかよくまいにちおいしいごはんをたべたいし、これからも「そうるらぶ」をうたってほしいとおもいます。


「そうるらぶ…」「子守唄?」「え…GLAY?」と周りの母親たちがざわつく中、トムフォードのオーバルサングラスの下で涙を溜める男が一人。

ウェーブパーマのかかった琥珀色のロングヘアを1つに結い、ピシッとキートンのスーツでキメた彼こそが吉澤織春の父、兼人かねとであった。

織春はその短いながらも丁寧な文字で書いた作文を兼人にプレゼントした。織春が進んで、ではなく、兼人に頼まれたので渡したのだ。それから兼人はこの作文をいつも、肌身離さず持ち歩き始めた。



「フゥ…」



ライブ直前の緊張感の中、兼人が気持ちを落ち着かせるにはこの作文が一番効力を持っていることは誰よりも兼人本人が理解している。あの日の事がつい昨日のように思い出され、「息子に会いたい」という気持ちと、父親を真っ直ぐ見る息子の清らかな顔が心に浮かぶ。そうすると自然に「ライブを成功させて、無事に帰宅するぞ」と気持ちが固まるのである。


何度も開いて畳んでを繰り返した作文用紙は、いつも通り藤色のお守り袋に入れる。失くさないように、いつも息子と共にいる、そんな感覚が持てるように。それを衣装である深紅のナポレオンジャケットのポケットに突っ込んでいつものメンツが待つ円陣の中に混ざると、照明がしっとりと落ちて、歓声が沸騰し始めた。


昔から変わらないものは何もないけれど、昔から自分が好きなものは変わらない。


「兼人、今日は生中継入ってるからね」


「わかってる」


マネージャーの浅田が華奢な兼人の肩を二度叩く。

「織春も見てるんだから、頑張るのよ!」と添えて。


ライブ、歌う事、そして、自分が誰でもない織春の父親だという事。これが兼人の全てだ。


「よし、今日も世界一かっこいい親父になってやる。」


そう言って、兼人は選ばれた人しか立つことのできないステージへと一歩踏み出した丁度その時、織春は夕飯が済んだ所だった。


「織春、お代わりは?」


「ありがとうございます、もう大丈夫です」


「兼人に似て食が細いねぇ。」



夕食のとんかつは手作りの、しかもあげたて。贅沢だと織春は思った。非常に美味しかった。お腹は一杯なのに、何故か満足感はいまいちなかった。


「ババア、飯」


「誰がババアだ!」


「目の前にいるババアだよ!」


「あんたねぇ、どこのババアの飯で馬鹿みたいにデカくなったと思ってんの!自分でよそいな!」


ギャーギャーと親子ゲンカをBGMに、織春は食べ終わった食器を重ね、流し台に運ぶ。

この家に来る事は昔から多い。勝手のわかった場所だけれど、住んではいない他人である。彼が「食器洗いは僕がやってもいいですか?」とお伺いを立てると、羽純は「俺のも頼んだ!」とすかさず手を挙げ、その手を母親からパシーン!と叩かれていた。


「いいよ、私がやるから!」


「でも…」


「今日のファイナル公演生中継見てていいよ」


「ありがとうございます」


「兼人見ようぜ、兼人!」


「羽純ぃ!兼人!呼び捨てにすんな!」


「ババアだって呼び捨てにしてんじゃねーか!」


「あたしゃ姉だ!あんたは甥!立場を弁えんかい!」


羽純は織春の2つ上で、今年14歳になり絶賛思春期真っ只中だ。父をジジイ、母をババアと罵り親子喧嘩を繰り広げている。自分もこの歳になったら父を「ジジイ」と呼ぶのだろうか、と考えてみたけれど全く想像がつかない。まず、父親がジジイと呼ぶに値するような外見でもキャラクターでもない気がした。


最も、ババアと呼ばれて跳ね返すように叱り飛ばしている叔母だって、兼人にはよく似た顔立ちで、年の割に若く、綺麗だ。タレ目につり眉の派手な顔立ちは叔母、兼人、そして羽純と揃いのもので血の繋がりを感じられる。

織春は違ってくりくりとしたどんぐり眼で、来年は中学に上がるというのに未だに女の子に間違われることが非常に多い。


「兼人もしょっちゅう女の子に間違えられてた」


叔母は懐かしむように語るけれど、自分はあまり父に似ていない気がしていた。


テレビの画面には照明が差す観客席。

ザワザワとファン達が落ち着かない中で、「兼人ー!」と誰かが自分の父親の名前を呼んだ。

半年かけて全国を回ったツアーのファイナル。

熱気は画面越しからも伝わるほどで、会場の盛り上がりは始まっていないのに既に高い位置にある。


【VINTAGE LIVE TOUR 2017-2018(生中継)】


「生中継ってことは、これ終わったら兼人帰ってくんの?」


「うん。今日は帰りが遅いから僕はここに泊まるけどね」


「すげーよな。あんな場所にいたら他人みたいだよ」


まさにそうである。

織春は自分の父がステージに立つ場面を生で見たことは無い。いつもこうして、会場に行けなかったファン達と同じく画面を通して見るだけで。


照明が落ちると、歓声が湧いた。

ドラム、ギター、ベースと音が重なってようやくボーカルの兼人が曲に声を乗せると織春は気持ちがすっと凪ぐのを感じる。


今日も、お父さんが最高にかっこいい。


特に表情すら変えない織春から、周りがその感情を読み取ることは難しいのだけれど、織春は物心ついた時からそばにいる父を密かに誇りに思っているのだ。


やっぱり、自分が父親を「ジジイ」と呼ぶことは無いだろう。

明日、学校から帰宅した自分を迎える父親が、ステージで歌う彼とは違っていたとしても。

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