第11話 変化
「僕は目覚める前のことが良く思い出せないんです。ベッドで目が覚めたらもう世界はこんなことになっていて・・」
「ああ、僕もだ」
「一体今がいつなのかさえ分らない。時計もカレンダーも全てが消えてしまった・・、時間が消えてしまったみたいに・・」
「時間が消えてしまったみたい、か・・」
斎藤さんは遠くを見つめ、独り言みたいに呟いた。
「僕は原発が心配です」
僕は少し熱のこもった目で斎藤さんを見た。
「・・・」
斎藤さんは黙っていた。
「僕は線量計を持っていたんです。電源は入ったんですけど、どうも故障みたいで全く反応がなかったんです。でも、原発が無事であるはずがないと思うんです。この状況で」
僕は少し興奮気味に矢継ぎ早に言った。
「・・・」
斎藤さんはやはり黙ったままだった。
原発に関心の無い人なのだろうか。こういう人には、こうなる以前、嫌というほど出会ってきた。関心の無い人たちはいくらどれほど熱心に言葉数多く、原発の危険性を説明しても話しを聞こうとはしなかった。
「不思議と心地良さを感じないか」
ふいに斎藤さんが言った。
「えっ、あ、はい、なんだか意味も無く気持ち良いというか、心地良いというか・・」
「うん、僕もなんだ。とても心が穏やかで意味も無く幸せなんだ」
「はい、なんだか心の奥から何か清水が湧きだすみたいに喜びというか、幸福感が常に滲み出ている感じです」
「何もかも失っているはずなのに、なぜか満足感がある」
「はい、とても不思議な感じです。今まで味わったことのない・・」
「僕はこう見えても、ちょっとした金持ちだったんだ。殆ど人が欲しいと思うものは全て手に入れた。それはお金や物だけじゃない。肩書や社会的地位、人気や名声、友人、恋人、愛人、家族も全てだった。しかし、その中でさえも感じたことのない満足感だ」
「食欲も感じないんです」
「僕もだ」
「どういうことなんでしょう。僕は目覚めてから丸一日以上何も食べていないんです。そしてあちこち歩き回った。なのに全く衰弱すらしていない。むしろ、とても元気なんです。前に三食食べていた時よりも圧倒的に元気なんです」
「ああ、僕もだ。僕は一週間何も食べていない」
「どういうことなんでしょう。全く分からない。自分がどうなってしまったのか」
そこで斎藤さんは少し、目をつぶり黙考した。
「君は何か病気やケガが治ったりしていないかい」
「持病の数々のアレルギーがきれいさっぱり消えてなくなっています。それに大けがをしたのですが、なんだか傷口にカビのようなものがびっしり生えていて・・、それを掃ったら、それもきれいさっぱり治っていて・・」
「僕は末期がんだった」
「えっ!」
「もう、立ち上がることも出来ない状態だった。後は本当に死を待つだけという状態だった」
「・・・」
「だが、ベッドで目が覚めたら、君と同じように全てが治っていた。むしろ病気になる前よりも元気なくらいに」
「・・・」
「最後に家族に別れを言ったのを覚えているよ。何て言ったのかは覚えていないけど、家族はみんな泣いていた」
「・・・」
「でも、その私が生き残って、私のことを憐れんでいた家族や友人たちがみんな死んでしまった。なんて皮肉なんだろう」
斎藤さんは自嘲気味に笑った。
「ところで僕はいくつに見える」
斎藤さんがその丸い顔を僕に向けた。
「えっ、ええっと・・」
僕は斎藤さんを改めて見つめた。
「僕は五十八だ。もうすぐ還暦」
「えっ、どう見ても四十代前半にしか見えません。お世辞じゃなく」
「うん、僕もまだ残っていたビルのガラスに映った自分の顔を見て驚いたんだ。若返ってるって。髪も黒黒しているだろう。前はもう白髪の方が多いくらいだったんだ」
「若返った?」
「うん、そうとしか考えられない。僕はどちらかというと老けて見られていたくらいだから、余計にそうなんだろう」
僕は改めて斎藤さんを見た。やはりどう見ても、四十代前半くらいにしか見えない。
「君も多分若返っているんじゃないかな」
「えっ」
「君はまだ若いからその変化が小さいんだ。だから分からないだけで」
「・・・、信じられません」
「ああ、僕も自分で話していて、なんだか信じられない。でも、現実なんだ」
「・・・」
そういえば、静香さんも・・、手首の傷が消えていたと言っていた・・。
「・・一体、僕たちの体はどうなってしまったんでしょう」
「・・・」
斎藤さんは黙っていた。何かを深く考えているようだった。
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