第10話 男
「君は誰だ」
男が言った。
「僕は・・、僕は・・」
緊張と恐怖でうまくしゃべれない。喉がカラカラだった。
男はなおも厳しい表情で僕を睨みつけていた。僕も棒を握る手に力を込める。
「わああ」
男は、突然叫びながら僕に突進してきた。
「わああ」
僕も驚いて叫んだ。しかし、緊張で体が全く動かなかった。
やられる。そう思った。
「人間だ。人間」
男はそう叫びながら、持っていた棒を捨て、僕を思いっきり抱き締めた。
「えっ?」
僕は訳が分からず硬直したまま、男に抱き締められるがままになっていた。
「人間だ」
男は、尚も僕を抱き締めながら嬉しそうに、改めて僕の顔を見つめ大声で叫んだ。そして、もう一度痛いくらいに僕を抱きしめた。
「もう、僕だけしか生き残っていないんじゃないかって、そう思い始めていたんだ」
その男は興奮冷めやらぬといった感じで、矢継ぎ早に言った。
「僕は斎藤」
「斎藤・・さん・・」
「君は?」
「僕は、す、鈴木です」
「何日ぶりだろう、人と会話をするのは」
斎藤さんの目には涙が滲んでいた。
「もう何年も話をしていないような気さえする」
斎藤さんは本当に嬉しそうだった。真ん丸い顔を無邪気にほころばせ喜ぶ姿は、全くの良い人だった。
「ほんとびっくりしましたよ。殺されるんじゃないかって」
僕は持っていた棒を脱力した緊張と共に捨てた。
「はははっ、ごめんごめん。君が木の棒を持っていたもんだから」
斎藤さんは人懐っこく笑った。
僕たちは近くの苔で覆われたコンクリートブロックの跡に二人並んで座った。
「僕たち以外にも生きている人間はいるのか」
「僕は一人出会いました」
「そうなのか」
斎藤さんはとても驚いた表情をした。
「ええ、女性でした」
「そうか。じゃあ、まだまだ仲間がいるのかもしれないな」
斎藤さんは嬉しそうに言った。
街の中心部の方では、あの巨大なヤシのような植物が、その巨大な種を落とす、ドスーン、ドスーンという音が無人の街に木霊していた。
「本当に不思議だ。突然世界は全く別のものになってしまった」
斎藤さんは、街を覆う巨大な木々を見上げて言った。
「世界はどうなってしまったんでしょう。なぜこんなことに・・」
僕は斎藤さんの方を見た。
「植物の反乱」
斎藤さんは一人呟くように言った。
「反乱?」
「反乱と言っていいのかなんなのかそれは分からない。自然の反発とか、自然の巻き返しとか、もっと他の何かよく分からない何かなのかもしれないけど、とにかく植物が爆発的な進化と繁殖力でこの世界を乗っ取ってしまった。生きている人間さえも、ものすごい勢いで・・」
「どうして・・」
「それは分からない。多分・・、自然が人類に対して対応したのかもしれない」
「対応?」
「昔、僕がまだ小さかった頃、日本全国で外来のアメリカシロシトリという蛾の幼虫が爆発的に大繁殖したことがあるんだ」
「そうだったんですか。僕は全く知らない」
「そう、君の世代は知らない。なぜか」
「はい」
「当時は殺虫剤を撒いたり、色んなことをした。でも、何の効果もなかった。しかし、何年かするとアメリカシロシトリは自然と姿を消した」
「なぜなんですか」
「自然が、日本の自然が、日本の昔から住んでる在来種が対応し、巻き返したんだ」
「・・・」
「植物たちの中で何が起こったのかは分からない。けど、何か急激な進化なり変化が起こったんだろう。それは我々人類を圧倒してしまった」
「僕は植物に何か吸い取られたように、粉々になった頭蓋骨を見ました」
「ああ、僕も何度も見た」
「人類は・・、滅びてしまったんでしょうか」
「文明は滅びたのかもしれない」
斎藤さんは、そう呟くように言って、遠くの巨大なヤシのような植物を見続けていた。
「・・・」
その後、しばらく僕と斎藤さんは言葉もなく、この植物に覆われた変わり果てた街を眺めていた。
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