体格でやや優る剣士が、振り抜いた剣を力任せに返し、間合いを詰めようとした魔術師は鳥のような身のこなしで刃から逃れた。

「紙のように手応えのない奴め、お前の動きは見きっている! ……そして知っているぞ、お前の魔術は一発限りだとな!」

 小馬鹿にしたような抑揚で声をかけたロスミーは、息ひとつ乱していない。

 キアノスは驚いた。ひらひらと動き回るギストを追い詰めようと、もう大分剣を振り回しながら戦っているのだ。

「ふん! 逆に一撃でてめぇみたいな小物を仕留められなかったら、“黒”をまとう者の恥だぜ」

 ギストも、挑発するような笑みを浮かべて言い返した。こちらも目立った疲労は見せない。

 一般論でいえば、体力勝負では魔術師は剣士に及ばない。つまり、互角に刃を交えているだけで、ギストの身体能力の高さが測れるというものだ。

「盗人めが、言うじゃないか! そら、使ったらどうだ? そら!」

 からかうように剣の平を見せて煽るロスミーに、ギストは応えない。

 ただ、無言のまま口の端を下げ、目は刃にも勝るギラつきを湛えている。

 二人は申し合わせたように跳躍し、電光のようにすれ違い、刃を合わせ、隙あらば相手の足元を狙い、体を入れかえた。剣士の刺突を繰り返す刃に、髪の毛すら触れさせないのが奇跡であるほどの距離。

 キアノスの前数歩のところでロスミーが激しく一撃を弾き返し、まともに受けた反動でギストが足を乱す。

 キアノスは、眼前に迫る黒い背に、バサリと髪が落ちる様を凍りついたように見ていた。

「くそ、剣士は魔術師に刃を向けていいくせに……」

 ギストの吐き捨てる声が、背中越しに聞こえる。

 キアノスは、不可解なギストの戦い方に合点が行った。

(そうか……魔術は使えないんだ!)

 魔術師が守らねばならない、いくつかの掟。

 ローブ着用の掟、身の証となる魔術師の名の掟、ファラ・クロウントを中心とした協会に属する掟など、どれもが魔術学院基礎科でたたき込まれる基本だ。

 その中で、多くの学院生が魔術師への道に背を向ける要因になる掟……それが、ファラ・クロウントとレントラック評議会との間で結ばれた『魔術師にあらざる者に対する術使用を禁ずる掟』である。

 一方的に襲われて命の危険に晒されたり、研究や娯楽の一環としてその技を提供したり、または魔術兵団の一員として戦地に立つなどの許された場合をのぞき、魔術師は非魔術師に対してその力を用いてはならないのだ。

 キアノスは、再度飛び出したギストを視界に入れつつ、そっと小屋の入り口から抜け出した。

 壁づたいに足を忍ばせて小屋の角まで来ると、小屋の壁と藪の境に身を潜め、低い姿勢から二人の戦いを窺う。

(出身学院やローブの色が違えど同業を信じよ、っていう掟もあるよな……ギストさんが正式な魔術師だったらって話だけど)

 戦況は明らかにロスミーが押している。

 ギストはすぐに決着がつけられないとみるや、少し距離をとって体勢を立て直しているようだ。

(もしロスミーさんが本当に魔術師協会本部の命で来ているのなら、やっぱりそっちに加勢するべきかな……いやいやいや! もし、だなんて僕は何を考えてるんだ! 盗みを認めてるやつの肩を持つつもり……)

 背後の藪が、ガサリと揺れた。

 小枝がパキパキと折れる音に、キアノスは心臓が飛び出そうになった。

(…………!!)

 背を蹴飛ばされたようにつんのめりそうになりながら、必死に堪えて藪から飛び退く。

 藪から伸びてきた細い腕が、キアノスの青いローブを掴み損ねて空を切った。

「だ、誰だ! って……」

「しーっ!!」

 静かに静かに、という声と共にガサガサじたばたとした後、腕は引っ込んだ。代わりに赤いポニーテール頭が突き出される。

「し、しー、じゃないよディナ! 何でここに!?」

「静かにしなってば! ロスミーって男、信用しない方がいいよってあんたに言おうと思ったら、いなかったんだもん! そりゃ探すでしょ!」

 小枝や葉っぱが乗った頭は藪の中に突っ込んだからだとして、紅潮した頬と汗ばんだ額は、山道を走ってきたらしいことをうかがわせる。

「ロスミーさんが……どうしたって? 宿の書き置きなら僕も見たよ」

「違う! あんな教科書思い出して頭痛くなる字なんか読みたくもないってば。そうじゃなくて……あの剣士、町のはずれでコソコソ怪しいヤツと話してたんだよ! “遠近”の呪でこっそり話を聞いたらさ……」

「それ、盗み聞きじゃないか」

「違ぁう! あたしは町の平和……うぐ」

 声が大きくなるディナの口をとっさにふさぎ、キアノスはロスミーとギストの方を見やった。

 ロスミーは、攻め倦ねるギストを遠目からもわかるほど挑発している。

 ディナはキアノスの手を払いのけ、上半身を藪から何とかひねり出しながらまくしたてた。

「アイツ、一騎打ちとか言っといて加勢を呼ぶ気なんだよ。いやー汚いのなんの!」

「そうなのか!?」

「……キアノスはさぁ、ちょっとは人を疑うことを知りなよ! みんながあんたみたいにボヤッとしてるワケじゃないんだから! だいたい、あのアヤシイ剣士になんで宿のラクガキが読めたのさ! アイツこそ、はぐれ魔術師かなんかなんじゃないの?」

「ひ、ひどい言われような気もするけど……確かに一理ある。うーん……ロスミーさん、やっぱり怪しいかなぁ……あ、でもさ、中央の魔術師協会の方とも親しいって言ってたし。文字くらい勉強したんじゃないかな?」

 眉根にしわを寄せ、顎に指を当てて考え込むキアノスの横顔を見て、ディナは苦いものでも噛んだような顔で天を仰いだ。

 そして、剣とナイフの激闘にキッと吊り上げた紅い目を向けてから、再びキアノスに視線を戻す。

「……マッタク……言ってもムダだと思うけどさ、コソコソ話してた相手の方もその辺にいそうだから気をつけなよ! 遠くから見ただけでよくわかんなかったけど、すんごい背が高くてさ! 助太刀とか不意打ちとか、することになってんじゃないかな?」

 根拠もなく勝手に言いたい放題のディナだったが、キアノスにはそれで思い当たることがあった。

(ロスミーさんの仲間……見届け人か! ギストさんが魔術を使ってしまえば、ロスミーさんは何をしても言い訳が立つから)

 その予測が正しいか、本当にもうひとりが近くに潜んでいるのかなど確かめようもなく、キアノスはどうするか考え始めた。

「……ありがとう。僕はもうちょっと様子を見たいし、ディナは先に帰ってなよ」

「はぁ、厄介ごとに次々首突っ込んでさー。懲りないねぇあんた」

「き、君にいわれたくないっ!」

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