キアノスとディナが藪の陰でこづきあいをしている間にも、切り結ぶ二人は体力をすり減らし、ギストの不利は際立ってくる。

 ナイフを握る右手が痺れるのか、手首を左手で掴む仕草も増える。

 速さを失わないロスミーの一撃をようやく逸らせて、飛ぶように大きく退いたギストが大声で毒づき、キアノスの目を戦いに向けさせる。

「くそ! ファラ・クロウントの連中につけ回される覚えはねぇぞ! 中央の間抜けどもに伝えろよ、俺はてめぇらに興味ねえし、そうやって役にも立たねぇツルみ合いしてんのがキライなんだってな!」

 ギストの大声に、ロスミーはふと剣先を下げて言い返す。

「そう言って強がっていられるのも今のうちさ。そのうちお前も、あの方に頭を下げることになる!」

「フン、あんな魔術師のカスどもに下げる頭はねぇよ! あっちが下げてくれたとしても嬉しくねぇしな!」

 キアノスは片手でディナを藪に押し込めつつ罵声怒声の飛び交う草原の方を見ていた。

(ファラ・クロウントの……連中! 間抜け! な、なんて失礼なことを……)

 魔術師の御多分に漏れず、キアノスにとっても魔術師協会本部は憧れの地である。

 魔術師であろうギストが大声で協会の高位の人物を間抜け呼ばわりするので、他人事ながら思わず目をつぶってしまう。

 その時、ふたりの呼吸が一瞬止まった。

 一際甲高い金属音が響いたかと思うと、ヒュ、という風切り音に一瞬遅れてタン、という軽い音がした。

 音は、まぶたのすぐ前を横切り、耳の近くで途切れる。

「…………!!」

 そちらに顔を向けたキアノスは、落ち着きかけていた心臓が破裂しそうなほど驚いた。

 キアノスが身を潜める小屋の角の柱に鈍く光るのは、柄近くまで刀身を埋めた細身のナイフ。

 飛び上がるように振り向いたキアノスの視界上方から、猛禽のように空中で体を一転させたギストが至近に着地する。地に足が着くやいなや横っ飛びに体を投げ出し、一瞬前まで黒いローブがあったところをロスミーの刃が薙ぐ。ギストの長い黒髪が数本、剣圧に乗ってばらばらと舞うのが、キアノスにもはっきりと見える距離。

 時間の流れが遅くなったかのようにゆっくりと草の上に倒れ込むギスト、紫紺の瞳に勝利の色を加えて大きく踏み込むロスミーを、キアノスは固まったまま見ているしかなかった。

 ピタリと下方に向かった剣の切っ先が、ギストの眉間に突きつけられる。

 ロスミーは、一瞬あればもう一歩踏み込み、戦いを終わらせられる。

 対して、ギストの地面についた右手、宙で握り締められた左手に、武器はない。

 キアノスは無意識のうちに柱からナイフを静かに引き抜き、ギストに投げ返そうとしたところでためらった。

「さあ、おとなしくわたしについて中央に来るか、ここで剣の露と散るか、選……」

「てめぇをレントラックまでぶっ飛ばして、ミジメな家路を短くしてやるよ!」

 尊大なロスミーの言葉を食いちぎるように、鋭いギストの声が遮る。ギスト

 の後方にいるキアノスには、その表情は見えない。それでも、剣を突きつけられながら即座に言い返す姿に揺るぎない強さを感じる。

(僕なんか、シウル相手にハッタリかまして逃げるのが精一杯だったのに……)

 ギストが魔術を使うところを見たことはないが、黒いローブから漂う力の“圧”には息が詰まるほどだ。

 ナイフを弄びながら、キアノスは、ふとどうしようもない興味が湧き出すのを止められなかった。

(ギストさんの魔術が見てみたい! これだけのタフさを持っていながら、ロスミーさんが言った『一発限り』……っていうのはどういうことなんだろう?)

 キアノスはふたりを凝視し、素早く考えを巡らせた。

(正当防衛だった、と僕が証言すれば、ロスミーさんに仲間がいても同等だ……いや、それよりも!)

 ギストの黒いローブが揺らいだ。

 同時にロスミーが剣をわずかに引き、そして踏み込む。

 ギストが左掌をロスミーに向けて開くのと、キアノスが袖の中に挟んでいた《 魔力媒体《カタリスト》》を引き抜くのは、ほとんど同時だった。

「ピセ・ラカツィオラ(石よ、素早く壁となれ)!」

 “呪”が、キアノスの口から明瞭な発音で放たれた。ほぼ同時に、ロスミーの剣先に際どいタイミングで薄い石の壁が現れる。大人が片手を軽く回したぐらいの大きさの壁は、ロスミーの視線を遮るように展開した。

 発動の速さだけを重視したこの術は、一呼吸ほどしか持続しない。

 しかし、その一呼吸はギストにとって十分すぎるほど十分だった。

 掲げた左手をそのまま振り上げ、素早く後転した体がバネのように伸びたかと思うと、

「借りるぜ!」

という声を残し、その姿は身長より高い石の壁の上端を踏み台にして矢のように宙を舞い、そのままロスミーの頭上を越える。

 空中で腰を大きく捻って回し蹴りを試み、ギストの黒いブーツがロスミーの左肩を強襲する。ロスミーはとっさに左脇を締めて肘を曲げ、手首に巻いた手甲のベルトで辛くも受ける。

 ギストは反動を利用して体勢を戻しながら着地し、重力を無視したように猛然と突進した。

 構え直しもせずロスミーは剣に左手を添え、振り向きざまに渾身の一撃を叩きつけた。

 徒手空拳のギストをまっぷたつにするのとは明らかに違う、物理的な衝撃すら感じられるほどの打撃音と共に、視界に星が散る。

 めまぐるしい攻防に目を奪われていたキアノスは、腰が砕けて後ろへ倒れこんだ。

 ギストの手にはいつの間にか大杖(スタッフ)が握られており、がっちりとロスミーの剣と噛み合っていた。

 ロスミーの剣を受け止めた……いや、ロスミーの剣が受け止めた大杖は、赤みを帯びてきた陽光を反射し、金属めいた鈍い輝きを放っていた。

 不思議な透明感があることを除けば、材質は鋼だと言われても納得できる。

 何よりも驚異的なのはその大きさで、石突きを地面に刺して立てれば、おそらくギストの身長を越すだろう。

 大きく反った柄は飾り気もなく滑らかで、先端5分の1ほどは幅広の鎌か鉤爪のように鋭く湾曲し、複雑にあいた穴と輪郭が古代の文字を象っている。

 ロスミーが力任せに押すのをものともせず、ギストは大杖を両手で構えたまま口の片端を吊り上げる。

「久し振りに出してみたが……やはり心躍るモンだな、コイツは」

 キアノスには聞こえなかったが、ギストは噛み合う大杖の柄と鋼の刃越しに、ロスミーに囁いた。

「くっ、ど、泥棒めが!」

 嫌悪感も露わに腹を蹴りつけ逃れようとするロスミーを不敵に睨み、ギストは草地の上を弾むようなステップで退く。

 ギストが手慣れた風に大杖を一振りし軽やかに肩に担ぐ様は、全く重さを感じさせない。

「んで、そこの青いの。軟弱モンがようやく決めたってわけか?」

 背中を向けたまま問うギストに直接は答えず、キアノスは力の抜けた腰を何とかこらえて立ち上がった。

 そして、真っ直ぐに剣士を見据え、問いかける。……興味深い大杖から視線を引き剥がすのに苦労したのは言うまでもなかったが。

「ロスミーさん。あなたはギストさんを中央に招きたいんですか、犯罪者に仕立て上げたいんですか、それとも……ただ単に殺したいだけなんですか」

 生真面目な、ひとつひとつを慎重に確かめるような言葉に、ロスミーはせせら笑う。

「残念ながら、君に答えられるような単純なものではない……わたしが帯びた使命はね」

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