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キアノスが目を覚ますと、見事に酒場の机に突っ伏したままだった自分にまず驚いた。いつの間にかダウンしていたようだ。
ありがたいことに眠気も酒精もスッキリと飛んでおり、疲れもほとんどない。
(ってことは、どれだけ寝てたんだ、ってことか……)
凝って痛い首をさすりながら見回すと、酒場には誰もいない。カウンター奥で人の気配がするが、多分ネーサだろう。
「お、おはようございます! は、早くもないですが……すみません、寝てました」
分かり切ったことだが、生真面目に口に出してしまうのがキアノスの癖だ。
窓から外を見ると、既に太陽が最も天高くを通る頃らしい。
「おはよう。昨日はいろいろと災難だったねぇ」
二言三言話すと、ディナは既に朝早くからトルックスに引っ張っていかれたようで、あてがわれた部屋も空だという。
「あんたの部屋も用意してあるよ」
と告げられ、キアノスは宿の言われた部屋に落ち着いた。そこには素朴な木綿のローブと下着一式が置いてあり、後で聞けば、それは新卒魔術師に対するネーサの毎年の好意らしい。
宿の小さな共同浴場を独り占めしてゆっくりと体を洗ったキアノスは、新しいローブを着て《
晴れ晴れとした顔で礼を言いにいくと、ネーサはカラッと笑った。
「ごめんねぇ、基礎科のやつで。あんたのローブは色がなくてサ……」
「いえ、助かります。ありがとうございます」
キアノスたちのような魔術学院ハイ・クラスの卒業生は、卒業時に与えられた色のローブと、基礎科のみの卒業生がまとう《無色》のローブのどちらも着用を許される。
金目のものを何一つ持たずに卒業する彼らにとって、最初に訪れた町で手に入るものは何よりありがたい。
「そうそう、広場の方に何だか騒がしい男が来てるよ。中央都市からの旅人らしいから、もしそっちに行くんなら様子を聞いてきたらどうだい」
そう言うと、ネーサは町の入り口とは逆の方を指差した。
昔から噂に聞くだけだった中央都市からの訪問者と言われると、興味を引かれる。キアノスは几帳面に再度ネーサに礼を言いペコリと頭を下げ、外へ出た。
シェル・レーボの町の広場は、街道から町に入った道を直進すれば勝手に着く。つまり、迷いようがない。しかも今日は、昨日キアノスたちが着いた時と同じような人だかりができていた。
人の渦の真ん中には、一人の男の姿がある。遠目に見ても大袈裟な身振り手振りで、何をしているのかよくわからないがとにかく、背にはねた草色の旅用マントがバサバサとはためいている。
初めは桁外れの長身なのかと思ったが、どうやら小さな木箱を踏み台にしているらしい。
男は、周りの注目をたっぷり引いてから演説を始めた。
「わたしはレントラック中央都市の公認ハンター、ロスミー・ロス=ヴィオレーンという! 腕試しの旅の途中、隣町で賞金首の噂を聞きつけ、はるばるやってきた! この付近に出没するという“黒い殺人鬼”とやらは、どうか任せてほしい!!」
演劇の台詞じみた声が切れるたびに、柔らかそうな紫色の髪がわさわさと揺れる。
取り巻く群衆の後ろにそっとついたキアノスは、ロスミーと名乗った男を観察した。
(ハンター……賞金稼ぎの剣士か。珍しいなぁ、一人旅なのかな? しかし、隣町で噂を聞いただけで『はるばる』って……)
“ロス”を名乗ったということは、すなわち貴族の証である。近くで見ると、マントも細工の施された金具で縁取られ、旅用の軽甲も複雑な文様が描かれていて手が込んだ品だ。
明るく自信に満ち溢れた笑顔で衆人を見下ろし、剣の柄に片手を置く。その剣にも目立った傷はなく、とても命がけの修羅場をくぐり抜けてきたとは思えない。
キアノスは、これが中央貴族との初めての出会いだった。
見事に諸手をあげて歓迎ムードになっている町人を後目に、キアノスは苦笑いを浮かべた。
その時、ロスミーの紫紺の瞳がふとキアノスを捉えた。視線はキアノスのローブをなぞり、再びキアノスの目を直視する。
「そこの君、魔術師だな! レインバストの出か?」
ロスミーは皮手袋をはめた手をくいとひねり、即席の演説台を降りた。群衆がざわめきながら道をあけ、今度はキアノスとロスミーが半円状に囲まれる形になる。
「はい、先日卒業したばかりのキアノス・コルバットといい……」
柔らかい声のキアノスの名乗りを遮って、ロスミーは大仰に顔をしかめた。
「君、君。魔術師としての名も名乗りたまえ、わたしは魔術師協会の“赤色の長”とも親しくさせていただいているんだぞ」
呆れたように眉根にしわを寄せるロスミーに、キアノスは驚きが顔に出ないよう慌てて頭を下げた。
「失礼いたしました。僕は“
深々と下げた顔の前に開いた両手を重ね掲げる魔術師流の礼。そこからそろそろと頭を上げるキアノスに、ロスミーは親しげに声をかけた。
「運がいいと思いたまえよ、新人君。中央の人間と組める機会がこんなにも早くやってきたことに、ね」
言い方によっては嫌悪感を催すような押し付けがましい言葉も、ロスミーが邪気のない笑顔で言うと、何とはなく本当に晴れがましいような雰囲気になってしまう。
「君だって、魔術を悪に用いる同業者を放っておきたくないだろう。もちろん、今夜はわたしの見回りに同行してくれるね?」
勝手に決めつけるロスミーに、しかし、キアノスは即答できなかった。
「い、いえ、僕は……足手まといになるかと……」
「ハイハイハイ! じゃああたしがお手伝いしまぁす!」
心臓が跳ね上がるのを、キアノスは感じた。
二人を囲む人の輪をこじ開け、基礎科のローブを着崩したディナが顔を出す。
「初めまして! あたしもレインバストの卒業生で、ディナ=ラージェスタ・セラルーテ、魔術師としては“真紅の月の愛娘”と名乗らせていただいておりますの」
「あ、嘘です! この子は“バーナー”という名で、手伝わせると町が消し炭になります!! なります、ので……ので……」
息を吐くのと同じような自然さで出まかせを言い放つディナに、思わずキアノスは口を挟んでしまった。
「……やっぱり僕が行きます」
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