「ペルスロール・ノジック(大気よ震えよ、目にも止まらず)!!」

 唱えながら両腕を後ろから前へ、更に大きく交差させる。

 耳をつんざく雷鳴のような音と共に空気が振動し、シウルの視界の真ん中にいたキアノスの姿が歪んだ。

「何のつもりだ!?」

 咄嗟にシウルは数歩後退するとキアノスの魔術の軌道から身をかわし、次いで愕然とした。黄金の矢は消え、串状の細い木が目の前にバラバラと落ちてきたのだ。


 魔術には様々な種類があるが、強力であるほど魔力と魔力、魔力と物体を結びつけることが必須となる。異なる命令を受けた魔力同士をひとつの魔術にまとめる繋ぎの役目をしたり、それ自体が魔力を纏って術の形を成したりする物体が《触媒カタリスト》である。

 キアノスは、シウルが黄金の矢を生成した際に空中にばらまいた木の串が《魔力媒体》であることを見逃さなかった。そして、それを物理的に吹き飛ばすことで術を崩したのだ。

「シウル! これじゃあ本当に殺し合いになってしまう!」

「おいおい、オレは端から最初からその気だぜ? お前が青ローブでここに来た時からな!」

 シウルはベルトに挟んであった短い革鞭を抜いて、傍らの木の幹を擦るように打った。即座に鞭は眩く輝き、革製の実体よりはるかに長い光の尾を引いた。

「……こうすればわかるか!」

 シウルは、黄金の粒子を撒き散らす鞭を手に駆け出した。

 キアノスは目の前でシウルが鞭を振り上げるのを見て大慌てで横っ飛びに転がり、草地を一回転して身を起こした。

 バチィッという電撃の走るような乾いた音がして、キアノスの真横から草が焼ける臭いが漂う。

 ぱっと顔を上げると、シウルが返す腕で更に一撃を狙っている。キアノスは咄嗟に全身のバネを使って後ろに飛んだ、というより倒れこんだ。

 足元を掠めて光の軌道が空を裂き、千切れ飛んだ草と光の粒子が勢いよく舞い上がる。

 キアノスは起き上がりつつ二歩、三歩とよろめき、細い木の後ろに飛び込んだ。その背を追っていった鞭はそのまま幹に巻きつき、木っ端が飛ぶほど締めあげる。

「ちょこまかしやがって!」

 シウルが苛立ちに任せて鞭の柄に指で紋を描きグイと引くと、鞭のまとっていた黄色い光が膨らみ、締め付けていた木共々弾け飛んだ。

 さすがにキアノスは避けきれず、顔を庇った腕に黄金の衝撃と木片を受けた。袖が上がっていた右腕の皮膚が裂け、血が滴り、キアノスは僅かに呻き顔を伏せた。

 一瞬の後、顔を上げたキアノスは一変していた。歯を食いしばり、眉間に悲壮感をただよわせ、拳を硬く握る。初めて見せる激しい表情。それは怒りか、覚悟か、それとも痛みゆえだろうか。

 シウルが鞭を返すよりも速く、 キアノスは既に抜いていた金属片を続けざまに投げた。

「そっちがその気なら! バヴァス・シュラッツァッパー(荒れ狂う風よ)!!」

 キアノスが最上級の《共有魔術》を唱えると、傷だらけの腕を更に切り裂かんばかりの至近距離にカマイタチのような激しい渦が現れた。

 キアノスは構わず、両手で宙に複雑な曲線を描き更に命令を与える。

「シュラット・ダーリード、イオ・ドゥーヤ(我、風の道を成す故、従え)!!」

 最後の言葉を待たずして、魔力の風は黒くかりそめの色をまといシウルに襲いかかった。

「今度は黒か! この野郎!!」

 鞭の両端を握り黄金色の壁で弾き返すが、黒い風はキアノスの指が命じる通りにシウルの背後を狙って執拗に動き回る。

「くそ、バカにしやがって!」

「君が本気だって言うなら、僕もローブを守るために君を狙うしかない! 『術を絶つならまず術師から』だ。そう習ったろ?」

「…………!!」

 シウルは何度目かわからない驚愕に襲われ絶句した。

 確かに、それは魔術学院で習うといえば習う。しかし実戦訓練は、魔術を扱う才と、冷静さと理性を失わない思慮分別に秀でた生徒だけを集めた特別授業として行われるのだ。実戦訓練に参加できることは、魔術学院の生徒にとって一種のステータスであるとも言える。

 プライドを傷つけられた衝撃と、好奇心の塊たる魔術師の性が絶妙に混ざり合い、シウルは思わず聞き返した。

「……なんでお前が知っている? お前は実戦訓練の合宿にはいなかったはずだ。あの授業にはオレ含めて4人しか参加してなかった……いつ、どこでそんな対魔術師の応戦法を習った!?」

「ついこの間、卒業間際だ」

「嘘をつけ! そんな時期に合宿はなかった! お前まさか、隠れて潜り込……」

「違う違う」

 キアノスはふらつきながら重い腕を上げ、一言呪文をつぶやいてシウルを狙っていた“荒れ狂う風”を“解呪”した。強い《共有魔術》の連発は、とっくに体力が底をついているキアノスの気力をも削りつつあったのだ。

「一学年下の授業に入れてもらったんだ」

「そういうことか。ちぇっ、リーン先生のエコひいきかよ」

「そういう言い方はやめろよ。頼み込んだのは頼み込んださ、でも、相手はリーン先生じゃない」

「なら、誰だ? 指導教官がいたわけだろう?」

「それは言えない」

「……言えない!?」

 キアノスは決然と答えることを拒否し、場の雰囲気を支配することに慣れているシウルは激しく混乱した。

(通常の担当教官でないとすれば、客員の先生か? ……でも、その教えを受けたと名乗れないんじゃ意味がない。実戦の師を名乗らない教官、まさか、いや……!)

 シウルは再び革鞭をキリキリと引き絞ると、大きく半円を描くように振り上げて一息に自分の黄金いろをまとわせた。

 苛立ちに任せたシウルの一撃をキアノスは紙一重で避けたが、長く尾を引いた鞭の魔力が傷ついた右腕を再度痛めつけた。

「うっ!」

 咄嗟に左手が腰に下げた革袋から小さな銀のリングを取り出し、身を守るための印を中に描く。

 数歩下がったシウルから燃えさかる炎の球が飛んでくるのを見て傷を負った右手で水の壁を出現させるが、当然力負けし、火の粉をかぶってしまう。

 食いしばった口の中は血の味がし、鳥の巣のようにもつれた前髪は少し焦げて、きな臭いにおいをたてている。それは微かなものだったが、あの悪夢の夜を思い起こさせるには十分だった。

 キアノスは反射的に激しく頭を振ったが、既に次に打つべき手を探りながら、我ながらその場しのぎだけでよく保つものだと妙に冷めた目で状況を見てもいた。

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