どれほどの間、互いの魔術をぶつけ合っただろう。

 ついに、痺れを切らしたシウルの怒鳴り声が森に響き渡った。

「……大体おかしいんだよ! 自分の“色”も見つけられず世に果たす任も無いはぐれ者が、特別扱いまでされやがって……エラそうに!」

「ああ、僕には君のように立派な使命もないし、それを負える力もないさ! でも!」

 めいっぱいの力で、キアノスは右袖に仕込んだ最後の金属片を投げた。

「僕は魔術師として生きると決めたんだ! ここを、通してくれ!」

 ぶつかり合う二人の魔術に、雷鳴のような轟きと紫がかった閃光が飛び交い、遠巻きに見ているアラニーとカトルールの途切れがちな悲鳴が混ざる。

「ふざけるな! 知ってるんだぞ、オレは!」

 シウルは叫び、飛んできた烈風と小石の群れを鞭でひと振りに粉砕した。鞭を持つ手までが、金の粉を撒き散らすように輝いている。

「女の影を追っかけて学院に入ったくせに、今更いきがるのか! 笑わせるぜ!! 過ぎたことを悔やんでめそめそ生きるのが、お前にはお似合いだ!!」

「ああ、学院に入った頃どころか、ついさっきまでの僕ならその通りさ! でも、今……“赤い翼の天使”を探す、それは『僕の』意志だ!!」

 キアノスも精一杯の力で両足を踏ん張ってシウルに向き直り、両手の指を大きく開いて勢いよく正面に突き出した。

 大きく息を吸う。

「僕が、決めたんだ!!」

 目には見えないエネルギーのうねりのようなものが、キアノスの手から腕へ、腕から肩へと広がっていく。獣が興奮して毛を逆立てる時のようなぞわぞわとした感触が、キアノスの全身を駆け巡る。

 キアノスは真正面からシウルの視線を捉えた。疲労の果てにありながら五感の全てが研ぎ澄まされたような、一種の恍惚感を覚える。

「な……チッ!」

 異質な魔力を感じ取り、シウルは最も得意とする“先見の瞳”の力を即座に解放する。

 常人にとってはただの「胸騒ぎ」でしかない不可思議な力を、魔術師なら「見る」ことができる。シウルはその黄金色の《独創魔術》を両眼に集中させ、視覚に更に魔力のフィルターをかける技を得意としていた。

 シウルの灰色の瞳が、金属的な黄金色に変わっていく……しかし。

(見えないだと!? そんなはずは!)

 シウルは不可解な感覚に戸惑った。

 相手の体に宿る魔力の増大ぐらい、見なくてもわかる。しかし、見ても何もないというのは解せない。

(おかしい! こいつの往生際の悪いクソぢからはどこからくるんだ!?)


 その時、星々に満ちた空がにわかにかき曇った。永い年月、学院の森を管理し守護してきた指導者たちの魔力。その複雑に編み成された力を帯びて、冷風が意思を持つかの如く木々の間を駆け抜ける。

 遠くからカトルールとアラニーが警告を送る。

「シウル! 気付かれたかもしれないわ!」

「先生たちに見つかったらヤバイって!」

 シウルはちらりと空を見た。

「ふん、これだけ派手にやってるんだ。とっくにバレてるさ! それでも手を出してこないのは黙認ってことだ」

 黒雲は尋常ではない速さと濃さで夜空を覆っていく。確かに自然のものではないだろう。

 心をどこかに飛ばしているようにも見えるキアノスに、視線を戻す。

「軟弱なヤツは、学院を出る前に淘汰される! それでいいん……」

 シウルは語尾を言い損ねた。

 顔が歪む。

 キアノスの周囲に、陽炎のような微かな揺らぎが見える。夜闇そのものでもあるような……その身にまとっているローブのぼやけた輪郭のような、カウェルの揺らぎ。

(魔力の色……ではないのか? ローブの色の見間違い……いや、違う。なんだ、あの貧弱な力は?)

 文字通り火花が散りそうなほど、ふたりの魔力が周囲を満たしている。そしてそれは、元々学院の森に満ちている様々な魔力と共鳴して唸りをあげ、とうとう飽和した。

 4人の間を、圧倒的な力が風となって吹き抜けた。

 キアノスは体をあおられて我に返り、シウルは金の瞳を空に向けた。

 スッと雲が晴れる。

 再びキアノスに視線を戻した時には、不思議な揺らぎは消えていた。


 シウルは、掌に食い込むほど握りしめたままだった革鞭をベルトに挟みなおし、ふいと踵を返した。背後を突かれる恐れをも見せず、キアノスに背を向けて告げる。

「オレは中央魔術師協会の幹部候補として招かれるはずだ。いつか地位と力を手にいれて、この決着をつけ、協会の名においてお前からローブを剥奪してやるから、覚えとけ」

 そのさざ波のように静かな声に、キアノスはシウルも何らかの決意をしたのだと悟った。根拠も何も無かったが、自分と同じ声をしている、と。

(もっとも、そんなこと言ったらまた僕を殺すくらいの勢いで飛びかかってくるんだろうな)

 疲労に満たされながら、キアノスは心の中だけで苦笑した。

 膝が震え、全身の毛穴から生気が抜けていくような虚脱感に襲われながら、それでもはっきりと答える。

「僕は君を恐れはしないよ。僕は君のおかげで、自分についてひとつ決められたんだから」

 答えは返ってこなかった。


 平穏と静寂を取り戻しつつある森を出るシウルの心は、しかし、驚くほど激しくかき乱されていた。

 自分でも許せないことではあったが、そんなことは外面にはかけらも見えず、誰にも見破られることはない。少なくとも、後ろから追ってくる赤ローブの姉妹には、そんなことは期待できない。

 立ち止まらずに門の礎に置いた鞄を拾い上げ、顔を見ないまま声を絞り出す。

「お前ら……オレについて中央に来る気なら、相手の力量くらい計れるようになれよ! まったく」

 姉妹の口を完全に封じた、押し殺した声が孕んでいたもの。

 それは、明らかに格下である相手への、初めての嫉妬だった。

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