33話:ようこそ、虹の園へ

 隊長室を退室した明澄人と涼香は、そのまままっすぐに虹の園に戻った。

 明澄人の制御装置の調整があると聞いていたのだが、チョーカーの調整ではなくアクセサリー型の方だったらしい。もう少し邪魔にならないデザインになるのだろうかと少しだけ期待しつつ、なんか更に着けられそうな予感がしている。予感が外れて欲しいと切に願う。

 戻っている道中、涼香はずっと無言で明澄人の後ろをついてきていた。じっと見つめられて視線で背中に穴が空きそうだった。こういうときに限って誰にも会わなかったので、逸らされることのない視線でそろそろパーカーが焼けそうである。


「……何か言いたいことがあるなら聞くけど」


 虹の園の門前。明澄人は足を止めて涼香を振り返った。喧嘩を売るつもりはなかったのだが、出た声は自分でも驚くほど険のあるもので、苛立っていたのかと自分でも驚いた。

 反射的に口を開いた涼香だったが、言葉は出てこずに一度閉じる。深呼吸をしてから落ち着いた声で彼女は話し始めた。


「さっきの魔法なんだけど。あなた、本当はすごい魔法使いなの?」

「……は?」

「いえ、待った。待って。今の、とても頭の悪い質問だった」


 片手を額に当ててもう片方の手の平で制止のポーズを取る涼香に、明澄人は思いっきり首を傾げた。先ほど使った魔法について何か聞きたいらしいとは察したが、どこをどうしたらすごい魔法使いになるのだろうか。


「あー、のね。私の出身地では、魔法はそこまで発展していないの。総飛国生まれではないのよ、私。アザワースではあるんだけど。

 移民地、ベーゼフって知ってるかしら?」

「一応。総飛国の北にある街だよな」

「ええ、そう。そこでは、というよりも総飛国以外の場所では魔法ってそんなに発展して無くて、ほとんどが機械なのね。

 だから、あなたがさっき隊長室で使ったような魔法ってかなり高度なんじゃないかなって思ったの」

「そういうことか。だからすごい魔法使いって」


 こくんと恥ずかしそうに頷く涼香に明澄人は少し考え、門の近くにある花壇を指差す。不思議そうに首を傾げる涼香の前で陣を展開、発動させる。

 まるでじょうろで水やりをしているように、優しく水が花壇の土を濡らしていった。明澄人の突然の行動に彼女が困惑しているが気にせず明澄人は水やりを続ける。


「これ、生活魔法って言われてるんだ」

「生活、魔法?」


 そ。と笑い、明澄人は魔力を止めて陣がよく見えるように涼香に向けた。子供でも描けるような簡単な線で作られた水の陣。


「真似して描いてみろよ」

「えっと……こう?」

「うん、合ってる。じゃあ花壇に向けて」


 戸惑いながらも素直に涼香が描き、確認したら次はまだ乾いている花壇に向けさせる。

 彼の意図を察した涼香はそのまま魔法を発動させた。力を込めすぎて最初は勢いよく出てしまったが、すぐに調節して明澄人と同じくらいの優しい水が降り注ぐ。


「すごい、便利……」

「さっき隊長室で使ったのもこの系統。その分じゃ、攻撃魔法しか学んでこなかったんだな」

「攻撃……そうね。戦う魔法の本しか手に入らなかったから」


 ところで。と手元をずっと見ていた涼香は困ったように明澄人に顔を向けた。


「これ、どうやって止めるの?」

「陣消せよ」

「消し方わからないのよ」

「攻撃魔法使えて何で消し方――」


 ふと、彼女がさっき言った言葉を思い出す。『本しか手に入らなかったから』。それに加えて彼女の出身地のことを考えると、まともに魔法を使える大人などいなかったのかもしれない。

 大抵の攻撃魔法は発動すれば陣も消えるので、意図して消すことはあまりしない。生活魔法を知らなければそもそも陣を消す方法など学ぶ必要も無いだろう。

 明澄人は困ったように首の後ろを掻くと、一から教えることにした。


「えっとな、魔力を流すのをまずやめる」

「あ、止まった」

「次に、陣を描いてる魔力を切る」

「……よくわかんない」

「集中を切るというか、魔法を使うのをやめるって思ってみるというか、あー……」


 人それぞれの感覚なので、教えるのが難しい。子供たちに教えるときも同じように言葉に迷う。先生が言っていた言葉をそのまま伝えてみたが、涼香は上手く感覚がつかめないようで首を傾げるばかりだ。

 陣を指の先に宿したまま考えだした彼女と一緒に、明澄人も頭を悩ませる。

 先生はどうやっていたっけ。姉ちゃんは。


「あ、――魔法おしまい!」


 ぱんっと彼女の目の前で両手を叩く。驚いて肩を跳ねさせた瞬間、陣は消え去った。

 明澄人に生活魔法を教えてくれた際、同じように陣の消し方に困っていた明澄人に美紅がやった事だ。


「よし、上手く消えたな!」

「……待って。感覚つかめた気がしないんだけど」

「それはおいおい練習ってことで」


 気づけば長く話し込みすぎた。洗濯物はもう終わっているだろうが、太陽が昇っているうちにやらなければならないことは残っている。

 明澄人が門をくぐって先に進めば、納得していない様子の涼香も後についてくる。


「ああ、そうだ。言い忘れてた」

「?」


 大事なことを忘れていたと明澄人は振り返った。手のひらを見ていた涼香が顔を上げて、小首を傾げる。灰色の長い髪が動きに合わせてさらりと揺れた。

 にっと明澄人は笑みを浮かべる。


「ようこそ、虹の園へ。如月涼香、あんたも今日から、俺の家族だ」


 虹の園に来る子供たちは、自身の魔力を上手く扱えずに暴発させてしまったり、その能力から犯罪に巻き込まれたりして、周囲の環境から孤立してしまっていることが多い。そうでなくても新しい環境で不安になっているだろう。

 だから、ここは安心できる場所だと思って欲しい。そう願って言い始めた美紅の心を、明澄人はずっと受け継いできた。


 言った後で、涼香は任務のために来たのであって、家族はちゃんといるだろうと気づき慌てて説明しようとしたが、


「……ふふっ」


 涼香が笑ったので固まった。

 馬鹿にした感じはしない。その笑いは、嬉しそうな響きだった。


「ありがとう。これからよろしくね」


 明澄人とは色味の違う赤い瞳が嬉しそうに笑う。

 この時、明澄人は自分がなんて返したのか覚えていない。

 ただ、朝日に照らされる穏やかな笑顔だけはしっかりと覚えていた。




 虹の園の建物は、一階は広い大部屋が二つと先生の部屋、食堂、洗濯室、大浴場があり、二階には個人部屋が八つある。そのうち二つは明澄人としいなが使い、もう二つはソフィーヤとサイラスの仮部屋として使われていた。

 残りは無人だが客間として使うこともあり、定期的に掃除はしているので換気するだけで十分。

 朝はしっかりと説明する時間が無かったため、明澄人は涼香を連れながら施設の説明をしていた。


「二階は右が野郎部屋。左が女子部屋になってる。食事は俺としいな、あとサイ兄が作る。

 風呂掃除と洗濯は当番制。洗濯物は洗濯室に入ってるものは全部洗う。下着は自分でやってくれ。気にしないならつっこんでてもいいけど」

「わかったわ」

「で、あんたの部屋だが、緊急召集もあるだろうから一番階段に近い部屋で良いな」

「ええ、助かるわ」


 二階に上がって振り返ると、奥の壁は一面窓になっていた。日光がよく当たる少し広めのスペースには、二人がけのソファがローテーブルを挟んで向かい合わせに置かれており、談話スペースとして使われている。左右にドアが見え、それぞれ男女の札がかけられていた。

 窓まで近づくと、子供たちが庭で遊んでいるのがよく見える。


「夏になると死にそうね」

「カーテンあるから大丈夫だ。あとしいなかサイ兄がいると、精霊が涼しくしてくれてるから結構快適」

「……便利ね、精霊使い」

「だよな」


 などと話しながら次に行こうとしたところで、階下からしいなに呼ばれた。涼香の荷物が届いたらしい。


「荷物検査したわりには早いのね」

「なんか新しい機械を導入したとか言ってた。蓋を開けなくても中が見られる機械? らしい」

「……ああ、X線検査装置ね。道理で箱の大きさまで指定されるはずだわ」


 ふむふむ。と納得した様子の涼香だが明澄人にはちんぷんかんぷんだ。とりあえずそういう便利な機械があるとしかわからない。

 さっさと取りに行こうと階段を降りた先、サイラスが箱を持ってきていた。そんなに軽くはないだろう箱がぷかぷかと彼の後ろをついてきている様は、どこかアヒルの親子を思わせる。


「嬢ちゃん、箱は二つで合ってるか?」


 サイラスの後ろをぷかぷかしている箱は二つだけ。しかも大きさは標準的な段ボールだ。女の子の荷物にしては少なすぎる気がする。しいなの時は四つはあった。

 困惑した様子のサイラスに、涼香は不思議そうに頷く。


「ええ。これだけです」

「少なすぎないか?」

「圧縮袋に入れてるので、これでも結構入ってますよ」

「……そうか」


 腑に落ちない様子だが、ひとまずは段ボールを彼女の部屋に運び入れた。荷ほどきは一人でするというので、ベッドのシーツと枕カバーを渡し、必要な物があったら声をかけるように伝えて、明澄人たちは昼食の準備に向かう。

 廊下から庭を見ると、子供たちは保育士と一緒に体を動かしていた。今日は全員外に出て体を動かす日らしい。普段は引きこもっている子も引っ張り出されていた。

 虹の園では日中だけ専用の保育士が来て子供たちの勉強を見たり、遊んだりしてくれている。おかげで明澄人たちの勉強時間や自由時間が取れていた。ご飯だけは作らねばならないが、その程度ならいい息抜きになる。

 体を動かすのが好きな男子達がボールを蹴って、追いかけて、また蹴ってと楽しそうに遊んでいるのを目を細めて見ていた明澄人は、ふとその相手をしているのが保育士ではないことに気づいた。思わず立ち止まって目を凝らし、目を擦ってからもう一度見た。


「なあ、しいな」

「なぁに?」


 子供が大きく蹴ったボールを難なく胸で受け、足下に落としてすぐに柔らかく子供にパスする、少年。

 砂色の髪を見ながらしいなを呼び止める。先に行っていた小さな少女はぱたぱたと足音を立てて戻ってきた。

 無言で指差した先を彼女は素直に見て。


「あいつが来るのは明日なんだよな?」

「レイセル、先生に雷落としてきて」


 精霊に指示を飛ばしながらしいなは窓を開けて大きく手を振った。


こうちゃーーーん!!!」


 しいなの大声に、砂色の髪が振り返る。

 明澄人は首の後ろを掻いた。困ったときの彼の癖だ。


「昼飯、三人分追加だな」


 あいつ、見た目に反してよく食うんだよなぁ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る