32話:任命式
虹の園と支部は同じ敷地内だが、明澄人は一度虹の園を出て支部の正面玄関まで回った。
「中から行けないの?」
「基本的には行けない。子供が入ったら大変だからな」
「なるほど」
ぐるっと外周を回って反対側が支部の入り口だ。
いつもなら門番は立っていないのだが、今日は一人、見慣れた白髪が真面目な顔をして立っていた。
「た、隊長!? どうして!?」
慌てて駆けていく涼香に対して、明澄人は呆れかえった顔で歩いて行く。
先生がそんな顔をしているときは、大抵女性隊員の誰かに叱られたときだ。こんな朝早くに出勤している隊員を思い浮かべて、叱ったのはマリアーヌだろうなと当たりを付ける。
「二人を案内しようと思って待っていたんですよ」
「ほー。隊長自らー。へー」
「あなたね、相手は隊長……って、あなたにしてみれば親か。じゃあいいわ」
「おう」
一見すると穏やかな笑顔だが、毎日顔を合わせている明澄人からするとこれは完全に誤魔化し笑顔。嘘の笑顔だ。だから出た言葉も思わずトゲと呆れが混じる。
そのことを咎めようとした涼香だったが、彼らの関係を思い出して勝手に矛を収めた。
何やら言いたげな先生を視線で黙らせ、さっさと支部の門をくぐる。そのあとを二人がついてきた。
支部の建物に入った途端、先生が張り切って前に立った。
ちゃんと説明するぞ! と意気込んでるところ申し訳ないが、せめてその右手のカンペを覚えてから前に立って欲しいと思う。
「えっとですね。一階は――」
「一階はどの支部でもある、地域住民からの相談事を聞いたりする場所だ」
「へぇ、ここはカウンター方式じゃなくて、対面型……というより、カフェみたいなのね」
「つーか完全にカフェだ。隊員食堂も兼ねてる。18時以降はバーになるから未成年は立ち入り禁止」
「二階はですね――」
「二階は事務仕事をするところなんだが、見ての通り半分以上は室内訓練室だ」
「すごい機材の数ね」
「すごいよな、使いたいよな。だが筋肉が出来ていない未成年は指導者付のランニングマシンしか使わせてもらえない」
「……使わせてもらえなかったのね」
「三階こそは! 僕の部屋! です!!」
「使われていない、な。あと副隊長と小隊長の部屋だ」
「……なるほど」
隊長室は開け放たれ、三人の隊員が掃除していた。舞う埃にどれだけ長い期間使われていなかったのか窺い知れる。
大方、先生は時間稼ぎをしてこいとカンペを渡されて追い出されたのだろうが、残念ながら明澄人がそれを許さなかった。というか今日は洗濯物が多いのだ。さっさと支部での用事を終わらせて、洗濯物を干しに戻りたい。
「フェルさーん。マリアさーん。宗太郎さーん」
「げっ! 明澄人!」
「あらあら、もう来ちゃったの」
「やっぱり隊長では時間稼ぎにもならんか」
「ふがいない隊長で申し訳ないです……」
中の三人に声をかけると、三者三様の反応が返ってきた。先生は膝を折り、がっくりと項垂れている。
涼香はあまりにフランクな職場の雰囲気に困惑を隠せないでいた。隊長ってもっと敬われるものでは? と顔に書いてある。
先生の目の前にバスケットを置いて、明澄人は掃除を手伝うために部屋に入った。中央部で部屋の掃除具合を確認。埃が溜まっているだけで、他に何か汚れがあるわけでもなさそうだ。そもそも使っていないので汚れようがないが。
確認して、廊下側の窓を開ける。
「今日、何で呼ばれたんです? 任命式?」
「そうそう。任命式。だけど隊長の部屋掃除してないって今朝気づいてさー」
明澄人がやることに気づいたのだろう、フェルクメルがマリアーヌと宗太郎を連れて部屋を出る。
入れ替わりに隊長室の窓も開けて、換気を良くする。マリアーヌが何か言いたげだったがフェルクメルが止めた。おそらくは埃が余計に舞うと言ったところか。
「先生が風の精霊使えば一発だったんじゃ?」
「それが掃除に使うなって怒られまして……」
「ああ、そりゃ怒るか」
多分毎年そうやって使われてきたんだろうなと思うと精霊の言葉はもっともだ。そもそも普段からここを使えば良いのに使わないのが悪い。
「ねえ、何するの?」
「掃除。」
涼香の不審そうな声に、きぱっと答えてから。
明澄人は部屋の中央で魔法陣を描く。
風の流れをイメージ。三割程度の力しか使えないが、それくらいで十分だ。
引き込む風は廊下側から。出て行く風は隊長室の窓から。
《巡れ、巡れ、風よ。隅々まで行き渡り、塵を、土を、埃を、外へ掻き出せ》
陣さえしっかりと書けていれば詠唱は必要ないのだが、自信が無いので詠唱で補助をする。
明澄人の足下を中心に描かれる緻密な魔法陣は、彼の魔力の色である深紅に輝く。血のような昏い紅色を明澄人は忌み嫌うが、輝く様を見ているとルビーのようでとても綺麗だ。
「……嘘でしょう?」
風の中心に立つ彼はなんてこと無いかのように操っているが、ただの属性魔法では掃除なんて出来ない。物を浮かせたり運んだりといったことなら出来るが、細かな塵や埃を掻き出すなんてどんな高等魔法だ。
神秘的な赤の光と相まって、涼香には明澄人がすごい人物のように見えてきた。
「よし、こんなもんか」
満足した明澄人が魔法を解く。隊長室の窓を閉めるのに合わせて、フェルクメルが廊下の窓を閉めた。
綺麗になった室内に先生と隊員二人が思わず拍手を送ると、明澄人は振り返って自慢げに胸を張る。
「いやぁ、明澄人の掃除の陣は本当に便利ですねぇ」
「言っとくけどむちゃくちゃ気を遣うし疲れるんだからな?」
答える明澄人の額にはうっすらと汗がにじんでおり、短い時間でもかなりの集中力を要したことがわかる。額の汗を拭いながら突っ込む声にも力が無い。
先生も使えたら良いのにと思うが、精霊使いは精霊魔法しか使えない。たとえ陣は描けても、そこに魔力を流すことが出来ない。原因ははっきりしており、精霊達が拗ねて邪魔をするのだと言う。そのくせ魔法は精霊の気分次第で発動の成否が決まるので不便な魔法だ。
労うように明澄人の頭を撫でたあと、先生は部屋の中央より少し奥、大きな執務机に座った。
フェルクメルと涼香が中に入り、マリアーヌと宗太郎は掃除道具を持って一礼して扉を閉める。
ここから先は、任命式。同席を許されるのは副隊長だけだ。
「バタバタしててすみません。本来は他の新入隊員と一緒にやるのですが、君たちは少し事情が違うので先に召集しました。
改めて。
総飛国治安維持部隊、遊撃の黒へ、ようこそ。
若く、新しい風である君たちを、僕たちは歓迎します」
涼香が緊張しているのが隣を見なくてもわかる。明澄人も多少は緊張していた。完全に緊張していないのはここが見知った場所だからだ。
慣れた空気、慣れた顔。だが、これからは本当にここの一員となれると思うと、胸の高鳴りが抑えきれない。
ここでやっと制服と隊員証を貰える――
「さて、早速なんですが。君たちに謝らねばならないことがあります」
先生が眉を下げた。すまなそうなその表情に、明澄人は嫌な予感がした。
「君たちの制服、まだ出来てません」
ふざけんなーーーーー!?
喉から出かけた突っ込みを何とか抑える。
涼香もぐっと息を詰まらせた。突っ込みを飲み込んだのだろう。
「それどころか隊員証もまだだ」
「ふざけんなっ!?」
「冗談ですよね!?」
フェルクメルの追加情報に飲み込んだ突っ込みが抑えきれずに飛び出す。涼香の方は突っ込みと言うよりもはや悲鳴だ。
だが残念ながら真実のようで、二人とも申し訳なそうな表情で首を振る。
「制服はまだわかる。採寸もまだだし俺たち成長期だからさ、うん、わかるよ?
でも隊員証ないってどう言うことだよ!」
「仕方ないんですよ。本来なら四月の正式入隊日に届けられる物なんです。ですが君たちの任務はそれよりも先に始まる。
この任命式も任務開始に合わせて慌ててやっているので、いろいろともう段取り何それ美味しいの状態で」
「だからこんなにぐだぐだしてるのかよ……」
「はい。夢をぶち壊しで本当に申し訳ないと思います」
「私の引っ越しをやけに早めに迫られたのもそういう事情なんですね……」
「はい。如月さんには生活に慣れてもらう必要がありましたので」
明澄人と涼香は図らずも二人同時に深い溜め息をつく。
言いたい不満はたくさんあるような気もするが、どれも明確な言葉にならずに胸の内で燻る。それらをすべて吐き出すように深く息を吐き、息を吸い込んだ明澄人は知らず下がっていた顔を上げた。
大人の事情はわかった。納得は出来ないが全部飲み込もう。先生を責めたところでどうしようもないのは、入所してから何度も味わってきた。今更だ。
視界の端に映る涼香も言いたいことはあるような顔だが、すべて飲み込んだようだ。
子供二人の様子に、もっと文句や反発が出ることを覚悟していた大人達は逆に困ったように眉を下げた。まだ年齢としては子供の分類に入るのに、彼らは賢すぎて大人のように飲み込んでしまう。文句を言って良いのだ。感情を爆発させて良いのだと伝えても彼らは首を振るだろう。困らせたところで事態は好転しないのだからと。
そうさせてしまうだけの経験を、彼らは幼い身で味わってしまった。
黙ってしまった二人に、黒の部隊隊長は一度目を伏せ、まっすぐに色味の少し違う赤の瞳たちを見つめる。
「君たちは先に伝えたように、三人の少年少女達の警護に当たってもらいます。
その入学式まで二週間を切りました。そのため、部隊の制服よりも先に学園の制服を作らなければならず、学園に通う準備もしてもらわなければなりません。
大人の勝手な都合に振り回して申し訳ないですが、君たちの実力なら可能だと見込んでの任務です。
どうか油断せず、そしてできるだけ楽しんで、任務に当たってください」
だからせめて、少しくらい年相応の経験をしてもらいたい。身勝手な大人のエゴではあるが、それぐらいしか出来ないから。
二人にそんな大人の心境など聞こえていない。くみ取れてもいない。ただ、任務だからと受け取る。
「「了解しました」」
真面目な声。まっすぐな眼差し。そこには既に、隊員としての志が見えた。
二人が退室した隊長室で、裕紀は深く深く溜め息をついた。フェルクメルもだ。
「俺、中学時代はあんなに物わかり良くなかったと思う」
「せやな。わがまま貫き通しとったもんな」
「わがままじゃねーよ。筋が通ってないことが許せなかっただけだ」
「はいはい。それで自分の意見貫き通してたんやな」
「なー。あれさー、どーしたら治ると思う?」
「そりゃもう、同世代との触れ合いによって矯正するしかないって結論やったろ」
「そーなんだけどさー。あー、この立場を恨むー」
「はいはい。――それで、姫様が捜してる卵の件やけど」
ぐだぐだと普段の様子とは全く違う様子で喋り続けていたが、すっと空気が変わる。
「――俺の使役できる精霊を全員使っても見つからなかった。おそらくはこの世界ではないところにあるんだろう」
「姫様にそのことは」
「伝えられるかよ。つかついでに俺の嫁も捜させたんだけど」
「お前むしろそっちメインやろ」
「うるせえ当たり前だろ。あいつもいないってどういうことだよ」
「わかるか阿呆。同時に入ったつもりやったけど、どこかで時差が起きたっつーわけやろ」
「早く会いたい抱きしめ抱きたい」
「最後だけアウトや。つか死ねやお前」
「あっはっは。すまん。会えるのに会えないお前の方がつらかったな。ほんとすまん。悪かったから泣くな」
「泣いとらんわ! ――そんで、どうすんのや」
「時期を待つしか無い、だろうな。意外と、この世界に来なかったシグト達が情報を持ってくるかもしれん」
「……せやな」
二人はしばし、ここにはいない仲間の安否に思いを馳せ、意識を切り替える。
氷見裕紀とフェルクメル・リアドナイトは一つ息を吐くと、仕事を始めるのだった。
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