26話:聞いてないし。知らないし。

「大人の事情なんですよ!」

「へー。そーなのー」


 しいなの雷が落ちて二十分後。子供たちも起きてきて、キッチンが少し慌ただしくなった頃に先生はやってきた。

 いつもよりもきれいなローブを着て、服装もよれていないまともなシャツとスラックスだ。革靴もきれいに磨いてあるものを履いている。それはもう完璧に『入所者を迎える日に着る特別な服装』だ。

 髪がぼさぼさだったが、風の精霊が整えているのだろう、見る間に腰まで届く長い白髪は三つ編みにされて整えられる。

 子供たちにオムライスを渡したり、お茶を分けたり、オムライスじゃなくてパンがいいと申告した子にパンを出してやったり、ケーキの材料を量るソフィーヤの様子を見たりと地味に忙しい明澄人は、先生にまで構っている余裕がない。返事をしただけまだマシだと思ってほしい。

 ちなみにしいなは子供たち全員分のシーツを集めて洗濯に向かっている。事情は一緒に聞いているとその場で精霊たちを暴走させかねないので、あとで落ち着きながら聞きます。とのことだ。彼女は地味で大人しそうな外見をしているが、中身はかなり短気だ。


「あー、先生がきれいな格好だー」

「いつもと違う……?」

「大丈夫、ダーニャ。いつも通りダメダメな先生だよ」

「ダメダメじゃないですよ!?」

「明澄人兄ちゃんがすげー顔になってるのに?」

「この前、千里君に見せてもらったやつだ。えーと、スナットチベネギツネ?」

「チベットスナギツネだよ。地球の狐」

「そうそう、それ」

「この顔の明澄人兄ちゃん、かなり怒ってるよね」

「先生、謝るなら早いほうがいいよ?」

「今回は僕のせいじゃないんですよ……」

「はいはい。いいから、そこどいてよ先生。邪魔」


 食事を受け取りに来た子供たちにぽふぽふと背中を叩かれたり、諭されたりして肩を落としているところに、明澄人が追い打ちをかける。身長百八十cm近い、それなりに体格のいい成人男性が何もせずに隣にいるというのは邪魔だ。先生はさらに肩を落として邪魔にならないよう隅に寄った。

 全員に食事が行き渡ったのを確認してから、ソフィーヤに作業の手を止めて食堂側に来るようにお願いした。彼女は首を傾げながらも手を止め、明澄人の隣までやってくる。サイラスがその後ろに控えるのはデフォルトだ。

 ソフィーヤがいることに初めて気づいた子供たちが驚いたように時計を確認している姿を見て、明澄人とサイラスは笑いをかみ殺した。が、震える肩に気づいたソフィーヤにそっと腕をつねられる。地味に痛い。

 準備が整ったところで、明澄人は手を叩いて注目を集めた。


「はーい。先生の格好からわかった人もいるだろうけど、今日は新しい入所者がいます。

 これから先生に説明してもらうので、ちょっとの間だけ食べるの待ってください。ごめんね」


 子供たちからの刺すような視線を受け先生は明澄人に少し恨みがましい表情を向けつつ、明澄人が空けたソフィーヤの隣に立つ。

 こほん。と咳払いを一つして顔を上げた彼は、温和な笑みを浮かべて子供たちを見渡した。


「皆さん、おはようございます。今日は新しいお友達を紹介しますね。何度かこちらに来てくださっているので、皆さんも知っているでしょう。

 水の都ファルガールの第三王女、ソフィーヤ・レド・ファルガール様です。

 姫様は総飛国の夏杉学園に留学をすることになりました」


 マジで全然聞いてねーーーぞーーーー!!!!!


 隣で聞いていた明澄人は怒りのあまり心の中で叫んでしまったが、表面上は呆れるだけに留める。現在預かっている子供の中には、人の大声や怒りに怯える少女がいるので、あまり怒りの表情を見せないと先生と約束していた。そのために、しいなはこの場にいない。

 夏杉学園は明澄人の兄、氷翠斗も通っていた学校で、今度の春から明澄人としいなも通うことになる学園だ。教師はかつて名を馳せた実力者がそろい踏みしており、高度な魔法や剣術を学ぶことができるとして有名である。

 他国からの留学生が最も多い学園なのでソフィーヤが通うことに驚きはしないのだが、すでに大人であるサイラスはおそらく一緒には行動できないだろう。ということは、学園内では明澄人としいながいろいろとフォローすることが確定だ。

 本当にしいながこの場にいなくて良かったと明澄人は心の底から思った。


「りゅうがくって何ですかー?」

「外国の学校でお勉強することです。姫様は、いろんなことが知りたいから総飛国に来ました。

 そして卒業するまでの三年間、虹の園で一緒に暮らすことになりました」

「姫様も家事を一緒にするの?」

「ええ、そうです。ね、姫様?」

「もちろんです。最初は迷惑をかけちゃうかもしれませんが、よろしくお願いしますね」

「じゃあちゃんと起きてね!」

「うっ……だ、大丈夫ですよ! 今日だって起きられましたからね!」


 明澄人が心の中で百面相をしている間にも、ソフィーヤを交えて子供たちと先生の話は進む。

 胸を張るソフィーヤの、その目の下の隈は指摘しないでおこうと明澄人は視線をずらした。サイラスもさすがにここで何かを言うつもりはないようだが、ちらりと見上げた顔は明澄人にしかわからない程度には怒りがにじみ出ており、おそらく後でお説教だ。

 子供たちがソフィーヤをからかおうとしている気配を察して、先生が手を叩いて収拾をつける。


「それでは、今日から皆さんよろしくお願いします。さて、ご飯にしましょうかー」

「はーい!」


 ご飯と聞いて子供たちがスプーンを手に取る。その隙にサイラスがソフィーヤをキッチンに誘導した。明澄人も続こうとすると肩越しに振り返ったサイラスが手を振り、外を指した。しいなの手伝いに行けという指示だ。確かに後は先生のご飯だけなので、ソフィーヤの面倒を彼が見る余裕ができる。

 明澄人は指示に頷くと、食堂を後にして説明を兼ねてしいなの手伝いに向かった。概要はまだ不明のためあとで聞くつもりだが、少しでも怒りを発散させておいた方がいいだろう。



「聞いてないしーーーー!!!」


 予想通り、しいなの怒りが爆発した。

 ばちばちと彼女の周りで静電気が音を立てる。久我家は雷の魔法に精通している家系だからか、しいなは雷の精霊に特に愛されている。明澄人には見えないが、初級の精霊がしいなの怒りにつられて力を発しているようだ。

 近くにいると痛いので徐々に離れていったが、さすがに2mも離れると会話がしづらい。しかし、しいなの怒りは収まる様子はないので、明澄人は仕方なく空中に話しかけた。


「えーと。レイセルさん、ちょっと周りを抑えてもらっていいですか? このままじゃ会話もままならないんで」


 しいな自身が怒りを収めてくれれば一番なのだが、正直今のしいなにそれを求めるのはなかなかに難しい。ならば近くにいる力ある精霊に頼むしかない。幸いにも中級の雷の精霊は近くにいてくれたようで、頼んですぐに静電気は収まり、明澄人は安堵の息をついた。


「その怒ると雷が爆発する癖、学園通い出す前に何とかしないと、お前も制御装置付けられるぞ?」


 シーツを干すために物干し竿を雑巾で拭きながら呆れ混じりに忠告すると、同い年の少女は胸を張って笑う。


「大丈夫! 私、内弁慶だから外に出ると何もできないよ!」

「それ大丈夫って言わないからな!? 俺の心労が増えるだけだからな!?」

「まぁ、冗談は置いといて」


 とても冗談には聞こえなかったが、話が進まないので半眼で睨むだけに留めて突っ込まないでおく。しいなはテヘヘ。と可愛らしく笑うと、精霊が持ってきた洗濯が終わったシーツを手に取った。それを明澄人が拭き終わったところに手際よく広げていく。


「魔力制御装置は付けるって話になってるんだ。明澄人君よりは弱いけど、付けてないと学園側も受け入れられないって」

「……暴走するかもしれないからって?」

「うん」


 なんてことないかのように笑うしいなの左目を明澄人は複雑な表情で見る。

 彼女の左目は本来の彼女の物ではない。今は緑のコンタクトをしているが、その下には紺色が眠っている。精霊使いは魔術回路のほとんどが目に集約されており、半分しか持たないしいなはしばしば精霊の制御を失敗する。さきほどの静電気がその例だ。

 本来の左目は約半年前の夏にしいなが幼なじみに貸し与えた、と聞いている。その場にはいなかったので明澄人は知らないが、大人たちがそれはもうたいそう慌て、先生が珍しく厳しい顔でしいなを叱っていたのを覚えている。

 その問題の幼なじみは、治安部隊本部内にある特別訓練所にて精霊魔法の扱い方を学んでいた。初級の強化魔法しか使えない少年が突如として強大な力を手に入れたため、治安部隊で監視する意味もあったが、魔力を彼の体に馴染ませ、扱えるようにするのに訓練が必要だったのだ。そうしなければ魔力が彼の体を蝕み、自滅する危険があった。


「でもあいつが近くにいれば暴走しないだろ? 間に合いそうにないのか?」

「間に合うんだけど、いつでも二人一緒って訳にはいかないからね」


 二つで一つの物だったのだから、片方が近くに来れば制御も可能になる。貸し出した最初の一ヶ月間はしいなも特別訓練所に寝泊まりをして制御していた。余談だがついでに一緒に訓練してきたと、以前よりも魔法の扱いも威力も上がって戻ってきたときには戦慄した。

 その彼の入学が間に合わないのかと思ったが、そうではなかったようだ。

 苦笑するしいなに明澄人は首を傾げる。二人一組で魔法を使う家系などもあるため、申請すればなるべく二人一緒に行動できるようにカリキュラムが組めるようになっているはずだ。と考えていて、そもそも彼女と彼の専攻が違うことに気づいた。


「そっか。魔法と剣術じゃ、カリキュラムが違うよな」

「そーゆーこと」


 しいなが目指すのは精霊魔法使いで、彼が目指すのは剣術士だ。目指すところが違うので、授業内容が一緒というわけにはいかない。学園側が制御装置を付けるように要求するのも納得だ。


「弱いってことは、イヤリングとか指輪型?」

「私はヘアピンにしてもらったよ。狐ちゃんは腕輪だって」

「いいなぁ、軽くて」


 簡単に付け外しできるような物が選択できている時点で、念のためというのがよくわかる。明澄人なんて治安部隊の上層部の許可と鍵がなければ外せない、厳重に封印されたチョーカーに加えて、施設の外に出るときはピアスと眼鏡、それと腕輪を三本は付けなければならない。ピアスと眼鏡はともかく、腕輪はシンプルな装飾を好む明澄人には邪魔でしかない。かといって指輪も好みではないので腕輪で妥協している。

 物干し竿を拭き終え、明澄人はしいなと並んでシーツを干し始めた。

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