25話:先生はわすれんぼう

 治安部隊直轄の児童保護施設、虹の園。

 ここは自身の魔力を上手く扱えずに暴発させてしまった子供や、その能力から犯罪に巻き込まれた子供を保護し、正しく魔法が扱えるように教育する施設である。

 教育する。とあるが、特別に何かを教えることはしていない。ほとんどの子供は一年ほどこの施設で暮らせば自然と制御できるようになるからだ。制御できるようになれば卒業という形で施設を出ていく。行先は親元だったり、里親だったりと子供によって違う。


 明澄人はその中でも例外だった。

 魔法の制御は入所前からできていた。だが、あまりの危険度からこの施設に隔離されている。

 というのも、治安部隊本部があるユベール市に家があったのだが、姉の美紅と明澄人が母の不在中に庭で上位魔法を発動させてうっかりと家を焼き、氷翠斗の精霊魔法がそれを鎮火するという事件を起こしたのだ。

 美紅十四歳、氷翠斗十二歳、明澄人十歳の頃の話である。

 いろんな大人たちからこっぴどく怒られた後、姉は例外的に賢者の称号を与えられて私的な魔法の使用を禁じられ、明澄人も魔道具により魔力出力を抑えられた。兄だけは悪いことは何もしていないが、広範囲に水を撒くような精霊魔法を扱って見せたことで危険分子として認定された。

 そして姉弟揃って施設に放り込まれたのだ。

 建物は治安部隊の敷地内にあるため、幾重にも結界で守られており、何かあってもすぐに治安部隊隊員が駆けつけることができる。子供たちの目もあるし、無茶はしないだろうという判断だ。

 最初こそいきなりの集団生活で戸惑ったものの、美紅が慣れれば弟達もすぐに慣れた。


 それから五年。明澄人もすっかりと成長した。


 明澄人が朝っぱらからいちゃつく主従を無視して手際よくオムライスを用意していると、ぱたぱたと駆け込んでくる音が聞こえた。時計を確認して人物に当たりをつけ、作業を続ける。


「わぁ! サイ兄と姫様がいるー! おはようございます!」

「おー、しいなも元気そうだな。おはようさん」

「しいなさん! おはようございます!」


 少女の声が聞こえた瞬間、キッチンが暖かくなったのを感じて明澄人はさっきの予想が当たっていたことに小さく笑った。雰囲気ではない。物理的に暖かくなったのだ。火の側にいる明澄人には暑く感じるほどに。

 一つ目のオムライスを皿に盛り、振り返って少女に微笑みかける。


「おはよう、しいな」

「明澄人君、おはよう! コーヒー今から淹れるね!」


 焦げ茶の髪に深い緑の瞳を持つ少女、久我しいなはいつものように明るい笑顔で手際よくエプロンを着けると、自分の役割である飲み物を用意しにぱたぱたとキッチンを移動していく。

 彼女も例外の一人で、精霊に愛されすぎるが故にここに隔離されていた。彼女がキッチンに入った途端に部屋が暖まったのも、精霊達が自主的に彼女が快適に過ごせるように環境を整えたからだ。


「今日は姫様もいるから、紅茶も用意するね」

「あ、紅茶なら私が」

「姫様は寝てください。あと二時間は寝てていいので」

「嫌です!」


 にらみ合う主従の様子に、しいなは手を止めずに首をかしげて明澄人を見る。半ば呆れつつも明澄人も手を止めず小声で説明をした。しいなには届かない距離であるが、精霊達が伝えるので問題はない。

 ソフィーヤが好きな紅茶を用意しながら(一ヶ月に三回はなにかしら理由をつけてやってくるので、彼女お気に入りの紅茶を用意してある)、しいなは困ったように笑った。


「サイ兄、諦めなよ。朝が苦手な姫様が頑張って早起きしたんだから、二度寝はしないよ」

「そうです! 私頑張りましたよ!」


 しいなの援護にソフィーヤは胸を張る。

 ぐっとサイラスは言葉を飲み込み、苦虫を噛みつぶしたような顔をした。確かに朝寝坊の常習犯である主が、自分が起こすまでもなく起きてきて、身支度まで完璧に調えてある。手伝いたいという一心で頑張ったのがよくわかる。

 その間にも明澄人は三つ目のオムライスを作り終え、しいなはコーヒーのドリップの準備を進めていた。ソフィーヤの手伝うところがどんどんと減っていく。


「……今日だけですからね。明日からはちゃんと睡眠時間を確保すること」

「はい! もちろんです!」


 結局、一言注意を加えて、サイラスは許可を出した。主には甘いのである。

 ソフィーヤとて、毎日睡眠時間を削ってまで手伝いを申し出ようとは思っていなかった。ただ今日だけは特別やりたかったのである。満面の笑顔で頷き、しいなのところへと向かっていった。

 では明澄人の手伝いでも、と動き出そうとしたサイラスだったが、明澄人は四つ目のオムライスを作り終えたところだった。


「先生と子供たちの分はサイ兄がよろしく」


 俺は姫さんご要望のケーキ作りますので。

 にっこりと笑顔を浮かべてできたてのオムライスを差し出す明澄人に、受け取りながらサイラスは引きつった笑みを返す。今入所しているのは男女合わせて十人。大人の半分の量でいいとは言え、なかなかの重労働である。全く手伝わなかったので文句は言えないが、代わりに溜め息を一つこぼした。


 キッチンの作業台で食事を終え、皿洗いはしいなが担当した。その間に明澄人はケーキを焼く準備を始める。

 冷蔵庫の中にはイチゴにオレンジ、ピーチ、グレープとフルーツも用意されてあり、大抵の要望ならば聞くことができそうだ。タルトやパイを作るにはバターが心許ないが、そこはサイラスに言えば買いに行ってくれるだろう。


「で、今日は何ケーキですか? タルトとパイは時間もらいますよ」

「あ、パウンドケーキです!」


 食後の紅茶を楽しんでいたソフィーヤは答えるなり立ち上がり、明澄人の側まで来て腕まくりをした。手伝う気満々である。

 姫様にやらせていいのかと視線でサイラスに問うと、子供たちのオムライスの準備していた彼は渋い顔をしながらも頷いて見せた。従者から許可を得たので遠慮なくこき使うことにする。


「えーと、じゃあ一緒に作りましょう」

「よろしくお願いします! ここを出るまでに覚えて帰ろうと思ってるんです」


 頑張ります! と意気込む様子は年相応の少女でとても愛らしい。妹が一人増えたような心境になりながら、明澄人は少し笑って卵を取り出した。


「さすがに一日では覚えきれないと思いますよ。後でレシピ渡しますね」

「……え?」

「……ん?」


 不思議そうな声が二つ聞こえた。ついでに十時のおやつ分も作ってしまおうと多めに卵を取り出していた明澄人は、振り返って声を出した二人を見る。主従は困惑したように顔を見合わせ、同時に明澄人に顔を向け直す。


「先生から聞いてませんか?」

「…………え、まさか」

「……そのまさかだ。デラ、ちょっと先生殴って起こしてこい。守護の精霊には緊急の用事があると伝えて通してもらえ」


 サイラスの後半の台詞は側にいる精霊に向けてだ。サイラスもまた精霊使いで、デラというのは彼と契約した水の精霊だったはず。明澄人には見えないがサイラスの視線の先を追って精霊を見送り、再び主従に視線を戻す。視線が合えば男二人は深い溜め息、姫は困った微笑を浮かべた。


「え、なになに? 先生また伝え忘れ?」

「そのよーだ」


 皿を片付けたしいなが遅れて入ってくる。明澄人は卵を作業台に置きながらもう一度溜め息をついて頷いた。

 先生は度々、子供たちに重要事項を伝え忘れる。主に新しい入所者の情報とか、ソフィーヤの視察の時間だとか。おかげで部屋の準備やご飯の用意などを大慌てでする羽目になる。


「うーん。レイセル、あなたも行ってきてくれる? ちょっと強めの雷をお願い」


 うふふ。としいなは笑っているが、目が全然笑っていない。相当怒っている様子にソフィーヤが少し怯えた。というかレイセルってたしか中級精霊じゃなかっただろうか。デラは初級と聞いているので威力もそんなに高くないだろうが、中級精霊の雷とか相当な威力になりそうだ。明澄人はベッドが焦げないことだけを祈った。


「えー……先生は二人に任せて。ケーキ作りましょっか」

「は、はい」


 気を取り直して、明澄人はソフィーヤと共にケーキ作りを開始した。

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