24話:目覚めた雛

 鳴り響くベルに、一匹の雛が目を覚ます。


 凍えそうな冷たい光が目に入って、寒さは感じなくとも身を震わせる。


 辺りを見回せば、一緒に眠っていたはずの仲間はおらず。


 雛は一匹、慟哭する。




「――――っ」


 あまりにも悲しげなその声に、弾かれるようにして少年は目を覚ました。

 心臓の音が耳元で聞こえているような錯覚に陥る。胸元を抑えてみても残念ながら心臓は落ち着きそうにもない。何度も大きく深呼吸を繰り返してようやく心臓は落ち着きを取り戻してくれた。

 身を起こし、周囲を確認する。同室の子供たちを起こしてしまっていたら申し訳ないと思ったのだが、見えたのは無機質な机とクローゼットだけ。十四歳になったプレゼントにと個室を貰ったことを思い出し、深く息をついた。

 二度寝をする気にはなれず、そっとベッドから降りた。ベッドなのも落ち着かない要因だ。明日には今までの部屋で一緒に寝かせて貰えるように頼もう。

 足音を立てないように注意しながら水を飲みにキッチンへ向かう。


 廊下は、やけに白く冷たい光が差し込んでいた。


 何気なく見上げた空には、鈍い鋼のような色の月が浮かんでいる。

 夢で見た真っ黒な鳥の雛もこんな光の中で嘆いていた。


「――ピィッ」


 そう、こんな感じに。


「……って、リアルか!?」


 窓の外、庭の木の根元で光に照らされている黒い塊がいた。

 季節は冬。雪が降るような地域ではないが、夜になれば気温はかなり下がる。日によっては水を張ったバケツが凍るくらいには寒い。

 少年は慌てて窓を開けて飛び出そうとして、野生動物には素手で触ってはいけないことを思い出し、窓を閉めてから脱衣所に走る。タオルもアウトかもしれないが、素手で触るよりはマシのはずだ。

 ついでにちゃんと靴に履き替えて鳥の雛だろう塊の元へ走る。


《風よ。この塊を持ち上げて》


 念のため、魔法を使って持ち上げ、タオルに乗せる。雛は疲れ果てたのか寒さにやられたのか、ぐったりとして動かない。

 暖めていいのかもわからずに困り果てていると、周囲の空気がふわりと暖かくなった。


「――こんな夜更けに、外に出るのは感心しませんねぇ」


 呆れた声に振り返る。そうだ、最初からこの人に頼れば良かった。


「先生!」


 少し汚れてよれているローブを着た、白の長髪の男性。この施設の責任者であり、養育者だ。

 暖かいのは彼の精霊魔法だろう。少年に精霊の姿は見えないが、きっと守るように周りにいる。


「ああ、なるほど。そこにあったんですね」


 少年が説明する前に精霊が説明したようだ。先生は虚空に向かって頷いて、少年に微笑みかける。


「その雛は――です。先生が元の場所に戻しますので、渡しなさい」


 いつもなら、そこで頷いて先生に渡していた。

 だが、今日は渡せなかった。渡したくなかった。

 タオル越しに雛を抱きしめる。途端に先生が困った表情になる。


「先生。その元の場所に、こいつの仲間はいるの?」

「仲間?」

「さっき夢で見たんだ。こいつ、仲間がいるはずだった。でも起きたら自分一人で、それで泣いてたんだ」

「……なるほど。共鳴しちゃいましたか」


 困ったように溜め息をつかれて少年も眉を下げた。先生を困らせるつもりはないのだが、どうしてもさっきの夢が気になってしまう。腕の中の雛は眠ったようで、静かな寝息が聞こえる。

 少し考えていた先生は、そんな少年と雛の様子を見て仕方ないと笑った。


「では、こうしましょう。

 君が成人として認められる二十歳までに、その子の仲間を見つけなさい。見つけられなかった場合、僕がその子を元の場所に戻します」

「え、でも俺、ここから出れないんじゃ……」

「外に出られるように手配します。まぁ、昼間にあんなことが遭った以上、一年以上はかかると思いますが、君はそれまで自分を鍛えて準備をしておきなさい」

「は、はい!」


 ともあれ今日はもう寒いから中に入ろうと促され、少年は先生とともに家に帰っていく。



 アザワース新暦1203年、12月。

 突如コルヴェイユ市に大きな次元の裂け目が発生し、異世界へ多くの人や物が吸い込まれて消えていった。後に《コルヴェイユ事件》と呼ばれるこの事件は、賢者たちの力により二時間ほどで収束する。

 しかし、この事件により総飛国を守る結界が破れ、修復には幾日もかかることになる。


 そして、この日。

 結城明澄人は姉と兄を二人同時に失い、一匹の雛を拾う。


 それから一年と三ヶ月後。新暦1205年、3月。

 物語は動き出す。




 結城明澄人の朝は早い。

 極小の音量でセットした六時のアラームで目を覚まし、生あくびをしつつ身を起こす。

 カーテンの隙間から差し込む光はまだ細く、春先の肌寒さも手伝って、布団に戻りたくなる気持ちを何とか振り払って静かに立ち上がった。同室で寝ている子供達を起こさないよう注意しつつ部屋を出る。今日は寒かったからか子供達は全員ちゃんと布団に入っていた。

 その様子が少し面白くて小さく笑いつつ、明澄人は髪を結いながらキッチンに向かった。


「流石にまだ冷えるなー……」


 大人数の料理を作るために広く作られたキッチンは肌寒く、上着が必要だったかもと腕をさすりながら少し後悔したが、火を使っていればどうせすぐに温まるかと腕まくりをしてエプロンをつける。

 今日は何を作ろうか。覗き込んだ冷蔵庫には、業務用にしか見えないトレイに並べられた卵の山。そして張り紙。


『先生はオムライスが食べたいです』


 冷蔵庫を閉じて炊飯器を開けてみれば、昨日の夜、白米だけでセットしたはずの中身が、炊き込みチキンライスになっていた。刻んだ人参や玉ねぎなどの野菜までしっかりと入っている。

 明澄人は天井を仰ぎながら深く息を吐いた。


「朝っぱらから面倒くせーもん頼むな馬鹿野郎……!!」


 てへっ★ と片眼を瞑って小さく舌を出している先生の図が思い浮かんで余計にむかっ腹が立った。


 気を取り直して手際よく準備を始める。

 子供達はケチャップが好きなので、味付けはケチャップ一択だ。炊飯器に直接ケチャップを入れて切るように混ぜる。

 混ぜ終えれば卵をトレイごと取り出し、ボウルを四つほど持ってくる。三つのボウルにそれぞれ卵を三つずつ割り入れ、一つは殻入れとして使った。後で砕いて畑の肥料だ。


「相変わらず、朝早ぇなー」


 入口から聞こえた声に振り返る。

 そこにいたのは、少しくすんだ金髪に緑の瞳の青年。かつてこの施設を卒業していった、卒業生のサイラスだ。


「おはよう。サイ兄」

「おはようさん」


 明澄人が施設に入ったとほぼ同時に出て行った青年は、こうしてちょくちょく訪れては施設の子供たちの面倒を見てくれていた。成人して仕事に就いてからは訪問回数も減ったが、仕事が休みの日は前日の夜から泊まって朝ごはんを作ってくれる。

 サイラスが来ていたのなら、昨晩セットした白米がチキンライスになっていたのも納得がいった。

 先生は最高峰の精霊魔術師で人柄も良く優しい先生なのだが、生活能力は皆無だ。料理はもちろん、洗濯も掃除もまともに出来ない。料理は食堂に行けばいいと豪語し、洗濯も人頼み。掃除も全くやっていないので、先生の部屋は子供たちが定期的に片づけている。

 そんなダメな大人っぷりを見ているので、この施設に来た子供たちはこんな大人にならないようにと、自分のことは自分で出来るようになっていく。子供たちが見違えるように成長するので、外での先生の評価は高いらしい。釈然としない。


「悪いな。俺が大量に卵持ち込んだせいで、朝からオムライスなんて面倒なもん作らせちまって」

「あ、これサイ兄のせいなんだ」

「そ。うちのマスターが、今日は卵を! ってな」


 あと二段ある。と言われて、明澄人は卵をかき混ぜる手を止めて冷蔵庫を確認した。違うところに二段重ねて入っていた。思わず数を数えてしまい、とてつもない量に思考が一瞬現実逃避する。

 先月は小麦粉と砂糖がとんでもない量だった。日持ちするので今でも残っている。その前は牛乳で、流石に常識的な量だったのでシチューやグラタンにして消費した。

 送られてくるものを総合的に考えて、一つの結論に達する。


「姫さん、ケーキでも食べたいの……?」


 王宮にいるのだから、望めばいくらでもケーキなど食べられそうなのだが。

 明澄人の呆れ混じりの呟きに、エプロンをつけて手を洗ったサイラスはフライパンを用意しながら苦笑する。


「せ――」

「正解です!」


 サイラスの声を遮って、可愛らしい少女の声が飛び込んできた。

 驚いて入口を見れば、赤い長い髪を後ろで一つのお団子状に纏め上げ、三角巾とエプロンをつけた赤い瞳の少女が腰に手を当てて仁王立ちしている。

 夢幻世界ドリムデラの一国、水の都ファルガールの姫君、ソフィーヤ・レド・ファルガール。サイラスの主だ。

 意外な人物に明澄人はキッチンに貼ってあるカレンダーで予定を確認する。今日の日付は白紙のままなので、抜き打ちの視察らしい。もしくはサイラスの休暇に合わせて遊びに来たか。こんな早朝からいるということは泊まったのだろうから、後者の可能性の方が高い。


「おはようございます、姫さん」

「明澄人君、おはようございます」


 ひとまずは挨拶だ。格好はかなり庶民的だが、優雅に挨拶を返す様子はやはり姫君。所作の一つ一つが丁寧だ。しかし、気のせいか目の下にうっすらとクマが見えている。

 振り返ったサイラスも気づいたようで顔をしかめた。手振りで明澄人に後を任せることを伝えてからソフィーヤの元へ歩み寄る。


「姫様、まだ寝てて良かったんですよ?」

「いいえ、今日は大事な初日。ちゃんとお手伝いをしなくては!」

「昨日ここに着いた時間を考えると、アンタはまだ寝てなきゃだめな時間でしょ」

「大丈夫です!」

「ほーぉ」


 初日という単語が気になったが、とりあえず時間がないので二人の会話を背中に聞きながら明澄人はオムライスの準備を進めていく。

 冷蔵庫からすでに均等に切ってあるバターを取り出して、二欠片を二つのフライパンへそれぞれ投入。片方に火を入れて、温まるのを待ちつつ皿にチキンライスを盛る。明澄人流のオムライスは巻かない。上にふんわりと半熟卵膜をのせるだけのお手軽オムライスだ。


「目の下にクマ作っといて、大丈夫ですかー」

「い、いひゃいですさいらふ!」


 関係ないが、いちゃつくならよそでやってほしい。

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