第二章
23話:正しい世界を探して
とん。と、軽い足音を立ててユウキは着地する。
「帰ったか」
「おー。ただいまーっとなー」
聞こえてきた武骨な声に、ユウキは八つ当たりをすべきでないと頭ではわかっていても、苛立った声で返してしまう。
そんな心情もわかっているかのように、灰金の長髪の男は目を伏せて流した。
無数の本棚に囲まれた空間の中、丸テーブルの上に置かれた書が空気に溶けるように消えて行く。
最後の一欠片が消える瞬間、空間が光り、一人の女性が飛び出してきた。
「っと」
勢いが余ってたたらを踏んだが、五体満足に着地できたことに胸をなでおろすのは、淡い水色の髪の有翼種、ディスティアだ。
「お? ディスティアもこの書に入ってたん?」
「……
「今はユウキでーす」
そうか。とどこか納得した様子のディスティアに、ユウキが不思議そうに首を傾げる。その彼に、彼女は一振りの剣を差し出した。
紺色の鞘の剣には、彼女たちが所属していた軍の紋が入っている。
見覚えのある剣にユウキは目を見開いた。それは間違いなく、ある少年へと渡した剣だ。
「もう少しで中でも接触できたが、まぁここで会えたから良しとしよう」
同じ書を選んでいて良かったと安堵する彼女の頭を灰金の男が叩く。
「お前はひょいひょい書に入り過ぎだ。少しメンバーが集まるのを待てんのか」
おかげで俺が留守番だよ。
不満げな男に、叩かれた頭に手をやりつつディスティアはわざとらしく次の書を探しに本棚へと向かった。
「言うてもしゃーないて。ディスティアも俺も、あいつとは長い付き合いやから。はよ見つけて、この事態を止めたいんや」
拳を握る男の肩を叩き、ユウキは苦笑しながら剣を腰に佩き直す。
ユウキの言葉に思うところがあったのだろう、男はため息をついて拳を解いた。それを横目で確認したディスティアはテーブルに戻ってくる。
「今回のことで収穫があった。我らの王の情報だ」
「時食みに食われた記憶の部分だな。思い出したか?」
「ああ」
これを取ってくるのに時間がかかったんだ。とディスティアが懐から出した一枚の写真。
そこには、黒髪を赤い組紐で纏めた、緑の瞳の少年が映っていた。
ユウキと男は一瞬目を眇め、次第に思い出して来たのか何度か瞬きののち、息を吐く。
「せやせや。せーや。こいつ、人の制止も聞かずに飛びこんで行ったんや」
「……くそ生意気な剣の腕だけは立つガキだったな。名は、結城
「俺の偽名、結構ええ線いっとるやん! 今、氷見ユウキ言うんやけど!」
「目の色もいい線いってたな。まぁ、お前の方には何も引っかからなかったが」
「うっせーわ! わーっとるわ!!」
何かしらの情報を求めて、かすかな記憶を頼りに偽った名前と外見。だが、ユウキには大した情報は入ってこなかった。ぐぬぅと呻いて変装を解く。
ユウキの姿が一瞬ぐにゃりと歪んだように見え、元に戻る。そこには鋼の髪の青年ではなく、黒髪に金の瞳の青年が立っていた。
「つか、思い出した。あれは確かに分史やわ。
「ほう? 正史のアストと知り合いなのか?」
「ちゃうけど、よう考えてみ? あそこまで強大な力を持った子供を、いくら賢者の家とはいえ、普通に暮らさせるか?」
「……それもそうだな」
氷翠斗を思い出したことで正史のことを思い出したユウキ改め神無は、本棚の前に立つ。
その間にも、本棚から一冊の本が消えていく。
時食みとは、幾重にも分かれた歴史を剪定していく存在。
そのままでは広がり続ける歴史を片づけて行く役割を持つ。
神無たちがいる空間は、その歴史を目に見える形に変えた特殊な図書館。
膨大な本棚は、分史が増えるたびにどんどんと数を増やしていく。
この本棚が溢れすぎないように調整する役目が、時食みであった。
だが、現在。時食みはその役割を正常に果たしていない。
必要以上に分史を消し、あるいは消さず。そればかりか、本棚の位置を動かし、本の位置を入れ替えるなどの業務外のことも行っていた。
とある歴史を食べた際に一部の時食みが暴走をしたと言うのが図書館の管理者の話である。
管理者は現在、問題のある時食みを処分して、新しい卵を孵化させつつ、本を元の位置に戻す作業に追われていた。
神無たちがここにいるのは、管理者が時食みの卵をうっかりと神無たちの歴史の書に落としたというのが始まりである。
彼らの世界も分史世界だったため正常な時食みに食われてしまったが、脱出の際に氷翠斗が卵を見つけ、それを確保したところで彼だけ違う世界に飛んでしまった。
管理者が卵につけたタグで正史にあることは判明したが、今度は正史がどの書なのかがわからない。
図書館の検索機能が役に立たない状態なうえに、管理者も正史の情報を持っていなかった。
だが、管理者は言う。
「皆さんは正史の存在と認定されています。そうでなければこの世界に来ることはできません。現に、皆さんの仲間の何名かはこちらに来ていませんよね」
時間と場所は違えど、全員が異世界に転移した者たちだとそこで初めて知った。
しかし、しっかりと正史のことを覚えているのは誰一人としておらず。
おそらく時食みの影響で記憶が消されているのだろうとの管理者の推測から、彼らは互いに覚えている情報をまとめ、そして手当たり次第に書の中に入って情報を集めた。
それが今、報われようとしている。
「俺がもっと早う思い出してれば、もっともっと早う正史に行けたんに」
口惜しそうに呟きながら書を取り出しては、中身を確認し本棚に戻していく。
「それを言ったら、俺たちも同罪だぞ」
「そうだそうだ。あまり自分を責めるな。まだ若いのにシグトみたいに禿げるぞ」
「俺はまだ禿げてねーよ!」
場を和ませようとしたディスティアの冗談に、男――シグトも笑いながら彼女の頭を叩く。が、実は気にしている前髪の生え際をこっそりとさすった。
二人の気遣いに神無も笑い、肩の力を抜く。焦りはあるが、それでまた分史に入って時間をロスするわけにはいかない。
「今までの情報に加えて、明澄人が結城家で育ってない歴史を探してくれ。治安部隊の保護施設で暮らしてたはずや」
「わかった」
「保護施設の、アスト……」
神無の新たな情報をもとに、シグトとディスティアも手分けして書を開いていく。そこに一人の青年が姿を現した。
「喜べ、者ども! 世界の成り立ちについて思い出したぞ!!」
「……面倒くさいのが戻ってきたわ……」
鮮やかな銀髪の青年は胸を張って一冊の書を持ってきた。<アザワース始まりの書>と書かれたそれは、そのタイトル通りの内容だ。
神無たちはとっくにその書を見つけて正しい位置に戻したところだった。いまさら堂々と持って来られても遅いのだが、それを指摘してしまうとこの青年――ジエールはとてつもなく落ち込んで使い物にならないので、神無は面倒くさそうにため息をついて表情を笑顔に入れ替える。
「流石やなぁジエール。ほなそこで話してくれるか? それを元に俺ら探すから」
「うむ! よかろう!」
素直に椅子に座り、書を開いたジエールは朗々と始まりを読み始める。
機嫌を損ねることなく、何もさせないことに成功した神無に、仲間二人は無言で指を立てた。神無もほっとした顔で親指を立てる。
幻想世界、アザワース。
この世界は、機械世界チェーリアの異世界侵略によって生まれた世界と言える。
環境破壊が進み、人が住めなくなる星になることを危惧したチェーリアは、安住の地を求めて異世界を含めてすべてを探し、似たような環境である地球を見つけた。
ある程度科学が発展し、それでいて人々が住むのに十分な環境が残されている星。
この時、チェーリアは現地民をすべて殺し、星を丸ごと乗っ取ろうとする強硬派と、現地民とともに共存を望む共存派に分かれ、内部で争うことになった。
焦れた強硬派が地球に侵攻し、それを共存派が現地の青年と、たまたま遊びに来ていた夢幻世界ドリムデラの少女と魔法世界アルドの少女の力を借りて食い止めた。
その時に地球の青年が言った一言で、アザワースは生まれることになる。
「異世界まで検索できるなら、出来かけの世界とかを見つけて移住したら?」
そんなことは試した。しかし行ける範囲では発見できなかったと。チェーリアの強硬派が言えば、アルドの少女が事もなげに言う。
うちの近くに新しく生まれた世界がある。と。
夢幻世界の少女も言う。
夢幻世界経由ならば移動も容易いだろう。と。
二つの世界の協力を得てチェーリアは移住を開始し、名前を新たにアザワースと付け直した。
チェーリアから移動しなかった人々とも交流をしながら、アザワースは動き出す。
「あちこちに扉があるのも不便ということで、一つの島に異世界のゲートを置くことにした。
それが総飛国の始まりだな。
どの世界からも通じるということで、総飛国は中立地帯とされ、様々な文化や情報、物資が行きかう交易国となった。
うむ! 様々な人種が共存している面白国家は世界広しといえど夢幻世界とここだけだろうな!」
「せやねー」
「だがまぁ、そんな面白世界だ。特に夢幻世界と強く繋がっているのが問題だった。この世界は幾度となく危険に晒された。
異世界からの侵攻は日常茶飯事。故にアザワースは結界を張り、さらに総飛国にも結界を張ることで防衛に努めた。
……この世界に戻る際には、結界を破らない方法を探さねばならんな。なんせ異世界から移動をしようとしているのだから」
さて、どうしたものか。
思案する科学者に、そのことを思い至っていなかった神無とディスティアは、はたりと動きを止めて彼を見た。
視線に気づいたジエールは不思議そうに首を傾げ、瞬きを一つ。
「お前たちも気づいていただろう? 現に何度も総飛国に飛び込んで結界破りをしていたじゃないか」
「……マジで?」
問い返す神無の後ろで、そういえばジエールがむやみやたらと飛び込むのは薦めないと言っていたのをディスティアは思い出した。その理由がこれだったのかと思わず眉間を抑えた。ジエールはいつも喋りすぎるくせに、致命的に言葉が足りない。
「なんだ。まさかお前たち、気付かずに飛び込んでいたのか? 手っ取り早く分史を潰して回っているのだと思っていたぞ」
「え、俺らが飛び込んどる世界がすぐ消えるのはそのせい?」
「そうだぞ。結界で守られているからな。それが消えれば時食みも食べやすかろう。アザワースの分史が多いのは、その結界が強すぎて、時食みもなかなか手が出せないからだ。他の本棚を見て回ったが、ここよりも格段に少なく、管理者たちも管理が簡単だと本を並べ直しながら言っていたぞ」
アザワースの本棚は確かに大型のものが四つもある。これが普通だと思っていたが、他の本棚は多くても大型が二つ程度で、ここまで酷く量の多い世界はないという。
正史がなかなか見つからないのも当然だ。
「総飛国の結界のせいやったとは……」
ぐぬぅ。と唸りながら、その手に持った本を本棚に戻して神無も思案に入る。
ディスティアも開いていた書に目を落とし、ふと、その文章に気づいた。
「それなら――」
「結界が割れた瞬間に合わせて飛び込めば、問題はないだろう?」
彼女が言おうとしていたことを、今まで黙って黙々と本を探していたシグトが一冊の書を手に、不敵な笑みを浮かべて言った。すれ違いざまに不満げなディスティアの頭を軽く叩き、その書を真ん中の丸テーブルに置いて開いた。
「保護施設で過ごしているアストで、姉のミクが死んでおり、竜の里では俺も行方不明扱いで、ディスティアも真名がこれで合っていたな?」
「……ああ、合っている」
ディスティアの種族では、普段使う名前のほかに真名が付けられている。これを呼ぶことができるのは生涯の伴侶だけであり、他の者は本来知ることすら出来ない。今回は緊急事態であるため、呼ばないことを条件に紙に書いて教えていた。
シグトが指し示した名前を確認し、ディスティアは頷く。
確認が取れた彼は、ますます笑みを深くする。
「ディスティアも行方不明から死亡扱い。
そんで、新暦1203年。総飛国に大きな時空の裂け目が生まれ、これをアストと賢者たちの五人が塞ぐ。
この時にヒミトとカンナが異世界に飛び込んだ」
ここまで読み上げれば、もうわかった。
ディスティアは持っていた本を元の場所に戻し、神無は丸テーブルに向かい、ジエールもまた本を閉じて立ち上がる。
「ジエール。その本を管理者に渡して、伝えてくれ。
正史が見つかったと」
数分後、ジエールとともに管理者は現れた。
「わぁ! 皆さんすごいです!! 正直、この本棚丸ごと破棄してやろうかなって思ってました!」
「気軽に世界を壊そうとするな。恐ろしい奴だな」
「創造主が怒るんじゃないのか、それ?」
「神様はめったに見に来ないし、見に来ても「あー、そんな物語もあったね」ぐらいですよ! だからきっと大丈夫です多分!」
特に特徴のない外見の、少女なのか少年なのかもわからない管理者は、合流するなり危険発言をブチかました。
もう少しで自分たちが世界ごと消されたかもしれない理不尽な恐怖を味わいつつ、無事見つかったことに安堵する。
「では、皆さんはこの中に入ってると思われる時食みの卵探しをお願いします。
おそらく中では孵化して擬態していると思いますので、こいつだと思った奴に「時食みよ、その真なる姿を示せ。この流れが正史なり」と伝えてください。そうしたら勝手に時食みだけ出てきますので。
あ、でもあまりに馴染みすぎてたら抵抗されると思います。その時は力づくで屈服させてください。皆さん強いからダイジョブですたぶんきっとおそらく!」
「時食みを孵すのも大変なんだな……」
場合にもよるが、もし竜に擬態などされていたら抵抗された際の労力がかなりかかりそうだ。せめて力が強い種族に擬態していないことを祈ることにした。
管理者の仕事も大変そうだとしみじみと呟いたのだが、管理者は手を振って否定した。
「やー、私たちが孵すときはここで孵して、正史を読ませるだけなので割と簡単なんですよー。あはー」
「なるほど。すべての元凶はお前ということだな。理解した」
「やだ、翼のお姉さん怖いですぅ! 美人が台無し、笑って笑って! あ、笑ってた!! 怒ると笑う人がいるって言いますけど、本当ですね!」
本当に恐怖を感じているのかわからない調子にさらに怒りが湧き上がってきて、本当に剣に手をかけたディスティアをシグトが宥める。
流石に悪ふざけが過ぎたと思ったのか、管理者はへらへらとした笑いを引っ込め、真面目な雰囲気を纏わせる。
「皆さんには大変ご迷惑をおかけし、申し訳ないと思っております。自分のふがいなさを反省するばかりです。
お詫びとしてはささやかなものになりますが、こちらの指輪を受け取ってください」
そう言ってどこからともなく差し出したのは、オパールのような虹色の石が一つ埋め込まれた、シンプルな銀の指輪。四つ分あり、ここにいる人数分だ。
「サイズがわからなかったので、指にはまるかわかりませんが。はまらなかったら紐でも通して武器につけるなり首に下げるなりしてもらって、とりあえず持っていてください。
これがあれば時食みと戦闘になった際に、私が力を送ることができます」
「そんなことができるのか?」
「時食みとの戦闘に限りますが、可能です。本当は戦闘にならないことが一番なので、なるべく穏便に事を進めてください。なるべく! 穏便に!!」
なるべく力を使いたくはないのだろう、念を押されたが、彼らとしても未知の存在とはあまり戦いたくはないので頷いておく。
一番管理者に近かったジエールが中くらいのサイズを手に取り、続いて神無たちも手に取った。ディスティアは結婚指輪があるので指にははめず、握りしめる。神無もはめずにしげしげと眺めた。
「ちょっとー。怪しいかもしれませんが、そこまで露骨に怪しまなくてもー」
「ああ、いや。そうやなくて。なんかどっかで見覚えがあるなーって思っただけや」
おちゃらけた様子で管理者は言うが、少し傷ついたようで眉が下がっている。慌てて神無は否定し左手の中指にはめてみた。ちょうどぴったりとはまった。
最後にシグトも手に取ったが、このメンバーの中で一番の長身であり、戦士としても鍛えられた武骨な指にははまりそうにない。
少し考えたシグトは、その指輪を神無に渡した。驚く神無の前で、ジエールも同じくディスティアに指輪を渡す。
「え?」
「なんで?」
「お、お二方?」
戸惑ったのは渡された二人と管理者だ。ジエールは胸を張り、シグトは少し難しい顔をして答える。
「気になる記述がある分史を見つけたのだ! 少し調べてからお前たちの後なり先なりで合流する!」
「俺も気になったことがあってな。1203年の亀裂からは入れないだろうが、まぁどこかで合流する。先に行ってろ」
言うなり彼らは戸惑っている二人の肩をそれぞれ掴んで反転させ、書の方へと背中を押す。
神無とディスティアは一度振り返ったものの、完全に見送る態勢の男二人の様子に何か言うのも憚られて、仕方なく書に手をかざした。書が光り輝き、二人は光に包まれる。
「お前たちの旅路に幸運を」
それはどちらが言ったのかわからない。
思わず振り返った神無は、二人が見たことのないほど穏やかに微笑んでいるのを見た。
目を見開いた一瞬後、世界に入っていく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます