20話:異変の予兆

 夕食はディスティアと一緒で三人で終わらせ、玄関先まで送る。本来なら夜に女性一人帰らせるのはアストの信条に反するのだが、送った帰りに自分一人になる方が危険だとわかっているので大人しくしておく。


「では、次は来週の土曜日、十時からだ。次は寝坊するなよ?」

「はい。気をつけます」


 からかい混じりに言われて、今日の反省も込めてしっかりと予定を書いておこうと決めた。

 ディスティアを見えなくなるまで見送り、風呂に入って明日の用意をしっかりとしてアストは早々に寝た。



 翌朝。

 いつものルーチンをこなして、家を出る。


「そういえば、あんた、髪だけ茶色に戻し忘れてるわよ?」

「あー……」


 道の途中でミクに指摘されて、アストはもう茶色にしないことを説明した。服に合わないからと。

 今日は実技があるので私服だ。上から下までじっくりと見直した姉は、納得したように頷く。初心者のアストでも合わせやすいようにモノトーンで統一された服は、確かに黒い髪の方がしっくりくる。


「茶色でもいいと思うけどね。うん、かっこいいわよ!」

「そりゃどーも」


 ややぶっきらぼうに返したが、照れているのはミクには丸わかりだった。以前ならそんなことねーし、と否定されていたところを、照れつつも受け入れてくれたことが少しだけ嬉しかったのは秘密だ。


「コウのセンスも相変わらずいいわねー」

「いや、今日のは違」


 否定してしまって慌てて口を押さえてももう遅い。しっかりと聞いていたミクがにやりと覗き込んでくる。顔をそらしても駄目だ。こうなった姉はしつこい。


「女の子? 女の子なのね?」

「コウの幼馴染みのシーナとその友達! たまたまモールで会って、俺の服のなさをコウがバラしやがって、そのまま一緒に回ってくれたの!」


 嘘はついていない。肝心なところは何一つ話していないが。

 モールでの騒動はフィーナとロクロには知られているだろうが、ミクには話すつもりはなかった。余計な心配をかけたくないので、必要以上に話はしない。

 コウの幼馴染みが女の子なのは知っていたのだろう。名前を呼び合う仲かーとからかわれたものの、友達が増えたことが純粋に嬉しかったようでミクはそれ以上は追及はしてこなかった。


「あ、じゃあ今日のお昼、お姉ちゃん邪魔!?」

「いや、いいよ。昼飯一緒に食う約束してないし。向こうから来ても事情話せばわかってくれると思うし」

「そっか。いい子たちなんだね」

「うん。その……楽しいよ」

「そかそか」


 うふふ。と上機嫌な姉に、アストも少しだけ頬を緩めた。



 いつものように駅で別れて、コウと合流する。


「……うん、似合うな」

「なんでちょっと悔しそうなの」


 今日のコーデはレイアが選んでくれた物をそのまま着ている。それを似合うと言ってくれているのに、声が微妙に悔しそうで思わず笑った。着せ替えさせられていた時にも思ったが、変に対抗心が芽生えている気がする。

 親友の様子を笑いながら学園前の商店街を通っていると、少し遠くに灰色の髪が見えた。<躍る牡羊亭>の前で鋼の髪の人物に話しかけられている。遠いのでそれがユウキなのかアールなのか判断がつかない。


「テストはしてないみたいだな」

「流石にあれはなぁ」


 と話している目の前でレイアが怯えた。

 アストは反射的に走りながら怯えさせた敵に向かって雷を落とし。同時に店のドアが開いて何かが飛んできていた。

 雷と何かがほぼ同時に鋼の頭に直撃する。


「いったぁぁぁ!?」

「朝っぱらから何やってンだよ」

「レイア!」


 声からユウキだと判断する。というか怯えさせるなんてユウキ以外ありえない。物を投げたのはウィリアムのようで、呆れた様子で出てきた。

 そっちは放っておいて、涙目になっているレイアの前まで駆けこんだ。アストの顔を見て安心したのか顔が泣きそうに歪み、寸でのところでぐっと堪える。

 その様子に、アストの中で何かがぶちっと切れた。


「……店長。おはようございます。朝からお仕事熱心ですね」

「お、おう。おはよーさん、アスト」


 学園前で竜骨の杖を出すほど理性は飛んでいないが、ユウキに向けたアストの瞳には金色が混じっていた。杖がなくても竜の力は自由に使える。ただ少し、制御がきかないだけで。

 追いついたコウがそっとレイアをアストから離し、ウィリアムはそっと二人の周囲にだけ結界を張って隔離した。ユウキが焦って周囲を見回してももう遅い。

 属性魔法は使わない。さっき反射的に使ったが、これ以上使うと流石に治安部隊に気付かれてフェルクメルが呼び出され、説教コース間違いなしだ。だから、使うのは拳。


「まさか俺達以外にやるとは思いませんでしたよ」

「や、キミらの時よりだーいぶ手加減はし――」


 それ以上言わせず、アストはただただ真っ直ぐに、右ストレートをユウキの左頬に叩き込んだ。身体強化魔法と身体の動きが一致した瞬間だった。

 勢いがあり過ぎてユウキが後ろに吹き飛ばされたが、インパクトの瞬間に後ろに飛んで威力を殺したためだと気付いてアストは舌打ちする。それでも頬に一撃は入っているのでそれで良しとした。これ以上の追撃はフェルクメル呼び出し案件に発展する。

 頬を抑えてしゃがみ込んだ店長に構えを解き、力を抑えて目の色を戻す。一部始終を見守っていたウィリアムも結界を解いた。

 そろそろ通行人も増えてきたので、むかっ腹は立っているがこれでおしまいだ。


「放課後、必ず来ますので。美味しいコーヒーお願いしますね」

「りょ、りょーかい」


 店長に言い置いて、すまなそうな表情をしているウィリアムに会釈し、少し先で心配そうに様子を見ていたレイアと、呆れた様子のコウの元に軽く走った。


「ごめん、待たせた」

「お前にしちゃ穏便だったな」

「朝からフェルクメルさんに会いたくねぇもん。それよりレイア、大丈夫だった?」

「大丈夫です。あの、ありがとうございます」


 頭を下げるレイアは猫かぶりモードだ。内心少しがっかりしつつ、<躍る牡羊亭>について少しだけ説明しておく。自分達はあの後説明があったが、無しだとただただ怖いおっさんだ。ユウキの印象が悪くなるのは自業自得だからいいとしても、あそこにいる<紅蓮と鋼>の二人の印象まで悪くなったら嫌だ。

 説明を聞いて、レイアは感心したように頷いた。


「確かに、小さな依頼は受ける人がいなくて困っているって父も言ってました。あまり高レベルの自分達が受けてしまうと、低報酬の依頼を受けたのだからこの依頼も低報酬でいいだろう、と報酬の値切りをしようとする依頼主が出てくるから受けられないと」

「値切る奴いるの!?」

「ごく稀に、だそうですけど……」


 自分で依頼を出しておいて、それを値切る精神がアストにはわからないが、悪質な依頼主と言うのは存在するらしい。


「少しでも金を安く上げたいんだろうな。別のパターンで、この高レベル冒険者はこれをこの安い金額で受けていたから、うちも同じ金額で頼む。と別の冒険者に振るパターンも考えられる。

 高レベルの者が安易に安い依頼を受けると、依頼料の相場が崩れかねないってことだ」


 コウの解説にレイアもその通りだと頷き、あまりピンと来ていないもののアストはそういうものなのかと納得した。


「二人とも、詳しいな」

「俺らは家が家だからな。お前が治安部隊に詳しいのと一緒だよ」


 コウもレイアも、家は冒険者を生業としており、その分他の子供よりは冒険者が身近にある。家族間なら言える愚痴もたくさん聞いてきているので、嫌が応にも詳しくなる。


「最近は依頼が多くなってきているのも問題だな。薬草摘みなんて、本当は一般人でもできることだ」

「そんな依頼まで来てるの?」

「ええ。最近は近隣の森の中の薬草やキノコの採取の依頼もあるそうです。

 でも仕方のない部分もあるんですよ。最近、魔獣の生息域が変動しているようなんです。普通に森の散歩道を歩いていたら、ブラックベアに出会ったとか、ミニラビットだと思ったらホーンラビットだったとか」


 ブラックベアは夏杉学園の西に広がるタムタムの森の、最奥にしか生息していない巨大な熊である。縄張り意識が高く、領域を犯せば攻撃をしてくるが、そこから出てくることはほぼ皆無と言っていい。ボス争いで負けた雄が出てくることはあるが、それも数年に一度だ。戦闘力が高く、並の冒険者だと三人がかりじゃないと倒せないくらいには強い。

 ブラックベアは危険なので治安部隊も時折巡回して討伐している。アストは中学時代に一度討伐に参加させられ、その恐怖を味わった。充分倒せる実力があるとフィーナに太鼓判を押してもらったが、対峙してみると巨大さと威圧感に圧倒されて呪文が紡げず、結局他の隊員が倒すのを見ているしかできなかった。

 とにかくあれは怖い。それが出てきているとなると森に近づくのも躊躇うのはわからないでもない。

 ミニラビットはタムタムの森に広く分布している、体長30cm前後のウサギである。臆病な草食動物なので人が近付けば逃げる。一般人が遭遇しても危険はない。


「ブラックベアはそろそろボス交代の時期だから偶然かもしれないけど……ホーンラビットって本当?」


 アストが確認を取るのも無理はない。ホーンラビットはタムタムの森には生息しないはずの魔獣だからだ。

 タムタムの森のさらに西、より鬱蒼とした人の入らないゴードンの森に住む、角を持った肉食の兎である。姿形はミニラビットと似ているが、額に鋭く太い角を持ち、鋭い牙と爪で攻撃してくる。出会っても刺激しないように気を付けて立ち去れば怪我をすることはないが、ミニラビットと間違えて攻撃をしようものなら、見た目に反した重い突進を食らうことになる。しかも必ず二匹以上で行動をしているので、他のホーンラビットからも攻撃を食らうことになる。初心者の冒険者の最初の強敵と言われている。当然、一般人には対処できず、死者が出ることもある。


「真偽のほどは私にはわかりませんが、そういった理由で採取系の依頼が増えていると家族は言っていましたね」

「兄貴も、大学の依頼にそういうのが増えてきてるって言ってた。治安部隊仕事しろってな」

「してるとは思うけど……」


 生息域を大きく外れるような個体は発見次第討伐しているだろうし、手が回らない場合は冒険者向けに懸賞金を掛けて討伐してもらうように手配するはず。

 ガーヴァーが市街地を通った件といい、魔獣についての対応が杜撰な気が確かにする。


「麻薬のこととか、色んなことで今はてんやわんやなのかも。新人が増える時期だし」

「そんなもんか。でもこの混乱が長く続いたら、結構やばいな」


 四月に入ってまだ二週間。新人教育もあるだろうし、新しい麻薬の情報もある。人員が足りていないのだろうと結論付けた。新人が育ってくればそのうち収まるだろう。

 学生である彼らにできることなど何もなく。ただ平穏に学生生活を楽しむだけである。

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