19話:少し昔話を
「二年前は記憶の混濁もあったが、今ではもう落ち着いているんだ。だが、説明が面倒くさいので記憶喪失のまま通させてもらっている」
「ああ、なるほど」
こうやってミクのように訊いてきたら説明して、そうでないならそのままにしているのだろう。
訊いてもいいとわかるとミクの目が光った。
「じゃあ、旦那さんのことを教えてください! 外見とか!」
「すまん、そこは見事に記憶がない」
「ええー!?」
不満そうなミクの頭を撫で、ディスティアは思い出そうとしているのか眉を寄せながら説明する。
「あのバカ、どういうわけか私の記憶に魔法をかけていてな。名前もわからない。黒髪であること以外は外見もわからない」
「魔法なら母さんが解けるんじゃ……」
「記憶を縛る魔法は、かなり高度で繊細な物だ。解けなくもないだろうが、失敗した際の私への影響が恐ろしいからやらないことにしたんだ。どのみち夫のことなどわからなくても困りはしていない。寂しいがな」
寂しいってことは、つまり困ってるじゃないですか。
口にしかけた言葉をアストは焼けたクッキーと共に飲み込む。クッキーは少し焦げていたのか苦かった。
どんな奴か見当もつかないが、もし会えたとしたら一発ぶん殴ってやろうと勝手に決める。ディスティアには止められるかもしれないが、アストの気が済まない。
「性格ならわかるぞ。
常にツッコミ役でその上お人好しで、困っている人がいれば率先して助けるような熱い男だった。だが、ひとたび怒れば氷のように冷たく、慈悲などない男でもあった。ああ、精霊によく愛されていたな。時の最高位精霊と常に一緒で、よく嫉妬したものだよ」
「うわぁ、のろけだー!」
寂しそうだが夫のことを話せてどこか嬉しそうな、そして懐かしむような柔らかな笑みを浮かべながら放たれたのろけ話に、ミクは楽しそうに笑うが、アストは轟沈した。恋の種火は水をぶっかけられて見事に鎮火した。さらば淡い恋。
しかし、その話を聞いていてアストは思った。まるで自分の兄のようだと。
「その話を聞いてると、うちの弟を思い出します」
ミクも思ったようで、リビングの写真に視線を向けていた。
「弟? アストではなく?」
「はい。私とアストの間に、もう一人いたんです。二年前のあの事件で、失踪してしまったんですけど」
あの写真の子です。と指差した先をディスティアは確認し、凝視したまま固まったのをアストだけが気付いた。
ミクは気付かずに話を続ける。そのせいでアストは質問をするタイミングを逃してしまった。
「ヒミトっていいます。責任感の強い子で、ツッコミ役で、明るい子でした。あの子の周りには常に人がいて、みんな楽しそうで。俺がすべてを守る! と鍛えていて。
あの日も、誰かが助けを呼んでるって言って飛び出して……そのまま帰ってきませんでした」
あの事件の日は、よく覚えている。
二年前。『時空の裂け目事件』と呼ばれる事件が発生した。
平和だったある日曜日の昼下がり。総飛国の空に突如として時空の裂け目が発生した。
時間と空間が裂けたのだ。向こう側には同じような世界が見えたと、その場にいた誰もが証言する。
ぱっくりと口を開いたその裂け目を【賢者】が封鎖し、事件は一時間足らずで解決したと言われている。
その後、治安部隊から『異世界で起きた事故に巻き込まれたようだ』と発表があった。見えた異世界はその世界で、現在その世界との交信を試みていると。
異世界と繋がることは総飛国にとって珍しいことではない。はた迷惑な事故に巻き込まれたと憤慨しながらも世間は納得し、そしていつの間にか記憶から薄れて行った。
覚えているのは、その事件で家族を失くした遺族ぐらいだろう。
このときのことについて、世間には伝えていないことがある。
時空の裂け目を閉じたのは竜骨の杖を持ったアストであり、フィーナはその補助をしたことと、閉じる直前にヒミトが自ら向こう側に飛び込んで行ったことだ。
『向こうで誰かが俺を呼んでるんだ。ちょっと行ってくるわー』
なんて軽いノリで行った息子を連れ戻すため、フィーナはあの異世界と交信しようと探し続けている。アストも大学を卒業したらその手伝いをするつもりでいた。
「たぶん、あの子は向こう側の誰かを助けに行って、帰れなくなっちゃったんだろうなって、うちの家族は思ってます」
「…………そうか。無事に帰ってくるといいな」
「はい。ってごめんなさい。なんか湿っぽい話しちゃいました」
「いや、いい。気にするな」
クッキーも紅茶も用意できた。トレイに乗せてアストは湿っぽい空気を払拭すべくことさら明るい声でリビングに戻った。
「クッキーと紅茶、できましたよー!」
「わーい! まってましたー!」
甘いクッキーに美味しい紅茶。これ以上ない組み合わせにディスティアが見たことないほどの嬉しそうな笑顔で花を飛ばしていた。
「……甘いもの、好きなんですか?」
「ああ、大好きだ。夫もよく焼いてくれてな。美味かった」
「えー、お菓子作ってくれるんですかー? 素敵な旦那さん!」
「うむ。仕事のストレス発散といってな。部下にも配って好評だった」
「ひゃー。いいなぁ」
このまま雑談に入ってしまって、今日の授業は終わりかと思いきや、ディスティアは座ったままホワイトボードを引き寄せた。
「うむ。時間もないし、このまま講義を再開したいのだが、いいか?」
「ゆるゆるした感じで私は嬉しいですー」
「俺も大丈夫です」
「ありがとう」
実際、家庭教師に教わっている時もこんな緩い感じだったので、アストとしても違和感があまりない。
ほっとしたようにディスティアは礼を言い、表情だけは引き締める。
「魔法剣士になる条件については解説したな。
次は、魔法剣士や精霊剣士のタイプだ。基本的には三つのタイプに分かれる」
ディスティアがマジックを手に取り、要点だけを書き出していく。
1.近接型。剣に比重を置き、魔法は補助で使う
2.中衛型。パーティメンバーにより前衛も後衛もこなす
3.後衛型。魔法に比重を置き、剣はほぼ護身用
3を見て、アストは眉を寄せた。ついさっき自分の剣術は護身用と言われたばかりだ。
「これが基本の三つ。ほとんどの者はこれのどれかに入る。今の剣聖は2番タイプらしいな」
「はーい。先生ー」
「なんだ、ミク」
「3番はほぼ魔術師ですけど、何か違うんですか?」
アストも気になっていた点を質問してくれて、心の中でミクに拍手を送った。アストはつい質問は後回しにしてしまって、授業終了後に教師に質問をしに行って嫌がられるタイプだ。
「うむ。ではミク、魔術師の弱点は何だ?」
「んーと、詠唱中は無防備になることと、大抵の人は身体能力は低いので接近戦に持ち込まれたら……あ」
答えている途中で自分の質問の答えに気付いて、ミクは勝手に納得した。
アストはわからずにディスティアの解説待ちだ。
教師は満足そうにほほ笑み、もう一人の生徒のために解説を始める。
「そう、接近戦に持ち込まれたら、彼らになすすべはない。杖と剣では、剣が強いだろう?」
「あ。なるほど」
つまり、護身用でも剣が使えるということは、通常の魔術師よりも自分の身を守れるということだ。人に寄るかもしれないが、前衛としては多少自衛してくれる人の方が戦いやすいのだろう。
「だが、私がアストに勧めるのは3番ではない。
2番目の選択肢だ」
目が点になった。
先ほど、前線には立てないと言われたばかりなのに、この選択肢はどういうことなのだろう。
ノートに書き写しながらも考え、考えてもわからずディスティアを見る。
ディスティアはどこか少し愉快そうな雰囲気で説明をした。
「これは臨機応変に立ち位置を変えられる者がなるべきタイプだ」
「でも俺、前線で戦えないって」
「剣だけでは前に出られないと言っただけだ。お前の最大の武器は、その魔法と魔力、そして空間認識能力だ」
「空間認識能力?」
「それって、あれですよね。自分の身の回りの物の位置、方向、距離とかを素早く正確に把握する能力」
「うむ、その通りだ」
今まで聞いたことのない単語に首を傾げていると、ミクがすらすらと回答する。その回答にますますわからなくなって首を傾げた。
「試しに、アスト。魔法は何でもいいからあそこのカギを、目を閉じたまま私の手まで運んでくれ」
「え。あ、はい」
下手に解説するよりも実際にやらせた方が早いと、ディスティアは食卓からは遠いキーケースを差し、家のカギを指定した。
そういえばキーホルダーを付けてやれと言われていたなと思いだしながら、目を閉じて風の魔法で苦も無く持ってくる。自分の手で持って運んできているかのように。
ディスティアが手の位置を最初の位置と変えているが関係なくその手に乗せた。
思わずと言った感じで小さく拍手するミクに、これくらい当たり前なのになと思ったが口にはしなかった。
「うむ。私の手の位置が違うことはなぜわかった?」
「えと、ディスティアさんは魔力を持っているので、目を閉じていても魔力の位置を見ればわかります」
「……そうか。アストには世界がそう見えているのか。それは想定外だった」
その回答でようやく自分の視点が違うことに気付いて、同意を求めてミクを見るも、ミクも首を振ってありえないと言わんばかりに身を引いていた。
「魔力で見えるのは目を閉じた時だけですよ? それも見ようとしなきゃ見えないし」
慌てて付け加えても、より一層周囲が引いただけだった。解せぬ。
「あ、でも、魔力のない物体とかは位置が分からないわよね。カギはどうやって見つけたの?」
「え、魔力は世界のどこに行ってもあるだろ? それで把握してる」
ミクの疑問に、アストはキョトンとした表情で答えた。
何を当たり前のことを訊いてるんだろうと言わんばかりの言葉に、ミクの方が何か間違っていただろうかと考えるも、やはりアストがおかしいと結論に至る。
「……ごめん、言ってる意味がわかんない」
「えーー? えーと、だからー……あー、魔力ってその場に留まらずに流れるもんじゃん?」
「……うん、属性持ってないからわかんないけど、そういうものなのね?」
全く分からないが、アストがそう言うのならそうなのだろう。理解はできないが納得はして、続きを促す。
「うん。それで、魔力の流れが不自然なところには物があるって感じで把握してる」
「あー、わかった。例えるなら、風の流れが不自然なところは透明な物があるって感じね?」
「そうそう、そんな感じ。その風の流れが目を閉じてると見えるの。それで大まかなところをみて、風の魔法を巡らせて細かい位置を把握したりするんだ。
今回は自分の家だからする必要なかったけど」
説明を受けて理屈は納得した。ミクには全く理解できない領域だが、見えている世界が違うので、アストにとってはそうなのだと受け入れた。
ディスティアも想定外だったようで、どう説明しようか少し頭を悩ませているようだ。クッキーに手が伸びていない。
「……うむ。一般のそれよりもかなり高性能だが、それが空間認識能力だ。
お前はかなり無意識に使っているようだが、竜族の方法だぞ、それ」
「「あー。」」
心当たりがあった姉弟が遠くを見て揃って声を上げる。
「……まさか」
思い至ったディスティアが信じたくないと言わんばかりの表情でアストたちを見る。へらりと誤魔化すような笑顔が答えだ。
「竜族に指導してもらったのか!?」
「長はかなりアストを気に入ってて……」
「これくらいできんと生き残れんぞと、じいちゃんに七歳くらいのころに指導されました……」
一般的には竜が人間の指導をすることなどありえない。しかもまだ未成熟な子供の指導など、天地がひっくりかえってもありえない事態だ。会うことすらできないのに。
驚くくらいすごいことなのだと知って、アストは自分の立場にいまさらながら戦慄する。
「もうお前のことで驚くのはやめようと思うが、一つ訊きたい。もしかしてそのじいちゃんと呼んでいるのは……」
「あー。長、アドニア様のことです。そう呼ばないとすごく拗ねちゃうんで……」
ディスティアは頭を抱えた。それはもはや溺愛の部類ではなかろうか。
他の竜族が聞いたら卒倒しそうな情報を、悩んだ末に聞かなかったことにした。知らない方が幸せなこともある。
「話を戻すぞ。空間認識能力は、通常は後衛が攻撃する際に、敵味方の区別、数、向きなどを把握することに使うが、お前の場合は前線でそれを使う」
「前線で?」
「そうだ。前線と言っても最前線で剣を切り結ぶ役目ではなく、その一歩後ろで彼らのサポートをしつつ、彼らが討ちもらした者に確実にとどめを差していく役目になる。
そのため、お前の場合ソロは無理だ。パーティが望ましい。前衛を剣士か戦士、後衛に回復役。欲を言うならもう一人魔術師がいると安定するな」
言われたメンバーをノートに書き残して、ふとコウとレイアとシーナの四人で組めれば強そうだと思った。
「実技授業を受ける際はこの構成を意識してメンバーを選ぶといいだろう」
「わかりました」
区切りがいいということで、今日の授業はここまでとなった。
夕食の準備をミクが始め、アストはノートを部屋にしまいに行く。
先ほど取りに行った時にも部屋の状態を見たが、クローゼットが全開になっているだけで他は荒らされていなかった。姉の性格から、本棚や机の引き出しまで全部引っ張り出されているかと思ったが、もしかしたら一発目からクローゼットを開けて見つけたのかもしれない。そういう変な勘だけは鋭いのがミクだ。
そういえば流されていたが、工房の話もしなきゃいけないなと思いつつリビングに戻り、ミクの手伝いを始めた。
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