15話:剣術指導の先生

 裾合わせの時にスラックスとジーンズの裾上げは時間が少しかかると言われていたが、会計時に一緒に渡された。試着が長引いくのを見ていた店員から先にしておくことを勧められ、それならとシーナが頼んでおいてくれたらしい。

 店を出てマジックポーチに袋を突っ込み、早々に駅に向かう。


「まだまだ遊んでいたかったのにー」

「また今度! 早く帰らないと怒られちゃう!」

「俺と如月二人ともな。急ぐぞ」

「ぶー」


 理由は、シーナの門限が近くなったから。過保護な兄がいて、門限を一分でも過ぎると連れ出したレイアが説教を受けるらしい。それだとシーナと気軽に遊ぶ友達がいなくなるんじゃないかと思ったが、そもそもシーナも中学時代はあまり友達がいなかったという。


「私、『愛し子』だからね」


 電車の中で何でもないかのようにシーナが笑って言うが、言わせてしまったアストは何とも複雑な表情になった。コウとレイアにも責めるような視線を送られてしまう。

 この世界において、緑の瞳を持つ者は『愛し子』と言われている。

 アストの賢者属性、レイアの7属性も滅多に現れない貴重な素質だが、緑の瞳はそれよりも希少な、精霊魔法を使う素質を有しているのだ。

 精霊魔法は文字通り、森羅万象の精霊の力を借りて使う魔法である。上位精霊と契約できれば、地震や津波、噴火など、人間では起こせない大規模な天災レベルの現象を引き起こすことができる。代わりに属性魔法や強化魔法を使うことはできない。魔力こそ持っているが、魔術回路が存在していないのだ。

 精霊の力を借りる、というのは難点の一つで、精霊の気まぐれで魔法が発動できないことも、また逆に術者が望まない発動をすることもある。


 アストは父のロクロと兄のヒミトが『愛し子』だったので特に気にならなかったが、一般人にしてみればいつ爆発するかわからない爆弾を抱えているようなものだ。しかもシーナは、とある欠陥を抱えている。友達が少ないのも納得だ。

 謝罪を口に出しかけて飲み込んだ。謝ったところでさっぱりするのはアストだけだ。シーナの事情に気付いた今、言うべきはそんな薄っぺらい言葉じゃない。


「……その目、綺麗だよな」

「え?」

「エメラルドよりも優しい色合いで……グリーンアゲートって感じの色でさ。俺、好きだよ」

「あ、ありがとう?」


 素直な感想を言っただけなのに、頬を赤く染めつつ戸惑った様子でお礼を返された。姉の話では女の子は目や髪を褒められると喜ぶと聞いていたのだが、どうやら違うらしい。

 レイアがシーナを守るように抱きしめているし、なぜかコウに後頭部をがっしりと掴まれていることから、掛ける言葉を間違えたのだとは理解した。悲鳴を上げるほどではないがなかなかに痛いアイアンクローに顔が引きつる。


「ねぇ、こいつってこれが素なの? 頭が残念なの?」

「ああ、残念ながら思ったことを口にしてしまう残念な奴だ。気をつけろ」

「わぁ。残念だー」


 散々な言われように口を尖らせた。悪口は言っていないのだからいいじゃないか。

 そう言ってみると、憐みの視線を三人から向けられて流石にへこんだ。



 三人の最寄り駅の学園前駅に着いて、改札までは暇だから見送った。


「じゃ、また月曜にー!」

「気をつけて帰れよ!」

「またねー!」

「おーう、またなー!」


 挨拶もそこそこに改札からダッシュで帰って行く三人を見送り、次の電車の時間を確認した。平日は五分に一本のペースで電車が来るが、土日は逆に少なく、次の電車は二十分待ちだった。極端な本数に笑えてくる。

 人のいないホームのベンチで暇つぶしに魔道具を考えながら電車を待つ。今日のテーマはシーナのように魔力は持つが回路を持たない人でも使えるよう、調査の魔法のついた道具だ。


(固定するとしたら眼鏡が一番だろうけど、そのためには周囲も見えなきゃだから式自体の透過もいるかなー……)


 道具を作る才能はないので術式の構築だけして放置していることが多い。実用性があるものから無いものまで考えてメモしてあるが、それが日の目を見たことはない。

 中学時代に兄のヒミトに見つかり、母に言われそうになったこともあるが、あの時は必死に頼み込んで隠した。【賢者】の母に未熟な魔術式を見られるのは恥ずかしかった。


(あー。式にすると結構でかくなる、か? 紙ほしいな……)


 脳内で想像するだけでは編みきれず、いっそ人もいないことだし魔力で宙に描いてしまおうかと指を動かしかけて、人の気配に止めた。


「あら、アスト?」

「……姉ちゃん?」


 やらなくてよかったと心の中で安堵した。突然の家族の登場に心臓がばくばく鳴っている。

 声をかけられた方を見ると、少し土に汚れたミクが不思議そうな顔で歩いてきていた。そういえば<躍る牡羊亭>に行くと言っていた気がする。


「コウの見送り?」

「うん。姉ちゃんは訓練してきたの?」

「んっふっふ」


 あ、質問を間違えた。

 よくぞ聞いてくれたと言わんばかりの嬉しそうな笑顔に顔が引きつる。今日はよく間違える日だ。

 隣に座ったミクはそれはそれは楽しそうに話を始めた。話は電車に乗って家の前まで続いた。あまりに長いので要約すると、


「ウィリアムさんと手合わせして、アールさんに指導してもらって、店長を一発殴ってきたわ!」


 ということである。一番最後がどういう状況なのかよくわからないので訊いてみたが、威圧感のある笑顔で黙らされた。訊くなということらしい。釈然としないものの姉には逆らわないのが吉。

 たぶん、入店前のテストでアストを脅かしたことを怒ったのだろう。


「今日の晩飯なんだろなー」

「そうねー。煮込みハンバーグとサラダってところじゃない?」

「あー。すげー量だったもんなー」


 無難な話題を振って、家の中に入って行った。



 夕食、風呂を終えて自室に戻ったアストは、服を片づけると床に1m四方の大きな正方形の紙を敷いた。ペンを何本か用意して腕まくりをすると、駅のホームで考えていた魔術式を描き出す。

 考えては描き込み、没案にはバツをつけて新しい個所に描き直し、没案も見直しながら描く。

 没頭すること二時間。


「だぁー!!」


 描ける部分がなくなってしまい、アストは両手を大きく振り上げた。その表情は諦めきれない悔しさでゆがんでいる。

 腕を上げたついでに大きく伸びをして、深呼吸ののちに立ちあがって紙を眺めた。

 何度やっても構築式が大きくなってしまう。眼鏡に収めようと言うのが無理なのだろうか。


(ここを短縮できたらなー……くそー……)


 思いつきそうで思いつかない。これは課題だなと自分に課して、時間も時間だったのでベッドにもぐりこむ。寝付けなかったが無理やり目を閉じた。

 紙の片づけは明日にしよう。




 朝六時。いつものルーチンをこなして、ソファでぼーっと昨日の続きを考える。だが、やはりどうしても思いつかないので未来の自分に任せることにした。

 カレンダーをぼんやりと眺めて、今日の日付に丸が付いているのに気づいた。それが何だったのか思い出そうとするが頭が働かない。

 久々の学校生活に、昨日の事件。溜めていないつもりだったが、疲労はしっかりと溜まっていたらしい。いつの間にかアストは眠っていた。


「あら、珍しい。休日なのにこいつが剣も振らずに寝てる」

「三年ぶりの集団生活だろう? 本人は気付かずとも疲労は溜まるさ。今日は寝かせてやろう」

「でも、今日からアレやるんじゃないんですか?」

「そのつもりだったが、休暇も訓練だ。今日は実力を見るだけだから午後からでいい」

「わかりました」


 寝る直前に誰かと誰かの会話を聞いた気がするが、起きることはなく、深い眠りに落ちて行った。



 次に目を覚ますと、日はだいぶ高い所に登っていた。


「おう、起きたか。アスト」

「……おはよう」


 父が起きているので完全に昼だ。まだしょぼしょぼする目をこすり、誰かが掛けてくれたのだろう毛布を畳んでソファの端に置く。

 顔を洗って来いと言われて洗面所でもう一度顔を洗いに行った。冷たい水で洗えば、だいぶ頭もすっきりした。

 リビングに戻ってくると昼食はすでに用意されていた。アストの分以外に二つあるのは、ミクとロクロの分だろうか。


「ああ。起きたか」


 アストが席に着いたところでリビングに淡い青色の髪の女性が入ってきた。


「そうだ! 今日!」


 その人を見て思い出した。今日の日付に丸がついているのは、剣術指導をしてもらう日だからだ。


「ディスティアさん、すみません!」

「いい、気にするな。新生活が始まって疲れが出たんだろう」


 立ちあがり、頭を下げるアストの頭をぽんぽんと軽く叩き、女性――ディスティアは笑って許した。


 ディスティアは二年前から結城家の別宅で保護している、黒い翼を持つ有翼人の女性だ。

 二年前に起きた事件の被害者、とされているが、経歴が一切不明。本人も記憶の混濁がありはっきりとしないため、結城家が保護している。こういうことは本来は治安部隊の管轄なのだがいろいろと事情が複雑らしく、面倒だからとフィーナが預かることにしたと聞いていた。

 現在は結城の剣道場で小学生以下の子供たちを相手に剣術の基礎を教える仕事と、治安部隊での剣術指導の仕事をしている。どうやら以前は剣術を指導する立場にあったようで、教え方は上手く、本人の剣の実力もかなり高い。たまに実戦形式の試合で剣を使って舞うように戦っている。

 働く必要はないのだが、ディスティアが暇だからと剣を振っていたのをロクロが目撃し、手合わせをした結果、暇なら働こうと言う話になったらしい。本人も保護されている間にかかる費用のことを気にしていたので、ちょうどよかったと笑っていた。


 今日はディスティアがアストの指導に来てくれる日だった。

 アストはロクロが教える結城流剣術を身につけることができなかった。結城流剣術は刀を使うのに対し、アストは剣を使っているのがその証拠だ。

 ロクロは剣の型も知っていたのでそれを教えてはいるが、基礎部分しか教えられない。

 そのため、ディスティアに頼んで剣術を教えてもらうことになったのだ。彼女の剣術は魔法を武器に纏わせて使う魔法剣なので、アスト自身の素質とも合う。


「まぁ、こういうことをしていて夜更かしするのは、感心しないがな」

「え? ――!!!!」


 悪戯っぽい声に顔を上げて見てみれば、手に持っているのは昨日片づけ忘れた魔術式の紙だ。

 なんだそりゃ。とキッチンからロクロが出てくるのを見て、慌ててディスティアから取り返そうと手を伸ばすが、残念ながら渡す気はないようでひらりひらりと避けられてしまう。


「ディスティアさんー! もっと見つかりましたー!」

「姉ちゃんーーーー!!!!!」


 そうこうしているうちに、段ボール箱を抱えたミクがいい笑顔でリビングに入ってくる。

 紙がぎっしり詰まっているので重たいはずの箱を軽々と持って来られて、アストはその場に崩れ落ちた。

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