9話:元引きこもりの服事情
最後に疲れることがあったが寝てしまえば疲れも取れて。
朝六時。アラームの音にアストは目を覚ました。休日といえど起きる時間は変わらず、しかし平日とは違って先にコーヒーメーカーを動かして、のんびりと髪を結い、顔を洗う。
ミクも休日のこの時間は起きてこない。ロクロは朝が弱すぎて昼近くにならないと起きてこれないし、フィーナも流石にこの時間からは起きてこないようだ。残念ながら朝ご飯は一緒に食べられそうにない。
誰もいないリビングのソファで一人、半分寝ながらコーヒーを飲む。
が、今日はそこまでのんびりしてもいられない。コウとの買い物の時間が迫っている。流石に今から来ることはないだろうが、店が開く前にはアストの服を確認しておきたいと言っていたので、九時には来るだろう。
昨日の煮込みハンバーグを食べ、部屋に戻って片づけを始める。といっても常日頃から片づけをしているので、クローゼットの服を見るのに邪魔にならないように物を端に寄せておく程度に終わった。これがミクの部屋ならあと二時間は片づけに時間がかかっただろう。
残りの時間は、首元やすそがよれている服やサイズの合わなくなった服をクローゼットとチェストから取り出して大きめのビニール袋に突っ込んで行く。毎日家庭教師が来ていたので同じ服ではダメだろうと少し買ったつもりだったが、改めて見てみると春物は色が違えどパーカーとジーンズばかりで変わり映えがしなかった。しかも去年は入った服がサイズが合わず、今着られる服は3着程度。これはかなり買い足されそうである。
(洗濯中、ってほど洗濯物溜めてないから……これが俺の私服の量か……)
昨日の夜、寝る前に渡された三万イェンはもしかしたらこれを見越してなのかもしれない。流石に毎日洗濯をしているだけあって、父はアストの私服の量を把握していたようだ。
45Lのビニール袋の半分にも満たない捨てる予定の服といい、少し自分に無頓着すぎたなと反省する。これでは姉に「もっと服を買いに行け」と言われるわけだ。
(これはコウも頭を抱えそうだな……)
ため息をついて時間を確認する。ちょうど八時になったばかりだ。そろそろミクも起き出す頃だし、朝食の用意をしていようと部屋を出た。
「あ、はよ」
「おはよー……相変わらず早いわねー……」
同時に隣の部屋から姉も出てきていた。眠そうに目をこすり、大あくびを一つ。ぼさぼさの髪を触り、面倒くさそうな顔でアストを見てきた。整えろと要求する視線を呆れた半眼で睨み、首を振って拒否。途端に頬を膨らませて怒りをあらわにするが、変わらず拒否。
「コウが来るんだよ。姉ちゃんの相手してられません」
「……そっか、服買うんだっけ」
それなら仕方ないとミクはあっさりと引き下がった。思ったよりもあっさりと引き下がられて逆にアストが驚くと、少しむっとした顔で頬をつねられる。
「あんたが服を買う気になったんだもん。邪魔はしませんよーだ」
「そんなに気になってたんだ……」
「だってあんたが今持ってるの2着ぐらいでしょ?」
「さ、3着はあるし!」
「ないわー。いくら男子高校生といってもその数はないわー」
「うぐっ……」
昨日から地味に心にダメージを受けっぱなしである。そんな弟の心境を知ってかミクは苦笑をして、頭を撫でた。
「あんた元がいいから、私服が変わればきっとモテるわよー」
「下手な慰めは良いよ……」
アストの心の傷は意外と深い。成長して身長も伸び、もう女顔ではないのだが、そこをミクが指摘したところで身内の欲目だと受け入れはしないだろう。これはコウの手腕に期待して、姉は話を畳んだ。
洗面所でミクが寝癖と格闘している間に朝食を用意していると、インターホンが鳴った。気配を探るとコウだったので、思わず時間を見る。八時半にもなっていなかった。
手が離せなかったので鳥の使い魔を呼び出し、家のカギを持たせてコウを迎えに行かせる。少しして、玄関が開く音がした。
「お邪魔しまーす」
「あ、おはよう、コウー。今日はよろしくねー」
「おはよう、ミク姉。任せてくれ」
廊下での会話を聞きながら、コウの分のコーヒーを用意する。クールな見た目に反して意外と甘党なので、砂糖多めのカフェオレだ。
リビングに来たコウは、アストの顔を見るなり半眼で睨んできた。今日はデニムのジャケットをメインにしてカジュアルな格好だ。その肩に青い鳥がとまっている。
「おいアスト。いくら手が離せないからってロッドに運ばせるなよ。落としたらどうすん、いててて。おいこら、やめろ、地味に痛い」
コウの文句に、青い鳥――ロッドはそんなへまはしないとばかりに抗議のくちばし攻撃をコウの頬へお見舞いした。手で防御してもその手のひらをつつくので痛いのは変わらない。
使い魔と親友の様子に思わず笑いながら、アストはロッドを呼び戻す。
「ロッド、もういいよ。ありがとな」
返事にピュィ。と一言鳴いて、使い魔はその姿を消した。攻撃が止まってコウは深く息を吐き、斜めがけのリュックを外してソファに置く。手に持っていたカギは壁のホルダーにかけた。何度も遊びに来ているので大抵の物の位置は覚えている。
手はさっき洗ってきたのだろう、そのまま食卓についたのでアストはカフェオレをその前に置いた。
「あいつは落とすようなへまはしないよ」
「じゃあ掴みやすいキーホルダーとかつけてやれ。今にも落としそうな感じで飛んできて、かなりひやひやしたんだからな」
「マジか。前はそんなことなかったんだけどなぁ。またでかくなってるのか」
「使い魔も成長するのか?」
「するよ。ロッドも初めて会ったときはもう一回り小さかったんだ」
使い魔とは、魔術師が自分の苦手とする属性を補助するために連れている魔法生物の総称だ。多くは魔術師の資格を得て、魔術師として働いてしばらく経った者が特定の施設で契約を結ぶ。この契約により、使い魔は主の魔力で生きるようになる。使い魔の種類によっては、様々な条件――主の魔力量が増える、使い魔が経験を積む、特定の魔道具を与えるなど――で成長や進化をすることがあるが、魔術師として働いてる頃には主はある程度成熟しているので、使い魔の成長はほとんどないと言っていい。
だが、アストの場合はかなり特殊な例で、高校生なのに使い魔が二匹いる。一匹は制御しきれない魔力を吸収させるために幼少期に契約をした。今でこそ自由自在に扱っている魔力だが、幼少期は扱いきれず、暴発させてしまうこともままあったのだ。それを制御するために、卵から育てた。相当な魔力をつぎ込まないと卵から孵ることのない種族だったが、アストと契約して三日で孵ったというのだから、当時のアストの魔力量がうかがい知れる。
もう一匹はロッドで、中学時代に社会見学で母と訪れた施設で、主の言うことを全く聞かない使い魔として問題になっていた。それを更生させろというフィーナの無茶ぶりである。あの時はかなり頑張った。頑張った結果として、ロッドはアストにべたべたに懐いている。
属性魔法が使えないとあまり必要にならない生物なので、コウは概要をぼんやりと知っている程度だった。
「あれより小さかったのか。本当に小鳥だったんだな」
「でも凶暴性はすごかったぞー。警戒心も強くて、しばらく生傷が絶えなかった」
「へぇ。想像できないな」
会話しながらキッチンに戻り、そろそろ寝癖との格闘を終えて来るであろうミクの分の朝食をテーブルに運ぶ。
別に放っておいても文句はないだろうに、姉に甘い親友を呆れた目で見つつコウはカフェオレに口を付けた。
アストがミクの朝食を出し終えるのを待って、アストの部屋に向かう。片づけた様子を見て、クローゼットを見て、コウは言葉を失くした。
「……想像以上に持ってないな、お前!」
「俺もさっき驚いてたとこです……」
「洗濯中とか?」
「いや。これが全部」
「あー……」
持ってる物を活用する気でいたが、あまりに無さ過ぎてどうしたものかとコウは頭を悩ませる。ここまで無いとは思っていなかった。
親友の予想通りの反応に、アストは乾いた笑いを浮かべるしかない。
「悪い、三千イェンじゃ無理だ」
「大丈夫。父さんから三万貰った」
「太っ腹だな……でもそれなら一式揃うな」
とりあえず今日はこれとこれを着ろ。と差し出された服を大人しく着る。その間にコウは捨てる予定の服を更に分別していた。サイズが合わないだけでまだ着られる服を綺麗に畳み直しながら、アストに紙袋を持ってくるように指示する。
よくわからないがリビングに行き、食事中のミクに紙袋があるか訊くと、彼女のマジックポーチから紙袋が出てきた。新品の中身が入っているが、何も聞かずにそのまま持っていけ。と言われたので持っていく。始終不機嫌な顔だったのが気になったが、訊けそうな雰囲気ではなかった。
袋を持って戻ると、コウは袋を見るなりギョッとした顔になる。
「ちょ。それ男物の有名ブランド……」
「え、そうなのか? 姉ちゃんが不機嫌な顔でくれたんだけど」
「……そういうことか。うん。これも持っていこう」
アストは全く分からないのだが、中身を見てコウは何かに納得したらしい。教えてくれる気はないようで、視線で問うても首を振るばかりだ。
流石に、姉が何らかの形で失恋したようだとはコウの口からは伝えられない。ただ心の中でミクにエールを送った。
包装とタグを切ってからもう一度袋に入れ直し、アストの古着も一緒に入れて準備は完了。アストは男物なら着られないかと見ていたが、タグに書かれたサイズを見て諦めた。
「よし、じゃあ先に髪を切りに行くぞ」
「よろしくお願いしまーす」
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