5話:<躍る牡羊亭>
ミクに連絡するとまだ授業だと言うので、先に下校する。
コウとたわいもない話をしながら駅に向かう通学路を歩いていると、コーヒーの香りがしてきた。時間はおやつ時。とはいえ、学校前商店街には学生を狙って様々な店が並んでいるが、主に男子向けのがっつりとした食事処と本屋、武器屋ぐらいだ。カフェなどは構内の方が多い。
匂いのもとを探して見回すと、今朝までは気付かなかったが、商店街に新しい喫茶店が出来ていた。
「あ。なんか可愛い感じの……店?」
「…………店では、あるな?」
それはいい。問題なのはその名前。
<躍る牡羊亭>
外観はとてもこじゃれたお店。看板の羊も可愛いのに、その下に書かれている店の名前が酷かった。字体もポップで可愛らしいのが余計に違和感を誘う。なんかもう少し可愛らしいものはなかったのだろうか。
これでは、冒険者に依頼を提供する店、通称『冒険者の酒場』みたいな名前だ。
思わず足を止めてしまったが、入る予定などない。そもそもドアにはclosedの文字がかかっている。
しかし、歩き出す前に店のドアが開いた。
「あ、こんちは~」
灰色よりも色が濃い鋼色の髪、サングラスをかけた長身の男性が出てきて、人懐っこい笑顔でアスト達にあいさつしながらメニューの看板を表に立てた。
「昨日からオープンした、高校生でも利用可能な冒険者の酒場やで~。よろしゅうな~」
「「は?」」
店長と思しき男性から繰り出された信じられない単語に、アストとコウは思わずハモった。
冒険者の酒場とは。
そもそも冒険者とは、国が定めた制度の一つである。
アザワースになってしばらくして、世界には今まで見られなかった魔力を持った動物――魔物が闊歩するようになった。同時期に魔力を持った者も現れるようになり、世界は一時、混乱に見まわれた。
混乱が落ち着いた頃、魔物を倒すことを生業とする者が出始める。誰かの下で戦うのではなく、自由意思で戦う彼らの支援をするため、国が立てた制度が『冒険者制度』である。
身分証明証としての役割のほか、武具や宿泊時の料金割引制度などが主に上げられる。
現在では魔物と戦う予定はなくても身分証としての効力から取得する者が増えており、そのため割引制度を利用するためには戦闘職と認定されている職に就く必要がある。
冒険者の酒場とは、その冒険者の証明証を持ち、一定の戦闘力を有する者にだけ仕事を斡旋する、斡旋業者の俗称である。
正式名称は『冒険者紹介事業』であるが、魔法がまだ物語の中のものだったころ、冒険者に仕事を紹介する場所として『冒険者の酒場』はよく使われた単語であったため、そちらの方が広く浸透した。
「高校生でも利用可能って、胡散臭いんですが」
「せやな。言葉が悪かったわ。夏杉学園の学生限定、や」
「より胡散臭さが……」
「来週になったらこの店の説明がある予定やけど……まぁええか。コーヒーサービスするから、ちょい話し聞いてみん?
なぁ――結城アストくんと砂山コウくん?」
「「――ッ!?」」
いきなり名を呼ばれ、二人はその場から飛び退いた。コウはアストを後ろに庇い、アストはすぐに魔法を発動できるように意識を集中させる。
男はニヤニヤと楽しそうな人の悪い笑みを浮かべて二人を眺めていた。まるでどういう反応をするのか試しているようだ。
ギターケースと竹刀袋の紐を握りしめながら、コウは背筋に汗が流れたのを感じた。目の前の男は強い。長袖シャツと黒のスラックスの上にエプロンを付けて見た目だけなら優男風の店員だが、肩の線や僅かに見えた手の形から、相当に鍛えられているのがわかる。立ち振る舞いがどことなく、かつて最強の剣術士と謳われたアストの父を思わせたのだ。
アストもまた、言いようのない息苦しさを覚えていた。男は先ほどまで綺麗に隠していた魔力を解放していた。おそらく男としてはほんの少しのつもりだろうが、圧倒的な威圧感としてアストにその存在を見せ付ける。【賢者】の母が訓練を付けてくれた時の威圧感と同等、否。それ以上の威圧感が重くのしかかる。
道を行きかう人々は変わらず、一部は不思議そうに見ているが、そのまま流れていく。
アストとコウの認識は共通していた。『絶対に勝てない。なんとか隙を作って学園へ逃げる』。
覚悟を決め、呼吸を合わせた。
「――――うん。ええ反応や」
その息が吐かれる瞬間に、男は満足そうに力を抜いた。人の悪い笑みではなく、どこか嬉しそうな笑みを浮かべている。
出鼻をくじかれた形になったが、二人は警戒を解かなかった。なんせアストは【賢者】の息子。アスト自身の実力は知らずとも、利用価値などいくらでもある。現に誘拐された数は両手両足の指だけでは足りない。物語の姫君もびっくりの誘拐回数である。
魔力の重圧は解かれたが、男の実力なら発動したタイミングすら悟らせず攻撃することは可能だろう。むしろ、実力差を分からせるためにわざと見せていたように思う。
「旦那、なにしてンだ?」
「店長?」
緊張状態を解いたのは、二つの声だった。
男が助かったというようにそちらを見たので、コウは男から視線をそらさず、アストだけが確認する。その姿に目を見開いた。
「ああ。アイザックさんの言ってた、将来有望の二人ですね」
中性的な声を出しているのは、男と同じ髪の色をもつ銀の瞳の青年だった。外見があまりにも男と似ていて、思わず見比べてしまう。着ている服も同じなので、エプロンとサングラスがなければ見分けがつかない。
出てきた知っている教師の名前にコウも声の方を向いて、アストと同じ反応をした。
「まさかいじめた?」
「んなまさか! ちょっとお試しで名前を呼んで、ちょっとお試しで反応見ただけや」
「アンタのちょっとはちょっとじゃねェよ」
「うん、まぁ、そこは二人の反応見ててわかった」
対峙していた店長と呼ばれた男と、買い物袋を持っている茶髪の男が会話している間に、やはり買い物袋を持った青年がアスト達へ優しく声をかける。
「いきなりでびっくりしましたよね。ごめんなさい。
私たちはあなた方をクロス・アイザックさんに紹介されていました。
少し、お話を聞いていただけますか?」
アストとコウは顔を見合わせ、どうやらそこまで警戒する事態ではなさそうだと判断して頷き合う。
「コーヒーはサービスしてもらえるんですっけ?」
「もちろんや!」
店内はそれなりに広く、テーブル席が二つとカウンター席が四つほどあった。テーブル席に案内され、店長がいそいそとコーヒーを用意しているのを眺めつつ待った。
荷物を片づけ終わった青年がエプロンをつけて二枚の紙を手にアストの正面に座る。茶髪の青年はカウンター席に座っている。
「自己紹介しますね。私は<躍る牡羊亭>の店員、アールァイト・アニスターと申します。アールとお呼びください。
私と同じ顔の彼が店長の氷見ユウキ。茶髪の彼は専属冒険者のウィリアム・グレンです。
<躍る牡羊亭>は冒険者の酒場として営業しております。
国からの事業許可証、および夏杉学園からの提携認定証はあちらです」
示された方には額縁に入れられた認定証が二枚あった。アストがしっかりと見てみると、かなり複雑な魔法陣が紙全体に細工されており、押印のところからはそれぞれ決められた光が見て取れる。コウは見えないので確認するようにアストを見、頷いて本物だと示す。
その様子を観察していたアールは示しておきながら驚いていた。
「……アスト、だったな。お前さん、これが分かるのか?」
ウィリアムがこれ、と指したのは押印だ。調査の魔法が使えれば簡単に見えるが、調査自体がそれなりに高度な魔法なので、少なくともアストの年齢でしっかりと見れる者はそういまい。
疑い半分の問いに、アストはしっかりと頷く。
「国の方は青、学園からはオレンジの光が見えます」
それなら。とウィリアムは時計を指差した。何の変哲もない時計に見えるが、示されたからには何かあるのだろうかと調査で見てみると、緑色の光が見えた。
「緑の光が見えます」
「なるほど。実力は本物ってことか」
「ウィルまで試さないでください。重ね重ね、申し訳ありません」
「アールさんが謝らないでください。俺達、試され慣れてるので、このくらい気にしませんから」
言っておきながら、少し遠い目になる。慣れるほど試される高校生などそうそういないだろう。大人でもいないと思う。しかし、それがアストとコウの現実だった。
アールが少し同情的な目で見ていたが、すぐに真面目なまなざしに戻る。
「この<躍る牡羊亭>は試験的な冒険者の酒場です。
夏杉学園高等部の生徒に限り、冒険者証明証がなくても仕事を斡旋します。内容は子供のお使い程度のものですが、冒険者が仕事を請け負うのと同じ手順を踏みますし、少額ですが報酬が出ます。
高校生のうちから仕事をすることで、仕事に対する責任感と社会性を養う目的があります。
試験的なものですので、始動開始時は信頼のできる生徒たちを紹介していただき、そこから修正と施行を重ねて、いずれ正式稼働をしていくのを」
「アール、アール。待って。説明がめっちゃ硬い」
滔々とアールは説明をしていくが、あまりの硬さにユウキが止めた。不満げに店長へ文句を言うアールの後ろでウィリアムがため息をついて、こめかみを押さえる少年たちに問う。
「お前さん達、今のでわかったか?」
「……わかりは、しました」
「……生徒受けはしない説明ですね。保護者は好きそうです」
「そんなっ!」
言葉を選んだ少年たちの感想に、生真面目な青年はひどくショックを受けるのであった。
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