2話:ちょっと違う朝
冒険者育成機関、夏杉学園。
名の通り冒険者を育成することに主眼を置いた、高校から大学までを有した学園である。
ミクは今年で大学三年生、アストは今年から通うので高校一年生だ。
思春期なアストからすれば、姉と一緒に登校など同級生にばれたら恥ずかしいのに、姉に言わせれば「私の登校にあんたが付いてきてるんですーぅ」とのことだ。ならばと時間をずらしても同じ時間に付いてくるし、置いて行ったりするとその次の日は一日中拗ねている。
二年前にヒミトが失踪してからミクは過保護気味になった。そのため、弟が自分の目の届かないところに行くのを無意識的に恐れているのかもしれない。
それに気づいてからは抵抗する気も失せてしまった。
今日も一緒の電車に乗り、ガタンゴトンと揺られていく。
「学食、どこの使う?」
「あー。姉ちゃんの好きなとこでいいよ。まだわかんないし」
「ん、了解」
夏杉学園は巨大キャンパスのため、食事処はあちこちに点在している。
一番安いのは様々なメニューがある学生食堂だが、味は大量生産品のためそこまでおいしくはない。値段に比べて量があるので、味はともかく量がほしい人向け。それ以外は専門店で、値段はピンきりだが味はおいしい。と、姉から聞いている。入学して一週間のアストはまだ行ったことがない。
「じゃあ、そっちの昼休みになったら迎えに行」
「来んな!! 中央図書館で集合!」
「えー。なんでよー」
不満げに口を尖らせる姉は、自分の外見をわかっていない。
柔らかな栗色の髪。長さは背の半ばまで。155cm行くか行かないかの小柄な体格と可愛らしい小顔。そして顔に似合わない豊満な胸。強調する服を嫌うのでゆったりとした格好が多いが、それでも隠し切れていない。男子高校生には刺激の強い存在なのだ。
そんなのが迎えに来たときのクラスメイトの反応が怖すぎて、全力で拒否した。
アストが焦げ茶の普通の外見の少年なのも拒否の一因だ。もう少しイケメンなら自信を持てるのにと心の中で肩を落とす。
少年から青年に成長し始めている彼はもう少し髪型とファッションに気を使えばイケメンの部類に入るのだが、本人は全く気付いていない。中学一年生時に貼られた「女顔」のレッテルを未だに引きずっている。
「弟がお世話になってますーってあいさつしたかったのにー」
「やめてね!?」
まだ仲良くもなっていないのにそんな爆弾落とされたら、これから先、普通の学生生活は送れまい。
代わりに月曜日の昼食も一緒に取ることを約束させられたが、なんとか迎えに来ることは諦めてもらい、駅の改札で別れる。高等部は東口にある正門から、大学部は西口にある裏門からが近いからだ。
朝から若干疲れつつ、正門に向かって歩いて行くと見慣れた後姿を見つけた。相手はヘッドホンをしているので軽く駆けより、肩を叩く。
「おっす。はよ」
「おう、はよ」
ヘッドホンを外し、挨拶を交わすのは長年の友人である砂山コウだ。彼はアストの父が師範を務める剣道場の門下生で、小学時代から共に学んできた。小中共に学校が違うため一緒に遊ぶことは稀だったが、互いに背を預け合える一番の友人だと思っている。
ギターケースと竹刀袋を背中に背負った友人の今日の恰好を見て、アストはこっそりとため息をついた。
砂色の短髪、引き締まった長身。普段は無表情でとっつきにくそうだが、喋ると気さくで優しい。何より声が良い。ギターが得意な剣の天才。着ている物はいつもおしゃれで、今日はホワイトシャツと藍色のニット、デニムにハイカットスニーカーという爽やかスタイルだ。大学生だと言っても通じそうである。
「お前のそのセンス、ほんと羨ましい」
「またそれか」
半ば妬ましそうなアストの呟きに、コウは苦笑を返した。入学式の翌日からコウは私服で登校しているが、この一週間ずっと呟かれている。
「明日土曜だし、一緒に見に行くか?」
「あー。服って高くねぇ?」
「持ってる服にもよるけど、一・二枚足す程度だ。三千イェンあれば十分だぞ」
「うーん。じゃあ頼む」
おしゃれはしてみたいが、センスにいまいち自信のないアストにはありがたい提案だ。予算提案してくれたのも助かる。三千イェンならまだ出せる。
明日の朝、アストの持っている服を確認してから買いに行くことを約束した。
持っている服によってはもうちょっと高くなるぞ。と忠告も受けて、足りそうになかったら父に前借りの相談もしなければと算段を付けた。
「あぁ、髪も切るか。伸ばすにしても、全体的に整えた方が清潔感出るし」
「びよーしつ!?」
これ以上金がかかるの!? と戦慄したアストをコウは笑いながら否定した。
「知り合いが経営してるとこだよ。今の時期、新人教育の一環でワンコインで切ってくれるんだ」
「ワンコインなら、いいか……うぐぐ。金がなくなる……」
「格好いいも可愛いも、初期投資はそれなりにかかるってことだ」
財布の中身が薄くなりそうだと頭を抱える友人に、そんなもんだとコウは笑いながら肩を叩くのであった。
同じクラスなので教室まで一緒に歩いていく。登校時間が早いから教室にはまだ一人しかいなかった。
「如月さん、おはよう」
「おはよう」
「おはようございます」
本を読んでいた彼女は顔を上げ、入ってきた二人に微笑んで挨拶を返してくれる。
如月レイア。優等生然とした薄灰の長髪の少女。身長はアストよりも少し低いくらいなので、女子にしては長身。それでスレンダーな体はモデルを思わせる。顔立ちもまだ幼さが残るものの綺麗の部類。
性格も物腰が柔らかく、静かで大人しい印象。しかもクラスメイト相手でも敬語を使う。身長といい、体格といい、姉のミクとは正反対に位置している。
クラスの男子内人気ランキングでは堂々の一番らしいのだが、近寄りがたいようで彼女の周りに男はいない。完全に高嶺の花状態だ。身構えることなく普通に話せばいいのにと思うのは、アストには下心がないからか。
読んでる本のタイトルをちらりと見て、アストは少し驚いた。『エディルレガリー魔術構築式集 ~初級編~』。【賢者】エディルレガリーが書いた、自身が使う魔術の構築式を纏めた書だ。高校生でもわかるように詳しく解説されていて、人気の高い一冊である。夏杉学園の授業でも参考文献として紹介されていた。
まだ真新しく数ページしか進んでいない様子から、昨日の授業で紹介された後に買ってきた本なのだろう。勉強熱心だなと感心した。
「――っと」
そんなことを思いながら自分の机に荷物を置こうとして、ばちっと静電気のようなものが走った。動きを止め、自分の席を目に魔力を込めて観察する。
机のど真ん中に魔力で書かれた魔法陣が描かれていた。この机に触るものがいたら静電気が走るようになっている。ついでにちょっと伝言も書いてあった。構成を一瞬で読み取り、僅かに眉を寄せて魔力を込めた手で払うようにして消していく。
「ん? 何かいたのか?」
「あー、虫がいてさー」
アストの動きに不思議そうにコウが声をかけてきたのを、何でもないように軽く返した。アストにしてみればこの程度の魔法陣は虫を払う程度の簡単なものだ。
一応、席と椅子に対して探査魔法をかけて、他に仕掛けられている物がないのを確認してから荷物を置き、教科書類を机に詰めてから席を立った。
「ちょっとマーカス先生に呼ばれてたんだった。行ってくるなー」
「おう。いってらー」
コウに声をかけてからちょっと早足で出ていく。
レイアが驚いた表情でその後ろ姿をずっと見つめていたことに、アストは気付かなかった。
魔法科準備室に着くなり、アストはノックもせずにやや乱暴にドアを開けた。
中にいるのが目的の先生だけなのは、来る途中に索敵魔法を使っているので分かっている。
「朝から甥っ子にいたずらして楽しいか!?」
「ちょっと伝言書いただけよーん」
相手の方も索敵魔法をかけられたのを察知しているので、アストの行動を笑って流した。
ハクト・マーカス。アストの叔母に当たる人物で、学園で唯一の魔法陣専門の教師だ。本来なら三年生で専攻して初めてお世話になる教師である。
生徒との相談用に置かれてる丸椅子を引き寄せ、まぁ座れと促されたアストは、若干警戒しつつ座ろうとして、やっぱり設置されていた魔法陣を手のひらを叩きつけて打ち消した。
「もう引っかからないかー。アストくんすごいすごーい」
「引っかかってたまるか!」
予め設置してあったのか、それとも触れた瞬間に設置したのかはわからないが、毎度のことなのでアストは慣れてしまった。安全なのを確認してから座る。
道具を使うことなく一瞬で打ち消した甥っ子の実力に内心で舌を巻きつつ、ハクトは表面上は幼児を褒めるように大げさに褒めてやる。その解除技術が実はすでに上級魔術師レベルだというのはそろそろ教えるべきだろうかと少し迷ったが、今日の本題は違うので別の機会にする。
「それで。話なんだけどね」
「はい」
ハクトが表情を切り替えたので、アストも切り替えて背筋を伸ばした。言葉づかいも甥っ子から生徒仕様に。
実を言うと、アストは呼び出された原因がわかっていた。他の教師が来る前に呼んだのは、きっと叔母の気遣いだ。
「昨日の魔術テストについてです。心当たり、あるよね?」
確認するような問いに、アストは「ああ、やっぱりか」と心の中で呟いた。
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