第13話 小鳥遊優華が走る時
五月も終わりに近づき、夏をちらつかせるような天気が続いていた。
そんな中、俺は今日という日を待ち焦がれていた。
それは別に夏の兆しが見えてきたらとかではないし、もちろん中間テストが近づいてきたとか酔狂な理由からでもない。
今日の日付は五月二十三日。この日は小鳥遊が陸上の地区大会で走る日だ。
実際大会は昨日から始まってるらしいが、俺が見たいのは小鳥遊が走る競技だけなので行ってない。
「ようやくこの日が来たって感じだなぁ……」
「そうね。あのゴールデンウィークが懐かしいわ」
俺がそう呟くとすぐ隣から返事が返ってきた。
「だな……あの時は俺を、無駄に頑張ってた」
「あの時の如月くんの演説録音して小鳥遊さんに聞かせたいわ」
「それだけはやめてくれ。恥ずかしくて死にたくなる……」
「そうかしら? 私はかっこよかったと思うけど、特にあの必死さがよかったわ」
「あれはホントに無我夢中で……だからこそ余計に恥ずかしいわ。……録音とか本当にしてないだろうな?」
「流石にしてないわよ。そんな暇なんてなかったもの。でも、私の記憶にはちゃんと入ってるから」
「その記憶の流失だけはマジでやめてれよ?」
「それはフリかしら」
「違うから!」
隣にはある意味戦友の月詠がいる。
今俺たちは電車で陸上の地区大会がある競技場に向かっている。
俺たちは偶然一緒になったわけではなく、二人とも目的が同じなので自然と一緒に行くことになった。
そうなると俺が月詠の家に行くのが効率が良かったのでそうしたのだが、家から出てきた月詠の姿に息をのんだのをついさっきのことなので鮮明に思い出せる。
家から出てきた彼女は当然いつもの制服姿ではなく私服だった。
それは流石に予想はしてたけど、それでも制服の時に比べて何割も増しで美人だったことは予想外だった。
月詠に合った大人な感じの服装。目の前にいるのは高校生ではない気がしてきて、その隣に立つ俺はどう見ても不釣り合いだった。おしゃれうんぬんなんかよりも格が違うのだ。
月詠が画家の娘だからなのか、それと遺伝子がそうさせてるのか……まぁ、その両方だろう。
そんなわけで、ちょっと肩身が狭い思いをしながら、でもその隣を歩ける幸福を感じながらここまで来たのだ。
「やっぱり似合ってるな……」
「何が?」
「えっ! あ……もしかして声に出てた?」
「うん」
あっちゃ……月詠の服装のことを考えてたからな……失敗だ。
こうなったら言うしかないか……。疑問をそのままにしてても訊かれそうだし。
「その……月詠の服装がだよ」
「私の? それはありがとう。でも、そういうのって会った時に言うものじゃない?」
「まぁ、そうなんだけど、そこはご愛嬌ということで」
見とれて言うのが恥ずかしかった、なんて言えないって。
「ふふ、何それ。そういう如月くんも似合ってるわよ」
「月詠もなぜ今言う」
「だって如月くんが今言ってくれたからね」
「仕返しかよ」
まぁ、どっちにしろお世辞だろ。
こんな服装の男なんて街を歩けばすぐに見つかるくらいありふれたものだし。
「最初何も言ってくれなくて、もしかして私に合ってないのかな?って思ったんだからこれくらいいいでしょ?」
「別に俺の意見なんて気にしなくてもいいのに。月詠なら何でも似合いそうだし」
「そう? ありがとう」
「ああ……」
俺から始まった話だったけど、そのせいか気恥ずかしくなったので俺は周りを見回して何とか気持ちを落ち着かせた。
すると目に入るのは学生らしき人だ。しかも平日というのに結構な数がいる。大学生もいるだろうがウチの生徒も混ざってるだろう。それなら彼らも俺たちと目的は同じというわけか。
こっちのことをチラチラと見てくるのは仕方ないか。月詠が特定の男子と一緒にいるのが珍しいというか、色々と憶測を呼んでることだろう。
まぁ、やりたいなら勝手にしてくれといった感じだ。別にその憶測を止める気もないし、止めようがない。
そもそも俺は気にしてない。月詠もそんな視線を気にしてないのかそこにはノータッチだ。いや、月詠の場合は気づいていないんだろうなぁ……。
「ウチの生徒、この電車に結構いるわね」
「みたいだな。この時間だし俺たちと同じ女子百メートル目当てかな?」
「でしょうね。それとサボりもいるんじゃないかしら? 少しだけ見て帰るみたいな」
「それ言っちゃダメなヤツ」
生徒会が提案する形で今年からこの期間に限り自主公欠ができる制度が始まった。
仕組みはいたってシンプル。
申請書にどこの部活の応援に行きたいかを書いて学校側に提出するればいい。
審査基準とかは無く、提出すれば大抵認められるがその場合一つだけ条件が発生する。
それは作文用紙一枚程度の今回の大会を見てきた感想だ。
流石に学校側も学校を休んでまで見に行くのを手放しでは認めなかった。そこには学校教育の観点とか世間に対する見栄とか大人の事情ってヤツがあるのかもしれない。
でもそんなのは生徒の俺たちには関係ないことで、こんな簡単なことで休めるのだからほとんどの人が申請しているようだ。
無論、この申請をせずに今日も元気に登校している生徒はいるが、相当数の生徒がいないのだから多分ずっと自習だろう。少人数の学校はある意味面白いかもしれない。
まぁ、でも、合法的に休めるんだし見たい部活が無くても俺なら休む。自習なんて家でやったって同じことだし、そんなことのために学校なんかに行きたくないしな。
「なぁ、月詠は陸上の大会を本当に見たことないのか?」
「ええ、ないわよ。流石にオリンピックとかテレビでやってたのは見たことはあるけど、直接競技場でっていうのは初めて」
「そっか。葵もいるし一回くらいは見たことあると思ってたんだけどね」
「ないものよ。“次見ればいいか”なんて考えてたら三年生になってたわ。だから今回のはいい機会。そういう如月くんも見たことないんでしょ?」
「俺も月詠と同じでテレビでは見たけど生は無いな。だから今日は楽しみだ」
「そうね」
本当に楽しみだ。
今日まで小鳥遊がどんな走りをするのか気になって仕方なかった。
しかも、俺のために走る、なんて言われたら期待せずにはいられない。
やはり、あの時のような走りとはまるで違うんだろうな。
あの時の走りでも俺は魅入ってしまったんだから、本気の小鳥遊を目にしたらどうなることやら……。
そんな自分の変化も楽しみの一つだ。
※※※
電車を乗り継いだりして、目的の陸上競技場に着いた。
辺りにはスポーツウェアを着た、少年少女がいる。アップでもしてるのだろう。
その中からは笠原高校の陸上部は見つけられなかった。
「女子百メートルの予選は何時からだっけ?」
「えっと……十一時半ごろだからあと十五分もしたら始まる」
「ということは葵達には会えそうにはないわね」
「小鳥遊達とは競技が終わってから会えばいいっしょ。とりあえず中に入るべ」
「そうね」
そうして中に入ってみると決して無観客というわけではないが、席に困ることはなさそうだ。
地区大会ということもあるがやはり平日というのが大きいのかもしれない。
ただ、反対側には沢山のテントが張っていてそこでは人が沢山動いている。そしてその周りの鉄柵には横断幕がありそこには学校名が書いてある。あそこが各学校の待機場所なのだろう。
「やっぱり人少ないなぁ……」
「だって平日ですもの。いても保護者とかじゃない?」
「あとはウチの高校の奴らか……どっちにしろ席は確保できそうだな」
「そうね。せっかくだし前の方に行かない?」
「だな」
前の見やすい席まで移動する。
やっぱり高校生くらいの人が多い気がする。それもなんだか男子の方が比率としては大きい……ような気がする。
高校生はウチの生徒だから、それだけ小鳥遊が注目されているという事かもしれない。まぁ、流石インターハイ出場選手ということか。
男子が多いのは……単なる偶然か、それとも女子の競技用ユニフォーム目当ての変態が集まったかの二択だろう。……流石に後者は俺の偏見か。
どっちにしろ小鳥遊が出てくれば盛り上がりそうだ。
「そういえば、葵って何の種目なの?」
時間つぶしにそんなことを訊いてみた。
陸上部なのは知っていてもその専門は知らないな、とふと思ったのだ。
葵は小鳥遊にべったりな感じだったから同じ種目かと勝手に思っていたが実際のところはどうなのだろう?
「葵も百メートルよ」
「あ、やっぱりそうなんだ」
「だってあの子、小鳥遊さんに憧れて陸上始めたんだもの」
「えっ! そうなの!?」
それは意外だな。
あの葵でも憧れて何かを始めるとかあるんだな。
俺の勝手なイメージじゃ、自分で物事を決めそうなんだけど……。
てか、葵って学年一つ下だから、入学した時はまだ小鳥遊はインターハイに出場してないよな。それなのに小鳥遊の実力を見抜いたってことか? それとも結構通の間では小鳥遊は有名で、その情報を葵が知ってたとか?
「だって、小鳥遊さんって中学の時も全国大会に出てたじゃない。それで憧れちゃったようね」
「そうなのか……ということは葵って小鳥遊と同じ中学なんだ。というかそもそも、小鳥遊って中学の時も全国出てたのね」
「如月くん知らなかったの? 私たちの学校じゃ有名だったじゃない」
「いや、俺中学月詠と違うし」
「そんなわけないじゃない。あそこの地区ならみんな同じ中学よ?」
「ああ、そういうこと。俺って高校からこっちに引越してきたらから中学は別なの」
「そうだったのね……確かにそう言われてみると如月くんのこと見たことないかも……」
「ないかも、じゃなくて見たことないから。逆に見たことあったらそっちの方が怖いわ」
俺何しに他校に行ってるんだってなるし、そんな別の中学に行った記憶なんてまるでないし、何かの病気を疑うわ。
もしくはドッペルゲンガーとかの超常現象だけど……そういうのは超能力とかUMAとかおもしろくて無害なヤツで十分です。
「中学の時の如月くんか……それってどんな感じだったの?」
「別に面白くもなんともないぞ? 性格そのままに年齢だけ若い感じ。月詠の中学時代は?」
「私も今と似たようなものよ。周りに言われるがままに生徒会長やって感じ」
「あはは、中学でも生徒会長か。なんか月詠らしいな」
「だからかもしれないけど、なんかただ日々を消化するだけでつまらなかったわ」
「そう言われると、俺もそんな感じでつまらなかったな……」
睡眠、学校、趣味、食事、これらを淡々とこなすだけだった気がする。
中学時代に思い出いという思いは特に思い浮かばない。
かろうじて思い出せるとしたら、卒業式でよく泣けるなぁ……と思ったことくらいか。
だって、いつも泣かなそうな奴が泣いてたりするし、そもそも泣く要素どこにあったとか思うし……まぁ、それは中学を淡々と過ごしていたからなのかもしれないけどさ。
「でも……」
「でも?」
そんな同じ中学の奴に聞かれたら白い目で見られそうなことを考えていたら、月詠にはまだ続きがあるようだった。
俺はそこに耳を傾ける。
「今は中学の時と比べて断然楽しいわ」
「そうなのか?」
「ええ――って始まるみたいね」
月詠が核心的な部分を話そうとすると、女子百メートルが始まるというアナウンスが入った。
めちゃくちゃ気になるところで切られたけど、まぁそれはまたの機会に訊けばいいか。なんかそんな話する雰囲気じゃなくなったし。
しかも最初に走るのは葵のようだ。これは月詠にとっては大切な瞬間だろう。
「葵ってどんな走りをするのかしら?」
「その答えはすぐにわかるさ」
「それもそうね」
各選手が調整したスターティングブロックに足を乗せ、スタートの瞬間を待つ。
穏やかな静寂が訪れた。
「……」
「……」
俺と月詠は初めて見るからだろうか。二人して息をのんだ。
――パンッ!
スターターピストルの音が鳴った。
ほぼ同時に選手が走り出した。
あっという間に、彼女たちは半分まで来ている。
スターとから約二十メートルといったところで残酷なことに下位の方と差がつき始めたので、今ではそのトップ争いにみんなが注目しているだろう。
それを演じているのは葵だった。
そしてゴールに近い位置にいた俺たちの前を通った時にはギリギリでその座をつかんでいた。
「ふぅ……なんかこっちが緊張したな」
「そうね……学芸会を見守る母親の気分ってこんな感じなのかしら?」
「あはは、そうかも。やってる本人なんかよりも緊張しちゃってな」
「まさに、今の私たちね」
第一組が終わった今、後続の組が次々と走っていく。
圧倒的な差で一位になる者、またはギリギリで一位になる者と様々だ。
いろいろな感情を抱いてレーンから去っていく。
そして、最終組で俺たちにとって目的の人物――小鳥遊優華が登場した。
競技場内のボルテージも最終組だからか、それとも小鳥遊が出てきたからか上がっている気がする。
「来たわね、小鳥遊さん」
「そうだな。予選だし流石に楽勝か」
「きっとそうね。というか地区大会だし決勝も簡単に勝つと思うわ」
「それもそうだな。こんなところでインターハイ出場選手が負けるわけないか」
「小鳥遊さんが油断とかで負けることもないだろうし……葵の時よりも安心して見てられるわね」
まぁ、小鳥遊が予選落ちするとかいう番狂わせは流石に起きないだろ。
伊達にインターハイに出場したわけでもないし、昨日連絡したら『絶好調だよ』と自信満々の返信が来たので心配する必要がない。
俺は純粋に小鳥遊の走りを楽しめばいい。
小鳥遊がスタート位置につく。
そこから走り始めるまではあっという間だった。
時間の経過が早く感じた。
それだけ小鳥遊の走りに魅入られたということだろう。
いつもの学校にいる美少女ではない、一人の競技者としての小鳥遊。
普通にかっこよかった。
結果は当然ながら一位、後半は力明らかに抜いていた。
「やっぱり安心して観れたわね。私は専門家じゃないけど、一回見ただけで他の人と格が違うってわかったわ」
「素人目だけど、不思議とフォームは綺麗で加速も他とは全然違うってのがわかったよ」
「そうよね。とりあえず、次の準決勝が楽しみだわ」
「でも、それも抜いて走るんじゃない?」
「でしょうね。早く決勝にならないかしら……」
「すっかり小鳥遊の走りの虜だな」
「そういう如月くんもね」
「俺は今年の春の段階からそうさ……っといったん外に出るか。さっき俺たちに気付いたみたいだし、会えるかもよ?」
「行きましょう」
競技場の外は相変わらず人が行きかっている。
昼頃に近づいてきたからなんとなくその数も増えてきた気がする。
その中に目的の人物を見つけた。
「小鳥遊!」
「あっ……如月くん」
手を振ると笑顔で振り返してくれる。そこにいるのはもう美少女の小鳥遊優華だった。
「お疲れ様。予選ってだけあって楽勝だったな」
「まぁね……流石にこんなところで負けるわけにはいかないよ」
「あはは、なんか小鳥遊がそう言うと嫌味には聞こえないな。やっぱり実績がある人は言うことが違うな」
「もう! からかわないでよ!」
小鳥遊は俺の体を小突いた。
「お疲れ様、小鳥遊さん」
「あっ! ありがとう月詠さん。見てみてどうだった?」
「そうね……決勝が楽しみだわ」
「ははは、気が早いよ……でも、絶対に行くからね」
「うん、期待してるわ」
「それにしても、月詠さんが来るのは葵から聞いてたけど、まさか如月くんと一緒なのはびっくりしたよ」
「家が近いからね」
「そっか。そういえば、今回のことは月詠さんのおかげなんでしょ? 如月くんが言ってたよ?」
「ううん、そうじゃないわ。これは如月くんのおかげよ。その証拠に彼すごく頑張ってたから」
「そうなの? そんなこと一言も言ってなかったけど……『ほとんど月詠がやってくれた。俺はちょっと手を貸しただけだ』って言ってたよ」
「そんな言葉信じちゃダメよ。本当は如月くんがやってくれたことなんだから。その証拠だって――」
「あー、あー! そんな証拠ないから! これは生徒会の企画なの。月詠が企画書書いて、岬先生に提出して、学校を動かした、そういうこと。俺はちょっと手伝っただけ」
危うく月詠の記憶から俺のイタイ演説が流失するところだった。
あれは俺の墓場まで持っていきたいランキング一位にランクインしているくらいだから、月詠の脳からその記憶だけでも消し去りたいものだ。
まったく、電車で約束しただろうに……何かこっちも弱み握って黙ってもらうしかないのか?
まぁ、とりあえず今は話を別の方向に……。
「そういえば佐山って何の種目に出るの?」
「如月くん……それって話逸らしてるつもりなの?」
「何に出るの!」
月詠は食いついてきたがここは強引に突破だ。
「あはは……如月くん、香織の専門知らなかったんだ。仲もいいみたいだし知ってるものかと思ってたよ」
「佐山とはそんな話しなかったからな」
「そっか」
小鳥遊は俺のことを思ってか話に乗ってくれた。
ありがたいです。
「香織は私と同じで短距離で、明後日の二百メートルと今日あるリレーに出るよ」
「そうなのか? ということは今日佐山も見れるのか……というかちゃんと決勝に進出したんだな」
「それはもちろん。如月くんとの約束でもあったしね」
この地区大会の開催は昨日からで、実際はそこで小鳥遊がリレーで走ることになっていた。
俺は昨日も行こうとしたけど、予選のためだけに来てもらうのは忍びないということになり、今日来る運びとなったのだ。
まぁ、その時ちょっとした約束をしたくらいだ。
「ちゃんと約束を守ってくれたみたいでよかったよ。まぁ、信じてたけど」
「ホントかな? なんかさっきまで忘れてた感じだったけど……?」
「それは話題にするタイミングが無かっただけで、ちゃんと覚えてたし信じてたよ!」
「そっか……そこまで言うなら如月くんのこと信じるね」
「いや、ホントだからね?」
嘘じゃないぞ? 昨日の今日で忘れるとかどんだけ物忘れが激しいんだって感じだ。
ただ小鳥遊の百メートルが見れると思うと楽しみすぎて、ついさっきまではリレーのことに意識を割く余裕がなかっただけなんだから。
だから、決して忘れたわけではない。
「まぁ、とりあえず午後からも頑張れよ?」
「もしかして話逸らしてる……?」
「違うから。話を進めてるだけだから」
なんか今日の女性陣俺に厳しくね!?
「あはは、わかってるよ。うん、ちゃんと決勝にもいくし良い走りするから、二人ともちゃんと見ててね」
「ああ、それはもちろん」
「もちろんよ」
「ありがとう。それじゃあね」
「じゃあな」
「またね」
「あ、最後に……月詠さん」
「うん? なに?」
「今度こっそりと、如月くんの頑張ったこと教えてね」
「ええ、いいわよ」
「それだけは絶対にダメです」
これはもう諦めた方がいいのかな……?
俺たちが小鳥遊と別れてから、競技場内に戻るではなく、近くにある公園に移動した。
今は十二時も近く、百メートルの準決勝が十四時からなので昼ご飯を食べることにしたのだ。
ちょうどいいベンチがあるのでそこに座る。
天気も晴れてるし、自然にも囲まれていて、なんとなく心地よい。
これならご飯も少しはおいしくなりそうだ。とはいっても、俺の昼は家に合ったパンとペットボトルのカフェオレだが……。
「あら、如月くんはメロンパンなの?」
「そういう月詠さんはお弁当じゃありませんか。もしかして月詠の手作りですか?」
「そうよ」
「そうですか」
なんだいこのごはん格差は。
片や手作り弁当、片やコンビニのメロンパン。……すごくみじめだ。隣に並んで食べるのが恥ずかしくなってくる。
しかも、見ただけですごい美味いだろうってのが丸わかりだ。
月詠の手にある弁当箱は、それは女子らしく小さく中には色とりどりのおかずと真っ白なご飯が入っていた。これぞ“手作り弁当”って感じだ。
だけど、俺の持ってきたメロンパンだって負けてないはずだ。
これは誰もが大好き、パンの中の王子と言っても過言ではないメロンパン。
しかもこれはザックリとしてるので触感もよく、とても甘い。値段もリーズナブルでみんなに大人気。
実に素晴らしいと思わないか? ……思えないよなぁ。隣が手作り弁当じゃ、そんな美辞麗句はどうしったって色落ちする。
「……うまい」
俺はメロンパンを食べながらそう呟いた。
仮にこの場の誰かに『手作り弁当』か『コンビニのメロンパン』かを訊いたら、誰もが『手作り弁当』を選ぶことだろう。そしてこのメロンパンはけなされるはずだ。「メロンパンなんて」ってな。
なら持ってきた俺だけでも、メロンパンを賞賛すべきじゃないか? それが俺がこいつを持ってきた責任ってもんだ。
「……うまいよ」
「如月くん、どうしてそんなに泣きそうなの?」
「……訊かないでくれ。メロンパンの甘味に塩気が混ざってちょうどよさげになりそうだ」
「なに微妙にうまいこと言ってるのよ……」
だけど、やっぱり手作り弁当というのは魅力的なもので……。しかもそれがあの料理が得意の月詠が作ったのもとなると、一つくらいは食べたくなるわけで……。
「それにしてもさっきから私のお弁当チラチラ見てるけど……もしかして、何か欲しいおかずでもあるの?」
「っ――! ……ソンナコトゴザイマセンヨ?」
大丈夫、自然な感じで言えたはずだ。逆に不自然なところを探す方が難しいんじゃないか?
俺にはちゃんとメロンパンを食べてあげて、こいつだけに愛を注ぐという席にがあるんだからな。
「はぁ……そんな嘘つかなくていいわよ。もう、完全に見てるじゃない」
「いいや、これは見てるだけさ。ホシイナンテヒトコトモイッテナイヨ?」
「その眼が言ってるのよ。それに如月くん変な感じだし」
「うっ……そ、そうか……?」
「ええ、そうよ。それでどれが欲しいの?」
「へっ?」
「だからどれがいいのよ」
「……いいんですか?」
「だからそう言ってるじゃない」
「……」
でも、こう言ってくれてるわけだし……ねぇ。
このメロンパンも大量生産されてるわけで、きっとどこかの誰かが愛を注いでくれてるはずだし……ねぇ。
それに自分の欲求には勝てないし……ねぇ。
「……それじゃあ」
こうなったらもうメロンパンなんて眼中にない。
視覚からの情報はすべて月詠弁当で、脳内もメロンパンについての情報がそれに代わっていく。
さてどれにするか……。
欲を言えばどれも食べてみたいけどそれは流石に強欲すぎる。というかこういう場合普通は一個だ。
悩むけど、一番食べてみたいのは……。
「唐揚げ、とか……?」
「いいわよ。でも、それなら如月くんのメロンパンを一口食べさせてくれる?」
「えっ? こんななんでいいの?」
「逆に何があるのよ」
「確かにそうですね」
「でも私メロンパンは好きだからそれでいいのよ。あ、でもその端っこの甘いところがいいわ」
「どうぞどうぞ、俺は構いませんので」
俺は袋から取り出して、口のつけてない反対側を向ける。
「好きなだけどうぞ」
「じゃあ、これだけ……ありがとう」
月詠がとったのは本当に一口サイズだ。
それを口に運んだ。
「うん……甘くておいしいわね。書いてある通りサクサクしてるし」
「喜んでもらえて良かった。もう少し取らなくていいのか? なんかこれだと採算が合ってないような気がするけど」
「私はこれで満足よ」
「そっか」
「それじゃあ如月くんは唐揚げだったわね……どれでもいいかしら?」
「おう、任せる」
月詠は一つの唐揚げを取り、それをふたの上にのせてくれた。
「どうぞ」
「ありがとう」
こうして俺はメロンパンをいけにえに唐揚げを手に入れた。
ごめんよ、やっぱり君じゃ手作り弁当には勝てないよ。
それを手でつかみ口の中に入れた。
すると、さっきまでメロンパンで甘かった口の中がいっきに肉のうまみで染められた。
味付けもしっかりしていて冷めてるのおいしい。
月詠の料理のうまさを再確認できる一品だった。
「うん、やっぱりうまい」
「ありがとう」
それから俺はまたメロンパンに戻り、ちょっとした罪悪感と大きな幸福感の中で食べきった。
※※※
小鳥遊は順調に勝ち進んでいた。
準決勝も難なく一位で突破し決勝へと駒を進めている。
ただ、葵の方は残念ながら敗退してしまった。
「もう少ししたら決勝ね」
「ようやく本気の小鳥遊が見れるのか……」
「楽しみね」
小鳥遊は準決勝も本気では走っていない。
もしかしたらこの地区大会では敵なしなのかもしれない。
だけど、最後は別だろう。決勝で力を温存しておく必要はない。決勝は力を出し切る場だろう。
「来たわ」
月詠がそう言うと、女子百メートル決勝に進出した選手が入ってきた。
各選手がスターティングブロックを調整し、軽く走ったりと準備している。
そして、選手達がスターティングブロックの後ろで待機していると、各選手の名前と出身校が呼ばれていく。各選手は呼ばれた時に軽くお辞儀をしていた。
――オン・ユア・マークス。
会場のスピーカーから聞こえてきたその言葉でそれぞれの選手がスタート位置につく。
各選手が自分の世界に入る瞬間だ。
静寂が訪れた。
この時間は彼女たちのための時間。
この静寂の時間は無限に続くかのように思えた。
――セット。
だが、そのアナウンスでそんな優しい時間は終わりを迎える。
誰もが闘争心を溢れさせ、張りつめた空気に変わっていく。
そこにいるのはゴールという獲物を狙うハンターだ。
そしてそのハンター達は誰もが一番に喰らいつこうとしている。
譲るなんてありえない。
この世界は弱肉強食――強者が勝ち、弱者が負ける……最強だけが生き残る無慈悲で残酷な世界だ。
「……」
誰かの息をのむような音が聞こえた気がした。
――パンッ!
その瞬間、ピストルによる発砲音が聞こえてきた。
最強の存在を決める勝負が始まった。
だが、最強など勝負の前から決まっているかのようだった。
ただ一人の少女だけが纏う雰囲気が、風格が、そう思わせた。
その少女は体一つ分前に出ると、さらに、さらに、差を広げていく。
もはやこの場は彼女の独り舞台だ。
他の追随を許さない。
蹴落とす者はいなくなった。あとは己の限界を超え、時間という魔物を喰らい尽くすのみ。
少女は走る。ただただ走る。
そして、百メートル先にあった獲物に誰よりも先に喰らいついた。
「……一位だな」
「……そうね」
時間にして見るとあっという間だった。
――11.80。
これが俺たちが見ていた時間だ。
文字にしてみてみれば短い時間だが、それでも俺はその何十倍もの世界を体感した気がする。
それだけ目の前を走り抜いた少女――小鳥遊優華は魅力的だった。
初めて、ということもあるだろうが、俺はただただかっこいい小鳥遊に見とれていた。
現に今も小鳥遊から目を離せずにその姿を追っている。
そんな俺に気付いたのか小鳥遊は真剣だった顔から笑顔に変わり俺のことを見てくれた。
――やったよ!
そんなことを言われてるような気がした。
そうして小鳥遊は去っていった。
俺は何か体から抜け落ちたような虚無感に襲われた。しばらく立てそうにないな。
「なんか、すごかったな……自分の語彙力のなさであれだけどとにかくすごかった」
「そうね……初めて小鳥遊さんの本気の走りを見たけど、こんなにも興奮するものなのね」
「だな……なんで去年見てなかったんだろう……」
「確かにそうね……まぁ、後悔してももう遅いんだけど。それに今は後悔する時間がもったいないわ」
「それもそうだな……まだこの余韻に浸ってたいよ」
会場の熱気はまだ冷めていない。
誰もが小鳥遊の走りに興奮しているのだろう。
どこからか「これすごい記録だよ」と聞こえてきたので調べてみれば、確かにすごい記録だ。このままいけばインターハイの優勝も目ではない。
俺たちは想像以上にすごい瞬間を目にしたのかもしれない。
「小鳥遊さんには後でお礼を言わなきゃね。『こんな素晴らしいもの見せてくれてありがとう』って」
「そうだな……それがいいな」
こんな感動はめったに味わうことができない。
中学の卒業式なんて比にならない。
「あと如月くんも」
「俺も?」
「だって、如月くんがこの場を作ってくれたようなものじゃない。そうじゃなかったら今日の小鳥遊さんは見れなかったわ。だから、如月くんにい言うのは当たり前よ」
「それは違う。この場を作ったのは生徒会で月詠だ。俺が言われるべきじゃない」
「それこそ違うわ。そもそもの提案は如月くんだもの。だからこの場は如月くんが作った、それが事実よ」
「違うんだけどなぁ……まぁ、でもこのままいけば水掛け論か……ならここは二人で作ったでいいだろ」
「納得いかないんだけど……仕方ないわね。そこがいい落としどころかもしれないわ」
「そうさ。まぁ、実際そんなことはどうでもいいんだよ。この場を作ったからって何も偉くない。ここで感動させてくれた小鳥遊が一番偉くてすごいんだから……今日は小鳥遊の日さ」
「それもそうね……」
俺たちなんて別にどうでもいい。
今日まで努力して、成果を出す。
言葉にすれば簡単だが、実際にするのは難しい。
それをやり遂げ俺たちを感動させてくれたんだから、称賛されるべきは小鳥遊だ。
「それじゃあ最後まで楽しませてもらいましょ。まだリレーが残ってるんだから。如月くんこんなところで帰るとか言わないわよね?」
「当たり前のこと訊くなって。小鳥遊の走りを最後まで見ないで帰れるわけないよ」
それから三種目ほど挟んで始まったリレーも圧巻だった。
小鳥遊がバトンを貰った時、トップとは少し差がついていたが、持ち前の速さで追い抜き一位をもぎ取った。
そして、二日後の女子二百メートルでも他を寄せ付けない速さで一位を取った。
これで小鳥遊は三冠に輝き、この陸上の大会に来た笠原高校の生徒にとってはある意味伝説的な日になった。
そして俺はそんな伝説的な少女と友達であることが嬉しかった。
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