第11話 食費の見返り

 昨日は突然の出勤命令と月詠邸での食事、そこで偶然の両親との初顔合わせというなかなかにハードな一日だった。

 そのため昼食代も浮いたし、夕食も外食する気にはならなかったので丸一日分の食費が懐に残っている。

 だから今日は豪勢に金を使うことに決めた。

 俺は昼食を街にある大手のショッピングモールにある一人でも入っても違和感がなさそうなラーメン店で済ませ、それからはゲーセンでゲームに興じていた。

 今は少なくなってきた感のあるゾンビゲーム、やりこみ勢が凄すぎるリズムゲーム、持ち上げるのではなく引っかけて取る必要があるUFOキャッチャー、ダラダラとでき一瞬のチャンスにハラハラするメダルゲームとあらゆるものに金をつぎ込んだ。

 ただ一人でやるにも限度がある。

 それなら友達と来いと言われるかもしれないが、俺にもいろいろと事情がある。

 友達といえばまず最初に思い浮かぶ龍也だが、朝にアイツを誘ってやったのに今日も当然のように部活、それもどうやら他校に練習試合に行っているらしい。昨日の仕返しは延期せざるを得なかった。

 そして、他に思い浮かぶのは女子だけという嬉しいのか悲しいのかわからない俺の友好関係だが、とりあえず女子を誘える勇気はないとだけ言っておこう。


「本屋にでも行くか」


 流石にまだ夕食には早すぎる。

 俺は時間を潰すために、ここにある大きな本屋に行くことにした。

 店内の通路を歩く。

 やはりゴールデンウィークということでいつもより人が多い気がする。

 まぁ、いつも来るわけじゃないので比較はできないけど、なんとなく子連れが多い気がするのでそう判断した。おそらく遠方からの旅行者だろう。

 地元のプロ野球チームの帽子をかぶっていたしデイゲームでも見てきたのかな?

 勝っていたら俺も嬉しい。地味にプロ野球観戦は俺の趣味の一つでもある。テレビでしか見ないけど……。


「着いたな」


 そうこうしてると目的の書店に着いた。

 ここは大型の書店ということで昔の漫画も置いてある。たまにある、昔に販売された数巻だけないということはないので便利だ。

 とはいっても俺も最近は電子書籍に移行しているので紙媒体を購入することは無くなってきている。

 あれなら読みたいときにすぐ買えるし、場所を取らないしで、悪い要素は見当たらない。逆に便利すぎるくらいだ。

 だけど以前、紙信者なのか龍也には「漫画はな、ページをめくるのがいいんだよ。次のページに対する期待と興奮で手に汗を握り、指が紙に張り付く。アレが漫画を二倍にも三倍にも面白くしてくれてるんだ! なのに何故蒼真画面をスワイプするのがいいと言う? あんな無機質な行動で面白さが付加されるのか? 否だ。断じて否! 漫画はページをめくることまで計算されて創られた芸術品。それをお前は、“便利”の一言で『漫画』を構成する一つの要素を葬り去った。よって、蒼真には真の漫画の面白さがわかっていない。つまりお前はな……読者としての邪道を進んでいるんだ!! そんな奴に漫画を読む資格はない!!」などと全世界の電子書籍使用者と全面戦争が起こりそうなことを熱烈に語られたが、別に俺は紙に愛着があるわけでもないし、「それって漫画が汚れね?」と思うくらいなので龍也の熱烈で強烈で狂気的な演説は心にまったく響いてない。それに俺としては紙か電子かの違いというのは実体として手元にあるかどうかの問題なので気にもしてない。使えればそれでいい。漫画の内容も同じだから面白いことには変わりない。

 まぁ、だからって電子書籍をゴリ押しするわけでもないけどな。紙の良さを取るか、電子の良さを取るかは各々の自由だ。欲張りで金に余裕のある奴は両方の媒体を買って、両方の良いところを堪能すればいいだろう。

 ようは自由にしてくれってことだ。


「さて、いつもの読むかな……」


 ではなぜ俺がここに来たのかというと、それは暇つぶしのルーティーンみたいなものか。

 時間が余ればなんとなく来たくなるし、その時には電子書籍では買わない雑誌を読む。

 その雑誌もファッション誌なんかじゃない。

 ああいうのは俺には向かないし面白いと思わない。

 俺が読むのは都市伝説とかゲームの情報誌とかスポーツ誌とかがメインだ。

 俺は一直線に雑誌コーナーに向かった。

 今日はさっきまでゲームをしていたのでゲーム雑誌にしよう。

 そう決めて、一つ手に取る。

 今じゃネットで情報を手に入れられるが、こういう所では開発者とかのインタビュー記事があるのでそういうのが目当てだ。

 あとは発売されることを知らなかったり忘れてたゲームを掘り出し物として探すことくらいか……。


「……」


 それから俺は時間を忘れて手に取っている雑誌を読むことに集中していた。

 そのため前の方から聞こえてきた「もういいわ。帰りましょ」と言う女性の声で俺は文字の世界から現実世界に帰ってくることができた。

 スマホを見てみるとあれから約三十分くらい経っている。

 いつもよりは少し早いがこういう所の飲食店は混むので早めに移動してもいいだろう。

 わざわざ待ってまで食べたいとも思わないしな。

 俺は手に持っていた雑誌を元の場所に戻して、そのコーナーから出ようとした。

 すると、


「わかった」


 そんな声が聞こえてきた。

 なにもおかしくはない承諾の声だったが、その声音が俺の記憶を刺激した。

 それは記憶にある声だった。どこかで聞いたことがある声。その音源の主を探そうと無意識に記憶をたどっていく。

 直近の過去から一日、一日とたどっていく。

 そして、その答えが出た時、答え合わせも完了した。


「如月くん……? こんなところで会うなんて奇遇だね」

「やっぱり、あの声は小鳥遊の声だったか……っ!」


 その人物は予想通りだったけど、その服装までは予想してなかった。

 明らかに制服でもなく、部活用のウェアでもない。完全な私服。

 小鳥遊の雰囲気に合っていて似合っている。

 学校での小鳥遊には慣れていたが、普段は見ないよう小鳥遊を目にして少し驚いていしまった。

 いつもはなんとなく話したりするがこういう姿を見ると、やっぱりかわいい人だなと再確認する。

 だけど、そんなことは悟られないようにして会話をつないだ。


「ということは小鳥遊のお母さんもいる?」

「うん、ここにいるよ」

「如月くん、久しぶり」

「お久しぶりです。小鳥遊のお母さん」


 ですよね。

 最初に聞こえたのはやっぱりこの人のものだったようだ。


「二週間ぶりくらいかしら?」

「そうですね。お見舞いに行って以来ですから、そのくらいです」

「なんだか懐かしいわね……あの時は優華が恥ずかしがってて――」

「お母さん!! そういう話はいいから!」

「ちょっと優華、ここお店なんだから静かにしないと」

「そうしたいけど、お母さんが変なこと言うからだよ!?」

「別に変なことなんて言ってないわ。あの時のことをありのまま言っただけよ?」

「そういうことは別に言わなくてもいいの! ……恥ずかしいよ……」


 本当に恥ずかしそうに顔をうつむけて消え入りそうな声で小鳥遊はそう言った。


「わかったわよ……それで如月くんはお買い物かなんかでここに?」


 なんかやり取りが月詠の家と似てるなぁ、と思っていたら話をいきなりふられた。

 おそらく話を変えるためだろうけど、ここであの時の小鳥遊について語り追撃する気は俺にもないのでその質問に答えた。


「いえ、夕食までの暇つぶしでここに。でももう食べるつもりなので出ますけどね」

「そうなの?」


 小鳥遊のお母さんはそう言うと、なんとなく周りを見回していた。

 その行動の意味を俺は内緒話でもするつもりなのかと思ったけど……それは流石に無いだろう。俺にはそんな話題は思いつかなかった。

 だとすると、余計に小鳥遊のお母さんの行動の意味がわからなかった。


「……もしかして一人なの?」

「えっ? はい、まぁ、そうですけど……」


 なるほどそういうことね。

 確かに高校生が一人で外食というのは少し珍しい気がするか。

 俺は特に何も思ってなかったので気づけなかった。考えたとしても、一人で食べれる場所があればいいなぁ程度だ。


「そう……」


 そう言って小鳥遊のお母さんは沈黙した。

 俺は当然のこと小鳥遊も困惑気味だ。

 もしかして、友達の少ない可哀想な子と思われただろうか? だとしても俺は大丈夫だ。俺には、龍也と佐山と小鳥遊と月詠がいる。

 そう、四人もいるのだ。

 友達は量では無いはずだし、みんな気の許せる人だから十分だろう。

 そして、今日はたまたま一人なだけだ。別に友達が少なくても可哀想な人じゃない。それに、考えによっては目の前に小鳥遊もいるし一時的には二人とも……いや、それは流石に都合よく考えすぎだな。


「ならちょうどいいわね」


 だけど次に聞こえてきた声は、そんな考えをしてる人から出てくるようなものではなかった。

 憐みなど負の感情を含まない声。

 含まれてるのは逆のベクトルとでも言っていいだろう。


「如月くん、今から私の家に来ない?」

「……はい?」


 ホント、考え違いもいいところだった。

 この人の性格を忘れていた。


「一緒に夕食を食べない?」

「…………はい?」


 俺は小鳥遊のお母さんの口から出てきた言葉を頭の中で反芻して、その意味を考えた。

 ゆうしょく、ゆうしょく、ゆうしょく、ゆうしょく……。

 ……ゆうしょく?

 ……有色?

 ……有職?

 …………夕食!?


「お、お母さん!?」


 小鳥遊のそんな困惑した声が聞こえてきた。

 俺は俺で混乱しすぎて、頭の中で無駄に『ゆうしょく』という単語を正しく変換するのに、色々と寄り道をしてしまっていた。

 なんたって予期していなかったことがいきなり起こったのだ。いわゆる“想定外”というヤツ。

 そのため、心の準備が整ってなかったので仕方ない。


「もちろん、如月くんが迷惑じゃなきゃだけど……どうかしら?」

「いえ、迷惑なんてことは無いんですが……」


 別に迷惑なんてことはない。どちらかと言えば嬉しい提案でもある。

 やはり一人でご飯を食べると無味乾燥とした感じがしてしまう。誰かと食べるという提案に俺は誘惑されている。

 だけど俺なんかが一家族の夕食に同席していいものだろうか?

 確かに、食事を司るであろう小鳥遊のお母さんに誘われてるのだし躊躇う必要はないのだろう。

 だとしても誘われる側の俺からしたら、“他人の俺が”なんて考えてしまう。

 だけどそれだけが俺を躊躇させる原因ではない。


「遠慮なんてしなくてもいいのよ。如月くんのことは歓迎するわ。ねえ、優華もそうでしょ?」

「えっ? う、うん、もちろん私も歓迎するけど……でも、いきなりどうして?」

「ただ、みんなで食べた方がいいかなって思っただけよ。ここで如月くんと会ったのも何かの縁だし、お互い知らない間柄じゃないからね」


 やっぱり同級生の女子の家でしかもその家族がいる中で食事をするには勇気が必要だ。

 確かに昨日も月詠の家で食べたけど、あの時は月詠のお母さんがいたのは突発的なことで回避はできなかったし、別に一回女子の家でご飯をごちそうしてもらったからって慣れるものでもない。まぁ、そもそもごちそうになる相手が違うからそんな経験は意味がない気がする。


「そうだけど……でも、そのせいで如月くんも困ってるよ?」

「そういえばそうね……。如月くん、そんなに深く考えなくてもいいのよ。ただ、夕食を一緒に食べようってだけなんだから」

「ですけど……」

「そうね……優華のお見舞いのお礼とでも考えてくれたらいいかしら。それなら、遠慮する必要もないでしょ?」


 だけど、やっぱりこの誘いを断ることができない。というかその理由が思いつかない。

 まず、さっきの俺の発言でその退路はいろいろと断たれている。例えば『家で家族が待っている』とかだ。

 そうなると、俺ではなく向こう側に原因を持っていき理由を考える必要が、思いつくのはあるけどどれも本音であったり、嘘だったりして、それが情けなかったり、相手に失礼だったりするから言うことができない。

 それに、ここまで言われて拒否することなんてできないだろう。

 そして、俺自身もどこかでそれを望んでいない。

 つまるところ答えなんて一つだけだ。


「……わかりました。ごちそうになります」

「そう、よかったわ。それじゃあ、早速行きましょ。……そういえば、如月くんはここには何できたの?」

「電車です」

「それな私の車で帰りましょうか」

「ありがとうございます」


 書店を出て駐車場への移動中、小鳥遊が話しかけてきた。


「なんか、いきなりでごめんね」

「いや、別に俺は大丈夫だけど……本当に俺がいてもいいのか?」

「もちろん。如月くんが来るのが嫌なわけないよ。それに、いつもと違う夕食になりそうで少し楽しみ」

「そ、そうか……」


 俺は少し怖いです。

 そして、そのまま俺は駐車場まで付いて行き、小鳥遊家の車に乗車した。

 これに乗ってしまえば目的地まで一直線だ。引き返すことはできない。


「それじゃあ、行きましょうか」

「お願いします」


 俺としてはもうどうとでもなれ、という感じだった。


 ※※※


 しばらく車に乗っていて気付けばいつも見る景色に変わっていた。

 今は小鳥遊の家が目の前にある。

 来るまでの移動中、小鳥遊が琴美ことみという人に連絡を取っていた。

 小鳥遊のお母さん曰く「優華の姉で、私たちが買いもにしてる間に今晩の夕食を作ってもらってたのよ」ということらしく、その人に一人分追加の連絡をしたようだ。

 小鳥遊に姉がいたことに驚いた。なんでも今は大学生らしく、笠原高校の卒業生だそうだ。


「ただいま」


 小鳥遊のお母さんがそう言った後、俺たちはそのままリビングまで向かった。

 そして中に入ると、キッチンの方には一人の女性が立っていた。状況から見てあの人が小鳥遊の姉なのだろう。


「おかえり。帰ってくるの意外と早かったじゃない」

「たまたま信号に引っかからなくてね。もうご飯できちゃってる?」

「ええ、ちょうどできたところ……それにしてもびっくりしたわよ。いきなり、一人分追加してくれって言われて」

「ごめんなさいね。でも、大切なお客さんだったからね。大丈夫だった?」

「それはもちろん。今日はカレーにするつもりだったから追加は簡単だったからね」

「それならよかったわ」

「それで彼がその“大切なお客さん”?」

「初めまして。如月蒼真と言います」

「如月……そう、やっぱり君が優華のお見舞いに来た子ね。男の子だからそうだと思ったのよ」


 どうやら俺がお見舞いに来たことは小鳥遊家では話題になっていたようだ。

 そんな面白いことでもないと思うんだけどなぁ……いや、このお母さんならネタにするか。


「私は優華の姉の琴美です。よろしくね、蒼真くん」

「こちらこそ、よろしくお願いします」


 しかし、小鳥遊のお姉さんはやはりというべきか美人だ。

 大学生とだけあって、高校生にはない雰囲気を持っている。

 モテるんだろうなぁ……。


「今日は私が作ったカレーだけど、ウチっていつも中辛なんだよね。蒼真くんの口に合うかな?」

「大丈夫です。俺の家もいつもそんな感じなので」

「そっか。なら大丈夫だね」


 まぁ、実際のところ自分の家のが何口かなんてわからないけど、流石に辛口だったら食えなかったかも。元々俺って辛いの苦手だから。


「お父さんはまだ帰ってきてないけどどうする?」

「そうね……いないけど先に食べちゃいましょうか。いつもならもう帰ってる頃だし、食べてる最中にでも帰ってくるでしょ」


 小鳥遊のお父さんか……どんな人なんだろう?

 小鳥遊の性格と家から考えても、どんなお父さんでも当てはまるから予想しにくい。

 怖い人じゃなきゃいいな……。


「わかった。それじゃあ、今から準備するからちょっと待ってて」

「私手伝うよ」

「それなら俺が……」


 何もせずただ飯は何か悪い気がしたのでそう言ったけど……


「いいよ。如月くんはお客さんなんだから」

「そうそう、こういうのは優華に任せておけばいいの。蒼真くんは座って待ってて」

「そうですか……」


 まぁ、こう言われたら大人しく座ってるしかないのかもしれないけど、そもそもどこに座ればいいかわからなかった。

 食卓テーブルには六個のイスがある。そして、それぞれに自分の指定席があるはずだ。そのため下手に座ることができない。

 それに、準備してもらってる手前、勝手に座って待ってるのは流石に気が引ける。

 なので俺は隅の方でそのまま立って待っていた。


「そういえば、どこに座ればいいかわからないか」


 そう言いながら小鳥遊のお姉さんが運んできたカレーをテーブルの上に置いていく。遅れて小鳥遊も運んできた。

 カレーのいいの匂いが俺の食欲をそそる。こんな緊張するような場面でもお腹は正直のようだ。

 そして、テーブルの片側に一個、その反対側に三個のカレーが置かれた。

 おそらくあの端数の部分が俺の席だろう。


「蒼真くんは優華の隣でいいよね?」

「俺は別に構いませんよ」


 そこが一番安全な席だろうし、俺も比較的落ち着いていられそうなので、その席になってくれてよかった。

 そうして、すべての準備が整いみんなが席に着いた。


「それじゃあ、食べましょうか」


 そう小鳥遊のお母さんが言った直後、ガチャ、と玄関方から音が聞こえてきた。


「あら、帰ってきたみたいね。私はちょっと行ってくるわ」

「そう。私はお父さんの分ついで来る」


 二人が同時に席をたった。


「やっぱりあの音はお父さんが帰ってきた音なのね……」


 俺はそんなことを口から漏らしていた。

 流石に、お父さんとの対面が近づいてくると緊張度が増すようで心の声が漏れてしまっていたようだ。


「如月くん、緊張してるの?」


 そんなつぶやきを俺の隣に座ってる小鳥遊には聞こえたようだった。


「まあね」

「別に怖い人じゃないよ?」

「そっか……」


 ならいいんだけどな。

 でも、それは家族目線だし、どこぞの知らん男子が自分の娘の家にいればそうとは限らないだろう。

 ……心配だ。

 そうこうしてると、トン、トン、と足音が近づいてくる。

 そしてリビングの前でその音はとまり、ドアが開かれた。

 俺は知らずと身構えていた。


「お父さん着替えてくるって」


 だけど少しだけ肩透かし。姿を見せた小鳥遊のお母さんはそう言った。

 どうやら対面するのは少しだけ延期されたようだ。

 ふぅ……。

 俺は心を落ち着かせる。

 平常心、平常心……。


「如月くん、そんなに身構えなくても大丈夫よ。お父さんにはあなたがいること話しておいたから」

「あ、そうなんですか?」

「ええ、もちろん。それのせいかもしれないけど……琴美、ビールを用意しておいて」

「あー、やっぱりそうなった?」

「……?」


 どういうこと?

 俺とビールに何かの因果関係でもあるのか?


「えっとね、お父さんは良いことか悪いことがあると夕食時にいつもビールを飲むの」

「そうなのか」


 俺が疑問に思ってると顔に出てたのか小鳥遊がそう説明してくれた。

 何か悪い予感がするな。


「缶一個?」

「二個だって」

「あらら、結構堪えてるねお父さん。そんなに優華の男友達が来たことが嫌だったのかね」

「そういうもんなのよ、娘を持った男って。私の時もいろいろあったもの」


 やっぱりそうなのね。

 なんだかその二択だとしたらそうだと思ったわ。


「そうなんだ……でも、男友達が来ただけでこれじゃあ、結婚のあいさつに来た日には大変なことになりそう」

「あら? それは近々そういうことがあるってことなの?」

「まさか! 私はいまだに独り身ですよ」

「本当かしら?」

「本当よ」

「はぁ……琴美もいい加減彼氏の一人ぐらい作りなさいよね。せっかく大学に通ってるんだし」

「別に彼氏作るために大学に通ってわけじゃないからいいの。それに私なんかより優華の方が早そうだし別にいいじゃない」

「それもそうね……ねぇ、いつごろ如月くんは来てくれるのかしら?」

「いや、そもそも俺たちただの友達で付き合ってませんから」


 というかそういうネタは今はやめて欲しい。

 この会話を聞かれたら俺がいて不機嫌な小鳥遊のお父さんにどう思われるかわかったもんじゃない。

 最悪この部屋に入ってきた瞬間「娘はやらんぞ!!」とか「出てけ!!」とか言われるかもしれない。

 ……そうなったらどうしましょ?


「でも、それも可能性の問題じゃない?」


 小鳥遊のお父さんの分の夕食を持ってきたお姉さんがイスに座ってそう言った。ちゃんとビール缶が二本置いてある。


「可能性ですか……?」

「うん。だってお互いに嫌いじゃないんでしょ?」

「まぁ、俺はそうですど……」

「それなら可能性はあるじゃない。嫌いならその可能性もないけど……そもそもそんな相手と友達なんてしないでしょ?」

「まぁ、確かにそんな酔狂な真似はしませんけど……」

「なら、やっぱり可能性はゼロじゃないね」

「はぁ……」


 俺は曖昧な答えを返すだけだ。

 今の俺たちの関係ではそんなことは全くないと思うけど、でもそれを本人の前で言うのはなんか気が引けた。

 というか頼むから今そう言った類の話はマジで勘弁してくれ……。

 流石にもうそろそろ来そうだし、本当に聞かれちまう。

 すると、俺の危惧した通り、リビングの扉がまた開いた。

 今度は正真正銘、小鳥遊のお父さんがやって来た。

 俺の緊張はピークに達する。

 小鳥遊のお父さんは俺に一瞥をくれると、そのままいつもの席であろう場所に座った。

 俺から見てちょうど対角線上にいるのが唯一の救いだろうか。

 ……さっきの会話聞かれてないだろうな。


「さ、みんなそろったし食べましょうか」


 その一言でみんなが食べ始めた。

 俺も「いただきます」と言ってから食べ始めた。

 やはり、俺の対角線上から無言の威圧感を感じる。

 小鳥遊のお父さんはビールを一杯グビッと飲むと俺に向かって話しかけてきた。

 これからが正念場だ。


「それで君は優華の何なのだね」


 これは話を聞かれてたと思っていいかもしれないな。

 でも、それは最後の方だけだろうと信じたい。


「俺はただの友達です」

「ただの友達か……」


 そう言うとまた缶ビールを口につけた。今度は二回喉が鳴った。

 そしてその顔は最初に見た時より朱色に染まっている。

 もしかして、酒に弱いのか……?


「それじゃあ、優華とは、なんだ……付き合ってるわけじゃないんだな?」

「お、お父さん!?」

「やっぱりそこが気になるんだね」

「だって、お父さんにとってはそこが重要だもの」

「お前たちうるさいぞ。俺は如月くんに聞いているんだ」


 俺の名前は知ってるんだ。


「それで、どうなんだ?」

「もちろん付き合ってません」

「そうか、そうか。つまり、如月くんは優華とは本当に単なるただの友達というわけだな?」

「そうです」


 乗り切ったか……?

 おそらく小鳥遊のお父さんが一番気にしてた部分に答えたしこれ以上の追及は無いよな……?

 気をよくしたのかまたビールを手にして一気に飲み干した。そして、もう一缶開ける。

 顔はさっきよりも朱色は強くなっており、今では真っ赤なリンゴみたいになっている。


「あなた、ちょっと一気に飲みすぎじゃない?」

「いいんだよ。これくらい楽勝なんだから」

「いつもそう言って最後にはつぶれるけどね」

「そうだよ。いつもベッドまで連れていくの私とお姉ちゃんなんだから」

「大丈夫。今日は大丈夫だから」

「それいつも言ってるよ……」


 やっぱり酒に弱いんだ。

 それなのに二缶も飲むって……絶対大丈夫じゃないよな。


「それで如月くんはどうして、ウチでご飯を食べてるんだ?」

「それは……」

「それは私が誘ったからですよ」

「沙耶が……?」

「そうです。たまたま出かけた先で会って、それでこの前のお見舞いの件のお礼にと思って誘ったんです」

「そうか、そうか……お礼にか……ならしっかり食べるんだぞ」

「は、はい」


 それからは俺に対する追及は途絶えた。

 納得したのか、それともただご飯を食べたくなったのかはわからないが俺としては嬉しい限りだ。


「ごめんね、お父さんが」

「別に大丈夫。気にしてないから小鳥遊も気にするな」

「うん」


 俺だけに聞こえるようにそんなことを小鳥遊は言ってきた。

 俺はそれに答えてから目の前のカレーに手を付けた。

 ようやくこのカレーを味わって食べられる。

 カレーは家庭によって味が違うとよく言われるがこうやって食べてみるとそうなのだと気づかされた。

 小鳥遊の家は俺のとこよりも甘口寄りのようだ。まぁ、使ってるルーが違ければそうなるだろがこれはこれでうまいし、いつもとは違う味で面白い。

 しばらく食べ続けたが、食べることに集中していたためか結構早めに食べ終わった気がする。それでも、俺よりも先に小鳥遊のお父さんが食べ終わっていたが……。

 今は二缶目の残りを飲みながら一休みしている感じだ。


「蒼真くん、カレー少なかった?」

「いいえ、ちょうどよかったです」

「そう。口にはあった?」

「はい、うまかったです」

「それならよかった」


 さて、食べ終わったし、一段落したら帰ろうかな。

 いつまでもいるわけにもいかないし、ずっといると何言われるかわからないからな。……いや、その前につぶれるか。


「それで如月くん!」

「は、はい!」


 すると、いきなり大声で俺の名前が呼ばれた。

 その声の主はかなり酔っているのがよくわかる。

 どうやら懸念してしていたことが起こったようだ。


「君はウチでただ飯を食べてそれで帰るのか……?」

「えっ?」

「だから、君はウチでただ飯を食べてそれで帰るのかと訊いてるんだ」

「えっと……」

「あなた、飲みすぎですよ。そもそも、これは私たちからのお礼ですのにそれに見返りなんてないんですよ」

「そうだとも。だからウチでご飯を食べたんだ。だけど、それがタダだとは一言も言ってないぞ? それに対して対価を求めちゃダメなのか?」

「それはダメですよ」

「いいんだよ!!」


 想像以上に酔ってるようで、かなり強引な理論を展開していた。

 周りからは「こうなったら止まらないんだよね……」とか「もう、恥ずかしいからやめてよ……」などと悲壮な声が聞こえてきて、二人とも諦めてる感じだった。

 ここは俺が答えないと収まらないだろうな……。はぁ……気が重い。


「えっと、どんな対価が必要ですか? やっぱり、お金ですか……?」


 俺はそれくらいしか思いつかなかったが、


「そんなもの子供からもらったりしない!! 俺をなめるな!」


 と逆鱗に触れてしまったようだ。

 そうなると、対価とは何だろうか? ……もしかして何かの芸をしろとかだろうか。よくある宴会芸みたいなの……。そんなの絶対に嫌だ!

 だけどそれも違うかもしれない。

 その場合「それでいい」などと墓穴を掘るかもしれないし、また逆鱗に触れるかもしれない。

 だから俺は恐る恐る訊いてみた。


「それでは何を……?」

「そうだな…………確か今度陸上の大会があるはずだ。俺の代わりのそれに行ってこい」

「はい?」

「俺は仕事でいけないからな、だから代わりに行ってこい。それで今回のことはチャラにしてやる」

「は、はぁ……」

「返事は!」

「は、はい!」

「よし、約束だぞ」

「もちろんです!」

「よし」


 俺は訳も分からずそう言った。

 完全に勢いで押し切られたような感じだ。その証拠に、小鳥遊のお父さんは力を使い果たしたのかテーブルの上ですやすやと気持ちよさそうに眠りだした。

 それにしても対価が、『大会に行くこと』だとは思ってもいなかった。俺としては斜め上の要求だ。

 というかこれって、俺と小鳥遊の仲を深めることにならないか……? まぁ、そこら辺を考えられないくらいに酔っていたのか、それとも酔っていたことで本音が出たのかは流石にわからない。

 なんにせよ、口約束とはいえ約束は約束。

 できるだけ守れるようにしないとな。


「ごめんねお父さんが勝手なことを言って。別に気にしなくていいからね」

「とはいっても、お父さんどんなに酔ってても約束はちゃんと覚えてるからねぇ……流石社会人というかなんというか……」

「そうなんだよね……」


 ということは俺が約束を守らないと、小鳥遊のお父さんに約束も守らないクズ野郎認定されるかもしれないってことか……それは嫌だな。何とかしなければ。


「まぁ、別に行くのは構わないから大丈夫だけど……それっていつあるの?」


 そう問題は日付だ。

 今度の大会って高体連の地区大会のことだよな? あれって確か……。


「今月末の平日だよ。それも四日間」

「……なるほど」


 いきなりピンチというわけですか。

 俺は学校に行ってるわけで、行くとしたらさぼる必要があると……もしかして詰んだ……?

 いや、待て。まだ策はあるはずだ。

 最悪、四日連続病欠にすれば、一応合法的だよな。まぁ、どんだけ病弱なんだってなるし、絶対にさぼりだって感づかれる。

 となると、もっと安全で誰にも疑われずかつ合法的な方法は…………あぁ、一つだけ思いついたけど、うまくいくのかこれ?

 それに俺の考えついた作戦では俺では実行不可能だ。

 そして勝算は決して高くない。だけどやってみるだけタダだし、その価値はある。何より俺の名誉が掛かっている。

 とりあえず明日また学校行かないと……。


「とりあえず、ある程度の努力はしてみるよ」

「無理しなくていいんだよ。後で私から言っておくし……」

「いや、あそこまで言い切っちゃった手前、それはできないよ。諦めるにしても何かしらはやっておかないと示しがつかないし」

「ほほぉ……これは感心。蒼真くんって本当にまじめだねぇ。こんな他人に言われたことなんて無視しちゃえばいいのに」

「それは俺の性格的な物ですので……それに他人とはいえ友達の父親ですし、流石に無視はできませんよ」

「本当に律儀な子。確かに優華が気にするのもわかるわ。私、実は蒼真くんみたいな男の子は好きなんだよねぇ……」

「あはは、ご冗談を」

「本当だって。私、蒼真くんの彼女候補に立候補していいかしら……いや、そんなことしたら優華に怒られるかな?」

「お姉ちゃん、さっきも言ったけど私たちは単なる友達だから」

「そうだぞ! 優華と如月くんは単なる友達だ! それ以上でもそれ以下でもないんだ!」

「うわっお父さん起きてたのって……また寝てるし」

「あはは……」


 それからもにぎやかで俺の精神を追い込むような会話はしばらく続いたが、それでも小鳥遊家での夕食会も終わりに向かっていた。

 その間も、若干現実逃避気味に明日のことを考えたりしていた。

 俺のゴールデンウィークは明日もまだ忙しいようだ。

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