第5話 帰路

 特別棟からいったん教室棟まで戻り、そこから昇降口で外靴に履き替えてから学校を出ると外は暗闇に覆われていた。

 今学校を照らしているのは、設置されている外灯と太陽と入れ替わるように出てきた黄色い満月だけだ。

 夜風も涼しい訳もなく、まだ冬なんじゃないかと思わせてくれるほどには寒いもで、春の到来はまだ先に感じる。

 そんな中俺と小鳥遊は校門まで来ていた。ここまで来るのに生徒会室から別々に行くのは流石に変なのでなんとなく一緒に来たがそれももう終わりだ。ここからお互い自分の帰路につく。

 ここで漫画とかなら、


「もう暗いから送っていくよ」

「えっ! 大丈夫だよ。この時間私はいつも一人で帰ってるし」

「いや、こんな時間に女の子一人は危ないからやっぱり送ってくって」

「……うん、分かった。ありがとう」


 みたいな甘ったるい会話が繰り広げられるだろうが、現実はそううまくいく訳がない。

 今の時刻は午後六時過ぎ、確かに太陽も完全に沈んで真っ暗だ。だけどこの時間に高校生の女子が一人で帰ることは別に普通だろう。

 なのに偶然一緒になったからって心配するのはどうかと思う。それならそいつは毎回この時間、この暗さの時に帰る女子を心配してることになる。

 そんなお節介野郎を俺は聞いたことが無い。

 確かに本当に心配している奴は無きにしも非ずだけど、結局のところあんなのはただチキンな男子が頑張って女子と一緒に帰るための口実なだけだ。


 と批判はしてみたけど、そいつにはそれだけの勇気があるのでそれはそれでうらやましかったりする。俺にはそんな勇気すら無い、チキン中のチキンだ。……別に自慢じゃないけど。

 だけどそんな勇気があっても今はそういう状況じゃないだろう。

 俺と小鳥遊は今日初めて話した間柄。詳しく言えば俺たちは単なるクラスメート同士で委員会が同じなだけだ。だから『友達』ではない気がする。

 そしてさっきの『送っていくよ理論』は友達以上の関係があってこそ成り立つはずで、俺はそれを満たしていない。なので仮に俺がその理論を実践しても小鳥遊がやんわり拒否するか、拒絶するか、嫌々ながらも承諾するか、この三つの可能性が高いだろう。

 確かにもっとポジティブな答えが返ってくるかもしれないけど、その可能性は非常に低く、それを狙っていくのは単なるギャンブルな気がする。


 まぁ結局、俺が何を言いたいかと言うと、俺は小鳥遊を送らず一人で帰るということだ。

 だって俺は本気で小鳥遊のことを心配していない。ひどいと思う奴もいるかもしれないけど、ただ暗くなっただけで心配する方がどうかしてると俺は思う。……別に勇気が無いだけじゃないからな。

 でも一応、一緒に帰る可能性を考えるとしたら、小鳥遊が俺を誘ってくる場合だ。その場合はもちろん俺は一緒に帰ろうとするけどその可能性はほぼゼロに近い。

 または偶然にも今日だけ不審者がうろついている場合だが……まぁ、それもないだろう。もし不審者がいるなら今頃警察の注意喚起が行われてるはずだし、岬先生あたりから何かを言われていることだ。

 それ以外に可能性を考えるとしたらそれは、


「それじゃあ、俺こっちだから」

「えっ! 私もこっち……」


 と言った具合にお互いの帰路が同じ場合…………ってマジか。

 俺と小鳥遊は偶然にも同じ方向を指さしている。暗くてもさすがに暗順応によって目は慣れてきてちゃんと見えているので見間違えではない。


「小鳥遊もこっちなんだ……」

「う、うん……如月くんも、なんだよね?」

「あ、ああ……」

「……」

「……」


 俺たちの間に静寂が流れる。

 この世には『理論』や『思い』を時には超越してしまう『流れ』が存在する。そして今回のがソレに当たるだろう。

 ……この場合は、一緒に帰った方が自然だよな。うん、きっとそうだ。

 俺はこの静寂の時に色々と考えたが結局その結論に行き当たった。今回の『流れ』ではこれが正解のはずで、後はなけなしの勇気をかき集めそれを言葉にするだけだ。


「……それじゃあ、途中までは一緒に帰るか」

「……そうだね」


 何とかひねり出した言葉に小鳥遊も返事をしてくれた。

 こうして奇しくも、俺と小鳥遊は『送っていくよ理論』を使わずに一緒に帰ることになった。


 ※※※


 俺はいつもと同じ帰り道を歩いている。見えてくる建物も、立っている電柱もいつもと同じ。

 ほとんどがいつもの帰宅と同じ状態だ。

 ただ一つ違うのはいつもは一人のところ今日は二人だということだけか。

 だけどそれだけでいつもの帰り道が違って見えるのはどうしてだろうか。

 いや、仮にその相手が龍也だったとしたらなんとも思わなかった。佐山でもきっと普通でいられた。二人は気ごころもしてれているから変に気負ったりせずに普通でいられた。


 しかし、今俺の隣を歩いているのが今日初めて話した異性にして美少女の小鳥遊だった場合は変わってくる。

 確かに校内というパブリックな場所ではある程度普通に話せていた。けれど、ひとたび学校の外に出ればそれはプライベートの空間で、そこでは学校の時とは何かが違うように気がしてきて、その……なんだか緊張する。

 まぁ、生まれて初めて女子と帰るといった状況になったんだから仕方ないのかもしれない。


「……」

「……」


 だからってこのままでいい訳がない。

 これじゃあ、隣に小鳥遊がいて俺が勝手に緊張して帰っただけという、何の実りもない、どちらかと言えば無理やりにでも別々で帰った方がよかったんじゃね?っていう感じだ。

 ……でも、それはそれで俺が小鳥遊に嫌われているみたいでなんか嫌だし……とりあえず何か話すしかないかないだろうな。

 幸いなことに話題はあるから大丈夫。後は俺の勇気を振り絞るだけだ。


「…………こ――」

「……これから、どうなっちゃうんだろうね私たち」

「――お、おう……?」


 そうして俺が話し出そうとした時にそれよりも一足先に小鳥遊が話し始めた。

 その表情は見えないが声が震えているように聞こえた。小鳥遊も緊張してるのかな?

 と言うか私たちって……いきなり将来設計!?

 ……いや、分かってる、そんなことじゃないって言うのは。小鳥遊から話しかけてくれるなんて思ってなくてちょっと動揺しただけだ。小鳥遊が言いたかったのは恐らく俺たちの委員会のことだろう。

 うん、この流れに乗らせてもらうか。タイミングとしてもちょうどいいし。

 きっかけがあれば意外と楽なものだ。


「ま、まぁ、これからも似たようなことしていくんじゃないかな? 岬先生もあんな風に言ってたし」

「だよね……私先生のあの話聞いて驚いちゃったよ」

「いや、あんな話聞いたら普通驚くって」

「やっぱり如月くんも?」

「そりゃあもちろん。だってあれ俺の知ってる学事補助委員の仕事じゃないし」

「やっぱりそうだよね。私も知ってる仕事内容と違うなって思ったもん」

「だよなぁ……そう言えば小鳥遊はどうして補助委員にしたんだ?」

「えっとね、ただ楽したかったんだよね。一年生の時も二年生の時も運悪くどこかの委員会に選ばれちゃって、すごくめんどくさいなって思ったから」

「ああ、それで最初から楽なところにしておこうって思った訳ね」

「うん、正解。そう言う如月くんは?」

「俺も小鳥遊と同じ、ただ楽したかったからだな。ほら、部活に入ってないと何かしらの委員会を強制されるじゃん。だったら選ぶのは楽な補助委員しかないでしょ?」

「私たち動機が似てるね」

「似てるって言うかほとんど同じ」

「確かに」


 そう言って隣で小鳥遊がクスリと笑ったのが聞こえてきた。顔は見えてないけどおそらく今は笑顔になってるんじゃないだろうかと思わせてくれる楽しそうな笑い声だった。

 なんとなくいい感じだ。肩肘張らうにリラックスできている。それになんだか楽しくなってきた。


「でも、そのせいで結局は大変な委員会を選んじゃった訳だけどね」

「そうなんだよね。これって岬先生が私たちに楽しようとしたらダメって言ってるのかな? だからあんな委員会になっちゃったのかな?」

「う~ん……多分違うよ。先生はきっといい働き手が見つかったから利用しちゃえって感じじゃない? あとは……俺のせい?」

「如月くんの……?」

「うん、まぁ、多分だけど俺みたいな楽してる奴を働かせたかったんじゃないのかな?」

「それなら私もだよ。補助委員選んじゃってる時点で同罪じゃない?」

「いや、俺と小鳥遊じゃ歴が違うからな。俺はこれで三年目だし明らかに楽してるから有罪で、小鳥遊は初めてだから無罪だろ」

「そんなこと無いと思うけど……」

「でも、岬先生のことだから違う理由って可能性もあるけどな。あの人の内面を予想しようなんて不可能だろう」


 俺の中での先生の性格は、自由奔放、傍若無人、奇想天外、と言った似たような四文字熟語を足し合わせたような感じだ。だからこそ予想がつかない。


「確かにそれは言えるね」

「やっぱり小鳥遊もそう思う?」

「うん」


 そこでいったん話は途切れた。結構長く続いた気がする。

 ここまで何だかんだで一緒に帰っている。

 別に俺が合わせている訳では無い。本当に小鳥遊と帰っている道が俺の通学路なだけだ。

 小鳥遊の方はどうなんだろうか?


「そう言えば、小鳥遊の家ってどこにあるの?」

「私の家? えっともう少し先かな。この道をまっすぐ行ったところにあるよ」

「あ、そうなんだ」


 ということは本当に俺と同じ通学路のようだ。

 しかもここをまっすぐということは俺は何度も小鳥遊の家の前を通り過ぎてることになる。

 それで一度も見かけたことすらないってのはある意味奇跡なのでは?


「そう言う如月くんの家は?」

「俺のはここをまっすぐ行ってから左に曲がったところにあるよ」

「そうなんだ……意外と私たちって近かったんだね」

「そうみたい」

「でも、私如月くんのこと一回も見たことないかも」

「確かにそうだよなぁ……俺って結構時間ギリギリに登校してるからそのせいかな? それに休日で学校に向かうこともないし」

「多分そのせいだよ。私は如月くんとは逆に少し余裕持って登校してるから、SHRが始まる十五分前くらいにはいつも教室にいるもん」

「そりゃあ、見かけることもないわ」


 奇跡ではなく必然だったようだ。


「……あ、それなら小学と中学ってもしかして同じだった? ここら辺なら同じ地区だよね?」

「いや、違うね。俺って高校入学と同時にこっちに引越してきたから」

「え、そうなんだ」


 中学まではマンション暮らしだったから、俺の進学を機にマイホームを購入した形だ。

 自分の部屋も大きくなったし、何より学校も近くて俺にとっても嬉しいことだった。電車通学は流石にだるいからな。


「ま、だから小鳥遊とは高校でって言うか今日が初めましてって感じ」

「でも、如月くんは私のこと知ってたよね」

「それは、小鳥遊が有名なんだから仕方ないじゃん。だから話したのは今日が初めてだから初めましてなの」

「そっか……そうだね」


 そう言って突然小鳥遊は立ち止まった。

 俺はそれに少し遅れるようにして立ち止まり彼女の方に体を向けた。

 街灯の明るさでその表情がよく見える。

 そこには優しく微笑んでいる今日初めて見る小鳥遊がいた。

 そんな彼女から俺は視線を逸らせなくなっている。

 

「それじゃあ今日が私と如月くんが初めて話して友達になった日なんだね」

「……」


 何かそう改めて言われると恥ずかしいな……

 と言うか俺、小鳥遊と友達になれてたのか……


「これからもよろしくね」

「あ、ああ、こちらこそよろしく……」


 俺はなんとかそう言い返す。


「うん、それじゃあ私の家はここだから。ありがとね如月くん、楽しい帰り道だったよ」


 そして気付けば小鳥遊の後ろには一軒の家があった。

 さっきまで俺は小鳥遊のことばかり注目していて全く気付けていなかった。


「……俺も楽しかった」

「そっか……それはよかったよ」


 そしてまた笑顔になる小鳥遊。


「じゃあね如月くん。また明日学校で」

「じゃあな小鳥遊。また明日……」


 小鳥遊が手を振っているのに対して俺も振り返してからまだ続く帰路に戻った。

 隣の空いた空間を少し寂しく思いながらも残り少なくなった道を歩いていく。

 俺の脳内には未だに最後の小鳥遊の顔が消えずに残っている。


「小鳥遊と友達か……」


 だからさっきのことを思い出してしまう。


「別に嫌って訳じゃない」


 と言うか小鳥遊みたいな女子と友達になれて嬉しくない訳がない。

 ただ、小鳥遊がそう思っててくれたとは考えてもいなかったので今はまだ実感がわいてこない。

 何だか夢を見ているようなフワフワした気分だ。

 だけどこの感覚は今この瞬間だけの特別なものだろう。

 時間が経てばいつも通りの俺に戻る。

 ただ違うのは小鳥遊とは前のような他人同士ではなくて友達という間柄になったこと。


「でも、まさか委員会一つでこんなことになるとは……」


 俺と小鳥遊が友達になるきっかけになったのは確実に学事補助委員会のおかげだろう。

 それまで俺たちには接点なんて無かった。だからもし違う委員会とかだったら同じクラスでも友達になるくらい関わりあうこともなかったかもしれない。

 そんな点と点だった俺たちを委員会は繋ぎ合わせてくれた。

 さっきまでは学事補助委員会に入ったことを後悔もしてたけど、今では良かったとも思うことが出来る。


「そうすると、月詠もその一人か」


 月詠こそ生徒会長で他クラスだから話す機会なんて皆無な存在だった。

 だけど、委員会によってその無かったはずの機会が生まれた。

 まさに学事補助委員会さまさまだ。


「本当に何か起きそうだな」


 小鳥遊とは友達になり、月詠とは邂逅した。

 俺の考えていた『何か面白いことがあればいい』ということが起き始めてる気がする。

 少なくとも、一年生や二年生の時のような退屈はしないだろう。

 そうして俺は若干の寂しさも忘れまた明日を迎えるべく帰宅した。

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