第51話 王城と王冠

 即位要請の受諾を聞いたアドアニスは、安堵の息をついた。


「よかった。ありがとうございます」

「戴冠式とかそういう面倒なのはいらないからな」


 アドアニスに向かって言いながら、無造作にフローリアへ手を差し出す。

 フローリアはその手に向かってぽんっと王冠を放った。玉座の間に何人か分の悲鳴が上がった。

 王冠をキャッチした俺は、意外と重いことに驚きながら帽子でもかぶるような気軽さで頭に載せた。

 

「やあ、諸君。俺が新国王だ」


 そう言って軽く手を振る。

 戴冠の流れもあいさつも何もかも雑すぎたせいか、大半は戸惑い気味に俺を見つめていたが一応ぱらぱらとまばらな拍手が起きた。


「どうも、どうもどうも」


 俺は言いながら、静まるよう一同を手で制する。

 そうしてまた玉座の間に静謐が満ちたところで、俺はおもむろに頭の上の悪趣味なかぶりものを外してみせた。

 

「はい、退位」


 玉座の間が凍りつき、ひび割れたような気がした。

 アドアニスは目を見開き、口を半開きにして硬直している。

 俺はそんなやつらには構わず、手招きしてステラを呼んだ。

 

「どうしたの?」


 少し呆れ気味に笑いながら近寄ってくるステラに、俺も笑顔でうなずいた。そして外した王冠をステラの頭に載せる。

 

「はい、即位」


 先程から引き続き呆けている貴族諸氏と勇者様に加え、ステラも目を点にした。フローリアだけがくすくすと忍び笑いを漏らしている。

 うん、こういうところがフローリアのいいところだ。

 

「というわけだ。短い治世だったが、みんなの思い出に残る名君になれたのではないかと自負している。今後はこのステラによく仕えるように」

「なっ……ちょっ、本気!?」


 ステラはぶかぶかの王冠が落ちないように手で押さえながら言う。


「本気だ。国王として決めたことだから誰も文句は言えない」

「な、なんで私!?」

「似合うと思ったから、王冠」


 台詞を「魔王だし」と結ぶ代わりに、ステラの鎖骨の下、服に隠れている魔王の継承者の証を指さした。

 

「そんな理由!?」


 俺は肩をすくめて笑ってから、真剣な顔つきになって続けた。


「でも真面目な話、ステラが国王っていうのはそう悪くないと思うんだがな。ぐいぐい引っ張っていくってタイプではないかもしれないが、市民を愛し、市民に愛されるようなタイプの女王って感じで」


 ステラは俺が冗談で言っているわけではないと察すると、困ったように眉を垂らして頬をかいた。

 

「いくらなんでも荷が重すぎるわよ……」

「何も、独りでやれと言ってるわけじゃない。俺が支える」

「……ベルガが?」


 意外そうにまばたきを繰り返す。

 そんな顔されると心外だな……って、そういえばまだはっきりと伝えてなかったんだっけか。まあ、「シチューが食べたい」だけで伝わったらその方が怖いか。

 俺は少しだけ深めに息を吸い込むと、その言葉を口にした。

 

「ああ、俺が一生お前を支える。一生、お前を守るよ」


 俺が言った瞬間、玉座の間を満たしていた静寂の種類が変わった。

 目の前のステラは、思考にすべてのエネルギーをもっていかれたように無表情で身じろぎ1つせず固まっていた。

 やがて、恐る恐るといった風に口を開く。

 

「え、えっと……馬鹿にしてるわけじゃないんだけど、ベルガってちょっと常識から外れてるところあるじゃない?。だから念のため確認しておきたいんだけど……」


 そこでステラは一旦言葉を切って、緊張気味にごくりと喉を鳴らした。


「……それって、この前の告白の返事だったり……する?」

「そうだ」


 間髪入れずに俺がうなずくと、ステラはへなへなとその場に座り込んで両手で自分の口を押さえた。

 俺はそんなステラを真面目な顔で見下ろしながら続ける。

 

「正直まだ、好きだとか恋愛だとかってやつは実感としては理解できてない。だからそういう言葉はまだ使えない。でも、ステラと一緒にいたいかって聞かれればそれには自身を持ってうなずける。だからもしステラがそうしたいなら、一生だって一緒にいてやる」


 ステラが涙ぐんだ目で俺を見上げて、小さくうなずく。

 

「まだ告白の答えとしては十分じゃないかもしれないが、これが、一緒にいたいと言ってくれたステラへの、今の俺に出せる精一杯の答えだ」


 ステラはゆるゆると首を横に振る。

 

「ううん、十分……十分だよ。十分すぎるよ」

「それならよかった」


 ……なんかわりと恥ずかしいもんだな、こういうのって。

 単に思ってることを言っただけなんだけどな。まあ本音を晒すっていうのはそういうものか。本音は弱点に直結するしな。

 ステラは、指でこぼれそうになる雫を拭いながらゆっくり立ち上がる。

 

「で、でも、1つ相談があるというか……」

「ん? なんだ?」


 ステラは赤い顔でうつむきながら、つんつんと両の人差し指を突き合わせる。

 

「今のって、私が国王になって、ベルガがそれを支えるって話だよね?」

「そうだな」

「で、でも、でもでも、もし国王なんかになっちゃったら忙しくなっちゃうよね? 2人の時間なんてそんなに取れなくなっちゃうよね?」

「まあ、そうかもな」


 確かに、一緒にいるという話については不十分になるかもしれない。

 ステラはそわそわと体を揺らしながら続ける。


「だから……できたら国王とかじゃなくて、普通の男女として支え合いたいというか……。私は、その……どうせ支えてくれるなら、一緒にお料理したりしてほしいかなって思ったりするんだけど……」


 そこまで言うと、少し顔を上げて上目遣いで潤んだ瞳を向けてくる。


「……ほら、またシチュー作るの失敗しちゃうかもしれないし?」


 それを聞いて、俺はようやく自分のとんでもない愚かさに気づいた。あまりの馬鹿さ加減に、思わず笑いがこみ上げてくる。

 

「そうだな。それはそうだ。確かにステラならいい王になる。それは間違いない」


 自分の頭をコツコツ殴りながら言う。


「でもこの国にステラはもったいない。危うく損するところだった」


 そうだ。ステラが王になってしまったらシチューが食べられない。本末転倒もいいところじゃないか。

 もしかしたら、あのちびっこたちを含め王都の市民と関わりを持ったことで、少しはこの国連中に情が湧いていたのかもしれない。だから、ステラならこの荒んだ王都や国を優しく立て直してくれるんじゃないか、なんてことを考えてしまったんだろう。

 まったく、らしくない、なんてレベルじゃないな。


「うん、そうだよ。私は全部、ベルガのものなんだから」


 そう言って笑うステラの顔は、今まで見た誰のどの顔よりも一番眩しく輝いて見えた。


「じゃあもうこの王冠はいらないな」


 うなずくステラから、ひょいっと王冠を取り上げる。

 そして、何がなんだかわからないと思考停止状態の木偶の坊の群れに向かって声を掛ける。

 

「おーい、この王冠を受け取ったやつが次の国王だぞー!」

「そんなブーケトスみたいな!?」


 まあ添い遂げる約束をしたって意味では結婚式みたいなものだし、あながち間違いでもないんじゃなかろうか。

 

「そぉれっ」


 そんなかけ声と共に、俺は王冠を高々と放り投げた。

 多分今この瞬間の俺こそが、史上最もこの馬鹿みたいに高い玉座の間の天井を有効に活用した人間なんじゃないかと思う。

 貴族たちは阿鼻叫喚に陥っていた。

 

「国の宝だぞ! 誰でもいいからしっかり受け止めろ!」

「俺がもらう!」

「どけ! 貴様にやっては王国は終わりだ!」

「待て! あの重さをまともに受け止めたら……!」


 貴族の馬鹿どもが財宝と権力に夢中になっている中、俺はほくそ笑んでステラの手を引いた。

 

「さ、今のうちにずらかろう」

「うん!」


 そして2人で走り出した――のだが。

 

「待て、2人とも!」


 そこにアドアニスの邪魔が入った。

 

「――あっ」


 直後、ステラが自分で足をもつれさせたのか、アドアニスに掴まれたりしたのかはわからないが、バランスを崩したステラに手が引っ張られる。

 なんとか姿勢を維持し巻き込まれるのは避けたもののステラまで引き上げることはできず、ステラは盛大にこけて顔から床に突っ込んだ。

 

「……お、おい、大丈夫か?」


 ステラは数秒そのままでいたあと、ゆっくりと体を起こした。

 

「うー、思いっきり鼻打ったぁ……」


 と、半べそをかくステラの鼻からは、たらたらと血が流れていた。

 床のステラが顔をぶつけた部分にはちょっとした血溜まりができていて、そこにステラの鼻からぽたぽたと血が垂れていく。


「うわー……」


 思わずつぶやく。まあ、日常的な出血のんかでは結構な惨事に入る部類だったが、鼻だしそこまで心配するほどでもないだろう。

 

「……は、恥ずかしい」


 ステラが手を鼻にやって覆い隠す。そして手の向こう側からまた1滴、2滴と血が垂れた、その瞬間だった。

 ――血溜まりから、突如として火が出た。

 

「……は?」

「……えっ」


 俺とステラが驚きの声を上げ、そしてアドアニスが息を呑んだ理由は、血が発火したことだけじゃない。理由はもう1つ別にあった。

 

「……なんでこの炎、黒いんだ?」

 

 そう、炎が赤でも青でもなく――真っ黒だったことだ。

 俺はこの血の生みの親であるステラ女史に伺いを立てるように、疑問符を貼り付けた顔を向ける。

 

「黒い炎……?」


 一方、思い当たることがあるかのように、ぼそりとそうつぶやくアドアニス。

 

「黒い、炎……」


 同じく何かを思い出そうとするように顔をしかめるステラ。

 そして2人は、同時に何かをひらめいたような顔になり手を打った。

 

「魔王の秘術――!」

「おじいさまの契約――!」


 もうまったく訳がわからない俺は、どちらかが勝手に説明を始めてくれることを期待しつつ肩をすくめた。

 

「ほ、ほら、ベルガの左手の!」

「うん?」

 

 俺は左の手のひらの刻印を見つめる。俺が空腹で意識が朦朧となっているときにうっかり結んだ契約の証だということだが、未だにその内容は聞けずじまいになっている。

 

「それね、おじいさまが世界を滅ぼさないことと引き換えに、ベルガが私の命を守るって契約なの」

「ほう、今更だな」


 たった今一生守ると約束したところだしな。でもなんでそれが血の発火現象につながるんだ?

 

「で、私もすっかり忘れてたんだけど、絶命以外にも一定量以上の出血でも防衛装置として起動されることになってるの。つまりこれ、契約違反ってことで世界を滅ぼす魔王の業火が発動しちゃったっていう……」


 ……うん? それってつまり?

 

「え? 世界……滅ぶのか?」


 俺が軽い調子で言うと、アドアニスが目をむいて青くなった。

 ステラは慌てたように首を振る。

 

「ううん! 厳密に言うと仮発動状態で、このまま出血多量で死んだりしない限りは消えるから大丈夫。でもその契約術式が次に私の生存を確認するまでは消えないから……」


 ステラは引きつった笑いを浮かべて視線を落とす。

 

「多分お城は全焼すると思う」


 ステラが言うと同時、図ったように黒い炎が勢いと大きさを増した。

 一方、向こうで王冠に群がっていた貴族の連中は、誰が王冠をキャッチしたかを巡って醜い争いを繰り広げていた。

 

「――ぷっ、ははははは! あはははははっ!!」


 その光景をたっぷり10秒くらい鑑賞した俺は、思わず吹き出していた。

 面白い。死ぬほど可笑しい。こんなに笑える光景は今まで見たことがない。

 馬鹿な貴族どもがこぞって醜態を晒し、権力を奪い合う。しかしその権力の象徴の最たるものである王城の炎上が始まっている。

 こんなに滑稽な構図は、そうそうお目にかかれるものじゃない。

 

「ま、俺たちの知ったことじゃないな。行こう、ステラ」

「えっ、いいの!? ――ええっ!?」


 心優しいステラは後ろ髪引かれるようだが、俺には関係ない。

 まだ鼻血の止まりきっていないステラを抱えあげると、俺は一目散に駆け出した。呆然と立ち尽くすアドアニスは、今度は追ってこなかった。

 殴り合う貴族たちの横を、舌を出しながら通り過ぎる。

 

「ま、待って、待ってベルガ!」

「いいんだよ、王城のことなんて気にするな! どうせもう主もいないんだ。なくなった方がわかりやすくていいだろ!」

「ち、違うの! そうじゃなくて!」


 俺は首を傾げつつステラの顔を見下ろす。

 その顔は耳まで真っ赤に色づいていた。


「こんな……お、お姫様抱っこなんてされたら、鼻血がもっとひどくなっちゃうってば!」

「――ぷっ、くくく」


 まさかの反応に俺はまた笑いをこらえられなくなった。


「慣れてくれ! これからはこれが俺たちの日常だ!」

 

 そう言って俺はそのまま走り続ける。

 ――ああ、こんなにも笑える日が来るなんて。

 そうやって幸せを噛み締めながら、俺はこのくそったれな王城からおさらばしたのだった。

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