第47話 困ったときの○○○

 改めて王子と3体の竜を見据えると、アドアニスが腰の長剣を抜いた。


「では、行こうか――『闇斬りの剣シャドウ・クリッパー


 アドアニスはそう言って、抜いた剣を自分の足元で鋭く振った。

 その無意味に思える行動を不思議に思った瞬間、アドアニスの剣の切っ先が触れた地面から何か黒い塊が立ち現れてきた。

 まるで水の中から浮かび上がるように湧き出てきたそれは、やがて真っ黒な人の形をとってその場に直立した。

 

「驚いたかな? これは私の影だ。力は生身の私とまったく同じでね。私が疲れたり怪我をすれば同じように弱るけど」

「それで2体抑えるわけか」


 そういえばさっき王子が、勇者なら2人に増えることができるようなことを言っていたような気がするな。

 

「紅と蒼は私が。君は黄色と王子を」

「ああ、年寄りなんだから無茶すんなよ」


 アドアニスは鼻で笑い、俺の肩を小突いてから竜へと駆け出した。

 ステラを背負った俺もそれに続いて跳ぶ。

 

「しっかりつかまってろよ!」

「うん、大丈夫!」


 ステラの返事をかき消すように、黄竜が雷鳴のごとき慟哭を轟かせる。

 直後、俺たち目の前に特大の稲妻が落ちた。

 俺は直線的な動きからジグザグ軌道での跳躍に切り替え、黄竜との距離を着実に縮めていく。

 

『君が本気を見せれば、『彼』は必ず応えてくれるはずだよ』


 アドアニスはそう言った。

 ――本気。俺にとっての本気とはなんだろうか。

 俺を追放したおっさんや、俺を蔑んできた貴族。そしてそんなやつらを牛耳る王子や王家の連中をこてんぱんにぶちのめしたい。

 それは俺の偽らざる本音だ。

 だがそれは、俺が一番、本気で叶えたい願いじゃないんだと思う。

 俺が本当に欲しかったもの。多くの人が生まれてすぐに与えられ、それとともに育つもの。俺がステラに出会うまでほんの1度たりとて、与えも与えられもしなかったもの。

 俺が強くなりたかったのは、いつかそれを与えてくれる誰かを、この手で守り抜きたかったからなのかもしれない。

 

「――なあ、ステラ」

「え?」

「いや、やっぱあとにしよう」

「な、何よ! 気になるじゃない!」


 声を大にして抗議するステラ。

 まあそりゃそうか。こんな状況であえて声をかけてきたのに「やっぱりなんでもない」じゃおちょくられてるとしか思えないわな。


「うーん、じゃあ一言だけ」

「う、うん」

「シチューが食べたい」

「は、はあ? なんでいきなり?」


 ステラはさっきよりも素っ頓狂な声で困惑を露わにする。俺はなんだかおかしくなって、笑いがこぼれるのを抑えきれなかった。

 

「ははは、でもふざけてるわけじゃないぞ。大真面目だ。全部終わったらステラのシチューが食べたい。そうだ、俺は――」


 笑みに緩んでいた頬を引きしめ、眼前に迫った黄竜をにらんだ。


「――本気でそう思ってるからな」


 俺が言うと同時、竜の向こうにいる王子がかまびすしく怒鳴る。

 

「そいつらを焼き殺せ! 塵一つ残すな!」


 応えるように吠えた黄竜の角が、鼓膜がしびれるほどの大音響でもって電流を蓄えていく。その虚ろな瞳は、揺れることもなく俺たちを捉えている。

 しかし俺は引くことも実を守ることもせず、ただ真っすぐ突き進む。

 

「はっ、血迷ったか! その諦めのよさをもっと早く発揮していれば私のもとで栄光をつかめたものを!」


 黄竜の雷撃は、臨界の一歩手前を迎えていた。

 王子がほくそ笑んで高々と短剣を掲げる。

 

「さあ死ね! そして大地の染みとなるがいい!!」

「――いい加減うるせえんだよクソ王子!」


 俺が叫ぶと、俺の背中とステラの胸の間にいる『彼』が、準備万端だと訴えるように軽く爪を立ててきた。

 

「――行け、カリバ! 『揮獅の勇鞭レオ・コンダクション』!!」


 俺は喉を枯らさんばかりに叫び、背中から這い出して飛んだ黒猫――カリバめがけて鞭を振るった。

 瞬間、カリバを起点に光の爆発が起きる。

 その奔流が収束した空間には、天翔ける黒き獅子の姿があった。

 

「なっ……黒き獅子!? なぜ王家ものであるそれが!?」

「さあな。こいつは王家のものじゃなくて勇気ある者に応えるものだ、とかアドアニスは言ってたぜ」


 言った直後、黄竜が極大の一発を角から放つ。

 

「雷を食らえ、カリバ!」


 俺は空中で鞭を振るって叫んだ。

 黄竜の角から伸びる稲妻。しかしそれは射線に割り込んできたカリバの大口に吸い込まれて消えた。

 カリバはそのまま空を駆け抜けると、勢いよく黄竜の首にくらいつく。バチバチバチッとけたたましい音を立て、カリバの牙から電流が逆流していく。

 黄竜は甲高い苦悶の声を上げてのたうち、大地へと落ちた。

 それにより、黄竜の陰に隠れていた王子の姿が完全に露わになった。

 

「ちっ――紅竜、蒼竜、こちらへ来い!」

「いや、もう遅い!」


 カリバが竜へ飛んだ瞬間、すでに俺は王子めがけて跳んでいた。

 

「一瞬で片付けられるとでも? なめられたものだな!」


 王子は憤りながらも冷静に後ろに下がる。俺は間合いを詰めながら鞭を振るった。

 

「カリバ!」


 俺が声を上げたときには、カリバは王子の背後に回り込んでいた。

 王子は盛大に舌打ちすると、後ろのカリバを避け、俺の方へと短刀を構えながら突っ込んできた。

 俺はそれを正面から受ける。胸を突かれる直前でわずかに体をかわし、右の脇の下をすり抜けた王子の腕をそのままロックした。

 目の前で王子がにんまりと笑う。

 

「――かかったな! 紅竜、私ごと燃やせ!」

「――こっちの台詞だ! 今だステラ、飛ばせ!」


 背中に灼熱が迫るのを感じたその瞬間、俺とステラと王子は、その場から忽然と姿を消した。

 

 

 次の瞬間に俺が踏みしめたのは、緑生い茂る柔らかな土だった。

 王子の腕を締め、背中にステラを背負った俺のすぐ隣には、夜闇の中、ぼんやりと光る巨大な何かがそびえていた。

 

「……お前、光るのか」


(それは神ですし。なんか光ってる方がありがたくないですか?)


 と、相変わらず頭の中に直接語りかけてくるこいつはもちろん、例の神木――確か正式な名をトルクネポステリというらしい、あいつである。

 ……いや、なんとなくで光られても全然ありがたみとかねえからな。

 

(相変わらずひどいです……)


「ところでお前に頼みがある」


(えぇ……この流れでよく言えますね)


 うるせえ、こちとら文字通りの死活問題なんだよ。

 

「――な、なんだ!? 何が起きた!? ここはどこだ!」


 俺が神木と和やかに会話しているうちに、あ然とした状態からようやく我に返った王子が騒ぎ始める。


「ほらこいつ、なんかやばいのわかるだろ?」


(ええ、まあ。なんか魔力の状態が異常ですね)


「そう。だからこいつの魔力を吸収してくれ。魔力をろ過して清浄な空気に変える伝説の神木なんだろ?」


 そう。それこそが作戦の最終段階だ。

 魔力の量にたのんで不死を実現しているのなら、その魔力を奪ってしまえばいいのだ。本来であればそんな芸当は絶対に不可能だが、それができるやつが1人……というか1本、ここにいる。


(いやいや、この量をですか? そんな無茶な)


「……え、できないの?」


 俺は少し不安になりつつ問いかける。

 駄目だったら画竜点睛を欠くということになるわけで、またここから泥仕合を始めるか、俺とステラだけ戻ってこいつを置き去りにするかしないといけないぞ。

 

(まあできるんですけど)


「てめえ、折るぞこの野郎」


 できるんなら無茶とか言うんじゃねえよ。


(いやいや、無茶すればできるって話ですよ。そういうこと言うと助けてあげませんよ?)


「くっ……」


 俺は歯ぎしりして顔をしかめた。

 ……腹立つ。めちゃくちゃ腹立つけど正直今は強気には出られない。こいつの助けを借りないと、このクソ王子を完膚なきまでに叩きのめすことができない。

 

「悪かったよ、折ったりなんかしない」


(いいですよ。許してあげます)


「じゃあやってくれるんだな?」


(それはまた別問題です)


「……なんだと?」


(ほら、神様にお願いするんですよ? ふさわしい頼み方ってものがあると思いませんか?)


「…………」


(さーて、今までの歴史上の人間たちはどういう風に神様にお願ごとをいしてきたんでしょうねー?)


「お前……」


(うふふ、今までのお返しです。さあ、お願いしてみてください)


 ちくしょうめ、このふざけた神木に媚びへつらうとか万死に匹敵するレベルの屈辱だぞ。絶対これから先ねちねちネタにしてくること請け合いだ。

 ……いや、今後関わりがあるかはわからないが。

 会ってなくてもここでくすくす思い出し笑いされてるんじゃないかと思うと、それはそれでむかつく。

 また思いっきり脅してやればうまいこと言うこと聞かせられたりしないか……?

 

「――貴様、さっきから何を独りでしゃべっている!」


 すっかり存在を意識の外に追いやっていた王子が、不意に俺を突き飛ばしてくる。

 今の今まで密着していたままだった辺り、王子の方も相当混乱していたらしい。

 

「何を企んでいるか知らんが、竜は再召喚すればいいだけだ。今消し炭にしてやるから好きなだけ独り言に興じるがいい!」


 そう言って王子は短剣を掲げた。

 ――ああ、くそっ! もうプライドにこだわってる場合じゃない!

 俺はステラを背中から降ろすと、怒りと羞恥に震える声で切り出した。


「トルクネポステリの神木様――」 

「来たれ守護竜――」


 それと同時、王子も唱え始める。 

 俺は盛大に顔をしかめながら、早口で一気にまくしたてた。


「これまでのご無礼を深くお詫びいたします。どうか私めの願いを聞き入れ、この外道なる王子の魔力を、その偉大なるお力により封じてくださいませ!」


(…………ぶふっ)


 頭の中で神木が吹き出した。

 ――こ、この神木様! いつか必ず丁重に葬って差し上げますわよ……!


(ぷぷぷっ……はい、うふふ、承りました)


「『揮竜の王剣ドラグ・コンダクション』!」


 そう叫んで王子が短剣を振り下ろした。

 しかし、山は小鳥のさえずりと木々のざわめきが聞こえるばかりで、何一つとして変化は起きなかった。

 王子は目を点にして、手元の短剣を見つめる。

 

「な、なんだ? 『揮竜の王剣ドラグ・コンダクション』!」


 そう言ってもう一度短剣を振り下ろす。

 

「『揮竜の王剣ドラグ・コンダクション』!」


 さらにもう一度。

 

「『揮竜の王剣ドラグ・コンダクション』!!」


 おまけにもう1つ。

 

「『揮竜の王剣ドラグ・コンダクション』ッ!!」


 最後の1振りを終え、王子は青くなった顔いっぱいに絶望を貼り付けてがくっと膝をついた。

 

「な、なぜだ……なぜ召喚できない……。いや、これは……魔力が足りていない……のか? で、ではまさか、まさか不死も解けているのか?」


 そう言いながら、恐怖に駆られたように自分の体を抱きしめる。

 俺は湧き上がってきた笑いをこらえることなく、満面に表してから咳払いをした。

 

「――よし、王子。そこを動くなよ」

「……は?」


 王子が間抜け面をこちらに向けた。

 

「食らえ――」

 

 全力疾走で助走をつける。王家謹製の目鼻立ちの立派なまとは、膝立ちになっているおかげでちょうどいい高さにあった。

 そして俺は腕がちぎれるほどの勢いで振りかぶり、全身全霊を込めて右の拳を叩き込んだ。

 

「ぶごぁっ!!」


 無様な声を上げた王子は森の木々の間をぬって滑空したあと、1本の大木に激突してそのまま倒れ伏した。

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