第45話 魔竜グリムヘルヴルム

 俺が地面を蹴るのと王子が腰に差した短剣を抜くのは同時だった。

 王子は短剣を頭上に掲げ、高らかに叫んだ。


「来たれ守護竜――『揮竜の王剣ドラグ・コンダクション』!」


 しかしその瞬間には俺は王子に肉薄していた。

 王子が何をする気かはわからないが、次に何かが起きるころには俺の手がやつの首にかかって――。

 

「――ちっ」


 首筋で爆ぜた警戒信号に従いとっさに後退する。

 直後、俺が一瞬後にいるはずだった地点に突如として上空から何かが飛来し、爆音とともに土煙を上げた。

 やがて土煙が晴れると、細長いシルエットの何かの姿が立ち現れた。

 

「大盤振る舞いだ。感謝しろ。貴様は記念すべき数世紀ぶりの顕現の目撃者だ」


 そこにいたのは、宙を漂う巨大な黒い蛇のような何かだった。

 大木のごとき太さと、真っすぐ伸ばせば俺の身長の10倍は優に超えるだろう体長の体には、トカゲのような形状の手足がついている。そして頭部には枝木のように屈折した角。

 まさしく、伝説上の存在たる――竜そのものだった。

 

「これぞ、王家がこの『揮竜の王剣』によって代々使役してきた魔竜――グリムヘルヴルムだ。本来は黒き獅子も使役しているはずなのだがな。国王が呆けたために所在がわからぬままになっている。まあ貴様相手だろうと、この竜一体いれば十分すぎるほどだ」

「はっ――とぐろに巻いて便所に流してくれる」


 俺はその威容にも怯まず、正面切って魔竜とやらに挑みかかる。

 魔竜は尾を翻し、迎え撃つように俺に向け振りかざしてくる。

 

「遅い!」


 跳躍してそれをかわし、その勢いのまま竜の顎めがけて拳を突き上げる。

 拳が竜を捉えた瞬間――ガキンッ、と重い鋼同士が激突するような音が響いた。

 

「……いってぇ」


 着地した俺はひりつく手を振りながら顔をしかめた。

 ……ふざけた鱗だ。これは貫手でも抜けないか。

 

「グオォォォッ!」


 竜が鳴いた。それとほぼ同時、竜がこちらに頭から突っ込んでくる。

 それを正面から受けた俺は、激突の寸前で跳馬の要領で竜の鼻先に手をつき、そのまま体を捻って竜の首元にまたがった。


「ガアァァッ!」


 魔竜は不愉快そうに叫び、身をくねらせて俺を振り落とそうとする。

 俺は足でしっかりロックしつつ、左手で角をつかんで体を固定する。

 

「とりあえず目を潰してやる……!」


 角を握る左手を頼りに体を引き上げ、竜の三白眼に手が届くところまで体を移動させる。竜が体を反転させ、俺は猿のように竜の体にぶら下がる状態になる。

 横から貫手をぶち込もうと、懸垂の要領で左手で体を引き寄せる。

 そして目玉めがけて右腕を振りかぶる――が、その瞬間、突如として全身に激しい電流が駆け巡った。

 

「ぐっ、が……」


 電流の発生源は左手。すなわち竜の角だった。

 体の力が抜け、俺はなすすべなく竜の体から振り落とされる。

 

「くそ、聞いてねえぞこんなの」


 しかしすぐさま立ち上がって悪態をつく。

 竜が飛んでいった方向を見やるが姿がない。俺は反射的に受け身を取るように地面を転がる。

 竜は最初と同じように、俺の元いた場所に頭上から降ってきて地面をえぐった。

 再びあがる土煙。今度はその中から、しならせた尾を鞭打つように上から叩きつけてくる。

 立ち上がりきる直前、しゃがみこむような格好になっていた俺は地を這うように跳んでそれを回避する。

 しかし休む間もなく、今度は頭の方が鋭い牙をそろえた顎門で食いちぎろうと迫ってくる。

 俺は勢いのままに地面を転がり、竜の息吹に髪を揺らしながらすんでのところでそれをかわしきる。

 

「オオオォォォッ!」


 竜の苛立つような声がこだまする。

 俺はその隙に体勢を立て直し、なんとか最初の正対の状態に立ち返った。

 

「――ふむ、それ以上はやめておけ」


 竜の背中越しに王子が言い放つ。竜は俺と王子の間で鼻息荒く漂っている。

 

「魔竜は魔獣とは異なる。そもそも生物ですらないゆえ、死という概念すらない。魔竜を始めとする古き存在は、いわば世界の理そのものなのだ。魔竜は『破壊』の理を統べるもの。このまま続けたところで結末はお前の破滅以外にない」

「別にその竜に恨みはないからな。俺はお前さえぶっ飛ばせればそれでいい」


 息を整えながら王子をにらんで舌打ちする。

 

「それが現実的に不可能なことくらいわかるだろう。貴様は竜の相手で手一杯だ。そして竜を退けることはできない。無魔力ではどこぞの勇者のように自らを2人に増やすような芸当もできまいしな」

「うっさい死ね」


 いつかのフローリアのように、単純かつ率直な感想を奏上する。

 理屈で反論できるくらいならすでに実践に移しているわけで。返すべき言葉はそれくらいしかないのだ。

 王子は穏やかな表情で肩をすくめ、そっと目を伏せた。

 

「いいだろう。貴様の言い分はわかった。これ以上無理強いはするまい。本当に残念ではあるが、貴様のことは潔く諦めることとしよう。だから――」


 静かに繰り返しうなずくその仕草は、茶でも飲むような自然さだった。

 だから――あるいは、一連の逃走や戦闘による精神的疲労のせいもあってか――ほんの一瞬だけ反応するのが遅れた。

 

「――ここで死ね」

「ちっ」


 なんの前触れもなく、竜が口から光焔を吐いた。

 瞬時に体を倒してかわすが放射状に広がった炎が左の上腕をわずかにかすめる。

 

「――づっ」


 かすっただけの軽傷……かと思ったがそれは違った。

 左腕が動かない。竜の炎が直撃した場所と、ほんの一瞬延焼したその周囲の部分が、とても直視したくないような状態になっている。

 

「これで少しは自分の置かれた状況というのがわかっただろう。もう一度だけ問うてやる。今すぐ魔王の首を差し出し、私につけ」

「……やなこった」


 俺が口元を薄笑みに歪めて答えると、王子は黙って竜の指揮棒たる短剣を持ち上げた。

 

「そうか。これ以上はもう何も言うまいよ」


 ……今度は何が来る。

 角から走った電流も、まさか角を掴んだやつをしびれさせるためだけにあるわけではないだろう。それ以外にも何を隠し持っているかわからない。

 いずれにせよこのままではジリ貧だ。無茶でも無謀でも攻めに転じるしかない。

 覚悟を決めて地を蹴ろうとしたその瞬間だった。

 

「――あっ」


 俺の背後、やや遠くから――ステラの声が聞こえた。

 

「ちょっと遠かった……って、何あれ。竜……?」

「竜? まさか」


 ステラとフローリアの声を聞いた王子は視線を俺から外し、2人へと焦点を合わせていた。その表情は邪悪な狂喜に歪みきっていた。

 

「ちょうど射線上だ」

「――逃げろ! ステラ!!」


 地下を調べ終えたのか一旦切り上げたのかはわからないが、最悪のタイミング、最悪の場所に転移してきてしまった。

 ……俺が止める?

 いや、無理だ。仮にあの炎が来るなら、間に入ったところで俺が先に消し炭になったあとで2人が消し炭になるだけだ。

 ……竜を叩く?

 鱗を貫く術はない。思い切り顎を打ち上げれば射線をそらせるか?

 

「くそっ」


 最善手を吟味する時間はない。

 俺は一瞬の思考を切り上げ、とにかく竜の顎めがけて跳んだ。竜の口から火の粉が漏れる。

 ――届く!

 確信し、宙を駆けながら腰を捻り溜めを作る。俺の右腕の射程内に竜の顎門が入ろうとした瞬間――竜の尾が側面から迫ってきた。

 

「ちぃっ!」


 間に合わない。今拳を繰り出しても、顎に届く前に尾に弾き飛ばされる。左腕が利かないせいで回避も難しい。

 やむを得ず、溜めていた右腕は迫りくる尾に向けて振るわれた。

  

「――放て」


 その直後、王子が短剣を振り下ろす。

 ――世界が、白く焼き尽くされたような気がした。

 尾を弾き飛ばした衝撃でやや仰向いていた俺は、まさにその炎の放射の真下でそれを見上げていた。

 地面に叩きつけられる寸前に俺が見たのは、夜空を背景にうねりながら伸びていく火柱。醜悪なそれが、星明りをまばゆさでかき消していく光景だった。

 

「――っ」

 

 背中を打って肺から空気を吐き出すと同時、爆発音が轟いていた。

 絶望に内蔵を引き絞られながらもすぐさま立ち上がり、この目で顛末を確かめんとして爆炎上がるそこに視線を飛ばす。

 

「……あ?」


 俺は思わず声を上げて目を凝らした。

 くゆる煙の向こうに立つ人影は――3人分あった。

 

「――いやはや、恐ろしい。何者にも破れぬと国王のお墨付きだった盾が、一撃で爆発四散とはね」


 おどけるように言うその声には、どこかで聞き覚えがあるような気がした。

 一陣の突風に爆煙がかき消され、その姿がはっきりと目に映る。

 

「お、お前は――」

「き、貴様は――」


 俺と王子の驚きの声が重なる。

 

「――この前の黒猫の飼い主!?」

「――勇者アドアニス!?」


 そうそう、勇者アドアニスがなんでここに……って、ん? 勇者?

 ――勇者ぁ!?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る