第36話 謁見の間、折れない鼻

「ところで王子とか王女って何人いるんだ?」


 無駄に広い室内で俺が尋ねると、フローリアは首を横に振った。

 

「現国王の子供は、今はもう第1王子ただ1人です。王子には弟がいたのですが、国王ゆずりの病弱で早逝されました。心の優しい方でしたよ」

「そうか。じゃあどうあがいても国王が死んだらあいつが王子になるわけだな」

「そうなりますね」


 そう言ってフローリアは小さくため息をついた。

 

「…………」


 和やかに会話する俺たちを、無言の険しい視線が射貫いていた。

 俺はその視線の主に倦んだ目を向けると、肩をすくめて首を傾げた。

 

「いつになったら話が始まるんだ? なあ、王子様よ」


 だだっ広くきらびやかな空間のその奥、短い階段を上がってやや高くなったところにある豪奢な椅子の上。

 肘掛けに肘をついたそいつ――すなわちボルグロッド王国第1王子、フェルギエフ・ボルグロッドは、びきびきと青筋を立てていた。

 前に先代魔王と顔を合わせた場所もこんな感じだったと思うが、王城のここは謁見の間というらしい。


「私は貴様らが膝をつくのを待っている。よもやこ私の前であえて無礼を働いているはずもない。失態を改めるのを、寛大に待ってやっているところだ」

「膝を? 俺が? お前の前で? なんでつかなきゃいけない?」


 俺は不愉快さを微塵も隠さず、怒涛の疑問符で責め立てた。

 

「この私と相対する上で頭が高すぎるからだ。不敬である。膝をつくがいい」


 王子が身にまとう衣類も悪趣味にぎらついていた。軍服めいた衣装の服は、宝石でできたボタンにせよ、金糸の肩飾りにせよ、見るものを光で威圧しようという意志の塊にしか見えない。


「お前のみぞおち辺りなら俺の膝の据わりもよさそうだが」


 鋭く視線を飛ばして言う。王子はあからさまに不愉快さを顔に出した。その呆れきったような視線は俺ではなくフローリアに向けられた。

 

「おい、フローリア・ウォズライン。貴様はもう少し分別のある人間だと思っていたが、外様の夫のしつけもできないばかりか、自身まで私の前で堂々と直立するとはどういう了見か」

「うっさい死ね」

「……は?」


 王子が素っ頓狂な声を出して絶句した。

 俺は吹き出しかけてなんとかこらえた。

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

 痛いほどの静寂が謁見の間を満たす。

 しばらくしてフローリアはわざとらしく大きな咳払いをした。

 

「すみません。噛みました」

「何を言おうとしてどこをどう噛んだらそうなる!」

「どこを? まあ強いて言えば殿下の喉笛を噛み切ってやりたいところですが……ああ、でも殿下の汚い血は浴びたくないのでご遠慮いたします」

「…………」


 王子が口を半開きにして眉をぴくぴくさせていた。

 フローリアは盛大にため息を吐き出して肩をすくめた。

 

「すみません。また噛んだようです」

「貴様ァッ……!」


 バンッ、と足を踏み鳴らして華美な椅子から立ち上がる王子。そのまま身分相応の優雅さとは程遠い、乱暴な足取りでこちらに歩み寄ってくる。

 

「多忙なこの私が、愚鈍な貴様らに忠誠を誓う機会をわざわざ設けてやっているのだ。ベル・ウォズラインの力を認め、我が恩寵に与るを許す機会を与えてやっているのだ。それを言うに事欠いて貴様ら……」


 ぷるぷる震えている真っ赤なしかめっ面に、思わず吹き出しそうになったところでようやく思考が状況に追いついてきた。

 ……面白い。今のフローリアはちょっと面白かった。

 フローリアは、てっきり王子には表面上はこびへつらって最大限の恩恵を受けようとするものだとばかり思っていた。というか地位の向上を目指すならそうする以外にない。

 ところがどうだ。のっけから俺に乗っかって攻めてはいたが、口から出たのはまさかの「死ね」だ。

 フローリアが兄貴に対して強気に出られたのは、いずれその上をいくことができるという自身と覚悟ががあったからだ。

 しかし王子は違う。どうあがいたって王子に代わって次の国王になることなんてできやしない。勝てない相手には逆らわず利益を引き出すしかない。なのにフローリアは挑んだ。

 なかなかどうして、見上げた心がけじゃないか。

 

「ああ、前々から貴様は気に食わなかったよ、フローリア・ウォズライン。面従腹背。この言葉がこれほどまでに似合う人間は他にいまい。これだから新興の貴族というのは気に食わんのだ。誇りというものがまるでないし、とにかく意地が汚い」


 王子が俺たちの目と鼻の先に立った。身長は俺と同じくらい。やや背の低いフローリアを、ゴミでも見るように見下ろしている。

 

「中でもお前が1番のクズだな、フローリア。与えられたものを潔く受け入れ、美しく生きればよいものを、偽りの容貌を弄しあらゆるものを分不相応に掠め取ってきた。なんと薄汚いことか。大方その地位も、つまりそのベル・ウォズラインめも、その仮初めの肉体で絡め取ったわけだろう。怒りを通り越して哀れになるな」


 フローリアの目に烈火が宿った。あまりに明確にほとばしる殺意。

 射殺さんばかりの視線とはまさにこのことかと、自然に思われるような目で王子を見上げていた。

 

「……なんだその目は。いくら寛大な私とて、いい加減我慢ならんぞ」


 王子は吐き捨てると、フローリアの胸ぐらを掴んだ。しかしフローリアはひるむことなくにらみ続ける。

 

「息がくさいのでやめてください。呼吸を、永遠に」

「――このクソアマぁっ!」

 

 王子は唾を飛ばしながら叫び、引き倒すようにしてフローリアの胸ぐらを掴んでいた腕を下に引いた。

 

「――っ」

  

 フローリアは前につんのめって膝を付き、這いつくばるような格好になった。

 王子の顔が、嫌悪とも満足感ともつかない感情に歪む。そしてフローリアの頭を踏みつけようとするように、右足を高く上げた。

 ――気がついたときには、体が動いていた。

 

「――ぐぁっ!?」


 そんな王子の悲鳴が上がるのと、無駄に高い鼻を押しつぶす感触が俺の拳に伝わるのは、当然ながら同時の出来事だった。

 俺の拳から離れた王子の体は吹き飛び、階段に叩きつけられて静止した。

 両膝をついていたフローリアは顔を上げ、階段に貼りつく王子を目に留めると驚きの表情で俺を見上げた。

 

「……汚い血がついちまったよ」


 俺が拳についた血を払うように手を振ると、フローリアが笑った。

 いつもと違う顔、ただただ純粋な、いたずらに成功した子供のような顔で笑っていた。

 それはそれで、思いの外悪くない表情だった。

 一方、反対方向から耳に届いた笑い声は薄気味悪いことこの上ないものだった。

 

「くくく……はははは、あはははははっ!」


 階段の段差に頭をあずけた王子が気色の悪い高笑いを上げていた。

 ……なんだ? 頭がおかしくなったか? 

 確かにかなり強めのを叩き込んだからな。気を失ってないのは驚きだが、代わりに気が触れてしまったと考えれば納得がいく。

 王子は操り人形のように緩慢な動作でゆっくりと体を起こす。起き上がったその姿に、俺は言い様のない違和感を覚える。


「……あ? 血は?」


 そう。王子の顔は何事もなかったかのように高い鼻を誇っていた。嫌味なほど白い肌も、血に汚れた痕跡は一切ない。衣類にこそ血痕があるが、顔の方は上から下まで殴られる前と何一つ変わっていなかった。


「まさか、それが噂に聞く不死身の一端ってわけか?」


 何もかもが元のままというわけじゃない。服にも、俺の拳にも血がついている。やつは確かに負傷した。手応えからすればおそらく鼻は折れていたし、なんなら意識も飛んでいたはず。

 しかしそれはおそらく、なかったことになったのだ。強力な治癒魔術か何かで。

 王子は俺の問いには答えずにまた不気味に笑った。

 

「くくく……いいだろう。貴様らにふさわしい末路はじっくり考えてやる。今日のところは見逃してやろう。とっとと失せるがいい」


 王子は階段に座り込みながら、虫でも払うように俺たちに向かって手を振る。

 俺とフローリアは顔を見合わせると、踵を返してその場をあとにした。

 ……このクソ王子、かなり厄介な相手かもしれないな。

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