第32話 苦ッキング!

 一通りの買い物を終え、俺たちは家に戻っていた。

 

「……よし、頑張ろう」


 キッチンからステラの勇ましい声が聞こえてくる。俺はダイニングテーブルに着いて頬杖をついていた。

 ダイニングとキッチンはつながっているので、ここからでもエプロンを付けたステラの姿が見える。

 ……しかし、このままじっと見てるのも暇だな。

 

「鍛えるか」


 神木の加護がある今意味があるのかはわからないが、少なくとも心持ちという点では鍛錬を怠らない方が強くあることができると思う。

 というわけで俺はおもむろに立ち上がるとテーブルから離れ、まずストレッチから始めた。

 

 

「9996……9997……9998……9999……10000……っと」


 切りのいい数字に達したところで一旦切り上げる。


「うん、意味ないなこれ」


 今やっていたのは全身を鍛えられる独自の腕立て伏せで、結構な負荷がかかるはずなのだが1万回やってもたいして疲れてない。この体で筋力の向上を図るならどう工夫しても自重だけでは足りなそうだ。

 小さく息をつき、わずかに額に滲んだ汗をぬぐう。なんとはなしに壁をを見上げると時計が目に入る。

 短針はすでに12の数字より右にあった。

 ……ん? 12時?

 

「……あれ、飯は?」


 もしかして食ったのを忘れた? おいおいおい、もしかして俺はいつのまにかボケ老人になってしまっていたのか? いやそんな馬鹿な。


『ステラや、飯はまだかの』

『――もう食べたでしょおじいさん』


 俺はこれから毎日、こんな風にステラに介護されながら生きていかなきゃならないのか? 

 なんてこった。もともとたいして出来のいい頭ではなかったがボケるのは困る。いや、出来がよくないからこそ、これ以上ボケてしまっては困るわけだ。

 

「いやいやいや、ほら、俺ずっと筋トレしてたし」


 でも夕食時なんてとっくに過ぎてしまってるのも確かなんだけど……って、そもそもステラはどうした。

 と、キッチンの方に目をやってみると。

 

「――できた!!」


 我が同居人が高らかに勝鬨を上げているところだった。


「うん?」


 ……できた、って言ったか?

 なんだ。何ができたんだ。ボケ老人用のデザートか? それとも夜食? 

 できればまだボケてない俺の夕食だったりするといいんだが、もう日付が変わろうかという時間帯に出来上がるそれを夕食と推察するのは妥当なのか?

 と、俺が疑心暗鬼にかられていると、デザートや夜食というにはいささか場違いなホワイトシチューがテーブルに運ばれてきた。

 

「お、お待たせぇ……」


 ステラは疲労困憊だった。俺はとりあえず疑問を解消するのを優先した。

 

「ちょっと聞きたいんだが」

「何?」


 きょとんとして首をかしげるステラ。

 

「これは夕食でいいんだよな?」

「え、どういう意味? ……食べ物に見えないような出来ってこと?」


 ステラが不安そうに眉を垂らす。俺は慌てて手と首を振った。

 

「違う違う。俺の夕飯食った記憶が飛んだのかと思っただけだ。ほら、もうこんな時間だし」


 言いながら時計を指差す。それにつられて顔を上げたステラが青ざめた。

 

「う、嘘……もうこんな時間?」

「そうらしい。俺もさっき気づいた」


 よかった。どうやらまだ介護は必要ないらしい。俺はまだボケてない。生まれつきのボケをノーカンにすれば。よかったよかった。

 なんて安堵している一方で、ステラは頭を抱えていた。

 

「……ごめんなさい、本当。お待たせ、なんてレベルじゃなかったわね」

「ああ、いや。俺も筋トレしてて今の今まで時間のことなんて忘れてたし」


 別に気を遣ったわけでもなく、実際にその通りなのでそう言ったのだが、ステラの気はまるで晴れないようだった。


「指切らないように慎重にやってたのに結局切っちゃったり、だいたいできたところで調味料間違えたり、作り直してたら切った指の血が入っちゃったりしてまた作り直したり……。まさか自分がここまでポンコツだったとは思わなかったわ」

「気にするな」

「気にするわよ……」


 すねて唇を尖らせるステラ。疲れのせいもあるのだろう、少し目をうるませて大きなため息を吐き出した。

 

「まあいいから食べよう。反省はそのあと。せっかく作ったのに冷めるぞ」


 軽く肩をたたいて座るように促すと、ステラは怒られたあとの子供のようにしゅんとうなだれながら俺の向かいに座った。

 

「いただきます」


 俺は言ってスプーンを手に取ると、早速シチューをすくって口に運んだ。

 

「ど、どう……?」


 深い落胆の上に、今度は分厚い心配を重ねた顔で見つめてくる。俺は口の中のシチューをよく味わってからうなずいた。

 

「うん、うまいぞ」


 ステラがホッと大きく息を吐きだす。

 

「よ、よかったぁ……」


 少しだけ緩んだ表情で自分のスプーンを手に取り、シチューを口にするステラ。

 まあ別に舌が肥えてるわけでもない俺の褒め言葉に意味があるとも思えないが。まずいと思うことなんて滅多にないし、嫌いな食べ物もないからな。

 そうして俺が次のひと口を器からすくおうとしたときだった。

  

「――おえぇっ」


 ステラが吐いた。

 なんとか机を避け椅子の脇の床に、口に含んだばかりのシチューを吐き出していた。そしてこの世の終わりのような顔でこちらを見た。

 

「……どうした?」

「どどどどうしたもこうしたもないって! 死ぬほどまずいわよ、これ!」

「そうか?」


 俺は何食わぬ顔で器に突っ込んだスプーンを持ち上げて口に含む。さっきと同じように普通に味わって嚥下した。

 

「え、なんで? まずいの私の方だけ?」


 頭上の巨大な疑問符に押しつぶされそうになっているステラに、俺のシチューの入った器を差し出してやる。

 ステラは恐る恐るといった様子でシチューに自分のスプーンを入れた。そして緊張した面持ちで口に運んでいく。

 

「――おえぇっ」


 やっぱり吐いた。まったく同じモーションで。

 

「なっ、なんで!? なんでこれをそんな平気な顔で食べられるの!?」


 口を拭ったステラがものすごい形相で立ち上がる。俺は戸惑いに頬をかきつつ、我慢してるわけでもないと示すようにまたひと口食べた。

 

「んー、まあ食べたことない味ではあるがな。これはこれでいいんじゃないか?」

「いや絶対よくない!」


 ステラが千切れそうな勢いで首を振る。

 よくないのか。ステラの好き嫌いが多いのか俺の舌がずば抜けておかしいのかよくわからないな。後者の可能性も十分にあるから強くは言えないが。

 

「強いて言えば……ここから苦みと辛みと酸味とえぐみとカビたチーズみたいな臭さがなくなると、もっと好みの味に近づく気はするな」

「それが普通のシチューよ!」


 ステラは両手で顔を覆って、崩れ落ちるように椅子に座った。


 ……ああ、なるほど。どうやらがおかしかったのは俺の舌じゃなくて価値観の方だったらしい。

 

「俺にとっての『まずい』っていうのは『食えない』って意味なんだ。これは普通に食えるから、俺にとっては『うまい』で間違いない。ただ、どれくらい『うまい』かっていう程度の違いはある。多分俺の下の方の『うまい』が、ステラにとっては『まずい』なんだろうな」


 俺が肩をすくめると、ステラは世を儚むような顔つきで視線を落とした。


「……ベルガが寛容な人でよかったわ。目の前でベルガに今の私みたいに吐かれてたらこの場で死んでたわ。恥ずかしさで爆発四散して肉片が大炎上よ」


 ……それはもう大量破壊兵器なのでは?


「うーん」


 爆発こそしていないものの、ステラは灰の山が人の形をしてるみたいな生気のなさで椅子に寄りかかっている。

 

「……なあ、ステラ」


 あらかじめ断っておくが、慰めたりはしないぞ。そういうのは柄じゃないからな。ただ客観的な意見として、ステラがこんなにへこむのは道理に合わないと思うから口を出すだけだ。

 俺は咳払いをして喉の調子を整えると、椅子から立ってステラの横に立つ。そして肩にてを置いて語りかける。

 

「いいか? 勝ち続ける者は実は本当の強者じゃない」


 ステラが顔を上げて目を瞬かせる。

 言ってる意味についての疑問か、急に話しかけられたことへの驚きか、俺が気を遣ってるように見えて不思議がっているのか。あるいはその全部かもしれない。

 

「昨日負けた敵に勝つ。それを繰り返していけるやつが本当の強者なんだ」


 言いながら俺は自分の二の腕を叩く。

 

「体も一緒。トレーニングで、今の体じゃ耐えられないようなところまで負荷をかける。そうすることで明日の体はその負荷に耐えられるようになる。生き物っていうのはそれを繰り返すことで強くなる」


 ステラは黙って俺を見上げながら話を聞いている。


「最初から完璧なやつなんていない。何もかも与えられて生まれたやつなんていないんだ。そんなやついてたまるか。いても俺がぶっ飛ばす」


 特にそれをひけらかし驕り高ぶるようなやつらはな。


「だから気にするな。誰だって始めはできないことの方が多い。それはみんな同じだ。人でも、動物でも、魔族でも――」


 俺は言ってもう一度ポンとステラの肩を叩く。


「もちろん、魔王でもな」


 ステラは口を半開きにしてゆっくりと3回まばたきをしてから、雪が溶けるように柔らかく笑った。

 

「慰めてくれてるの?」

「違う。断じて違う。俺はそんな善意にかこつけて人を見下すような卑怯なやり方はしない。見下すなら徹底的に叩き潰してからだ」


 俺が毅然として首を横に振ると、ステラが吹き出した。

 

「ふふっ、ふふふふふ」

「……何がおかしい」


 俺が言うと、静かに、ゆっくりと首を振るステラ。

 

「ううん、ありがとうね」


 そう言ったステラは、さっきまでの鬱屈が嘘のように華やかに笑っていた。

 ……よくわからんが辛気臭い顔されるよりはよっぽどいいか。

 と、適当に結論づけたところでステラの左手に巻かれた包帯に目がいった。


「……大丈夫なのか? 手は」

「えっ? これ?」


 ステラは我に返ったように左手を持ち上げてみせた。

 そして視線をその左手と俺の顔の間で何度か行き来させてから、こみ上げる笑いを堪えるようにその手を口元に持っていった。


「うん、今お釣りが返ってきたくらいだから全然大丈夫!」


 ……なんだそれ。どういう意味だ?

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