第31話 お買い物とかしまし娘
フローリアに案内された一軒家は、俺の想像よりもだいぶ大きかった。
調理場、浴室、トイレ、ダイニング、談話室に書斎。確かにフローリアたちの生活している屋敷と比べれば断然小さいが、周りの民家と比べると間違いなく大きいし設備も充実している。
「――という感じですね。他に何か足りないものがあれば言ってください」
そう言ってフローリアは家を出て行こうとする。しかしドアに手をかけたところで立ち止まって振り返った。
「実は私、しばらく忙しいのです。次期当主の交代にあたってあいさつとか根回しとかそういうのをしないといけなくて」
俺は行かなくていいのか、とか余計なことは聞かない。おそらくフローリアも俺が嫌がるとわかっているから来いとは言わないのだ。蛇まみれの藪はつかないに限る。
フローリアが続ける。
「今回の措置はベルガさんが不快な思いをしないようにすることが、第一の目的です。ついでにベルガさんの私に対する印象を改善する。2人暮らしをしていただくのはあくまでその演出ですから」
そう言ってステラをじっと見据えた。
「わ、わかってるわよ」
「経緯や実質はともかくベルガさんは私の旦那様です。愛し合っていただくとは言いましたが、節度は持ってくださいね。ステラさん」
「節度って?」
ステラが少しだけ頬を染めながらフローリアをにらむ。
「その顔からしておわかりかと思いますが」
「う、うるさいわね!」
「……まあ、純真なステラさんには無用な心配でしたかね」
小馬鹿にするように笑ってからフローリアは部屋を出ていった。
残された俺とステラは、互いに顔を見合わせた。しばらく見つめ合ったあと、俺は肩をすくめて言う。
「愛し合うか? 節度を持って」
「そ、そうね。……節度を持って」
「具体的に何をする」
ステラが腕を組んで考え込む。
「それはやっぱり……同棲する恋人らしいこと?」
「というと? その辺の知識は皆無だから俺にはわからないぞ。別に無理してあいつの言うことに従ってやることもないと思うが」
ステラは俺の顔色を窺うようにちらりと上目遣いの視線をやってくる。
「ベ、ベルガが嫌じゃなければ私はちょっと、その……やってみたい、かも」
「別に俺は構わないが。面倒なことさせられなきゃな」
「それは大丈夫。むしろ私が面倒なことしたい!」
と、ステラが拳を握って言う。意味はよくわからないが頼もしいことこの上ない。
……いや、面倒なことしたいってなんだ。苦労は買ってでもしろとかそういう話か? 勤勉なやつだな。
「んー、腹減ってきたしとりあえずなんか食うか」
「そうね」
俺はステラがうなずくのを確認すると、近場の料理店か何かに行こうとドアの方に向かう。
「ま、待って!」
しかしステラに呼び止められて立ち止まった。
「なんだ?」
「あ、ええと……私が作るわ。その方が同棲っぽいし」
「それはいいが……作れるのか?」
俺が眉根を寄せると、ステラは満面の笑みで胸を叩いた。
「任せて! 地下書庫で勉強したから!」
……あの、ステラさん。書庫では魔術のお勉強をなさっていたのでは?
というわけで、俺とステラは食材の調達のために商店の寄り集まる広場までやってきた。
「あ、あれベル・ウォズライン様じゃない?」
広場の手前のところで、少し離れたところからそんな声が聞こえてきた。声のした方を見ると3人組の女がこちらを見ながらささやきあっていた。俺たちよりも少し年上というところだろうか。
やがて3人組は連れ立って俺たちの方に近寄ってくる。
「こんにちは。ベル様」
快活そうな女が言った。
「ご、ごきげんよう。ベル様」
気弱そうな女が言った。
「ごきげんうるわしゅう。ベル様」
気取った女が言った。
それぞれスカートの端をつまみながらそんなあいさつをかましてくる。
俺は全力で不愉快を顔に表した。屋敷の使用人といいこいつらといい、なんでいちいち媚びへつらってくるんだ。
「様はやめろ。あとそのごきげんなんたらとかいう薄気味悪い言い回しも金輪際俺の前では使うな」
「で、では、どうごあいさつ申し上げれば……」
気弱そうな女が言う。
「『よう、ベル』。これでいい」
「えっ」
3人はそろって目を点にした。
「はい、じゃあ早速やり直し」
俺がパンパンと手を叩いて促すと、3人は背筋を伸ばして俺に向き直った。
「よ、よう、ベル」
「よう……ベル」
「よ、よう……でございます」
俺はなんか余計なものをつけた気取った女をにらみつけた。
女は蛇に睨まれた蛙のように顔をこわばらせて背筋を伸ばしていた。
……まったく、王都のやつはあいさつの1つもろくにできないのか。
「まあいい。それで? 何か用か?」
ため息をついて用向きを尋ねると、3人はホッと息をついた。
「はい。お姿が見えたので先日の決闘の勝利と、フローリア様とのご成婚にお祝い申し上げようと思い、お声を掛けさせていただいた次第です」
「ゼルバート様を倒されたときのウォズライン様、大変素敵でした」
「あのお方はいつも傲慢で鼻持ちならない方でしたから、胸のすく思いがいたしました」
「そいつはどうも」
もっとも、結婚についての祝言は余計というものだが。
3人の視線は揃って俺の隣で気まずそうにしているステラに向けられた。
「そちらは使用人の方ですか?」
「いや、こいつは――」
「そ、そうです! ステラと申します!」
否定しようとした俺を遮るようにステラが声を張り上げていた。俺が意図を問うように視線をやると、ステラは顔を寄せて耳打ちしてくる。
「一番自然な立場にしておく方がいいわ。魔王って言うわけにもいかないんだし」
まあそれもそうか。友だち、とかいうとゴシップ好きの連中から愛人だとかそういうのだと疑われて面倒なことになるかもしれない。
3人は疑う様子もなくうなずき、ステラを値踏みするようにながめた。
それから媚びるような目の色で俺を見上げる。
「よろしければ私どもを使用人として雇ってはいただけませんか?」
「家事全般、並以上にこなせます」
「夜伽の方にもご期待くださいませ」
気取った女が言った途端、ステラが咳き込んだ。
「よ、夜伽って……!」
「あら、お嬢さんには刺激が強すぎたかしら」
女は挑発するようにステラを見下ろした。ステラは顔を赤くしながら何も言わずに見つめ返していた。
……うーん、なんかこいつら面倒くさいな。
「よし、いいだろう」
「えっ、雇うの!?」
ステラが驚きと不安の入り混じったような顔を向けてくる。
「よろしいのですか?」
「ありがとうございます」
「必ずご期待に応えてみせますわ」
興奮気味に口々に言う3人組に、俺はフローリアにも劣らない下卑た笑みを浮かべて言った。
「ただし、全裸で広場のど真ん中で1日中踊ってられたら、の話だがな」
3人組は絶句した。そのまましばらく凍りついたように固まっていたが、やがて硬い愛想笑いのようなものを浮かべて1歩下がった。
「あ、あはは……すみません。それはちょっと」
快活そうな女は照れ笑いを浮かべていた
「さすがにできかねます……」
気弱そうな女は顔を真っ赤にしていた。
「くっ、1日中踊るほどの体力があれば」
気取った女は唇をかみしめていた。
善良な女どもを追い払うには軽蔑されるようなことを言えばいいだけだから楽だな。……いやまあ、なんか1人おかしい気もするがまあいいだろう。
3人組が踵を返す。しかし気弱そうな女が足を止めてステラを見やった。
「人は見た目によらないものですね。そのお覚悟、尊敬します」
気弱そうな女はそれだけ言うと2人に続いて去っていった。
ステラは眉間に深いしわを刻んでしばらく考え込んでいたが、ハッと何かに気づいたように目を見開く。
そして眉間どころか顔中に深いしわを刻み、勢いよくこちらを向いた。
「もしかして私今、全裸で1日中踊れる変態だと思われた!?」
なるほど。確かに使用人になる条件がそれなら、今使用人をやっている者がその条件をクリアしたと考えるのは自然だな。
「ははは」
「笑いごとじゃないわよーっ!」
広場にステラの悲鳴がこだました。
「もう少し安くなりませんか?」
野菜売りの露店に立ち寄ると、ステラは店主と値切り交渉を始めた。
「うーん、悪いがうちは常に原価ギリギリだからこれ以上はまけられないんだよ」
嘘だな。申し訳なさそうな表情がいかにもわざとらしい。商品の質もそんなによくはないし、同じ品質でもここより安い店は普通にある。
でもどうせ金はフローリア持ちなんだから値切る必要もないと思うんだが。
「いいんじゃないか、別に」
「だ、駄目よ。節約できるところは節約しないと」
ステラは真面目な顔で首を横に振った。
それを見た店主がまたしてもわざとらしく声を上げた。
「おーっと、おたくらもしかして新婚さんかい?」
ステラはその一言で突沸していた。
「ちちち違いますまだそんなんじゃなくて」
「ははは、初心でいいねぇ。しょうがねえ。1割引にしてやるよ」
「本当ですか!? ――って、でも私たちはそういうのじゃなくてですね!」
目を輝かせたかと思えば白黒させる。相変わらず忙しない顔である。
……もしかすると、ステラのこういうところはわりと好きかもしれない。
何を考えているのか、何を言っているのかよくわからないことは多々あるが、それでも何かしらの感情が表に出ているのは確かだ。
権力にたかるタヌキ共と違って、ステラは表情や仕草から心が見える。細かいところまではわからずとも、そこに心があるとわかるだけで印象はまったく変わる。
「違うんだとしてもすぐにそうなるだろうよ。俺にはわかるぜ」
「そ、そんなことは……」
「いいや、あんたらはお似合いだ」
「や、やめてくださいよー」
……まあ、なんで今ステラがこんなだらしなく笑ってるのかもまったくわからないわけだが。
ステラにもフローリアみたいに、お嫁さんがどうのとかのロマンチックな願望があったりするのか? 魔王という生まれゆえにそれがままならないのは少しかわいそうではあるな。とはいえ、俺じゃ力にはなれないんだが。
「はい、毎度あり。また来てくれよな」
「ええ、こちらこそありがとうございました」
俺がぼーっと考え込んでるうちに、ステラは買い物を済ませていた。
「ふふ、いいお店ね!」
満面の笑みを俺に向けて言う。俺はつい目をそらして空を見上げた。
「……そ、そうだな」
嬉しそうなところに水を差すのもなんだし、あの店はぼったくりだ、なんて無粋なことは言わないでおこう。
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