第30話 呼び名は。

 フローリアが学院に行っている間のこと。

 俺は小用を足すべく部屋を出て、相変わらず吐き気を催すような豪奢な装飾の廊下を歩いていた。

 

「おはよ」

「ん? ああ、おはよう」


 隣に並んだステラが声をかけてきた。ステラは自分の部屋で魔術の勉強を頑張っているところらしい。同じ方向ということはフローリアもトイレだろうか。

 山の中での一件のこともあるし、トイレがどうのとか口にするのはやめておくことにしよう。

 

「おはようございます、ベルガ様」


 2人並んで歩いていたところにすれちがった使用人の男が、筋肉質な体で慇懃に頭を下げて言ってくる。俺は途端に体中がむずがゆくなって顔をしかめた。


「様、はやめろ」

「それはいたしかねます。次期当主たるベルガ様には、お付けして然るべき敬称というものがございますので」


 やはり慇懃に言って首を振る使用人。

 

「じゃああだ名とかは?」


 ステラが楽しげに提案する。


「あだ名……というとやはり失礼にあたりますが、何か敬意のこもった異名や二つ名などがおありでしたらそちらでもよろしいかと」

「なんかある?」

「異名ねぇ……」


 王都で独りで生きていたときはいろいろあったけどな。

 

「泥棒ウサギとか」

「泥棒……ウサギ? なんでウサギ?」

「さあな。商品くすねて逃げるときあちこち跳ね回ってたからじゃないか?」

「異名っていうか蔑称じゃないかの、それ……」


 まあ、そうとも言う。

 

「そういうわけだ。様付けよりは幾分ましだし次からは泥棒ウサギと呼べ」

「いえ……それはできかねます」

「家の中で未来の主人を泥棒呼ばわりするのはちょっとどうかと思うしね」


 実際当主の継承権を簒奪してるわけだし泥棒みたいなもんだとは思うんだが。まあこの家は「勝てば官軍」の精神が徹底されてそうだし関係ないか。

 

「なんかもっと別のにしましょう」

「例えば? 俺の呼び方なんて基本罵倒絡みのやつしかないぞ」

「じゃあ私が何かあだ名を考えてみるわ」


 そう言って腕を組み、考え込むステラ。なぜかやたらと楽しそうで、何か思いつくたびににやにやと気持ち悪く笑っていた。

 

「そうね……じゃあ、ベルぴょんとかどう?」

「ベル……」

「……ぴょん?」


 俺は眉間にしわを寄せ、俺のつぶやきを引き継いだ使用人も多分心の眉間にしわを寄せていた。多分。

 

「うさぎ要素を入れてみたわ。可愛くない?」


 いや、可愛くしてどうすんだ。

 ……さてはお前、俺のあだ名を考えてみたかっただけだな。この使用人でも抵抗なく呼べる呼あだ名って前提はどこいった。

 俺は大きなため息をつくと、一計を案じて使用人に向き直った。

 

「おいお前、名前はなんという」

「はい? ボブですが」

「よし、じゃあ今ステラが言った呼び名で俺を呼んでみろ」

「そ、それはできかねます」

「いいから」


 なおも渋るボブを、強引に押し切る。ようやく首を縦に振ったボブは、真面目な顔でまっすぐ俺に向き合った。

 

「ええと……おはようございます、ベルぴょん」

「うん、おはよ。ボブりん」


 精一杯可愛く言ってやった。


「…………」


 ステラは今にも吐きそうになっていた。

 

「…………」

「…………」

 

 俺とボブもだった。


「な? わかったろ?」

「ごめんなさい私が間違ってました。本当はただ私がそう呼んでみたかっただけなんです」


 ステラはグロッキー状態になりながら早口で謝罪していた。

 俺はそのままボブに向かって肩をすくめる。

 

「で、ボブ。やっぱり様付けはなしだ。百歩譲って『殿』。次ベルガ様とか言ったらお前のズボンを全部ホットパンツにすり替えるからな」

「何その地味な嫌がらせ……」


 冬場は大変だぞ。家の連中全員にドン引きされるがいい。

 ボブのイエスともノーとのとれる曖昧な首の動きを見届けてから、俺はトイレに向かった。

 


 フローリアが学院から帰ってきたあと、俺、フローリア、そしてステラは俺の部屋に集まってソファに腰を下ろしていた。俺とステラが隣り合って座り、その向かいにフローリアが座っている。

 

「お前の話ってのを聞く前にこっちから1つ言いたい」

「なんなりと」


 促すフローリアに、俺は盛大に顔をしかめてため息をついた。

 

「俺はこの屋敷では暮らせない。この屋敷自体の趣味の悪さもそうだし、使用人たちがいちいちうるさすぎて、とてもじゃないが我慢ならない」


 どう反応するかとフローリアの表情を注視していると、フローリアは真面目な顔でうなずいた。

 

「なるほど。ではちょうどいいかもしれません」

「ちょうどいい? どういう意味だ」


 特に含みのない目つきでゆっくりと1つまばたきをするフローリア。


「私、考えたんです。どうすればベルガさんに私を好きになっ……」


 急に言葉を切ったフローリアは、「ちょっと待って」という風にこちらに手を出して目を伏せた。そのまま2、3度うなずいてから改めて口を開く。


「私、考えたんです。どうすればベルガさんに、婚姻を結んだ者として最低限の関係を今後も維持していただけるか」

「何その、さっきのノーカンで、みたいな仕切り直し」


 ステラが思わず眉根を寄せてツッコミを入れていた。完全に同意する。

 フローリアは真顔で黙り込み、1度大きく深呼吸した。


「私、考えたんです。どうすればベルガさんに、婚姻を結んだ者として最低限の関係を今後も維持していただけるか」


 一言一句違わず、声の大きさも速さもトーンも何もかも違わず繰り返した。

 俺とステラは顔を見合わせた。

 

「……わかった。続けろ」


 どうあっても何も言ってないという体を貫くらしい。ステラは少し不満そうだったが、追求は無駄と悟ってか何も言わなかった。

 

「脅迫してこの関係に至った以上、もちろんその維持には様々な課題があります。まずはたった今ベルガさんが言った通り生活の問題。そしてもう1つ、私がベルガさんに抱く感情はともかく、ベルガさんの私への印象の問題です」

「まあそれはそうだな。別にお前のことは嫌いじゃないが、頻繁に顔を突き合わせるってことならもう少しおとなしくしてほしい」


 フローリアは笑顔でうなずいた。

 

「その2点を同時に解決するための案を用意しました」

「ほう、どんな案だ」


 フローリアは真剣味に細めた目で、真っすぐに俺を見つめる。


「ベルガさんとステラさんに愛し合っていただきます」

「――ぶふぁっ」


 ステラは咳き込むのと吹き出すのを同時にやってのけ、そのまま悶え苦しみ始めた。


「えほっ、げほっ……今、なんて?」

「だから、ベルガさんとステラさんに愛し合っていただく、と」

「そ、それはどういう意味で……っていうかなんで!? どういう意味で!?」


 ステラは完全に混乱していた。まあ俺も困惑はしている。取り乱していないだけだ。

 

「まあ聞いてください。ベルガさんが私を……なんというか、その……認めてくださったのは、端的に言うと私が悪い人間だからということですよね?」

「そういうことになるな」


 俺が首肯するとフローリアがにやりと笑う。


「そこで私は、悪女になろうと考えたわけです。つまり、お互い愛し合っているベルガさんとステラさんを引き裂き、ベルガさんを奪い取るということですね」

「べべべ別に愛し合ってなんかないわよ!」

「だから愛し合ってくださいと言ったのですが」

「…………」


 至極真っ当なツッコミを入れられたステラは、あからさまに不機嫌になって口元を歪めた。

 

「ああ、それで俺らはこの屋敷とお前から離れて生活するってわけだな?」

「ご明察です。屋敷のすぐとなりに一軒家があります。いろいろと魔術を駆使した設備が入っているので、快適に暮らせると思いますよ」

「あんまり至れりつくせりってのも気に入らないんだが……まあここよりはましだろう。早速案内してくれ」


 まあ正直一刻も早くこいつから逃れる方法を考えるべきではあるんだが、ステラの生活のことを考えればこの環境はそう悪くないんだろう。躍起になってどうにかするべきというほどのことでもない。

 俺とフローリアがソファから立ち上がる。しかし座ったままのステラが俺の腕を引いた。

 

「ちょ、ちょっと! 私はまだいいなんて……!」

「嫌なのか?」

「ベルガさんと2人で暮らすのが?」


 ステラは言葉に詰まって顔をしかめ、俺の方を見て少し頬を赤らめた。それからフローリアの方を向いてじっとりとした視線でにらみつける。

 

「……わかったわよ。でもあなたの思い通りにはならないからね」

「うふふ、望むところです」


 ステラとフローリアの間にはバチバチと火花が散っていた。

 ……なんなの、これ。なんか怖いんだが。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る